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転生者たちがチートに酔いしれる世界で、俺だけは生身の知恵と和洋折衷呪術でラグナロクを阻止する  作者: あやと


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第21話 狼のなわばり

冷たい血の鉄錆が喉の奥で澱み、賀茂の或はコンクリートの砕け散った破片に手のひらを突いたまま、荒い息を吐き出した。頭上でうねる黄泉比良坂の紫黒い裂け目が吐き出す瘴気は、吹雪の冷気と混ざり合って肺腑を凍てつかせる。自動回復の加護も、底知れぬ魔力タンクも持ち合わせない生身の肉体にとって、ヴォルフガング・リッターの放つ闘気の余波は、内臓の配置を強引に引き剥がすほどの暴力的な質量を伴っていた。


 右手首の厚いサラシの下では、前夜からの呪符行使と結界突破の負荷を引きずった青黒い呪印が、微熱を帯びた針で神経の深部を突き刺すような鈍痛を放ち続けている。或は奥歯で舌の側面を強く噛みしめ、その痛みを精神の錨として現実感をつなぎ止めながら、低い姿勢のまま泥だらけの路地裏の影へと這うようにして身を滑り込ませた。


 皇神学園の敷地内は、完全に転生者管理機構の鉄の檻へと変貌していた。中央広場を中心に構築された重厚なバリケードの向こう側では、最強の狂犬と称されるヴォルフガングが、反逆ネットワークをあぶり出すための次なる一手を開始しようとしていた。新校舎の中央ホールへと押し寄せたヴォルフガングは、転生者特権階級の特権を笠に着て、スラム街から引きずり出されたネイティブの生徒たちに対する威圧的な尋問と身元査察を強行している。冷徹な怒号と、震える生徒たちの悲鳴が、凍てついた講堂の天井を伝って微かに外の空気へと漏れ出していた。


 (……正面から新校舎の正面玄関を叩くなど、愚の骨頂だ。あの狂犬の野性的な直感の範囲内で動けば、一瞬で踏み潰される)


 或は煤色の瞳を険しく細め、足元の冷たいアスファルトから這うようにして意識を切り替えた。

 この絶望的な包囲網を抜け出し、新校舎で恐怖に震えるネイティブの生徒たちの動線へと干渉するためには、正面の通路を避けた迂回路が必要不可欠であった。或は懐を探り、烏丸小路スラム街の旧配給所跡地から持ち出してきた古びた「土偶の破片」を取り出した。それは、不規則で泥臭い地中深くの霊力波動を微弱に発する、呪術的なアンカーに他ならない。


 或はその土偶の破片を、旧校舎の裏手に放置された古い排水管の継ぎ目にそっと押し当てた。

 東洋の五行における「土」と「金」の相生相克の理を応用し、学園の魔導インフラの監査ログが届かない死角の周波数をこの土偶の波動で強制的に模倣する。或の指先から滲み出た血が土偶の表面を濡らし、エルダー・ルーンの隠密刻印が微かな青白い光を帯びて明滅した。


 「……これで、学内の自動感知グリッドの目を欺けるはずだ。旧校舎の保守用渡り廊下を経由し、新校舎の裏手へと滑り込む」


 或は低いトーンで呟くと、誰にも気づかれないように音を殺して旧校舎の鉄製の勝手口をこじ開けた。

 内部の空気は、表棟の洗練された浄化魔力とは異なり、古いコンクリートの粉塵と錆びた鉄の臭いが混ざり合った澱んだ湿気に満ちていた。或は身をかがめて暗い廊下へと滑り込み、旧校舎と新校舎を繋ぐ薄暗い「渡り廊下」へと足を踏み入えた。窓の外では血赤色の空が不気味にうねり、吹き付ける吹雪が窓ガラスをガタガタと鳴らしている。渡り廊下の床面には、先ほどから土偶の放つ霊力波が微弱なノイズとなって伝わり、或の足元を細かく震わせていた。


 だが、その土偶の放つ霊力波の周波数が、予想以上に不安定な摩擦を生み出していた。

 学園全体を包み込む転生者たちの強固な位相結界に対し、スラムの泥土を含んだ土偶のアンカーは、異質なノイズとして周囲の空間に干渉してしまったのだ。微細な魔力の反響音が、渡り廊下の静まり返った空間にピリピリとした冷や汗を誘うような緊張感を撒き散らす。


 (……くそ、土偶の霊力波動が強すぎたか。このままでは、結界の維持ノイズが奴らの感知網に引っかかる……!)


 或は歯噛みし、土偶の出力を抑えるために手元の呪符を素早く調整しようと身構えた。

 その瞬間であった。


 新校舎側から中央ホールを制圧中のはずのヴォルフガング・リッターの気配が、突如として渡り廊下の反対側の出口からすさまじい速度で迫ってきた。風上に背を向けていたにもかかわらず、ヴォルフガングの異様に発達した野性的直感は、わずかに漏れ出した土偶の霊力ノイズの震えを正確に嗅ぎ取っていたのだ。


 「――見つけたぞ、コソコソと這い回るネズミが……!」


 地響きのような野太い咆哮とともに、渡り廊下の出口を塞ぐ厚いコンクリートの壁と鉄製の枠組みが、バリバリと凄まじい音を立てて砕け散った。ヴォルフガングが両腕に装着した魔導ガントレット『フェンリルの牙』の爪を直接叩き込み、通路の出口そのものを自らの怪力で物理的に抉り取ったのである。逃げ場となるはずだった渡り廊下の向こう側が、一瞬にして閉ざされた絶望の壁へと変貌した。


