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TS死霊術師は働きたくない 〜引き寄せられた未練霊がうるさいので、お金のために事件を解決します!〜  作者: ぱすた屋さん


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第1話:過労死監察医、没落貴族の美少女に転生して「絶対働かない」と誓う

新連載始めました!

 死というものは、意外なほどにあっけなく、そして静かに訪れるものらしい。

 少なくとも、法医学者として数え切れないほどの『死』と向き合ってきた私――桐生玲司きりゅう・れいじにとっては、そんな月並みな感想しか浮かばなかった。


 冷たいステンレス製の解剖台。強烈なホルマリンとクレゾールの匂いが染み付いた、窓のない地下室。

 無機質な蛍光灯の光の下で、私はいつものようにメスを握っていたはずだった。

 県内で連続して発生していた、奇妙な薬物中毒死事件。その四体目のご遺体を前に、徹夜三日目の重い頭をフル回転させ、血中濃度の矛盾点について思考を巡らせていた、まさにその時だ。


 ――ドクンッ、と。


 胸の奥で、心臓が握り潰されるような、暴力的なまでの激痛が走った。

 と同時に、左肩から腕にかけて痺れるような放散痛が広がり、急激に視野が狭窄していく。

 メスを取り落とした甲高い金属音が、やけに遠くに聞こえた。

 膝から崩れ落ち、解剖室の冷たいタイルの上に這いつくばりながら、私の脳裏をよぎったのは、恐怖でも後悔でもなく、極めて冷静な医学的所見だった。


(……ああ、これは典型的な急性心筋梗塞だ。冠動脈が完全に詰まったな。左前下行枝か……? いや、この激痛と急速な血圧低下は、左主幹部病変の可能性が高い……)


 過労と睡眠不足、そしてカフェインの過剰摂取。それに加えて、極度のストレス。

 死因のテンプレを煮詰めたような自分の生活習慣を思えば、いつ血管が破綻してもおかしくなかった。

 薄れゆく意識の中で、私は自らの身体で起きているであろう致死的なメカニズムを淡々と分析していた。

 心筋細胞が壊死していく。脳への血流が途絶える。不可逆的な死の淵へと、秒読みで落ちていく。


(……三十五歳で過労死、か。笑えないな。あとの解剖記録の整理、後輩の田中に丸投げになっちまった……すまん、田中……。いや、それよりも……)


 せめて、もう少しだけ、寝たかった。

 ふかふかのベッドで、目覚まし時計の音に怯えることなく、泥のように眠りたかった。

 有休なんて都市伝説だと思っていた。休日は学会の準備と論文執筆に消えた。

 法医学の発展と、物言わぬ死者たちの無念を晴らすため。その使命感だけで己を擦り減らしてきた人生だったが、いざ最期を迎える段になって湧き上がってきたのは、あまりにも切実な、たった一つの願いだった。


(もし、来世というものがあるのなら……私はもう、絶対に働きたくない。一生、ベッドの上でゴロゴロしてやる……)


 それが、桐生玲司という不器用な男がこの世に残した、最期の思考だった。



 * * *



 ――次に目を覚ました時、私は自分が死の直前に願った「ふかふかのベッド」の上にいることに気づいた。


「……ん、んん……?」


 重い瞼を持ち上げる。

 視界に飛び込んできたのは、無機質な蛍光灯ではなく、優美な曲線を描く天蓋の布だった。

 鼻を突くホルマリンの匂いはない。代わりに、微かに古びた埃の匂いと、日向に干されたシーツの心地よい香りがする。


「……生きている? いや、あれで助かる見込みは医学的に言って万に一つも……それに、ここは病院のICUでもないな」


 呟いた自分の声に、私は思わず目を見開いた。

 耳に届いたのは、三十五歳の疲労困憊した男の低い声ではない。

 鈴を転がすような、高く、細く、そしてひどく舌足らずで幼い少女のそれに他ならなかったのだ。


 私は慌てて身を起こし、己の身体を検分した。

 眼前に持ち上げた両手は、信じられないほど小さく、白く、そして華奢だった。


(……なんだこれは。手根骨の成長具合から推測するに、年齢は四歳から五歳といったところか。皮下脂肪のつき方は標準的だが、骨格筋の発達が著しく遅れている。栄養状態は悪くないが、慢性的な運動不足、あるいは病弱な個体特有の所見だ)


 すっかり染み付いた法医学的アプローチで自己分析を行いながら、私はベッドから滑り降りた。

 床に足をついた瞬間、自分の重心の低さに眩暈を覚える。

 部屋の隅に置かれた、アンティーク調の姿見。そこまでよろよろと歩み寄り、鏡に映った自分の姿を凝視した。


「……嘘だろう」


 鏡の中にいたのは、息を呑むほど可憐な、一人の幼い少女だった。

 色素の薄い、絹糸のようにサラサラとした白銀の髪。

 透き通るような雪のように白い肌。

 そして、わずかに青みを帯びた、深いアメジストのような大きな瞳。


(アルビノ……先天性白皮症か? いや、瞳孔の赤みは見られないし、視力にも問題はない。だとすれば、これがこの個体の遺伝的特性……。それにしても、まるで水彩画から抜け出してきたような、不健康なまでの儚さだ)


