第29話「ずるいとこだよ」
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佐伯ルナ。チートスキル「雌豚」によって操られた何人ものクラスメイトや教師が、彼女と俺達の間に壁をつくるように立っている。
立っている、というのがなんとか判るくらいの明るさだった。天井の照明が割れて……どころじゃなくて、天井がなくなっていた。教室なのに吹き抜けだ。その上に広がる空は黒雲を広げていて、わずかな陽光が唯一の光源だった。
「壁っつーか、盾っつーか……。おーい! ルナ!」
返事を期待しないまま声を掛けてみると、こめかみの辺りに熱を感じて、俺は身を引いた。薄く、けれど確かに俺の身体の皮膚は裂かれ、血が滲んでいる。
「『ゴールデンウィークポイント』を使いましょうか?」
葵が訊いてきたけれど、俺は首を横に振った。話し合いに来たんだ、距離を取る意味なんてない。
いや、こんなのは「話し合い 」なんかじゃない。俺はただ、ケンカした友達と仲直りしに来ただけだ。
「灰崎くんも、いるみたいだね」
震える声に眼を遣ると、それでもアリスは笑っていた。そうだよな、友達といるときは笑ってなくちゃな。
俺達のスキルは「常時発動型」から「無意識選択式発動型」に格上げされたらしい。こっちの世界に戻る時にジャッキーが言っていた。
字面だけで考えると、たぶん、俺達にとってはより都合よく扱えるようになった……ってことか?
「ルナルナ、話そうぜー! 恋バナとか! なぁ!」
教室で冗談を話すように、明るい声音を心掛けた。けれど、そう、ここは。いつもの教室だ。それなのに闇のように暗く、声が届いているのかも分からない。
「…………あたしはね、」
ひとの壁を挟んだ正面から、聞き慣れた声が聞こえた。けれど、いつもの明るい感じは欠片もない。
「あたしはね、龍之介。あんたが好きだよ」
「……知ってるよ」
「髪を明るくしたのも、冗談ばっかり言うのも、勉強頑張るのも、制服着崩すのも、そのへんの男にほいほいついていくのも、全部、ぜーんぶ……あんたの気を引くためだよ。好き、だからだよ」
「ルナルナ。お前は俺に、どうしてほしいんだ?」
闇の中、あはっ、という笑い声が聞こえた。
「好きになってよ。あたしのこと」
「……悪ぃ。好きなやつがいるんだ」
「……そっか」
ひとの壁が割れて、ルナルナが姿を現した。俺を見てにっこりと微笑む。可愛いなぁ、とはじめて思った。
「『雌豚』を解くことなんて簡単にできるのに。そうしないのがあんたの優しいとこで、ずるいとこだよ」
彼女はそのまま教室の端へ向かって、ベランダに続くドアを開けた。止める間もなく、ベランダの手すりに手を掛けて、「じゃね」といつものように挨拶をして。
空を飛ぶこともなく、ルナルナは教室三つ分の高さから落ちた。
「あ……あ……」
言葉を失ったアリスを日々子が支えるように抱く。葵は厳しい瞳のまま、周囲に視線を遣っていた。
死んだ、のか?
まるで悪夢のような現実に、俺も言葉を発する事ができない。
「へへっ。『覆水盆に返らず』ってな」
嘲るような声音に顔を上げると、
「寅宗!」
「よぉ。友達を殺すってのはどういう気分だ? 龍之介」
ところでよォ、と寅宗は昨日見たテレビについて話すような口振りで喋り続ける。
「お前の好きな女って、アリスだろ?」
音もなく風が吹いて、それから悲鳴が聞こえた。
隣にいるアリスの頬から、鮮血が跳ねた。




