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転生者たちがチートに酔いしれる世界で、俺だけは生身の知恵と和洋折衷呪術でラグナロクを阻止する  作者: あやと


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第8話 包囲網の陰謀と牙の予兆

[ 黄泉送りの陰院師; 8 (包囲網の陰謀と牙の予兆); ローファンタジー; ]


 カチッ、カチッ、と冷え切った大気を引っかくような硬質な金属音が、凍てついたアスファルトの地表を這うように響いた。それは烏丸小路スラム街の路地裏から吹き抜ける夜気よりもさらに鋭く、或の背筋の産毛を逆立てるような異様な野獣の気配を伴っている。賀茂の或は、交差点の中央部で崩れ落ちるヘレナ・フォン・エッダの精神領域を固定していた手製の呪木の根元から、ほんのわずかに身体の重心をずらした。

 右腕のサラシの下で、半神半魔の崩壊の名残である青黒い呪印が熱を帯びて痙攣している。帝都全域を網羅する魔導インフラの狂ったノイズと共鳴し、或の神経の深部には針で刺すような鈍痛が走っていた。だが、その痛覚を或は奥歯で舌の側面を軽く噛みしめることで強引にねじ伏せ、鉄錆の味を頼りに現実感をつなぎ止める。背後から迫る足音の主が誰であるのか、わざわざ振り返って確認する必要すらなかった。あの狂気的なまでの闘気と、魔導ガントレットの金属爪をわざわざ噛み合わせて火花を散らす悪癖の持ち主は、この帝都第七特区の特権階級の処刑人以外にあり得ない。


「……しぶとい雑種だとは思っていたが、まさかこんなデッドゾーンのど真ん中まで這いずり込んできやがるとはな。賀茂の或、お前という虫けらは、何度踏み潰しても次から次へとしつこく湧いて出る害虫そのものだな」


 低く唸るような野太い声が、凍てついた交差点を包む静寂を暴力的に引き裂いた。

 振り向く必要はない。或は視線を前方のヘレナの回路コアに固定したまま、右手の指先で呪木の根元に打ち込んだ血塗られた逆相ルーン呪符の結び目をそっと確かめた。背後から押し寄せるプレッシャーは、先ほどまで対抗結界の外側で或の結界を引っ掻いていた不可視の残滓とは比較にならない。北欧神話の終末魔獣フェンリルの力を宿した転生者――ヴォルフガング・リッターの圧倒的な質量が、空間そのものを踏み潰すような重圧を伴ってすぐ間近まで迫っていた。


 賀茂の或はあえて体を振り返らず、冷徹な煤色の瞳を細めて低く呟く。

 「――仕事の邪魔をするなよ、特務隊長殿。ご覧の通り、そこのお高くとまったお姫様が自爆しかけたせいで、こちらの足元まで凍りつきかけているんでね。お前のような頭まで筋肉で出来た寄生虫の相手をしている暇は今の俺にはないんだ」


「ガハハハハッ! 面白い! 絶望の底に突き落としてやったはずの雑種が、今度は別の雑魚の尻ぬぐいとはな!」


 ヴォルフガングの野卑な笑い声とともに、ガントレットの金属爪が再び激しく噛み合わされ、青白い火花が暗い路地裏の霧を切り裂いた。

 ずしり、と重い足音が一段階近づく。ヴォルフガングの巨体が、或の背後から伸びる長い影を完全に飲み込んだ。銀色の短髪を荒々しく揺らし、熊皮の獣衣を無造作に羽織ったその巨躯からは、むせ返るような血の匂いと戦闘狂特有の異臭が漂っている。ヴォルフガングは或の背中に視線を突き刺したまま、冷酷な笑みを深めてその場に立ち止まった。


「なあ、或。お前は勘違いしているようだがね、この世界を回しているのは神話の理であり、俺たち神民に与えられた絶対のシステムだ。お前みたいな無資格の生身の人間が、いくら泥水の中でボロ切れの呪符をこねくり回したところで、神様の遊園地のルールを書き換えることなど絶対にできねえんだよ。――邪魔立てするなら、今ここでその小賢しい首ごと、俺のフェンリルの牙で木端微塵に食い破ってやるよォッ!」


