第25話:安楽椅子探偵の処方箋と、囮捜査の罠
臨床疫学において、連続する異常事態や犯罪行為の裏には、必ず明確な「統計的規則性」が存在する。
どれほど巧妙に偽装された組織的犯行であっても、実行犯が人間である以上、標的の選定理由、犯行の時間帯、使用される凶器の調達ルート、そして何より「犯行動機」には、必ず生体としての行動限界とバイアスが色濃く反映される。前世の法医学教室において、警察上層部が無能な捜査で行き詰まる中、死体から採取したわずかな微物と統計データのみで、連続毒殺魔の潜伏先を割り出してやった経験が私には何度もある。
だからこそ――休日に路地裏で拾ったあの貧しい特待生少年の「急性薬物中毒事件」の全貌を解明することなど、元監察医の私にとっては初歩的なパズル合わせに過ぎなかった。
「……ふぅ。アメリア、学園都市の全域における『過去三ヶ月間の学生の急性体調不良・行方不明のカルテ』の照合は終わったかしら?」
特待生専用寮、私の自室(ニート帝国)。
私は新調した『マンドラゴラ安眠枕』にふかふかと顔を埋め、シルクベッドの上で可憐なパジャマ姿のまま、クッションに顎を乗せて怠惰に問いかけた。
「はい、お姉様! 私の『禁書庫の鍵』による精神同期、完了いたしましたわ!」
私のベッドの左側に陣取ったアメリアが、古い魔導書を誇らしげに掲げた。
魔導書から投影された青い光のホログラムが、部屋の宙空に学園都市の立体マップと、十数名分の生徒カルテを浮かび上がらせる。
「過去三ヶ月間で、突発的な魔力枯渇による意識不明、あるいは原因不明の急性心不全で救護所に搬送された生徒は計七名。行方不明者が二名。……そして、お姉様が看破された通り、被害者の属性には恐ろしいほどの共通点が存在しますわ」
「言ってみなさい」
「はい。第一に、全員が『平民出身、または身寄りのない貧困層の特待生』であること。実家からのクレームや捜索願が出にくい生徒ばかりが選別されております。第二に、全被害者の生体データにおいて『先天的な魔力保有量が平均の二倍以上』であること。そして第三に……事件が発生した場所はすべて、夜間の学園都市・旧市街の薄暗い裏路地に集中しております!」
「完璧なプロファイリングね、アメリア」
私はクッションの上で小さく頷いた。
前世の臨床データと照らし合わせても、犯人の行動心理は完全に透けて見えている。
「魔力保有量が高いが、消えても騒ぎにならない社会的弱者の生徒を路地裏で拉致し、首筋の外頸静脈へ『魔力励起の試作魔薬』を直接投与。魔力回路を限界突破させて生体魔力を搾り取ると同時に、新薬の致死量データを収集していた……というわけね」
「な、なんて非道な……! 同じ学園の生徒を、ただの生きた実験台として使い捨てていたなんて……っ!」
部屋の隅で、包帯だらけのルカが両手を強く握りしめ、怒りに肩を震わせていた。
「フッ、許しがたい外道め。この僕の【絶対言霊使い】で、その薬物組織の悪党どもを全員、学園都市の広場で逆さ吊りの刑にしてやるよ!」
レオンハルトがマントを激しく翻し、早くも義憤に駆られて飛び出そうとする。後ろの老執事が「坊ちゃん、まずはレイラ様の指示をお待ちください」と静かに宥めていた。
「レイラ殿。我が妖刀『村雨』も、その卑劣な毒殺組織の血を吸いたがって唸りを上げておりますぞ。今すぐ旧市街の路地裏へ斬り込み、組織の首魁を両断して参りましょう!」
シデンが刀の鯉口をカチリと鳴らし、切れ長の目に鋭い殺気を滾らせる。
