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神依る巫女の反逆 水穂国事変  作者: 白瀬あお
四章 主導権をわが手に
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三.

 見当もつかないでいるうち、日の色がしだいに赤みを帯びてきたころ、ようやく豆の足が止まった。


「ここだ! 今日はぜったいここ! 由良の気配がする」

「ただの岩場のようだが」


 こけむした岩山だった。黒い岩肌が露出したそこは、とうていひとの気配などありそうもない。うかつに足をかければ、岩が崩れてくるのではないか――そんな危惧きぐさえ抱かせる。


「まあ見てろ。……あのさ」


 豆は、岩山を昇るのではなくその隙間に手をかけると、ハルをふり向いた。


「俺たちの事情には違いないけどさ、由良がああしたのは遠坂のためっていうより、ほんとうは俺の……」


 語尾がすぼまり、聞き取れない。ハルは聞き返そうとしたが、豆はその前に岩の隙間に身を滑らせた。

 ハルも豆に続こうと中をうかがえば、身震いするような冷気が顔に吹きつける。仰天してあとずさったが、風穴かざあなから突進してきたものが顔面に激突するほうが早かった。


「ぶっ!?」

「みゃーあ!」


 尻もちをついたハルの顔面に貼りついたものが、ハルの顔をぺろぺろと舐める。


「フユ! おーい、どこ行く……」


 風穴から顔を覗かせた由良が、フユが顔面に貼りついたハルを見て笑い転げた。





 由良はハルを洞窟に招き入れてからも、笑い止まなかった。


「はるばる来てやったのに、笑うことはないだろう」

「いや、ハルの顔があんまり間抜けで……ぶふっ、いいものを見たな」


 ハルはむっとして口を閉ざした。

 こんな失礼なやつに半日かけて会いにきたかと思うと、なにやら腹立たしい。忍び笑いを漏らす由良の隣では、豆が得意げだ。


「な、当たっただろ! 由良がどこへ行ってもおれにはわかるんだ」


 そうだな、と同意するが、ハルは由良に尋ねずにはいられない。


「なぜこんな人里離れた場所にいる?」

「ひとりのほうが楽なんだよ」


 ハルは洞窟を見あげた。入口は体をねじこんでやっと入れるというほど狭かったが、中は遠坂の敷地が丸々入りそうな広さである。

 天井高にいたっては、遠坂の家とは比較にもならない。水穂宮の正殿の高さにも匹敵するのではないか。


 薄暗いのも慣れれば気にならない程度で、雨風もしのげる。ここなら狼や猪といった獣に襲われる心配もなさそうではある。


「つくづく、お前は洞窟が好きだな」


 名波の山でも洞窟に連れていかれた。ただ、あそこはここほど寒くはなかった。

 さながら氷室ひむろに放りこまれたかのような気分である。体が凍りそうだ。ハルは両手で体を抱いた。


 由良が平気な顔をするのが、憎たらしい。


「神護りを叩き潰すって言ってたけど、よくあの良峰兄が屋敷の外に出してくれたね。ああそっか、俺のことも殺しにきた?」

「……っ、由良!」


 世間話かと勘違いしそうな軽い口調に、ハルは由良の腕を引っつかんだ。声がやけに反響する。鼓膜がぐわん、と震えた。


「殺してほしければ殺してやろうか」


 ハルはふり向いた由良の胸元をつかむなり、頬を打った。豆がぎょっとしてなにか言ったが、耳に入らなかった。


「お前のせいで、私は捕まったんだぞ! お前のせいで!」


 もう一度、由良の頬を打つ。乾いた音が響く。


「菫を盾に取られ、舞を強制されたんだぞ……っ!」


 さらに、手をふり上げる。


「ひとにあらざる者として……力を奮ってしまった……!」


 手がじんじんと熱を持つ。


 それでも、ハルは手をふり上げるのをやめなかった。何度も、由良を打つ。だが、打擲ちょうちゃく音はしだいに弱くなる。


