一.
護衛という名の監視役たちに挟まれて屋敷を出るなり、惨状がハルの目に飛びこんだ。
祈年祭から二日、ありとあらゆる場所が瓦礫の山と化していた。
築地塀は崩れ落ちて雨風に泥が流され、残骸だけとなっていた。倒木が折り重なり、道を塞いでいる箇所もある。地面は木の枝や割れた瓦の破片、家々から飛んできた日用品などで埋め尽くされ、ハルは何度もつまずきかけた。
重い灰色の空の下、歩く人々は皆、うつむき加減である。つい数日前までの活気は失われていた。
「父ちゃん……っ! 死なないでよお、嫌だよお……!」
道の端で横たわる男に、男児がとりすがる。額から血を流した男は、ぴくりともしない。水穂宮の殿舎のものと思われる丹塗りの柱が倒れていた。
悲痛な泣き声が空に吸いこまれていく。
弔おうとしてハルは男児に歩み寄ったが、男児はハルたちの姿など目に入らない様子だった。
ハルは伸ばしかけた手を引っこめる。かける言葉ひとつ、見つからなかった。
ハルは胸の内から湧きあがる衝動を押し留めようと唇を噛む。
黙々と歩く。
街の様子を見たいと言いだしたのは、ハルだ。今日は、すべて見るのだと決めていた。
目を背けず、なにもかも目に収めなければ。
しかしそう決めてはいても、ハルは何度も、目を逸らしたくなる気持ちと戦わなければならなかった。
瓦礫を踏み分け央ツ道に出れば、崩れた大門の先にある水穂宮のそばで、人々が寄り集まってひそひそと言葉を交わしていた。
「豊凶の占いどころか、これってもう今年は厄災ばかりってことだよね? ひょっとして都で神事を行ったから……きっとそうよ、それで主様がお怒りになったんだわ」
「しっ、神護りと大君への不敬になるぞ」
「でも、名波の山崩れから予兆はあったじゃない? 神護りが何人も巻きこまれて……今回と併せたら、神護りはもう半分も残ってないわ。美原の平定も、主様はお認めじゃないのかも……」
「じゃあまさか、またあれが繰り返されるっていうのか? やめてくれ!」
あちこちで、似たような会話がなされていた。都の人々が不安に覆われている。事情を知らない人々の不審は、神護りや大君にまで向けられていた。
「お前たちとしては、当てが外れたんじゃないか?」
ハルは同行していた良峰をふり返った。良峰の表情は相も変わらず動かない。
「主様をよく鎮め、水穂国の安寧を保つのが我らの役目であり、島から連れ出された主様を守り、お戻しするのが此度の使命にございます。そのためにはやむを得ないこともあります」
「大君や民を欺いても? 怪我を負い、仲間を失っても?」
良峰は右腕を首から吊った布で固定している。額にも傷を負ったらしく、冠を脱いだ頭には幾重にも包帯が巻かれていた。
「それが、大局的に見てこの国の安寧に繋がるならば」
良峰は首肯した。憔悴はあっても、動揺はいささかもない風である。本心なのだろう。
ハルとて、この国をいたずらに壊したくはない。良峰の目指すところは、ハルも望むところである。けれど、そのために良峰が選んだ道には賛同できない。
「なぜお前たちは私をそっとしておいてくれない? 捕らえられなければ、こんな惨事は起きなかった」
(こらえずともよい、と主様はおっしゃった)
厄災は間違いなく、ハル自身の怒りが荒ぶる神を起こした結果だった。
その考えはハルの胸を重く塞いだ。
「我々があなた様を自由にすれば、厄災は起きなくなると――本気でそうお思いですか?」
「それは」
ハルは言葉につまった。
荒ぶる神が手を下していた山崩れの件を、思い出したのだ。あのときハルの意思はそこになかった。
この先、たとえハルが自由を得たとして、同様の惨事が起きないとも限らない。
「あなた様は、主様であられます。この光景はあなた様がもたらしたもの。どうぞ……どうか、これ以上の災厄が引き起こされる前に、曲島へお戻りください」
良峰の声に、荒ぶる神への怯えと畏れが色濃く刻まれるのを感じる。
「……菫はどうなった?」
「嵐の混乱で、それどころではありませんでした」
良峰が首を横に振る。どこへ行ったか、わからないのだろう。
「無事だとよいのだが」
ほかの可能性を考えるのは、今のハルにはできそうもなかった。ひどく疲れていた。
ハルはのろのろと歩みを再開する。
「数多の者を殺められたのに、娘ひとりを気にかけるのですか?」
純粋な驚きだとわかるからこそ、痛烈に刺さった。ハルは返す言葉もなく押し黙った。
(これまで、ずっと)
ハルにとって荒ぶる神とは、内側に存在を感じはするものの、遠い何者かであった。
島には嵐も、吹雪もない。あるのは、適度な日の光と穏やかな季節の移り変わり。
海を隔てた美原の地で起きる出来事は、なにひとつハルに届かなかった。
山崩れの件も、あとから知らされたゆえか実感は薄かった。
だが、今回初めて。
絢爛豪華な建物がみるみる崩れ、千切っては投げるようにして次々にひとが嵐に攫われるのを、この目で見た。
しかもハル自身が引き金だった。その衝撃は、ハルが自分で思うよりも胸の奥深くに重しとなって沈んだ。
(いくら私は主様とは別だと主張したところで、これでは……申し訳が立たん)
おそらく、あのまま荒ぶる神に意識を取りあげられていたら、被害は宮の内に留まらなかっただろう。市中全域を水没させた可能性もある。
見る限り、市の賑わいもぱったりと途絶え、都は不気味なほど静まり返っている。
民は家に籠もり、こぞって祈りを捧げているという。生き残った神護りの元には、各地から荒ぶる神を鎮めるための供物が、引きも切らず納められるとも。
さらなる災厄に襲われるのを恐れ、都を捨てる者も現れ始めたという。
(私の望みは、こんなことではなかった)
ひとの営みに交わりたいと願うハル自身が、他者を遠ざけてしまった。
決してほかの人間とは相容れないと、示してしまった。
「次の新月の夜に曲島に着くよう、その五日前には出立いたします。お心の準備を」
由良の話ではもっとかかる風だったが、と思い起こしたが、なんのことはない。神護りは馬で、ハルには輿が用意されるからである。
「……わかった。五日で着くとは早いな」
今のハルには、返事はそれしか思い浮かばなかった。
良峰を見る。ふと由良の顔と重なった。良峰のほうが険しく、由良のほうが涼やかな、切れ長の目。似た曲線を描く眉、すっと縦に筆を刷いた鼻筋。
「由良はどうした。歳からいって、お前とは兄弟なのだろう? お前とも異腹なのか?」
「あれは住む場所こそおなじ屋根の下ですが、遠坂ではなく母方の……橘の人間です。写しとしてはそこそこよくできているが、遠坂の人間だとは認められない」
なるほど、由良が最初に橘と名乗ったのは嘘ではなかったのだ。
「だが、なぜ由良を『写し』だなどと言う?」
「あれは当主にはなり得ません」
ハルはおや、と思った。慇懃な口調にわずかな憎悪が加わった気がしたのだ。




