第15話「困ったなぁ」
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自分が生まれた世界に名前があることなんて知らなかった。ただ「世界」と呼んでいるここ以外の存在を知った時は大層驚いたものだ。
小さな町で産声を上げてから、何かに苦労した記憶はない。少しでも困ったことがあると、すぐに誰かが助けてくれた。
困った時は、言葉にするだけでいつでも誰かが助けてくれる。それを知った私は、次々に救いを求めた。
「助けてくれる誰か」がどんどん増えていって、世界の大半を占めるようになった頃、ある城に興味を持つようになった。人間の城、ではなく知能のある魔物が暮らす城だ。
「行ってみたい」と誰にともなく口にすると、すぐに願いは叶った。「助けてくれる誰か」の群れは殺されることも喰われることも恐れずに、私のために城の扉を開いてくれた。
魔物の城は暗く、じめじめとした空気が漂っていてすぐに好きになった。ここに住みたい、ここで暮らしたい、そう思った。
その願いも叶って、魔物の王よりも広い部屋を寝床として暮らすようになった。
「異世界」というものの存在を知ったのは、城に住み始めてしばらく経ってからだ。
魔物の王に世界の広さについて訊ねたとき、ここ以外にもいくつもの世界があることを聞かされた。
魔物の王は異世界の全てを掌握したい、などと馬鹿げた夢を語っていたけれど、私は単純に行ってみたいとだけ思った。声に出した。
すぐに千を超える高名な魔術師が集められ、万を超える生贄が集められた。
私一人を異世界へ飛ばすために、大人も子供も魔物も笑顔で死んでいった。
そして私はこの「異世界」にたどり着いた。魂の形でたどり着いて、最初に見つけた若い女の体に取り憑いた。
女の名は「小森日々子」と言った。背が低い所と探った記憶の中の陰気な部分が気に入った。
私は身体を乗っ取ったこの女の姿で、誰に気付かれることもなく、女がそれまで送ってきた暮らしの続きを演じた。簡単だった。
困った時は声に出せば、必ず誰かが助けてくれる。
魔物の王は私のこの力を「マリオネットワーク」と呼んでいた。
「日々子」の暮らしの続きを演じる高校生活。進級して間もない頃、異変が現れた。
「マリオネットワーク」が使えなくなったのだ。
「困ったなぁ」と呟いても、誰も助けてくれない。むしろ、時には誰かが私の手を借りようとしてくるくらいだ。
とても面白かった。
初めての現象だ。頼られて、助けるために動く。時には感謝されたり、そうじゃないんだと怒られたり。その一つ一つが興味深く、新鮮な景色だった。
ある日、教室の中の一人の少女に気付いた。物静かで、けれど内に炎を秘めているような不思議な美しさを持つ少女だった。
その少女に、私は初めての恋心を抱いた。級友達が話す「恋心」とは少し異なるかもしれないけれど、私にとっては彼女に抱いたそれがそうだった。
彼女の名は「影島アリス」。
私は彼女に逢うために生まれてきた。彼女を守り、救うために生きている。今はそう確信している。
私一人をこの世界に送るために、私を産んだ世界は滅んだ。帰る場所はない。
そんなことはどうでもいい。
「マリオネットワーク」が使えない私はただの無力な少女の姿で、それでも精一杯の愛を今日もアリスに注いでいる。
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「アリス……一緒に帰ろう……。アリス、ずっとずっと、一緒だよ……?」
「うん、そーだね。帰ろっかー」




