112 収穫祭 ー求婚
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ノエルの父クラウスの追放を許し、クラカライン家への帰還を認める。
その上でクラウスの悲運を慮ったセイジェルが遺志を汲み、遺児となったノエルの後見となってクラカライン家に引き取る。
セイジェルの話を聞いてそういう美談を台本に描くオーヴァンに、セイジェルはさらなる要求を出す。
「その台本にもう一つ、わたしとこれの婚姻を付け加えてもらおうか」
刹那、室内の空気がざわついた……と思ったのも一瞬、ルクスがいつものように声を上げる。
「馬鹿か、お前はっ?」
「そうかもしれないな」
あまりにも突拍子もなく、露骨すぎるほど率直な意見をするルクスだが、セイジェルは怒ることなく静かに受け流す。
「だが白の領地とクラカラインのことは、お前以上に考えて行動している」
「どこがだっ?
そのチビとお前の結婚に何の意味がある?
だいたい何歳離れていると思っているんだ?」
ルクスの疑問ももっともだろう。
だがやはりセイジェルは静かに返す。
「年齢差に意味はない。
政略とはそういうものだ。
その証拠に、お前のご両親は何歳差だったかな?」
「確か10歳差だが……」
ルクスの両親、ラクロワ卿オーヴァンと妻エルデリアは10歳差の政略結婚である。
もともとは先々代領主であったヴィルール・クラカラインが、出来の悪い跡取り息子の補佐として、当時はラクロワ卿家の嫡子だったオーヴァンに白羽の矢を立て長女エルデリアを嫁がせたのである。
直後にクラウスが追放される騒動が起こりヴィルールとユリウスの親子は不仲になるも、ヴィルールは白の領地や息子のためを考えたのだが、ユリウスは領主に就任すると、父の思惑や貴族たちの不安をよそに、従兄弟であり義兄でもあるハルバルト卿バルザックを勝手に宰相に据えたのである。
それでもオーヴァンはエルデリアと離縁することなく、エセルスとルクスの二人の子をもうけてラクロワ卿家を継いだ。
そしてたった数年でユリウスが退位すると、オーヴァンはヴィルールを助けてバルザックを排し、若き現領主の宰相として就任したのである。
ヴィルールの姉ヴィルランカを母に持ち、クラカライン家の血を引くバルザックを排するためには、オーヴァンの政治的手腕と、エルデリアとの婚姻によりクラカライン家の縁戚となる必要があったのである。
「ノワール、皆がそなたの歳を知りたいそうだ」
教えて差し上げなさいとセイジェルに促されたノエルは、少し戸惑いながらも客人たちに向けて両手を広げてみせる。
そして言う。
「ノエル、9さ……」
「嘘を吐くな!」
またしてもルクスが声を荒らげる。
その勢いと声量には、近くに座っていた母親エルデリアですら驚いたほどである。
「ルクス、こんな小さな子ども相手に、そなたは声を荒らげて……大人げないにもほどがありますよ」
「いいえ、母上、こいつは嘘つきです。
嘘つきは厳しく叱らなければなりません」
母子の会話をよそに、セイジェルの足下にすわっているノエルは目に涙を溜めて小さな声で呟く。
「うそついてない。
ノエル、9さい」
するとその頭上からセイジェルが声を掛ける。
「ノワール、もう一度してみなさい」
「おこらない」
「怒らない」
またまた二人の会話に勢いよくルクスが割り込む。
「怒れ!
