103 ルクスの転落
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四人の大人はそれぞれ自分の席にすわり全員が揃うのを待つ。
いつもの朝の光景である。
だいたいノエルは一番最後に現われるのだが、この日も一番最後に現われると、なぜか食事室の扉の裏側に張り付いて室内をのぞき見る。
「姫様、どうなさったのですか?
皆様揃ってお待ちですよ。
お席について食事をいただきましょう」
ニーナが声を掛けながら入室を促すのだが、ノエルは両手にしっかりとしろちゃんを抱きしめ、なぜか一歩も動くまいと足を踏ん張っているのである。
強ばらせた表情で扉の陰から食事室を覗きこんでいるのだが、その目が見ているのはもちろんルクスである。
そしてルクスも文句を言いたげにノエルを見返している。
そんな二人の様子に業を煮やしたわけではない。
むしろ状況が悪い方に転がる前に先手を打ったというべきだろう。
セイジェルが口を開く。
「ルクス、そなたは昼食抜きだからな。
朝食を摂りたければおとなしく口を閉じてすわっていろ」
ここがラクロワ卿家の屋敷であれば、ルクスの側仕えたちがコッソリ食事を調達して差し入れてくれるだろう。
なにしろ彼らは主人と違って仕事が出来る。
主人のためならば手を尽くして食事を調達するだろう。
それになんだかんだ言ってラクロワ卿家は末っ子であるルクスに甘い。
厳しいはずの両親や口の悪い兄はもちろん、側仕えを含む使用人たちまで。
だがここはクラカライン屋敷である。
主人に代わって屋敷を取り仕切るマディンの手腕は鉄壁で、パンの一つも見逃すことはない。
だから主人であるセイジェルが 「茶くらい飲ませてやる」 と言えば、本当に茶しか飲ませてもらえず夕食までを過ごすことになる。
そんな状態で朝食まで抜かれるのはさすがに厳しいとルクスも思ったのだろう。
言いたい文句をぐっと堪え、扉の向こう側から覗く怯えたノエルを睨みつけるだけに留めている。
そんなルクスを斜向かいにすわるミラーカが睨みつけているが、ルクスはミラーカを徹底的に無視すると決めているらしい。
食事室に揃った五人の中では一番立場の低いミラーカは、セルジュの婚約者として久々に会うルクスと挨拶を交わしたものの、本来ならばラクロワ卿家の公子と話せる立場ではない。
だから頭のよい彼女は婚約者であるセルジュを通して文句を言ってくるのである。
もちろんミラーカの立場ではそれが正攻法なのだが、ルクスにとっては質が悪いことこの上なし。
さらにはセルジュがセイジェルと手を組んでいるから、これ以上質の悪いことはないだろう。
そんなルクスにとって唯一の味方は二人いる側仕えだがしょせん使用人である。
セイジェルやセルジュはおろか、セイジェルの五人いる側仕えにすら太刀打ち出来ない。
おかげでルクスにとっては不満ばかりの状況だが、ラクロワ卿屋敷に帰ることすら許されないという八方塞がり。
我慢と自制を強要され、ノエルを睨みつけるのが精一杯の八つ当たりなのだろう。
だが八つ当たりされるノエルはたまったものではない。
昨日のこともあり、ルクスが怖くて食事室に入ることも出来ないでいたのだが、ルクスに先手を打って釘を刺したセイジェルが今度はノエルに声を掛ける。
「ノワール、今日はいつものはしなくていいのか?」
今にも泣きそうな顔でルクスに怯えていたノエルは、ハッとすると慌てて駆け出す。
「ずる!
ずる!
ゼイジェルじゃま、じゅる!」
ついには我慢しきれず泣き出したノエルは、転けそうになりながらもセイジェルに駆け寄る。
その様子をセイジェルの側で控えて見ていた今日のお伴の二人は不思議そうに言い合う。
「どうして泣くのですか?」
「ここで泣き出す理由がわからないのですが?」
だが主人であるセイジェルはそれらに答えることはなく、駆け寄るノエルをすわったまま受け入れる。
ここでミラーカが少し苛立ったように口を挟む。
「閣下、こういう時は閣下のほうから姫様を抱きしめに行って差し上げるのでございます」
どうしてすわって待っているのか? ……と、責めるように言われたが、セイジェルはわずかに口元に笑みを浮かべて静かに答える。
「なるほど、覚えておこう」
そう言いながら勢いをつけて突っ込んできたノエルに、いつもより乱暴に顔を引っ張られても、その拍子に頬を引っ掻かれても文句を言わず、やはりいつもより強めに頬に頬を押しつけられてもされるがままにムニムニされるだけ。
さらにはいつもより長めにムニムニされてもノエルのやりたいように任せている。
子どものすることだから叱っても仕方がないと思っているのか。
それともやはりノエルに関心がないだけか。
少なくとも叱る必要はないと思っていることは間違いないだろう。
お気に入りの挨拶が終わっても、グスグスと鼻をすすりながらそばを離れないノエルにゆっくりと話し掛ける。
「ルクスはわたしとセルジュで叱っておいた。
だがあれは頭が悪い。
また悪さをするようなら言いなさい。
改めて叱ろう」
一度言葉を切ったセイジェルは一呼吸ほど置いて 「それと」 と言葉を継ぐ。
「食事のあとで話がある」
「セイジェルさま、おしごと」
鼻をすすりながら返すノエルに、セイジェルは 「大丈夫だ」 と答えて続ける。
「話が終わってから執務に向かう。
まずは温かいうちに食事をいただこう。
自分の席に着きなさい」
ノエルがルクスの隣にすわることを……いや、隣にルクスがすわっていることが嫌なのである。
相変わらずルクスはノエルが自分より上座にいることに不満を持っていたが、そこはセイジェルの知ったことではない。
だがいつまで経ってもノエルが席に着かないことは問題である。
さてどうしたものか?
