107 収穫祭の朝
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ノエルはいつも大人たちより一足先に夕食を摂り終えて就寝してしまう。
だから前日の夕食の席にミラーカとセルジュがいなかったことを知らないが、昼食の時に、ミラーカからリンデルト卿家の屋敷に帰ることは聞いて知っていた。
「数日、お父様の屋敷に戻らせていただきます。
すぐに戻って参りますので、少しのあいだ、しろちゃんたちと仲良く遊んでいていただけますか?」
ミラーカが所用でリンデルト卿家の屋敷に帰ることは、今までにも何度かあった。
だがその日の内か、せいぜい翌日には戻ってきていたから、ミラーカと数日も離れるというのは、ノエルがクラカライン屋敷に引き取られてきてから初めてのことである。
「ミラーカさま、いえ、かえる」
並んでソファに掛けるノエルは、聞かされる話に不安そうな顔をしてミラーカを見上げる。
そんな視線を受けたミラーカはさらに申し訳なさそうな顔をして話を続ける。
「明日、こちらのお屋敷で食事会が開かれます。
わたくしもセルジュの婚約者として招待されておりますので食事の席でお会い出来ますけれど、そのあとはまたお父様のお屋敷に戻ります。
しばらくアスウェル卿家などの食事会にも招かれておりますので」
話を聞くだけでも忙しそうである。
そのためにしばらくのあいだクラカライン屋敷には戻ってこられないと話すミラーカを、不安そうに見ていたノエルはやがてポツリと呟く。
「しょくじかい……ごはん、たべる」
食事が 「ごはん」 だということは理解出来るノエルだが、ミラーカが忙しい理由が理解出来ないのだろう。
首を傾げながらミラーカを見ている。
「ええ、そうですわ。
収穫祭ですわ。
いつもより美味しい物が沢山食べられるのです」
「しゅうかくさい」
「収穫祭は赤の領地にもございますでしょ?
平民と貴族の収穫祭はちょっと違いますけれど、姫様がおられた村はどうでございました?」
「…………わからない」
町や村で行なわれる領民たちの収穫祭は景気よく音楽を鳴らして陽気に歌い踊り、食事をしたり酒を飲んだりして騒ぐもの。
それは白の領地も赤の領地も変わらない。
ただ二つの領地は気候が違うため、収穫祭が行なわれる時季が少し違う。
ノエルが家族と暮らしていたあの村でも収穫が終わったあとで収穫祭が開かれていたのだが、ノエルが参加したことはただの一度もない。
人前に出ることをノエル自身怖がっていたし、ノエルが人目に付くところに出ると母のエビラからも強く叱責されるからである。
だから収穫祭はもちろん一年の始まりを告げる新緑節など、季節ごとの行事をノエルは全く知らない。
参加したことがないのはもちろんだが、教えてくれる人もいなかったからである。
「そうなのですね。
でも心配はご無用ですわ。
これから一つずつ覚えてゆけばよろしいのですから」
その最初が明日、クラカライン家で開かれる食事会だとミラーカは話す。
「収穫祭の食事会は、今年の実りに感謝をして親しい人たちと食事を伴にするために開かれるのです」
母親であるリンデルト卿夫人システアと同じく、短い間ではあったがミラーカも神官として神殿に勤めていたことがある。
きっとその頃にもこうやって教えていたのだろう。
ミラーカはノエルが聞き取りやすいように、少しゆっくりめに収穫祭について説明する。
収穫を祝う気持ちは貴族も領民も同じだが、領民たちの収穫祭は村や町単位で行なわれ、大勢で歌ったり踊ったりして陽気に賑やかに過ごすが、貴族は一族や親しい者たちを招いて食事会を開き、穏やかに過ごす。
白の領地では、その最初に開かれるのが領主主催の白の領主一族の食事会と決まっている。
領内の各地で行なわれる領民たちの収穫祭は、収穫が早く終わる北部から始まり次第に南下してゆくが、貴族の収穫祭は必ず領主主催の食事会が一番最初に開かれると決まっている。
それはクラカライン家の直轄領であるアベリシアの収穫が終わる頃に開かれ、その後、上級貴族の食事会が開かれ、やがて中級、下級と続いてゆくのである。