 ヴォルフガングが凄まじい闘気を解放した瞬間、周囲の凍てついたアスファルトがクモの巣状に激しく砕け散り、微細な氷の破片が四方八方へと弾け飛んだ。

 その暴力的な圧力の余波だけで、或が先ほどから周辺の雑居ビルの基礎やインフラの残骸に打ち込んでおいた呪符のいくつかから、耐えきれずに出力がスパークする微弱な放電音が上がった。もしこの至近距離でヴォルフガングが全力の突撃を放てば、生身の或の肉体など一瞬でバターのように両断され、血の霧と化して消え去るだろう。自動回復のシステムもなければ、高位の防御結界もない或にとって、正面からの力比べは文字通り死を意味していた。


 しかし、或の表情には恐怖の色など微塵も浮かんでいなかった。

 むしろ、その煤色の瞳の奥には、敵の圧倒的な殺気と突撃の軌道を完全に計算づくで読み切るような、氷のように冷徹な知性の光が宿っていた。或は右手の指先でサラシの上から呪印をそっと押さえ、心の中で静かに数字を数える。


 (……来るか。あいつの頭の中にあるのは、小細工なしの正面突破と、このガントレットの牙で俺の肉を引き裂くことだけだ。……思考の回路が単純な野獣であればあるほど、こちらの敷いた罠の軌道からは絶対に外れん)


 或はあえて視線を背後のヴォルフガングに向けず、目の前の呪木と呪符の網目から伸びる霊的リンクを微かに緩めた。

 それまでヘレナの暴走を四方から固定していた逆相ルーンの網目が、ほんの一瞬だけ緩みを見せる。その微かな隙を、ヴォルフガングの鋭い野獣の勘が逃すはずがなかった。


「ほう……? 結界を維持する手元が狂ったか、それとも恐怖で指が震えているのかい、雑種!」


 ヴォルフガングの咆哮が空間を揺らし、地面のコンクリートが激しくえぐり取られた。

 次の瞬間、音速を超える速度で空間を切り裂くフェンリルの牙が、或の背後から猛烈な勢いで突撃を開始した。風圧だけで或の古びた陰陽寮制服の布地が激しく引き裂かれ、露出した背中の皮膚に冷たい切り傷が走る。システムがもたらしたチートスキルの極致であるその近接突撃は、避けることも受け止めることも不可能なほどの圧倒的な質量を伴って或の背中へと迫っていた。


 だが、それこそが或の狙いだった。

 或は振り返ることなく、左手に握り締めていた古びた木簡の束を足元の特定の亀裂――事前に仕込んでおいた反転結界のアンカーの中心地点へと、一気に踏み込みながら投げ捨てた。


 「――かかったな、処刑人」


 或が低く呟いたのと同時に、或の足元を中心として張り巡らされていた無数の逆相ルーン呪符が一斉にその色を血のような深紅へと染め上げた。

 東洋の五行相生相克の理における「金」と「木」の相剋関係を限界まで高め、北欧の縛り鎖のルーンと強制的に掛け合わせたその罠は、敵の突撃速度が速ければ速いほど、その運動エネルギーをそのまま内部へと呑み込んで倍増させて跳ね返すように設計されていた。


 ズウン、と交差点の地下深部から地響きのような低音が鳴り響き、或の背後に迫ったヴォルフガングの巨体の目前で、空間の位相が不気味に歪んだ。

 フェンリルの牙を纏った魔導ガントレットがまさに或の背中を捉えようとしたその刹那、足元から吹き上がった相剋の網目が、ヴォルフガングの突撃のベクトルを強制的にねじ曲げ、あらかじめ計算された特定の罠地点へとその巨体を巧妙に誘導していく。


 「なっ……!? この足元の泥臭い仕掛けは――ッ!?」


荒れ狂う暴風のような衝撃波が、交差点の凍てついたアスファルトを粉々に削り取った。

 ヴォルフガング・リッターの振るった魔導ガントレットから放たれたフェンリルの牙は、空間そのものを裂くほどの密度を誇りながら、しかし或が計算し尽くして仕掛けた特定の罠地点――「金生水、水生木」の循環をあえて「火」の相剋で逆転させた反転結界の中心軸へと、その巨大な質量ごと真っ向から引きずり込まれた。


「ガァッ……!?」


 突如として足元から逆巻いた相剋の網目が、ヴォルフガングの突撃速度を寸分も逃さず内側から受け止め、そのまま凄まじい反発のベクトルへと変換して押し返す。システムが誇る絶対的な破壊力と、プレイヤー自身の圧倒的な筋力が相殺され、ガントレットの金属爪からは耐えきれない悲鳴のような高周波の摩擦音が鳴り響いた。