「ふ、ふえぇ……。僕、人を傷つける薬なんて大嫌いですぅ……。僕の盾で、悪い人たちを全員ペシャンコにして止めたいです……っ」
二メートルの巨躯を持つガウェインが、熊のぬいぐるみを抱きしめながらボロボロと大粒の涙をこぼしていた。
第零区分の劇薬たちが、一様に怒りのボルテージを最高潮に達させている。
だが、そんな熱気にあふれる教室の中で、当の指揮官である私は、ふぁあ……と大きな欠伸を漏らし、毛布を鼻先まで引き上げた。
「……あのね、全員。私の部屋で勝手に大声を張り上げて、私の繊細な鼓膜を振動させないで頂戴。脳の血流が乱れて頭痛がするわ」
「「「申し訳ございません、レイラ様(お姉様)……っ!」」」
劇薬たちが一瞬で直立不動になり、深々と頭を下げる。私の不機嫌な一言は、彼らにとってどんな国家法よりも重い絶対の掟なのだ。
「いい? 私たちは夜の旧市街をしらみつぶしに歩き回るような、無駄な肉体労働なんて一切しないわよ。そんなカロリーの無駄遣い、私の省エネ主義に反するわ」
「ヒャハハハ! 出たぜ、ご主人様の真骨頂! ベッドから一歩も降りずに悪党をハメ殺す、悪魔の安楽椅子トラップだな!」
私の影から飛び出した黒猫のルウが、テーブルの上で前足を舐めながらニヤニヤと笑った。
「そうよ、ルウ。敵が夜の路地裏で『孤立した高魔力の学生』を狙っているなら、わざわざ探しに行く必要なんてないわ。敵が涎を垂らして飛びついてくるような【極上の毒餌】を路地裏に設置して、罠にかかるのを待てばいいだけよ」
私は可憐な指先を一本立て、冷徹なアメジストの瞳を細めた。
「イリス、ルカ。お前たちの出番よ」
「はぁい、お姉様ぁ。私の可愛い魔物さんたち、何に使ってくれるのぉ?」
緑髪のイリスが、とろりとした瞳で自身の白い腕を撫でる。
「イリス、お前の体内で生成できる『擬態型スライム(生体ゲル)』を一体、人間の少年の大きさに成形し、制服を着せて旧市街の暗渠の路地に座らせなさい。……そしてルカ、お前はそのスライムの核に向かって、自身の魔力を注ぎ込みなさい」
「えっ……? ぼ、僕の魔力をですか?」
「そうよ。ただし、ただ魔力を込めるんじゃないわよ。お前の【反転の薬師】の特性を使うのよ。お前が『この魔物は全身の骨が折れて、今にも死にそうな重傷だ』と強く認識して治癒の魔力を流せば、そのスライムから放たれる魔力波は、周囲の索敵網に対して【極めて高濃度だが、衰弱して抵抗できない最高のカモ】として偽装(反転)されるわ」
「な……なるほどっ! 僕が『瀕死の重傷だ』と思えば思うほど、外から見れば『魔力たっぷりの無防備な獲物』に見えるんですね……っ!」
ルカが自身の包帯の手を見つめ、興奮に頬を染めた。
「そういうことよ。敵のスカウト部隊がその極上の餌に食いつき、金属注射器を突き刺そうとした瞬間――一網打尽にするわ」
私は視線を部屋の影へと落とした。
「シデン、クロエ。お前たちは路地裏の建物の屋上と影の中に潜み、敵が注射器を構えた瞬間に退路を完全封鎖。シデンはいつもの『無血の皮一枚かすり傷』、クロエは影縛りよ」
「御意! 一分の狂いもなく、獲物の頸静脈を捉えて見せましょう!」
「……レイラ様の影となって、敵の四肢を縛り上げます……」
「そしてレオンハルト。お前の役割は最も重要よ。敵の実行犯が生け捕りにされた瞬間、毒薬を飲んだり舌を噛んで自決するのを防ぐため、即座に『筋肉の完全硬直』の言霊を撃ち込みなさい。一文字でも噛んだら、お前のそのロール髪を全剃りするからね」
「ひぃっ!? か、噛まない! 絶対に噛まないよ! 完璧な発音で言霊をキメてみせるさ!」