「お前たちの……神護りの事情なんか知るか! お前のせいで……っ」


 どん、と由良の胸に拳を打ちつけ、ハルはずるずると崩れ落ちた。

 打った右手が痛む。


 由良はなにも言わなかった。言い訳も、謝罪も。それこそが由良が、最初からすべての結果を引き受ける覚悟でしたのだと、示していた。


 ただ、静かにハルを見下ろす。「ハル」とだけ、呼んで。


「……次の新月の前に、曲島に戻る」


 ハルは拳を握りしめ、目をきつく閉じてせり上がる熱い塊をこらえる。そうしていないと、押し寄せる感情に負けそうだった。


「私が望みを叶えようとすれば、近しくなった者を傷つけてしまう」


 関わった者が神護りによって危険な目に遭うという意味だけでなく、ハル自身の手によって。

 菫みたいに。


 日ごろは歯切れよく話すハルだが、声が揺れた。


「神護りなんか、叩き潰して……ひとりの娘として生きられる場所に行きたかった。それができると……思っていた。でも……そんな場所はなかった」


 ハルの行くところ、親しくなった相手までも傷つける。そのことに考えが及ばなかった。


(由良だけが悪いんじゃない)


 ハル自身の考えが足りなかった。

 ひとから隔てられた存在がひとの営みに交わる意味を、ハルは都の惨状を目にして初めて知ったのだった。


「お前に騙されなくとも、私はいずれおなじ結果をたどる運命さだめだったのだろう。……だが」


 言葉がぽろりとこぼれ落ちた。


「悔しい」


 ぽた、と袴に濃い染みができた。

 ハルは腕でぞんざいに目元を擦ったが、濃い染みはまたたくまに広がっていく。

 こうしたかったのだと、ハルは唐突に気づいた。豆にはぶつけられなかったのは、裏切られた怒りと、騙されたやりきれなさ、そして。



「悔しい……っ!」


 片膝を立て、ハルは頭を埋める。

 国の事情、神護りの事情の前に、ハルという器は簡単に押さえつけられる。対して荒ぶる神の力はひとを救わず、傷つけるだけ。


 理不尽を強要する他者と、無力な自分への怒りを、ハルはひとりで抱えていられなかった。由良の前で、ハルは泣き続けた。


 由良がハルの頭に手を伸ばし、途中で拳を握りしめたのには、気づかないままで。





「すまん。お前の手当てをしにきたのに、逆になってしまったな」

「手当て?」


 由良が心底驚いたとばかりに声を上ずらせるので、ハルは呆れた。


「私を庇って負傷したと聞いた。お前の、自分に頓着とんちゃくしないところは早々に改めるべきだぞ。傷を見せろ」


 あのね、と由良が深いため息をついた。


「そういうとこだよ? 俺や良峰兄に利用されたの。わかってる?」


 由良がハルの前にしゃがみ、ハルの頭をぽんと叩く。


「言っておくが、頬は手当てしてやらん」

「はいはい。ハルこそ、その手を冷やさないとね。おいで」


 手を差しだされたが、ハルはその手を取らずに腰を上げた。豆もいたのに、がんぜない子のように泣いたのが気まずい。


 由良はあっけに取られた顔で小さく笑うと、ハルではなく豆の手を取った。


「この先に湖があるんだ」


 長い年月をかけて削れたのだろう岩肌はつるりとして、滑りやすかった。

 ハルは差しだされた手を断ったのもつかのま、二度めにたたらを踏むにいたって、由良の腕を引っつかんだ。豆はといえば、由良の腕になかばぶら下がった状態である。


 洞窟を奥へ進むと、やがてほの青い空間が現れた。

 透き通った水をなみなみと湛えた、湖である。ハルは息をのんだ。


 湖の中央には上方から眩しいほどの光が差している。見あげれば、両手で丸を作ったのとちょうどおなじ大きさの穴が開いていた。


 ハルたちは水辺に腰を下ろす。


「夏場は水浴みをするのに最高の場所になるよ」


 由良に言われて湖に手を浸せば、冷たさが肌を刺す。

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