最近は貴族を真似た豪商などが収穫祭に食事会を開くようになったが、このルールを知らず、領主主催の食事会より先に開催しようものなら 「もの知らずの田舎者」 とか 「これだから成り上がり者は」 などと陰口をたたかれることになる。
だから心得た商人は、出入りしている貴族屋敷より先に食事会を開くようなミスをしないように細心の注意を払っている。
そんな昔ながらの堅苦しいルールのもとで開かれる貴族たちの収穫祭。
ミラーカの実家であるリンデルト卿家は下級貴族だが、ミラーカ自身は領主主催の食事会にアスウェル卿家の公子セルジュの婚約者として招待されている。
そのあとに開かれるアスウェル卿家主催の食事会にはリンデルト卿家一家で招待されており、他にもセルジュが招待されているいくつかの食事会にも婚約者として同伴しなければならない。
そうして一番最後に開かれるリンデルト卿家での食事会を終えるまで、ミラーカは何着もの衣装を着なければならず、衣装が変われば当然装飾品などの小物も変わる。
その膨大な量の衣装や宝飾品の管理はもちろんだが、クラカライン家は女手が少なく、ドレスの着付けなど支度の手が足りないこと考えると、ミラーカは収穫祭のあいだは勝手知ったるリンデルト卿家の屋敷に戻った方がいいということになったのである。
もちろんこれを強く推したのはセルジュで、ミラーカはノエルが一人になることを心配したがセイジェルは特に何も言わなかった。
セイジェルなりにセルジュに気を遣ってのことかもしれない。
かくしてミラーカは、しばらくのあいだクラカライン家を空けることになったのである。
「姫様のお支度もございますのに……」
ノエルの側仕えが、ニーナ一人しかいないこともミラーカには気がかりだったのだろう。
セイジェルからノエルのために食事会用の衣装を選ぶように言われていたから、ノエルがクラカライン家の食事会に出席することはミラーカも知っている。
だからノエルに、明日は食事会の席で会えると話したのだが、その支度がどうしても気がかりだったらしい。
だが当日はミラーカもノエルの支度にかまっている時間はない。
かといってミラーカもクラカライン屋敷で支度をするというのは、やはり手が足りず現実的ではない。
どうしたらいいのだろうとギリギリまで頭を抱えて悩んでいたが、それを見越したセルジュが迎えに来て、ノエルと一緒に昼食を摂るとリンデルト卿家の屋敷に帰っていった。
そうして一人になったノエルはいつもの時間に就寝の準備を始める。
もちろんニーナに手伝ってもらってである。
「……ニーナもいえ、かえる」
この夜はみどりちゃんと一緒に寝ることにしたらしいノエルは、寝台の上にすわってみどりちゃんを膝に抱える。
そして唐突にニーナに話し掛ける。
だがニーナは昼間のノエルとミラーカの話をそば近くで聞いていたから、すぐノエルの不安がわかったのだろう。
落ち着いた様子で答える。
「いいえ、帰りませんわ。
ミラーカ様も仰っていましたけれど、収穫祭に食事会を開くのは貴族だけです。
わたしたち平民はみんなで騒ぐんです。
歌ったり踊ったりして」
「きぞく……セルジュさまもかえる」
「ええ、アスウェル公子様も昼間、ミラーカ様とご一緒にアスウェル卿家のお屋敷にお戻りになりました」
「セイジェルさまもかえる」
「旦那様のお屋敷はこちらですわ」
「セイジェルさま、いる」
「もちろんです」
「よかった」
言葉に抑揚のないノエルとの会話は一見淡々としているが、ニーナの目には、セイジェルがどこにも行かないとわかってノエルが安心したように見えた。
「ノエル、ひとりはいや」
「一人は淋しいですね」
「ニーナ、イエルさまいない」
「兄ですか?」
イエルとニーナは仲のよい兄妹だが、一緒に暮らすことがなくなって随分になる。
ふと思い出した拍子にどうしているか気になるけれど、いつのまにか離れて暮らしていることに慣れてしまい淋しいと思うことはなくなっていた。
ノエルの言葉で改めてそのことに気づいたニーナだったが、自分よりずっと歳下のノエルに、自分たち兄妹の生い立ちを話して聞かせるわけにもいかず、ただ 「わたしも兄も、もう大人ですから」 と、それこそ大人の対応をしてみせる。