 だが、その衝撃の余波は、罠の直近に身を置いていた或の肉体をも容赦なく襲う。


 「ぐっ……!」


 肺の底から逆流してきた熱い血が、或の唇の端から激しく弾け飛んだ。自動回復の機能など持ち合わせない生身の肉体は、神話級のエネルギーが衝突した際に発生する爆風の気圧差だけで、内臓の位置がずれるような激しい眩暈と神経の麻痺を引き起こす。右腕のサラシの下で脈打つ青黒い呪印は、まるで主の消耗を嘲笑うかのように一段と熱を帯び、或の皮膚を焦がすような疼きを全身へと駆け巡らせた。

 それでも或は、両膝をつきそうになる足腰を奥歯で舌の側面を強く噛みしめることで強引にねじ伏せ、鉄錆の味を頼りに意識の糸を辛うじてつなぎ止めた。視界の端が幾重にも明滅し、冷たい夜気の中で現実の輪郭が歪んでいく。


 (……これだ。システムがどれほど強大なチートの出力を誇っていようが、その魔力回路の根元がこちらの仕掛けた五行の相剋とルーンの逆相にガッチリと噛み合わされた以上、奴自身の突撃の勢いそのものが、そのまま奴自身の足元をすくい上げる最高の錘(おもり)になる)


 或は前方に這いつくばるようにして崩れ落ちていたヘレナ・フォン・エッダの姿を視界の端にとらえながら、左手の指先で最後の呪木の軸をしっかりと握り締めた。

 交差点を取り囲む雑居ビルの外壁やインフラの残骸に打ち込まれた数本の特製呪符は、ヴォルフガングの突撃を受け止めた反動で激しく明滅し、パチパチと青白い火花を散らしながらも、辛うじて四方からの網目を維持し続けている。ヘレナの絶対零度の聖域はその強力な包囲網の内部で完全に息を潜め、暴走の嵐は一時的な鎮静化の底へと押し込められていた。


 しかし、その均衡は紙一重の緊張の上に成り立っているにすぎない。

 背後で踏み止まったヴォルフガングが、ガントレットの爪を鳴らしながら再び低い唸り声を上げた。その野獣のような闘気は、先ほどまでの傲慢な嘲笑を完全に消し去り、自らを罠に引きずり込んだ「名もなき雑種」に対する剥き出しの殺気と、底知れぬ狂気の怒りへと変貌していた。


「……やりやがったな、この泥まみれの虫けらが……!」


 ヴォルフガングの低く這うような声が、凍てついた大気を震わせる。

 銀色の短髪を乱し、熊皮の獣衣を血まみれの破片のように翻しながら、巨体の処刑人はその場に踏み止まった。ガントレットの表面には、或の逆相ルーン呪符が放った相剋の反発による微細な亀裂が走り、そこから青白い魔力の残滓がシュウシュウと音を立てて漏れ出している。生れてこの方、システムに選ばれた特権階級の強者として、誰の邪魔も受けずにすべてを蹂躙してきた彼にとって、このような下級の雑兵の泥臭い罠に足元をすくわれたという事実そのものが、耐えがたき屈辱であり、狂気を煽る最高の導火線となっていた。


 或はゆっくりと身体を起こし、煤色の瞳で振り返ることなく、背後の気配をその肌の感触だけで冷徹に測り続けた。

 「……怒りに目が眩んだか、処刑人。お前がどれほど派手なガントレットを振り回そうが、この烏丸小路の路地裏の泥の深さでは、無駄な筋力なぞ重力と一緒に底なし沼へ沈むだけだ」


「ふざけんなよ……! その小賢しい口を、今度こそ二度と利けねえように、俺のフェンリルの牙で骨の髄まで噛み砕いてやる……ッ!」


 ヴォルフガングが凄まじい殺気を纏い、大地を砕くような重い踏み込みを再び放とうと右腕を大きく振り上げたその瞬間、或は懐から麻の布袋を探り、指先で最後の一枚となる血塗られた逆相ルーン呪符を鋭く抜き放った。

 頭上でうねる黄泉比良坂の紫黒い裂け目は、まるで次なる破滅の瞬間を待ち構えるかのように不気味な静寂を深め、冷たい瘴気を交差点の空気に吐き出し続けている。或は右腕の呪印の激痛を耐え抜きながら、その呪符を目の前の地面に突き刺さった木製の呪木へと素早く括り付け、次の攻防へ向けた霊的リンクの微調整を静かに、しかし寸分の狂いもなく完了させた。


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