キャロル・ジルハード
――翌日昼、廃屋のアンブランテの門の前に、ナイルとチルは花を供えた。花の他に青い箱も供えてある。
キケルに向かって二人がお祈りをしていると、玄関のドアが開く音がした。
「嘘!? 誰か来た!?」
「ここに入れるのは俺達か――リト・クァンくらいだぞ……」
二人は警戒してドアを睨んだ。家主が来ても、何も知らない人が来ても、アンブランテの門の前に来られたらここにいる説明ができない。
「――――逃げるのよ!!」
突然チルが立ち上がって叫んだ。
「逃げるって……」
「こっちに決まってるわ!!」
チルは、キケルに開けてはならないと言われた――アンブランテの門を開いて飛び出した。
彼女の入った門は、右側の門だった――――。
「おい、まて!!」
続いてナイルも右側の門に入っていった。
門の向こう側に出て二人は絶句した。
――――右側の門、それは封印された王女のいる部屋に繋がっている。
幽霊城のようだと言われているジルハード城のこの部屋は、調度品の質と色あせた半開きのタンスから見える服からして、それが王女の部屋だということが伺える。
「戻るぞ……。さっき来たのがリトだったら、この扉を知ってる事を知られたらまずい……」
ナイルはチルの肩を掴んで扉の向こうに戻ろうとした。――――しかし、もう遅かったようだ。
「お前ら……何故ここに……」
二人の前に立ちはだかるのは――――目を丸くしてこちらを見ているロクサーノだった。
「家の門は閉まっていたはずだ! 鍵は無くしていて暗号魔術を使わなければ入れない!! それに……お前ら、ここがどこだかわかっているのか!?」
チルは少し怖じけづいたようだが、すぐに態度を変え、強気に言い返した。
「ロクサーノ……それはこっちの台詞よ! なんであんたがここにいるの! 廃屋の事も、アンブランテの門の事も、リトとあんたに何かしらの関係があることも……全部キケルから聞いたわ!!」
「おい、あまり刺激は……」
「ナイルは黙ってて!! もう我慢の限界よ!! あんたが私に目を付けた理由と封印された王女とあんたとの関係、全部吐いてちょうだい!! この門と――王女が、私に近付いた真の目的でしょう!?」
言い終わると、チルの息はあがっていた。そうとう興奮していたようだ。
ロクサーノはしばし無表情のまま、口を閉ざしていた。しかしチルとの睨み合いが始まると、突然口を開いて話を始めた。
「俺は……ロクサーノは……リト・クァンの仮名だ。俺の本当の名はリト・クァン。ジルハード王国王女の護衛の魔術師だ」
再び二人は絶句した。
「じゃあ、お前があのシャルマの……」
ナイルは思わず、昨日読んだ本の人物の名を口にした。
「シャルマ?」
ロクサーノは怪訝そうに眉を寄せた。
「……いいや、なんでもない。続けてくれ」
「……そうか。俺がチルに近付いたのは、突然変異の魔力の制御――これは紛れも無い事実だ。それともう一つ……」
ロクサーノは部屋の奥に向かい、そこにある赤紫色のカーテンを開けた。カーテンの向こうはベッドルームのようだ。二人はロクサーノの後に続いた。
薄暗い空間に置かれた薄い桃色のベッド――――その上に横たわるのは、茶髪の少女。薄い虹色のベールが彼女の周りを包んでいる。
茶髪の少女が身につけている服や装飾品は豪華という言葉がよく似合う。そしてそれらは、彼女が高貴な人だという証でもあった。
「彼女が封印された王女、キャロル・ジルハードだ。この纏わり付いたオーラに触ると弾き飛ばされるから触るなよ」
二人は、始めて見る二百年間眠り続けた姫に目を奪われていた。
手を伸ばせば吸い込まれそうな魅力を持った彼女。だが、手を伸ばしても弾き返されるだけ。それを口惜しいと言わんばかりにロクサーノが見つめる。
「俺がチルに近付いたもう一つの理由……それが、このキャロル王女だ」
「どういう事よ……?」
「結界を破るにはある道具がいる。それを使えばキャロルを救い出せるかもしれない……」
「それと私がどう関係」
「二百年間捜し続けて、ようやく見つけた。お前は――――特殊な魔力の持ち主だ。お前なら鎌を作れる」
「は? 鎌? 鎌作って結界破ろうっての?」
呆れた声音でチルは言う。
「そうだ。物分かりがいいじゃないか」
「そんな物で破れるんならとっくに誰かやってるでしょ!? 意味わかんない!!」
「お前が作る鎌は、結界を破れる特殊な鎌だ」
ロクサーノのその一言で、チルは黙りこくった。ナイルは何か言おうと思っても言える事がなく、王女の部屋に沈黙が訪れた。
「…………無理にとは言わない。だが、お前がやらなければこの王女は助からないだろう」
沈黙を破り、ロクサーノはアンブランテの門に戻って行った。扉が閉まる音が重く響く。
チルは王女の顔をよく眺めてみた。色白で幼い顔立ちの少女。しかし、歴史は彼女を十八歳と語っている。
「……ナイル、先に帰ってて」
消えそうな小さな声で彼女は言った。
「え?」
「ちょっと、ここに一人で居たい。だから先に帰って」
ナイルは拒否する事ができず、黙って頷いた。
彼はアンブランテの門の前に戻り、一度だけ振り向いた。チルは王女の様子を伺っている。ナイルは一言声をかけて、扉の向こうへと姿を消した――――。
――――不気味な程に静かになったジルハード城。幽霊城と言われているが、この部屋だけはその不気味さを感じさせない。何か暖かいものに包まれている感じだ。
チルは王女の胸に置かれている手に、手を伸ばした――が、見えないガラスのようなものが彼女との接触を邪魔する。
「私が……やらなければ……」
ロクサーノの言葉がチルの頭をよぎった。目の前の娘は自分しか助けられない――――彼女の決意が、固まった。
「ロクサーノの所に行かなくちゃ……」
チルは立ち上がり、扉を目指した。そのついでに部屋の内装を覗いていった。
大きなガラス戸の向こうには白いベランダがある。もっとも、ほとんどが錆びていて色はお世辞にも綺麗とは言えない。ガラス戸の前には、古びた長いカーテンがある。壁際にある窓にも、同じデザインの高級そうなカーテンが付いていた。王女のベッドルームを仕切るカーテンも同じデザインだが、これは元は白いカーテンだったと思われる。
部屋には扉が二つ。外に出るものとアンブランテの門だ。ベッドルームは扉から一番遠い壁の真ん中に入口が作られている。その周りには、クローゼットと鏡台と本棚がある。どれも絢爛豪華だ。アンブランテの門は、扉の隣に付いている。
部屋の中央にはテーブルとソファーが置かれている。それにぶつからないよう気をつけながら、チルは門へと足を運んだ。
扉を開け、アンブランテの門をくぐる。先ほどの豪華さとは無縁な廃屋に戻ってきた時、彼女を迎える声がした。
「おかえり」
「……帰ってって言ったでしょ?」
「なら、帰ろうか」