「ノエル、こども……」
「ええ、ですから淋しがってもいいんですよ」
ニーナは応えながらふとノエルの家族のこと考える。
使用人頭のマディンからはなにも聞かされていないが、ノエルが時折クラカライン屋敷にはいない母親を怖がる素振りを見せるから、ニーナにもだいたいの見当はついている。
ノエルが9歳にしては心も体も幼いのも、きっと母親のせいなのだろう。
そしてマディンが側仕えであるニーナにそのことを話さないのは知らなくてもいいことだから。
最近では減ったけれど、それでもやはり母親のことを思い出して怯えるノエルの様子を見れば、家族のことを訊いてはいけないこともわかる。
だがこの時、ほんの一瞬だが、ノエルが自分の家族のことを思い出したのではないかと思ったのである。
実際は少しも思い出しておらず、ミラーカやセルジュが自分の家に帰ったのに、どうしてニーナは帰らないのだろうと不思議に思っていたのである。
そしてイエルと会えなくて淋しくはないのだろうかと思ったのである。
だがニーナにしてみれば、遠く離れたハンナベレナの町で働いていた頃に比べて今はずっと近くで過ごせているのである。
イエルの身になにかあってもニーナの許に報せが届くまで数日を要するはずの距離が、今は数時間で知ることが出来る距離にいるのである。
ハンナベレナの町を出ることになった経緯はニーナにとって悔しい限りだが、兄が近くにいる安心感はそんな過去を忘れてやり直そうと思えたほどである。
ただどこの屋敷でも、新しい使用人は最初の半年ほどは休みをもらうことが出来ない。
だから今はイエルと会うことは出来ないけれど、半年が過ぎれば休みの日に顔を見に行けるようになる。
それこそ半日でも、イエルと休みが合えば一緒に食事をしながら話をすることも出来るだろう。
休みを合わせる難しさはあるかもしれないけれど、半日でも時間が取れれば会えるという距離感を思えば、今は全然我慢することが出来た。
むしろ幼い主人のほうが気がかりである。
淋しがってもいいというニーナの言葉に少し考え込んでいたノエルは 「だいじょうぶ」 と結論を出す。
「セイジェルさまとニーナいる、ノエル、だいじょうぶ」
側仕えのニーナは四六時中ノエルのそばにいるけれど、セイジェルはせいぜい朝食の席で顔を合わせるだけ。
それでも十分なノエルだが、実は一つ誤算があった。
それはなにかといえば……。
「セイジェルさま」
「おはよう」
今日のお伴であるももちゃんをしっかりと抱いたノエルは、いつものように食事室で顔を合わせたセイジェルと頬に頬を寄せてムニムニと挨拶を交わす。
今日のお伴であるウルリヒとヴィッターが見守る中、相変わらずセイジェルはノエルにされるがまま。
子どものすることだし、機嫌良く過ごしてくれるならそれが一番いいと考えているのだろう。
実際に機嫌良くムニムニを楽しんでいたノエルだったが、背後から聞こえてくる足音に気づきハッとしたように振り返る。
そしてひどく驚いた顔をする。
「……ルクスさま、いる」
「僕がいてなにが悪い」
そう、いつものようにルクスが朝食の席にやってきたのである。
ルクスが貴族であることはノエルも知っている。
だからミラーカやセルジュのように自分の家に帰ったと思った……つまり今朝はいないと思っていたのに当たり前のようにいるから驚いたのである。
だがルクスはノエルが驚く理由はもちろん、なにを言っているのかわからず不機嫌に返す。
それでも声を抑えているのは、ルクスにしては珍しく先日の一件で学習したからだろう。
セイジェルやセルジュになにかするより、ノエルを怖がらせる方がセイジェルの機嫌を損ねることがわかったのである。
だから自分の側仕えを引き連れておとなしく自分の席に着く。
すると今日の朝食はこの三人で全員が揃う。
だがまだノエルが席に着いていないのでセイジェルも祈りの言葉を口にしない。
それどころかノエルに着席を促すことなく、ルクスを見て考え込んでいる様子を観察するように眺めている。