 自分の姿を客観的に評価しつつ、私は前世の記憶と、この身体にうっすらと残る記憶の残滓をすり合わせた。


 私の名前は、レイラ。

 レイラ・アルザス。五歳。

 ここはどうやら、私が生きていた日本とは異なる、いわゆる『剣と魔法のファンタジー世界』というやつらしい。

 アルザス家は、一応は貴族の家柄だ。

 しかし、記憶の糸をたぐってみれば、どうやら『没落貴族』という肩書きがぴったりと当てはまる状況のようだった。


 改めて室内を見渡してみる。

 確かに部屋の広さや家具の意匠は貴族のそれだが、よく見れば壁紙は所々剥がれかけ、天蓋の布も色褪せている。

 私が着ているネグリジェも、肌触りこそ良いが、袖口がわずかに擦り切れていた。

 鏡台に置かれた銀製のブラシは黒ずみ、手入れが行き届いているとは言い難い。


(……なるほど。由緒正しき貧乏貴族の令嬢、というわけか。だが、そんなことはどうでもいい)


 私はゆっくりと踵を返し、再びベッドへと潜り込んだ。

 ふかふかのマットレス。柔らかい掛け布団。

 これだ。私が死の淵で渇望したものは、まさしくこれなのだ。


(私は過労で死んだ。前世では、来る日も来る日も死体と向き合い、睡眠時間を削って国のために、社会のために身を粉にして働いた。その結果が、孤独な解剖室での犬死にだ。冗談じゃない)


 掛け布団を首まで引き上げ、私は天井の天蓋を睨みつけながら、己の魂に固く誓った。


(今世は、絶対に働かない。何があろうと、このベッドの領域テリトリーから一歩も出ない。生産的な活動など一切せず、息をするためだけに生きる。労働は悪だ。勤労は罪だ。私は、プロのニートになる……!)


 法医学の権威・桐生玲司は死んだ。

 ここにいるのは、怠惰を極めることを決意した美少女、レイラ・アルザスである。

 没落貴族だろうがなんだろうが関係ない。親のスネをかじれるだけかじり、最悪、領地に生えている草でも食って生き延びてやる。


 確固たる決意を胸に、私は至福の二度寝に突入しようと目を閉じた。

 過労で死んだ魂にとって、なにもせずに眠りにつける瞬間ほど甘美なものはない。

 ああ、これが平穏か。これが幸せというものか。


 ――しかし。

 私のささやかで偉大な野望は、転生初日にして早くも暗礁に乗り上げようとしていた。


「……ん?」


 うとうとと微睡みの中に落ちかけた時、顔の周りで何かが『うごめく』気配を感じた。

 薄目を開ける。

 最初は、飛蚊症の一種かと思った。

 視界の端を、黒っぽいモヤのようなものがチラチラと横切ったのだ。


 だが、法医学者としての鋭い観察眼が、それが眼球内の硝子体の濁りなどという生理現象ではないことを即座に見抜いた。


(……なんだ、あれは?)


 ベッドの周囲を、半透明の歪な形をした『何か』が漂っている。

 それは、まるで子供が泥遊びで作った失敗作の泥人形のような形をしていたり、あるいはぐちゃぐちゃに丸められた黒い毛玉のような形をしていたりした。

 大きさは、ソフトボール大から、大きいものではスイカほどのサイズ。

 それらが、音もなく私のベッドの周りに集まり、ぷかぷかと浮遊しているのだ。


(幻覚……? いや、違う。室内の気流の動きとは明らかに独立した法則で動いている。質量はないようだが、実体としてそこに『存在』している)


 私は眉をひそめ、ベッドの上で身を固くした。

 ディフォルメされたマスコットのような滑稽な見た目ではあるが、それらが発している気配は、ひどく陰惨で、ねっとりとした不快なものだった。

 まるで、解剖室の床にこびりついた、古い血の匂いを視覚化したような――。


『……さ、むい……』

『……かえして……わたしの……』

『……いたい、いたい、いたい……』


 突如、鼓膜を直接震わせるのではなく、脳髄に直接響くような怨嗟の声が聞こえた。

 背筋にぞくりと悪寒が走る。

 間違いない。こいつらは、生者の世界のものではない。


(霊、だと……? 医学という極めて科学的な領域に身を置いていた私に、オカルトの産物が見えるというのか?)


 驚愕する私の視界の中で、黒いモヤの群れは徐々にその数を増していく。

 まるで、甘い蜜に群がる羽虫のように。

 あるいは、暗闇に灯った唯一のランタンの光に引き寄せられるように。

 彼らは、ベッドの上で震える私――レイラ・アルザスを標的にして、じりじりと距離を詰めてきていた。


(おいおい、冗談じゃないぞ。私はただ、静かに眠りたいだけなんだ!)


 せっかく手に入れた安息の地が、得体の知れないナニカに包囲されている。

 私の安眠が、そして決意したばかりの快適なニート生活が、得体の知れない脅威によって初日から物理的……いや、霊的に脅かされようとしていたのだった。

 

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