セイジェル、お前は甘やかしすぎだ!」
「ルクス、少し黙っていろ」
「なんだとっ!」
腰を浮かし気味の勢いで反論するルクスを黙らせるべく、暗に主人の意を受けた側仕えが勝手に動き出す。
ウルリヒを主人のそばに残したアルフォンソがいつのまにかルクスの背後に迫り、いきなりその口を力任せに押さえ込んだのである。
「失礼いたします、公子」
一応の断わりを入れるけれど申し訳なさなど皆無。
上辺だけの謝罪を述べながらルクスの口を片手で押さえ込み、主人の望みどおりルクスを静かにさせる。
しかも抑え込むのは口だけにして鼻呼吸を確保するという、一応の配慮はしてある。
到底敵わないアルフォンソの握力を前に、鼻息荒くふごふご言っているルクスを一瞥したセイジェルは改めてノエルに話し掛ける。
「ノワール、もう一度してみなさい」
「わかった。
ノエル、9さい」
そう言ってノエルが小さな両手を客人たちに向けて広げてみせると、セイジェルは小さく頷いて続ける。
「ではその指を数えてみなさい」
「かぞえる……んと、んと……」
1から10までしか数えられないノエルだが、自分の指が両手を合わせると10本であることは知っている。
セイジェルに数えて見ろと言われて少し焦ったノエルだが、すぐにハッとする。
「……10だった。
ノエル、まちがえた」
「そうだな。
だがそなたは嘘を吐いたわけではない、間違えただけだ」
「おこられる」
「誰もそなたを怒らない」
「ルクスさま、おこってる」
「放っておきなさい、勘違いをしているだけだ。
そなたは嘘を吐いたのではなく間違えたということをわかっていない
いつもいつも早とちりする悪い癖がある」
「でもルクスさま、またしろちゃんにいじわるする」
「そんなことはさせない」
大きな目に一杯の涙を溜めながら訥々と話すノエルに淡々と答えるセイジェル。
クラカライン家では見慣れた光景だが、初めて見る二組の夫婦の目には実に珍しく映る。
特にラクロワ卿夫妻は、ルクスがなにをしてセイジェルを怒らせたのか想像出来たのだろう。
表情の変化に乏しいオーヴァンは小さく溜息を吐くに留めたが、エルデリアは露骨に呆れてみせる。
「ルクス、あなたは……」
そのあいだもセイジェルを見たり母親と見たりと忙しくふがふがしていたルクスを憐れんだのか、仕方なさそうに父親のオーヴァンが口を開く。
「そのへんでご勘弁願えまいか、魔術師殿」
「ラクロワ卿が仰るのであれば」
麗しく笑んで見せたアルフォンソはようやくのことでルクスの口を解放する。
「お優しい賢明な父君にご感謝なさいませ、ラクロワ公子」
アルフォンソに煽られるまま言い返そうとしたルクスだが、静かな父親の圧を感じてぐっと堪える。
すると来ると思っていた反論が来ず、アルフォンソも 「つまらないこと」 と呟きながら主人の元に戻る。
そうしてようやく話が戻る……と思ったら、別の問題に客人たちが気がつく。
「9歳?」
「5歳か6歳くらいかと思っていたけれど……」
「ずいぶん幼くていらっしゃるような……」
表情に乏しいオーヴァンはともかく、エルデリアとアスウェル卿夫妻は口々に呟く。
正体はともかく、ノエルの年齢はあらかじめ知っていたルクスが、意外にも再び逸れかけた話を本題に戻す。
「年齢差のことはわかったが、お前とチビの結婚のどこに政略がある?
さっぱりわからん」
「今更クラウス殿を許したところですでに故人だ。
代わりの証しとしてわたしとノワールが婚姻を結ぶ」
すぐにルクスは怪訝そうに眉根を寄せたが、代わって父親のオーヴァンが口を開く。
「つまりクラカライン家とクラウス様が和解した証しとして領主と姫君が婚姻を結ばれる。
そういうことでございますな」
一度言葉を切ったオーヴァンは、一呼吸ほど空けて言葉を継ぐ。
「よくあるやり方ではございますが、正直に申し上げまして、わたくしは賛同いたしかねます」
「理由は?」
セイジェルの考えた方法は貴族間ではよくある婚姻である。
クラカライン家でも三代前の領主、つまりセイジェルたちの曾祖父に当たる人物が、和議の証しとして青の領主一族の姫君と婚姻を結ぶため、婚約者であったハルバルト卿家の令嬢と婚約を破棄した経緯がある。
つまり孫にあたるエルデリアの青い髪は隔世遺伝である。
そして婚約破棄の詫びとして、三代前の領主と青の領主一族の姫君とのあいだに生まれた娘ヴィルランカがハルバルト卿家に嫁ぐことになった。
これがハルバルト卿バルザックの母親であり、セイジェルの母レジーネ・ハルバルトの母親でもある。
実はオーヴァンが反対した理由はここにある。
「領主と姫君は従兄弟同士。
領主のご両親も従兄弟同士で婚姻を結ばれております」