やがてノエルは一つの結論を出したのだが……
「ルクスさまのいえ、ない」
「ある!」
あまりにも突飛なことを言われたルクスは、すぐそばに控えていた側仕えが止めるまもなく声を張り上げる。
どうしてノエルがそんな思考に至ったのか到底理解出来ないし理解するつもりもないが、ルクスの貴族としての矜持が反射的に反応したらしい。
そもそもこの時点でルクスがクラカライン屋敷にいるのは彼の意志ではない。
むしろ不本意である。
その理由も不本意きわまりないものなのに、ノエルに帰る家がないのだろうとまで言われたのである。
これにはルクスの有能な側仕えも、主人が怒るのも止むなしと同情したほどである。
「今日の食事会には父上と母上もいらっしゃるからな。
お帰りの時に僕も一緒に帰る」
ルクスをギリギリまでクラカライン屋敷に留めて写本をさせていたセイジェルだが、さすがにラクロワ卿家の公子を、他家の招待を欠席させてまで留めることは難しい。
明日にはラクロワ卿家の食事会も開かれるはず。
その席に、中央宮にいる長子のエセルスが欠席するのは当然のことだが、次子のルクスまでが欠席すれば親族のあいだでなにを言われるかわからない。
しかもその理由が、領主の不興を買ってクラカライン屋敷で謹慎中などと知られればラクロワ卿夫妻の立場も悪くなる。
さすがにそれはセイジェルも望むところではなく、やむなく収穫祭のあいだだけルクスをラクロワ卿夫妻に返すことにしたのである。
だがここで余計なことを言い出すのがセイジェルの側仕えたち。
ラクロワ卿夫妻がセイジェルの要請に応じ、ルクスが今日までクラカライン屋敷で謹慎することを認めたことや、そのために前もって今日の衣装をクラカライン屋敷に届けてきたことを持ち出したのである。
「暗にラクロワ卿ご夫妻からの、もう帰って来なくていいという意思表示なのでは?」
「それでは姫の仰るとおり、帰る家がないにも等しいですね」
「うるさい、黙れ!」
「しかもいい歳をしてご両親に迎えに来ていただくなんて」
「お一人で帰れないとは、まるで子どものようでございますね」
「だから黙れと言っている!」
ウルリヒと一緒になって、ルクスとそんなやり取りをしながらも澄まし顔のヴィッターが、声を荒らげるルクスに怯えるノエルを抱え上げて椅子にすわらせる。
「食事が終わったら支度をしなさい」
自分の側仕えとルクスのやり取りをよそに、セイジェルは表情を強ばらせたままのノエルに話し掛ける。
「しらないひと、こわい」
「心配ない、ただ食事をするだけだ」
「こわいの、いや」
「客人の中にそなたに会わせたい方たちがいる。
きっとお二人はそなたと会えたことを喜ばれるだろう」
「ノエルとあえる、うれしい」
「とても喜ばれる。
だから是非、エルデリアとマリエラに会ってやって欲しい。
わたしからの頼みだ」
「セイジェルさまのおねがい……」
ノエルに 「断る」 という選択肢はなかった。
きっとセイジェルはノエルが断っても怒らないだろう。
今回は諦めて別の機会を考えるに違いない。
だがノエルには 「断る」 という選択肢はないのである。
「……わかった」
「そうか」
「あ……もも……」
「約束どおり、一体だけならぬいぐるみを持ってきてもかまわない。
席も用意しておこう」
「わかった」
「では温かいうちにいただこう。
日々の糧を恵み給う光と風に感謝を……」
側仕え二人と言い争い続けるルクスを置いて、セイジェルはノエルと先に朝食を始めることにした。
【側仕えヴィッターの呟き】
「ラクロワ公子へ、旦那様からのご伝言でございます。
用が済めば、速やかにクラカライン屋敷にお戻りいただき写本を続けるようにとのことでございます。
もちろん謹慎も続けていただきます。
逃げていただいてもかまいませんが、改めてわたくしどもがお迎えに上がらせていただきますのでお覚悟ください。
その場合罰として写本の回数を増やしたのち、中央宮にいらっしゃる兄君に代わりにやっていただくことになるそうです。
それではお気をつけて行ってらっしゃいまし。
存分にご両親に甘えてこられるとよろしいでしょう」