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神依る巫女の反逆 水穂国事変  作者: 白瀬あお
四章 主導権をわが手に
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一.

 護衛という名の監視役たちに挟まれて屋敷を出るなり、惨状さんじょうがハルの目に飛びこんだ。


 祈年祭としごいのまつりから二日、ありとあらゆる場所が瓦礫がれきの山と化していた。

 築地塀ついじべいは崩れ落ちて雨風に泥が流され、残骸だけとなっていた。倒木が折り重なり、道を塞いでいる箇所もある。地面は木の枝や割れたかわらの破片、家々から飛んできた日用品などで埋め尽くされ、ハルは何度もつまずきかけた。


 重い灰色の空の下、歩く人々は皆、うつむき加減である。つい数日前までの活気は失われていた。


「父ちゃん……っ! 死なないでよお、嫌だよお……!」


 道の端で横たわる男に、男児がとりすがる。額から血を流した男は、ぴくりともしない。水穂宮の殿舎のものと思われる丹塗りの柱が倒れていた。


 悲痛な泣き声が空に吸いこまれていく。


 弔おうとしてハルは男児に歩み寄ったが、男児はハルたちの姿など目に入らない様子だった。

 ハルは伸ばしかけた手を引っこめる。かける言葉ひとつ、見つからなかった。


 ハルは胸の内から湧きあがる衝動を押し留めようと唇を噛む。


 黙々と歩く。

 街の様子を見たいと言いだしたのは、ハルだ。今日は、すべて見るのだと決めていた。

 目を背けず、なにもかも目に収めなければ。

 しかしそう決めてはいても、ハルは何度も、目を逸らしたくなる気持ちと戦わなければならなかった。


 瓦礫を踏み分け央ツ道に出れば、崩れた大門の先にある水穂宮のそばで、人々が寄り集まってひそひそと言葉を交わしていた。


「豊凶の占いどころか、これってもう今年は厄災ばかりってことだよね? ひょっとして都で神事を行ったから……きっとそうよ、それで主様がお怒りになったんだわ」

「しっ、神護りと大君への不敬になるぞ」

「でも、名波の山崩れから予兆はあったじゃない? 神護りが何人も巻きこまれて……今回と併せたら、神護りはもう半分も残ってないわ。美原うつくしがはらの平定も、主様はお認めじゃないのかも……」

「じゃあまさか、またあれが繰り返されるっていうのか? やめてくれ!」


 あちこちで、似たような会話がなされていた。都の人々が不安に覆われている。事情を知らない人々の不審は、神護りや大君にまで向けられていた。


「お前たちとしては、当てが外れたんじゃないか?」


 ハルは同行していた良峰をふり返った。良峰の表情は相も変わらず動かない。


「主様をよく鎮め、水穂国の安寧あんねいを保つのが我らの役目であり、島から連れ出された主様を守り、お戻しするのが此度の使命にございます。そのためにはやむを得ないこともあります」

「大君や民をあざむいても? 怪我を負い、仲間を失っても?」


 良峰は右腕を首から吊った布で固定している。額にも傷を負ったらしく、冠を脱いだ頭には幾重いくえにも包帯が巻かれていた。


「それが、大局的に見てこの国の安寧に繋がるならば」


 良峰は首肯した。憔悴はあっても、動揺はいささかもない風である。本心なのだろう。

 ハルとて、この国をいたずらに壊したくはない。良峰の目指すところは、ハルも望むところである。けれど、そのために良峰が選んだ道には賛同できない。


「なぜお前たちは私をそっとしておいてくれない? 捕らえられなければ、こんな惨事は起きなかった」


(こらえずともよい、と主様はおっしゃった)


 厄災は間違いなく、ハル自身の怒りが荒ぶる神を起こした結果だった。

 その考えはハルの胸を重く塞いだ。


「我々があなた様を自由にすれば、厄災は起きなくなると――本気でそうお思いですか?」

「それは」


 ハルは言葉につまった。

 荒ぶる神が手を下していた山崩れの件を、思い出したのだ。あのときハルの意思はそこになかった。

 この先、たとえハルが自由を得たとして、同様の惨事が起きないとも限らない。


「あなた様は、主様であられます。この光景はあなた様がもたらしたもの。どうぞ……どうか、これ以上の災厄が引き起こされる前に、曲島まがりのしまへお戻りください」


 良峰の声に、荒ぶる神への怯えと畏れが色濃く刻まれるのを感じる。


「……菫はどうなった?」

「嵐の混乱で、それどころではありませんでした」


 良峰が首を横に振る。どこへ行ったか、わからないのだろう。


「無事だとよいのだが」


 ほかの可能性を考えるのは、今のハルにはできそうもなかった。ひどく疲れていた。

 ハルはのろのろと歩みを再開する。


「数多の者をあやめられたのに、娘ひとりを気にかけるのですか?」


 純粋な驚きだとわかるからこそ、痛烈に刺さった。ハルは返す言葉もなく押し黙った。


(これまで、ずっと)


 ハルにとって荒ぶる神とは、内側に存在を感じはするものの、遠い何者かであった。

 島には嵐も、吹雪もない。あるのは、適度な日の光と穏やかな季節の移り変わり。

 海を隔てた美原の地で起きる出来事は、なにひとつハルに届かなかった。

 山崩れの件も、あとから知らされたゆえか実感は薄かった。


 だが、今回初めて。


 絢爛豪華けんらんごうかな建物がみるみる崩れ、千切っては投げるようにして次々にひとが嵐にさらわれるのを、この目で見た。


 しかもハル自身が引き金だった。その衝撃は、ハルが自分で思うよりも胸の奥深くに重しとなって沈んだ。


(いくら私は主様とは別だと主張したところで、これでは……申し訳が立たん)


 おそらく、あのまま荒ぶる神に意識を取りあげられていたら、被害は宮の内に留まらなかっただろう。市中全域を水没させた可能性もある。

 見る限り、市の賑わいもぱったりと途絶え、都は不気味なほど静まり返っている。


 民は家にもり、こぞって祈りを捧げているという。生き残った神護りの元には、各地から荒ぶる神を鎮めるための供物が、引きも切らず納められるとも。


 さらなる災厄に襲われるのを恐れ、都を捨てる者も現れ始めたという。


(私の望みは、こんなことではなかった)


 ひとの営みに交わりたいと願うハル自身が、他者を遠ざけてしまった。

 決してほかの人間とは相容れないと、示してしまった。


「次の新月の夜に曲島に着くよう、その五日前には出立いたします。お心の準備を」


 由良の話ではもっとかかる風だったが、と思い起こしたが、なんのことはない。神護りは馬で、ハルには輿が用意されるからである。


「……わかった。五日で着くとは早いな」


 今のハルには、返事はそれしか思い浮かばなかった。

 良峰を見る。ふと由良の顔と重なった。良峰のほうが険しく、由良のほうが涼やかな、切れ長の目。似た曲線を描く眉、すっと縦に筆をいた鼻筋。


「由良はどうした。歳からいって、お前とは兄弟なのだろう? お前とも異腹なのか?」


「あれは住む場所こそおなじ屋根の下ですが、遠坂ではなく母方の……橘の人間です。写しとしてはそこそこよくできているが、遠坂の人間だとは認められない」


 なるほど、由良が最初に橘と名乗ったのは嘘ではなかったのだ。


「だが、なぜ由良を『写し』だなどと言う?」

「あれは当主にはなり得ません」


 ハルはおや、と思った。慇懃な口調にわずかな憎悪が加わった気がしたのだ。

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