20 漆黒の魔女の魔法
「嘘でしょう」
ジェイドたちがいる反対側、レオナたちが通ってきたひずみの向こう側の丘に、大量の影が見えていた。空に飛ぶ魔鳥の数も、地面を走ってくる魔狼の数も、今までの三倍はあった。
レオナたちは、開かれた丘の上に丸見えの状態で立っている。そこへ空と地上の両方から、この数で同時に襲われたらーーそこまで考えて、レオナはゾッとした。
「皆様逃げて! 後ろから大量に来るわ! シェリル、一緒にこっちへ!」
出せる限りの大声をあげて叫ぶと、シェリルの手を掴んで引きずるように走り出す。叫びに反応したジェイドとヴィムが、素早く身体強化技を解くのが見えた。
「くそっキリがねえな」
「ここでは分が悪い。あの林の中に入るんだ。シェリルにはそこに結界を張ってほしい。ヴィム、シェリルを頼めるか」
「はいっ!」
「任せとけ」
言うなり、ヴィムがシェリルを荷物を担ぐように担ぎ上げ、そのまますごい速さで目的の林へと駆けていく。残されたジェイドはレオナの手を掴んだ。繋がれた手から魔法の気配がして、体が軽くなるのを感じる。
「俺たちも急ごう」
「あ、待ってくださいまし! 少しだけ片付けていきますわ」
そういうとレオナは水をすくうように両手を合わせると、顔の前にかざした。
「フレ・ミユール!」
ゴッという轟音とともに炎の柱が遠くの魔物軍団を貫いた。それで全てが片付いた訳ではないが、かなりの部分が焼かれ、その歩みが乱れたのは間違いなかった。
「行きましょう!」
ジェイドの手を取り、二人は駆け出した。彼の手から流れ込んでくる身体強化魔法のおかげで驚くほど体が軽い。目指す雑木林には、先程はなかったドーム型の結界がすっぽりと包むように張られている。シェリルの結界だ。
結界を通り抜けて林の中に入ると、ふっと体が重くなった。ジェイドの魔法が切れたのもあるが、純粋に疲労も溜まってきているのだ。
「この結界には目眩しの効果もあるので、あの魔物たちは私たちの存在に気づきません!」
シェリルの言葉通り、レオナたちの後を追いかけてきていた魔物の軍団は、林には目もくれず走り去っていく。
目眩しにの効果があったことにホッと吐息を漏らしたシェリルが、一人一人に神聖魔法をかけていった。瞬く間に、体のだるさが取れていく様子に、レオナはほうと感嘆の息を漏らした。隣で同じ感想を抱いたらしいヴィムがのんびりと言った。
「ああ、こりゃいいな。これがあれば無限でバーサークが使える。あれ強いんだけど反動もキッツイからなあ」
まるでもう戦いは終わったと言わんばかりの口調だ。
「それよりこれからどういたしましょう。核を探そうにも、あんなに魔物がウロウロしていたら迂闊に歩くこともできませんわ」
「それよりって言うなそれよりって。俺はこれでも結構感動してるんだぜ」
「とりあえずしばらくはここのような雑木林を隠れ蓑にして進もうかと思う。極力戦いは避けて、まずは核を探そう」
「そうですね! 賛成です!」
「おいみんなして無視かい。俺あ泣くぞ」
「あらあなたそんなに繊細な方でして? それより、はいどうぞ。お腹が減っては戦はできませんわ」
そう言ってシェリルは腰に下げていた小さな皮袋から次々と携帯食を取り出し始めた。ショートブレッドに干し肉に水という、オーソドックスなメニューだ。
「すごいなその袋。どう見てもそんなに入るようには見えないのに。見せてもらってもいいか?」
そう言ってジェイドが、レオナから受け取った小袋をしげしげと観察している。
「もしかして魔道具ですか? 大神殿でも使っているのを見たことがあります!」
「ああ、あのどえらい高価で、普通にはおいそれとは買えないやつか」
「そうです。もっともこれは、わたくしの自作ですけれど」
空間魔法を袋の内側に縫い付けることで作られる魔道具の一つは、何を隠そう魔法大国カルディアの特産品の一つだ。さまざまな魔道具の中でも一際技術と魔力が必要とされるもので、これを生産できる魔法使いは非常に少ない。
だがレオナは昔、父の持っている魔法収納袋を見様見真似で作ってみたら、いともあっさりできてしまった過去がある。そのまま父に「これを量産してお金を稼ぎましょう!」と提案したが、「生産者である魔法使いも登録する必要があるし、そんなことをして注目を集めてはいけない」と断られてしまったのだ。
「こんな状況でなんですけれど、良ければ皆さんに差し上げますわ」
似たような皮袋をいくつも取り出して配ると、わっと歓声が上がる。
「これは助かる、ありがとう」
「わあうれしい! 私、プレゼントをもらったのは初めてです」
「おいレオナ、これ量産できるんだったらすげえ金持ちになれるんじゃないか?」
「あなただけいつも感想が不純なんですのよ! ……まあわたくしも、魔王討伐が終わったら売り飛ばそうと思っていますけれど」
「そりゃあいい、俺にも一枚噛ませてくれ」
「そうですわね、ならあなたは用心棒として商談の場についてきてもらおうかしら。わたくしだけだと舐められるかもしれないわ」
「勇者と一緒に旅した魔法使い相手に何かやらかそうってやつは、この世界どこを探してもそうそうはいねえと思うぞ」
傍で聞いていたジェイドとシェリルがふはっと吹き出す。魔界にいるとは思えないほど、平和な会話だった。