「確かに血の濃さは気がかりなところではある」
「それに王宮内のねじれが解消されるとも思えません」
王宮内のねじれた勢力関係とは、そもそもの発端はクラカライン家の兄ユリウスと弟クラウスの仲違いだが、そこに兄弟の父親である先々代領主ヴィルールが参加。
追放された弟クラウスに加担したのだが、他に後継のいない状態でもあり兄ユリウスがヴィルールの跡を継いで領主に就任。
従兄弟であり、義兄でもあるハルバルト卿バルザックを宰相に任命した。
権力を握ったハルバルト卿バルザックは、先々代領主ヴィルールの息のかかった貴族や役人を排除して思うままに権力を振るい始めたのである。
そんなバルザックにとって誤算だったのは、先代領主ユリウスが早々に飽きて隠居を決めたことだろう。
息子セイジェルが跡を継ぐもその後見に先代領主ヴィルールが就き、側近は先代領主ヴィルールの子飼いに総入れ替え。
これが面白くないハルバルト卿家派だが、あくまでもセイジェルはユリウスの息子である。
数年後にはセイジェルの後見だったヴィルールも亡くなるが、ハルバルト卿家派の多くは政治の中枢に戻ることが出来ないまま。
そもそもの発端はクラカライン家の兄弟喧嘩だったはずが、現在はハルバルト卿家派と先々代領主派との勢力争いとなっていた。
「根源の全て父にある。
クラウス殿は最たる被害者だろう」
「仰る意味はわかりますが、領主は和解して、再びハルバルト卿を宰相となさるのですか?」
「それはない。
わたしは父の息子だが、おそらく祖父以上に父を嫌っているだろう。
実際、到底父のやり方は受け入れられない。
ハルバルト卿もだ」
今度はセイジェルが、一度切った言葉を一呼吸ほど置いてから継ぐ。
「わかっている、所詮は上辺だけの茶番だと」
「それでも和解を演じなさると?」
「そうだ。
今は茶番を演じてでも白の領地の結束を固めるべき、そう判断した」
また言葉を切ったセイジェルは、ふと視線を落としてノエルを見る。
そして付け足すように言う。
「これが手に入ったのは偶然だが」
するとすぐさまエルデリアが 「物のように言うのではありません!」 と抗議するが、セイジェルは気にせずオーヴァンとの会話を続ける。
「懸念されておられるのは緑の領地のことでございますか」
「樹海の民の侵入はもう止められぬところまで来ているのだろう。
このまま中央宮に居座って王を名乗り、他の三つの領地を武力で統合しようなどと企まれても困るが、青の領地や赤の領地がいつまでも黙っているとは限らない。
かつて白の領地も青の領地と揉めたが領地に関わることではない。
まして二領地間でのこと。
双方が和解を望んで決着がついたが、領地が絡んでいたらそう簡単にはいかなかったはずだ。
一度戦争が始まれば、新たな和合が結ばれるまで数十年から数百年はかかる。
失われる生命の数を思えば備えておくに越したことはない。
わたしはクラカライン家の当主だ。
この白の領地の領主だ。
白の大地と光の子を守るためならば、いくらでも滑稽な茶番を演じてみせよう」
「見事なお覚悟でございます。
老体ではございますが、伴に茶番を演じる覚悟を決めましょう」
「ありがとう、ラクロワ卿」
すると義兄に場を譲っていたアスウェル卿ノイエも言う。
「このノイエ、生命尽きるまでお伴いたしましょう」
「アスウェル卿も、ありがとう。
これの幼さを不安に思うのは当然のことだろう。
だが考えることは出来ている。
今はまだ難しいだろうが、いずれはクラカラインの一員として己の為すべきことを自覚出来るだろう」
ラクロワ卿家の当主とアスウェル卿家の当主が納得し、これでセイジェルとノエルの婚約が成立……と思われたが、そうは問屋が卸さない。
エルデリアが口を開いたのである。
「お待ちなさい、セイジェル。
あなたの言いたいことはよくわかりました、覚悟も。
わたくしも立派だと思いますが、ノワールの気持ちはどうなのです?」
「これの?」
「性急にならず、せめてノワールが理解出来るようになるまでお待ちなさいな」
それこそノエルが成人するまでまだ5年ある。
もちろんクラカライン家に後継者がいない状態が長く続くのはよろしくないが、次の新緑節はお披露目だけにして、3年ないし4年先の新緑節あたりまでに決めればいいのではないかとマリエラも続く。
だがセイジェルは二人の叔母をうるさく思ったのだろうか。
あるいはどうあっても黒曜石を手放したくないと思ったのか。
この場でノエルに確かめることにしたらしい。
「ノワール、少しわたしと話そう」
「うん」
セイジェルを見上げたノエルは大きく頷く。
「わたしがそなたを愛することはないが、わたしの隣に立ってともに白の領地を治めてくれぬか?
