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そして今、平和を取り戻したこの国では、とある鍛冶屋の家に新たなる子供が生まれようとしていた。
「ほ、本当に大丈夫なんすかねえ、悲鳴が聞こえたんだけど」
産婆に取りすがっているのは、あのマーシュである。
彼は戦争の終わった後、軍役を退いて祖父の工房を継ぎ、今日では鍛冶屋として生計を立てるまでになっていた。
そんな彼が、妻の初めての出産にうろたえているのである。
「あの、俺も何か手伝ったほうがいいですかね」
おろおろと歩き回るマーシュを、産婆がしかりつける。
「手伝う気があるなら、少し静かにして!」
戦勝の英雄が形無しである。
産婆が産室に消えた後も、彼はうろうろと歩き回ることをやめなかった。
「ああ、神よ、どうか、俺の妻を……そして子をお守りください」
戦場ですら頼ったことのない神にすがって、両手を合わせる。
そこへ、産室からひときわ大きな悲鳴が上がった。
「ミスティア!」
絶叫のあとのしばしの静寂……耐えがたい静けさに、マーシュがうめいて座り込む。
しかし、そんな彼の耳に、すぐに福音が響いた。
赤ん坊の産声があたりに響き渡ったのだ。
「生まれた!」
産室の扉は開かれ、産婆がマーシュに手招きする。
「親子とも無事、ご出産ですよ。女の子です、おめでとうございます」
産婆が身を引くのも待てず、その横をすり抜けるようにして産室に飛び込む。
「ミスティア!」
そこには彼の美しい妻が、赤ん坊に初乳を含ませていた。
マーシュは約束通り、戦争が終わったその瞬間にミスティアに思いを告げた。
彼の愛を受け入れたミスティアは、今ではいっぱしの『鍛冶屋の女将』だ。
戦場を駆けていたころの凛々しさはわずかに失われた。
かつては見事な肉体を彩っていたビキニアーマーも脱ぎ捨て、最近では麻でできた質素な服ばかりを着ている。
しかし、彼女の美しさはいささかも失われることなく、むしろ母となった今、前よりも美しいくらいだとマーシュは思っている。
マーシュが照れ臭そうに笑うと、彼女は顔をあげてにっこりと笑った。
「マーシュ、女の子だ」
「ああ、さっき、産婆から聞いた」
「名を考えなくてはな」
「そうだな、戦勝の英雄の子だからな、飛び切りの名を考えてやらなくては」
「いや、平凡なのがいい。この平和な国で生きていくのに、戦勝の英雄なんて仰々しい肩書は不要だ」
彼女は、マーシュですらハッとするほどの真剣なまなざしをしていた。
「この子がビキニアーマーを着ることなど無いように……」
マーシュは「ほう」とため息をついて、明るい口調で返す。
「いいんじゃない、平凡な名前。とびっきりかわいいのを考えてやらなくちゃな」
それは彼の十八番である軽口。
「あ、でも、あんまりかわいい名前を付けて、男の子にモテモテになっても困るなあ、なにしろこの子、すでに顔がかわいいからなあ」
「さっそく親ばかだな」
ミスティアが笑う。
マーシュはそんな彼女を優しく抱き寄せ、髪のひと房をすくって口づけを落とした。
「ありがとう、ミスティア、君はいつだって俺に、生き残るための希望をくれる」
「それは私も同じだ、マーシュ、私の生き残るための希望は、いつだって君がくれる」
「そしてこれからは、この子が俺たちの生き残るための希望になるわけだ……これは、死んでる場合じゃないな」
「ねえ、マーシュ」
「ん?」
ミスティアがそっと唇を差し出し、キスをねだる。
マーシュはそれに応えて身をかがめる。
そっと重なる唇の下、ミスティアに抱かれた赤ん坊は、実に平和そうな笑顔で、寝息を立て始めていた。