レオンハルトが蒼白になりながら喉元を押さえる。
「作戦決行は今夜午前二時。旧市街・第三廃水路の裏路地よ。……ココア、私のベッドの準備をなさい」
「了解いたしました、お嬢様! 夜間の高みの見物へ向けて、特等席の屋上へベッドを搬送いたしますわー!」
ココアが力強く胸を叩いた。
こうして、私の平穏な安眠を守り、休日の労働を強要した悪党どもを社会的に解剖するための『完全なる安楽椅子囮作戦』が幕を開けたのである。
――同日、深夜二時。
学園都市・旧市街、第三廃水路の薄暗い裏路地。
周囲のビル群の明かりは完全に消え、湿ったレンガの壁に霧が立ち込める中、路地のゴミ箱の脇に、一体の「衰弱した特待生」が力なく座り込んでいた。
イリスが成形し、ルカが反転の魔力を流し込んだ擬態スライムの人形。その身体からは、夜の冷気の中へ、甘美で濃厚な「高純度生体魔力」が湯気のように立ち上っていた。
路地を見下ろす古い時計塔の屋上。
そこには、ココアに担がれたシルクベッドの上で、ふかふかの毛布に包まれながら温かいハーブティーを啜る私の姿があった。
「……お姉様。かかりましたわ」
ベッドの横で暗視ゴーグル風の魔導具を覗き込んでいたアメリアが、冷徹な声で囁いた。
路地の闇の中から、音もなく二つの黒い影が滑り込んできたのだ。
黒いフード付きの外套を纏い、顔を仮面で隠した二人組の男。
彼らは座り込んでいるスライム人形を見るなり、下品なせせらぎのような笑い声を漏らした。
『ヒヒッ……見ろよ、頭。こんな路地裏に、極上の魔力を持ったガキが野良犬みたいに転がってるぜ』
『運がいいな。今日のノルマ達成だ。……おい、暴れられる前にさっさと例の「吸血魔薬」を打って、魔力結晶を回収するぞ』
男の一人が外套の内側から取り出したのは、昼間の事件で見たものと完全に同一の、怪しい紫色の液体が満たされた【金属製の自動注射器】だった。
男が注射器の安全装置を外し、スライム人形の首筋へと針を突き立てようと腕を振り上げた――まさに、その刹那。
「……今よ。全員、処方箋を執行しなさい」
私の冷徹な呟きが、通信魔導具を通じて夜の闇へと響き渡った。
「グランツの名において命ずる! 『我が視界の愚者どもよ、その全身の筋繊維を石の如く硬直させ、舌の一筋すら動かすことを禁ずる』!!」
時計塔の梁の上から、レオンハルトの絶対言霊の黄金の波が閃光の如く降り注いだ。
「がっ……!? な、身体が……っ!?」
「声が出な……舌が、動かない……っ!?」
注射器を構えていた男たちの四肢が、一瞬にしてカチコチに凍りついたように固定された。自決用の毒薬を噛み砕くことすらできない、完璧な生体ロック。
「東方剣理――『一文字・漣』!」
闇を裂いてシデンの藍色の着物が舞い散り、妖刀『村雨』の切っ先が、男たちの手首の腱の皮一枚をチクリと掠めた。男たちの手から、金属注射器がカランと無力に石畳へと転がり落ちる。
「……影の檻……」
路地の地面から無数の漆黒の影の手が伸び、男たちの全身をミイラのように幾重にも縛り上げた。
さらに、背後の暗闇からズシンと巨大な足音が響き、二メートルの巨躯を持つガウェインが、泣きそうな顔で仁王立ちしながら男たちの頭上へ巨大な重装大盾をドンと突き立てた。
「ふ、ふえぇ……! 悪い人たち、動いたら盾で潰しちゃいますぅ……っ!」
――作戦開始から、わずか十秒。
路地裏に現れた密売組織の実行犯二名は、指一本動かすことも、自決することも許されず、完全無欠の状態で生け捕りにされたのである。