もちろんそなたもわたしを愛する必要はない」
「あい…………わからない」
「そうか。
わたしが出す条件は一つだけ。
わたしの子を産むこと。
そのこと以外になにも望まない。
そなたはこれまでどおり、この屋敷で自由に過ごせばよい」
決して難しいことは言っていない。
難しい言い回しもしていない。
ことさらゆっくりと話して聞かせるセイジェルだが、ノエルはセイジェルを見上げたまま表情を変えない。
それでもきっと、小さな頭の中で必死に語りかけられた言葉の意味を考えているのだろう。
離れてすわっているエルデリアは 「それみたことか」 と言わんばかりにセイジェルを睨みつけているが、視界の隅にセイジェルの側仕えの姿を見て口を固く結んでいる。
ルクスのように馬鹿力で口を押さえられてはたまらないと思ったのだろう。
「…………ごはん、たべられる」
「いつもどおり用意しよう。
食べたい物があればマディンに言いなさい」
「おふとん」
「先日言いそびれたが、そなたは白の領地の青の季節は初めてだ。
寒くないように、毛布などは多めに用意しておきなさい」
「おふろ、あったかい」
「ゆっくり浸かるといい」
「アーガンさま、くる」
「収穫祭が終わるまでは騎士団も忙しい。
もう少しだけ待ちなさい。
また遊びに来るよう言ってやろう」
「アーガンさま、おしごといそがしい」
「そうだ」
「しろちゃんたち」
「あれらは全てそなたの物だ。
ずっと一緒に色んな物を見ればよい。
「うん、ずっといっしょ」
「そなたの願いは可能な限り叶えよう。
だから生涯わたしの隣に立っていて欲しい」
「……わからない……」
しろちゃんを抱えたノエルはぼんやりとセイジェルを見上げながらそう答えると、なにを思ったのか、大きなしろちゃんと一緒に掛けられていた毛布から這いだし、セイジェルの足に手を置いて立ち上がる。
そして片腕に小さなしろちゃんを抱き、もう一方の手をセイジェルの顔に伸ばす。
ノエルに乞われるまま背を丸めるようにセイジェルが顔を近づけると、ノエルはいつものようにセイジェルの頬を無造作に掴んでもう一方の頬に自分の頬をムニムニと押しつける。
「今日も旦那様の身だしなみは完璧でございます」
「抜かりはございません」
セイジェルのうしろで、アルフォンソとウルリヒがそんなことを囁き合うのを尻目に、客人たちはそれぞれに反応を見せる。
セルジュやミラーカ、それにルクスはともかく、つい数時間前に初めてノエルと会ったばかりの二組の夫婦には驚きの連続だろう。
いや、生まれた時から知っているはずのセイジェルの様子にも驚きの連続だったに違いない。
「……セイジェル、なにをしているのです?」
二人の頬が離れるタイミングで、エルデリアは喉に声を詰まらせながらも問う。
だが気にしないノエルは、今度はセイジェルの上着を鷲掴みにして胸に顔を埋めて深呼吸を始める。
「……なにを……?」
ますます驚くエルデリアは壊れたように質問を繰り返す。
やがてむふーと満足した顔を見せるノエルは言う。
「セイジェルさま、いいにおいする。
だからノエル、ずっと、ずっと、ずーっとセイジェルさまといっしょにいる」
「そうか」
「しろちゃんたちもいっしょにいる」
「好きにしなさい」
【アスウェル卿夫人マリエラの呟き】
「女の直感というものはとても大事だと思いますの。
確かに幼いノワールにセイジェルを支えることは難しいでしょう。
お姉様が二人を心配するお気持ちもわかりますわ。
わたくしだって同じですもの。
それでも直感というものは大事だと思いますの、わたくしは。
すっかりお忘れのようですけれど、お姉様だってオーヴァンの絵を見て直感で結婚を決意なさったではありませんか。
わたくしはちゃんと覚えておりましてよ。
頭の足りないお兄様のためには、どうしてもオーヴァンの政治的手腕とラクロワ卿家の助力が必要だった。
クラカラインと白の領地のために。
そう判断をなさったお父様でも、お姉様の決断の仕方には心配しておられましたわね。
あの時はわたくしも驚きましたけれど、なぜかお母様だけは笑っておられて、お父様に 「心配ないわ」 とか 「大丈夫よ」 なんて仰っていたわ。
本当にその通りになりましたけれど。
だからきっと、ノワールも幸せになれるわ。
女の直感というものとは少し違うかもしれないけれど、きっとあれがノワールの直感というものなのでしょう。
でもセイジェル、あなたはきっと後悔することになります。
ノワールが幸せであればあるほど、あなたは後悔することになる。
それでもわたくしたちはあなたの幸せを願いましょう。
後悔することになっても、幸せになって欲しいから……」