 視界の先に飛び込んできたのは、銀色の短髪を荒々しく揺らし、冷酷な獣の笑みを浮かべた巨体の男の姿であった。

 ヴォルフガングの黄色い双眸が、暗い渡り廊下の影に身を潜める或の姿を正確に捉える。その圧倒的な殺気と肉体から放たれる神話的魔力の重圧は、或の足元を凍りつかせ、呼吸の自由を容赦なく奪い去っていこうとした。自動回復の加護も持たず、負傷した身生の肉体でこの至近距離からあの怪力の突撃を受ければ、間違いなく肉体の形すら残さずに噛み砕かれる。


 (……ここで真正面からやり合えば、一巻の終わりだ。だが、引き下がるための隙間は――自分で作り出すしかない)


 或は一瞬の迷いも見せず、煤色の瞳に鋭い冷徹さを宿しながら懐へ手を突っ込んだ。

 指先が触れたのは、最も濃密な霊的炭素粒子と急速な気化熱を発生させるために特殊な薬液を塗り込んだ三枚の『火遁の符』であった。東洋の五行における「火」の理と、北欧のエルダー・ルーンにおける破壊の刻印を無理やり重ね合わせた、或特製の即席の攪乱手札である。


 ヴォルフガングがフェンリルの牙を大きく振りかぶり、トドメの一撃を放とうと踏み込んだその瞬間、或はその火遁の符を床面へ向けて全力で投げつけた。


 「――燃え盛れ、相剋の火花よ……!」


 パチリ、と耳障りな高周波のスパークが走り、渡り廊下の狭い空間を一気に呑み込むような凄まじい量の濃密な煤煙と炎の壁が爆発的に噴き出した。

 「ぐっ……!? 何だ、視界を煙で隠そうってか……!」


 ヴォルフガングの野太い怒号が、爆発的な気化熱と燃え盛る炎の向こう側から響き渡る。

 火遁の符が作り出した厚い煙幕は、渡り廊下の天井を黒く染め上げ、周囲一帯の視界と魔導センサーの赤外線を完全に遮断した。急速に立ち込めた熱気と炭素の粒子が、ヴォルフガングの野性的な嗅覚と視覚をわずかに攪乱し、彼の放とうとした致命的な突撃のタイミングをほんのコンマ数秒だけ遅らせることに成功した。


 或はその数秒の隙間を逃さず、背後を振り返ることもなく、砕けた通路の足場を蹴って暗い旧校舎の影へと一目散に身を翻した。

 背後からは、ヴォルフガングが怒りに任せて放ったフェンリルの爪が、旧校舎の壁面を丸ごと抉り取るような凄まじい破壊音が地響きを伴って轟いていたが、或はその衝撃波の余波を巧みにいなしながら、冷たいコンクリートの暗がりへと深く滑り込んでいく。


 新校舎への潜入という最初の目的は、ヴォルフガングの異常な察知能力と圧倒的な怪力によって完全に阻まれ、頓挫を余儀なくされた。


巻き起こった濃密な炭素の煙と急速な気化熱の壁を背に、賀茂の或は音もなく古びた旧校舎の廊下を駆け抜けた。背後からは、ヴォルフガング・リッターが放つ猛烈な怒号と、石造りの壁面を木端微塵に引き裂くフェンリルの爪の破壊音が、轟音となって絶えず追いすがる。或の右手首のサラシの下では、前夜からの呪符行使と過負荷によって神経を焼き切るような青黒い呪印の疼きが、一歩ごとに全身の平衡感覚を激しく揺さぶっていた。


 (……危うかったな。あの狂犬の野性的な嗅覚は、俺が仕込んだ土偶の霊力アンカーの微細なノイズすら見逃さなかったか)


 或は奥歯で舌の側面を強く噛みしめ、口の中に広がる鉄錆の苦味を頼りに意識の重心をしっかりと下へ引き戻した。自動回復の加護もなければ、底知れぬ魔力タンクも持ち合わせない生身の肉体である。敵の圧倒的な怪力と質量に真正面から対峙すれば、一瞬で肉体の形すら残さずに噛み砕かれることは明白だった。だからこそ、或は自身の肉体の限界と向き合いながら、次の生存に向けた計算を冷徹に巡らせていた。


 足早に旧校舎の影を縫い、或は先ほどまで風祭鈴音と合流していた烏丸小路スラムの地下水脈へと通じる保守用の階段の傍らへたどり着いた。周囲の空気は、黄泉比良坂の裂け目が放つ死の女神ヘラの気圧階梯によって、凍てつくような冷たさに支配されている。


 ふと、或は立ち止まり、その煤色の瞳を静かに細めた。

 新校舎の中央ホールでは、今この瞬間もヴォルフガングが反逆ネットワークをあぶり出すための威圧的な尋問と身元査察を続けているはずだった。その恐怖と絶望の余波が、学内の空気を重く歪めている。しかし、或がここで立ち止まるわけにはいかない。スラムの地下水脈に仕掛けたアンカーの維持と、ネイティブの生徒たちを安全に退避させるための保守回線の確認は、今や一刻を争う最重要の課題となっていた。


 或は懐から、先ほど使い損ねた古い木簡の束と、血塗られた逆相ルーン呪符の残りをそっと取り出し、その表面に付着した冷たい埃を手のひらで払い落とした。

 頭上でうねる紫黒い瘴気の中、或は低いトーンで独り言のように呟く。


 「……新校舎の包囲網は日増しに厚くなっている。だが、奴らがどれほど暴虐を尽くそうとも、このスラムの地下と旧校舎を繋ぐ相剋の回路を断ち切らせはしない。……行くぞ」


 或は振り返ることなく、冷たいコンクリートの闇に包まれた地下の保守通路へと静かに足を踏み入れ、その姿を漆黒の影の中に完全に溶り込ませていった。


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