タタッ、と小気味いい足音が響き、ココアが私をベッドごと時計塔の屋上から路地裏へと飛び降りさせた。
ドワーフの怪力による完璧な着地。シルクベッドは微動だにせず、私のハーブティーの水面すら揺れなかった。
「お見事ね、全員。完璧な無駄のない臨床オペレーションだったわ」
私はベッドの上で足を組み直し、影に縛り上げられて脂汗を流している二人の男たちを、氷のように冷たいアメジストの瞳で見下ろした。
「ひっ……!? な、なんだこのガキは……!? ベッドに乗ったまま……!?」
言霊の硬直が解けた男の一人が、恐怖に顔を歪めて悲鳴を上げた。
彼らの視界に映るのは、夜の闇の中で神秘的に輝く白銀の髪と、美少女の外見からは想像もつかない、死者を解剖する冷酷な監察医の眼差しを持つ10歳の令嬢――私だった。
「静かにしなさい。お前たちの生体構造にこれ以上のストレスをかけたくないなら、無駄な抵抗はやめることね」
私は手袋をはめた指先で、地面に落ちていた金属注射器を拾い上げ、紫色の薬液を透かして見せた。
「お前たちの罪状は、学園都市法第十二条に基づく『未認可劇薬の不法所持』、および『連続生体実験・傷害罪』よ。……言い逃れは不可能だわ。この注射器の指紋と魔力残滓、そしてお前たちの網膜データは、すべてアメリアの魔導書に記録されたわ」
「ク、クソが……っ! 誰が喋るかよ! 俺たちの後ろにいる御方が誰だか分かって――」
「大賢者様の関係者……あるいは、薬術学科の黒幕の上級生かしら?」
私の平然とした一言に、男たちの呼吸が一瞬で止まった。瞳孔が恐怖で激しく散大する。
「お前の脈拍、今一瞬で毎分百四十回まで跳ね上がったわよ。前庭自律神経の反応は嘘をつけないわ。……さあ、無駄な尋問で私の睡眠時間を削らせないで頂戴」
私はベッドの縁から身を乗り出し、男の首筋のツボ――頸動脈洞のすぐ上へと、冷たい指先をピタリと当てた。
「お前が真犯人のアトリエの場所を吐かないなら……この指先から私の死霊魔力をほんのわずかに流し込み、お前の心筋細胞のアデノシン三リン酸を枯渇させて、死後数時間と同じ『屍後硬直』を生きながらにして味あわせてあげるわ。全身の関節がギチギチと軋み、二度と動かなくなる痛みを体験したいかしら?」
「ひ、ひぃぃぃぃっ!? 喋る! 喋りますぅぅっ! 薬術学科の棟の地下! 旧薬品倉庫の奥にある『第三研究室』だ! あそこに主任研究員の先輩が籠もって、すべての薬を作っているんだぁぁぁっ!!」
男は失禁せんばかりの勢いで絶叫し、真犯人のアジトを完全に白状した。
「……上出来よ」
私は指を離し、満足そうにクッションへと背中を預けた。
「アメリア、学園の自警団にこのゴミ二匹を引き渡す手配を。……そしてココア」
「はいですわ、お嬢様!」
「進路を学園の薬術学科棟・地下第三研究室へ向けなさい。……私の平穏な安眠を脅かし、休日の夜にこんな残業を強要した真犯人の黒幕……その不届きな脳細胞と研究室を、一歩も動かずに徹底的に解剖(家宅捜索)してあげるわ」
「了解いたしましたわ! 真犯人のアジトへ向けて、深夜の爆走アタックですわー!」
ココアが雄叫びを上げ、私のシルクベッドを担いで夜の旧市街を駆け出した。
私の、絶対に働きたくない平穏な学園ニート生活。
安楽椅子探偵レイラの完璧な囮捜査によって暴かれた真犯人の隠れ家――そこには、自らの肉体を劇薬で改造し、怪異へと変貌しようとする恐るべき黒幕との、第1部最大の決戦が待ち受けていたのである。