簡単な腹ごしらえを済ませると、四人は辺りの偵察を始めた。先ほどまであんなにいた魔物は嘘のように消え失せ、また音のない世界に戻っている。
「次に一番近い林は……あそこですか?」
「林の中にも魔物が潜んでいるかもしれませんから、慎重に行かないとですわね」
「なら、俺が最初に入るぜ」
みんなで次の目的地の話をしていると、不意にジェイドがレオナに尋ねた。
「レオナ、君がどんな魔法が使えるのか全部教えてくれないか。俺は、魔法には詳しくないが、知っておいた方がいいと思う」
今後の戦いのために持ち札を確認したいのだろう。レオナは頷いた。
「わたくしは、神聖魔法以外なら大体使えますわ。もっとも得意とするのは四大元素の攻撃魔法ですけれど、そのほかにも空間魔法と変化魔法と……」
そこで一旦言葉を切る。この先は、本来なら決して人には喋ってはいけないと父に言い含まれている魔法があった。だが、目の前にいる彼らはともに命懸けの戦いに飛び込み、互いの命を預かり預ける関係。ただでさえ素性のことを騙っている今、これ以上嘘はつきたくないと思った。
「それから……暗黒魔法も、一部使えます」
神官であるシェリルが小さく息を呑んだのがわかった。同じく牧師志望であったジェイドも顔を硬らせている。
「暗黒魔法?」
魔法に詳しくないヴィムだけが首を傾げていた。
「一言で言うなら、法で禁止されている悪しき魔法のことですわ。人に使うのはもちろん、学ぶことすら法に背きます」
わかりやすいよう、噛み砕いて説明する。
「その中身は催眠魔法に混乱魔法に隠蔽魔法。相手を眠らせたり、自分の姿を見えなくしたり……どれも犯罪には打ってつけの魔法でしょう?」
「なるほど。そりゃあ禁止されるやつだな」
「レオナ様は……どこでその魔法を?」
震える声でシェリルが聞いた。暗黒魔法は神官魔法ともっとも敵対する魔法。神官にとっては忌むべき存在。その名を聞くだけでも本当は恐ろしいのだろう。
「わたくしの家は、普通のお家より少し敵が多い家系ですの。だから暗黒魔法で操られないためには、暗黒魔法のことを勉強しなければならなかったのですわ」
これはバイミラー侯爵家だけではなく、カルディア王国の中でも侯爵以上家では公然と行われていることだった。表立って口にするものはいないが、皆自衛のために暗黒魔法を一通り習得している。
その最たる存在が、もっとも狙われ、もっとも他人に操られてはいけない王家だ。王家に伝わる暗黒魔法は最重要機密事項として王家内でのみ伝えられ、公爵家や侯爵家ですらその内容は知らないという。
「そうなんですね! 自分を守るためなら、しょうがないですね!」
自衛のためという免罪符に安心したシェリルは、明らかにホッとしていた。
「……だとしたら、レオナの隠蔽魔法があれば魔物に気付かれずに移動ができるということか?」
ずっと何かを考えている様子だったジェイドが聞いた。
「ええ、可能ですわ。……ただ、今まで実際に、それも人に使ったことがないので確実に安全とは言えませんが……」
魔法を習得する際の練習台に使っていたのは、もっぱら小さな置物などといった無機物だ。本当に人間にかけても平気なのか確証はない。
「わかった。なら、今ここで俺にかけてみてくれないか?」
「あなたに?」
驚いてジェイドを見たが、彼の瞳は真剣だった。
「神聖魔法の魔物に対する目隠し効果は、あくまで結界に付随するおまけみたいなものだ。身に纏えるものではないし力の消費も激しい。その点を、隠蔽魔法ならカバーできたりしないだろうか?」
問われてレオナはしばし考えた。
「そうですわね……確かに暗黒魔法は、習得自体が難しいせいかあまり魔力を消費はしませんわ。それから隠蔽魔法を使って魔物から生き延びたという話を聞いたことがあるので、魔物の目にも有効なのだと思います」
「ならば試してみよう。レオナには犯罪の片棒を担がせることになって申し訳ないが、罪は俺が引き受ける。今は法より生き延びることが大事だ」
真剣な眼差しで言うジェイドに、レオナはくすりと微笑んだ。
「法より生き延びることが大事なのは、わたくしも同意ですわ」
「楽しそうな話をしているなあ。その悪いこととやらに、俺も混ぜてくれ」
ヴィムがのっしとジェイドの肩に太い腕を乗せた。
「あなたという人は……でも助かりますわ。シェリルをここに一人で置いていくわけにはいきませんもの」
レオナの言葉にジェイドが頷き、シェリルが「えっ?」と声を上げた。
「ああ、核の探索にはひとまず俺とヴィムで行こうと思う。万が一見つかっても俺たち二人なら逃げてこられる」
「い、いけません! いくらお二人でもそんな危険なこと。私もついていきます!」
「いいのか? それだと、神官の仇敵であるらしい暗黒魔法を身に受けなきゃいけねえんだろ?」
ヴィムの言葉にシェリルは眉をへの字に曲げ一瞬泣きそうな顔をしたが、すぐに小さな声で言った。
「……いいんです。神の子といえど、今は命の方が大事だと思いますから」
レオナがそっとシェリルの頭を撫でる。
「ありがとうございますわ。でも、決して、無理はしないでくださいね。神官であるあなたには、どんな影響が出るかわかりませんのですから、辛かったらすぐに言ってくださいな」
こくりと頭を振ってシェリルが頷く。それで話は決まりだった。