そんな思案をする主人を見て、またしても企むのが彼の側仕えたちである。
「いいことを思いつきました」
不意にそう言ったアルフォンソは隣に立つウルリヒと耳打ちし合う。
そして見合わせた顔で笑みを浮かべあうと、主人に伺いを立てることなく行動に移す。
なにをするのかと思えばルクスのうしろに控えていた彼の側仕えたちを押しのけてルクスの椅子を引き、ルクスがすわったままの状態で少しばかり椅子を浮かすと、驚いて声を上げるルクスを無視してさらに下座に席を移したのである。
家族だけの食事など日常使いされる食事室のテーブルは、客を招いた時に使われる食堂のテーブルに比べて短い。
それでもノエルが赤の領地にいた頃、同じ五人家族で囲っていたテーブルに比べればずいぶん大きく長い。
先々代領主夫妻の頃と同じ食事室を今も使っているが、七人家族が使っていた頃のテーブルより小さなものに換えられている。
それでも一般家庭で使われているテーブルに比べて大きく長い。
その一番端にルクスの椅子を寄せてノエルと席を離したのである。
「お前たち、なにをする!」
それこそすぐに元の位置に戻せと声を荒らげるルクスだが、二人は 「嫌ですよ」 とか 「どうしてそんなことをしなければならないのです?」 などと平然と言い返す。
そもそもルクスも、本当に戻したければ自分で移動すればいいだけのこと。
ルクスが席を立って移動すれば、彼の側仕えが椅子を運んでくる。
でもそうしないのがルクスである。
これでは安全のためにと、いつも専用の椅子にすわらせてもらっているノエルと変わらないから呆れたもの。
だがそれがルクスなのである。
おそらく椅子から立ち上がることは 「負け」 だとでも思っているのだろう。
そもそもこんな状況に陥れられている時点で負けているようなものなのだが、気づいていないのもルクスなのである。
「あれだけ離れていれば悪さは出来まい」
恐る恐る一部始終を見ていたノエルはまだ不安そうだったが、セイジェルに言われて仕方なさそうに自分の席に向かい掛ける。
だがやっぱり嫌なのか、怖いのか?
セイジェルに向けて抱えていたしろちゃんを突き出す。
そしてねだる。
「しろちゃん、なでて」
昨日、ルクスに頭頂からインクを掛けられて黒く染まってしまったしろちゃんは、ニーナの機転と洗濯室の迅速な仕事で綺麗な純白に戻った。
そのしろちゃんの、角とおぼしき突起のある頭を突き出してくるノエルを見てセイジェルは言う。
「わかった。
撫でたら席に着きなさい」
それでもやっぱりノエルは不満そうな顔をしていたけれど、セイジェルが大きな手でしろちゃんの頭を数回撫でてやると、いつのまにか背後に回り込んでいたアルフォンソが問答無用にノエルを抱え上げる。
「さっさと着席なさいませ。
旦那様はお忙しいのですよ」
まだまだ不満なノエルは 「むー」 と、言葉ではなく音で文句を言っていたけれど聞き入れるアルフォンソではない。
「そういうお約束でございましょう。
旦那様はちゃんとしろを撫でたのですから、姫もおとなしく着席なさいまし」
「しろちゃん」
ノエルが小さな声でアルフォンソの言葉を訂正するのを聞いて、この場にいた、ノエルとルクスを除いた全員がふと思う。
しろちゃんの 「ちゃん」 はいわゆるちゃん付けではなく、そこまでが名前なのかもしれない、と……。
そのしろちゃんを預かったニーナがいつものように隣の椅子にすわらせると、アルフォンソが椅子ごとノエルに近づける。
いっそぬいぐるみの席をノエルとセイジェルのあいだに移せばいいのではないかとアルフォンソとウルリヒは考えた。
確かにそうすればルクスに触られる心配はなくなるだろう。
だがそれはノエルが嫌がったのである。
もちろんルクスのように 「上座」 にこだわったのではない。
ノエルがセイジェルとぬいぐるみのあいだにすわりたがったのである。
「なるほど、ぬいぐるみのとなりも旦那様のとなりも譲りたくないと」
「羨ましいほど贅沢な席でございますね」
折角の提案を無下にされながらも、二人はそんなことを言って笑っていた。
もちろんただ笑って終わらせることはない。
「ですがそうしますと、旦那様は姫にとってぬいぐるみと同格ということになりますね」
そんなことを言ってセイジェルをチラリと見たが、いつものように相手にされなかった。
「日々の糧を恵み給う光と風に感謝を……」
【ラクロワ卿夫人エルデリアの呟き】
「オーヴァン、ルクスがクラカライン屋敷で謹慎とはいったいどういうことです?
収穫祭の食事会は、クラカライン屋敷で支度をしてそのまま参加するから、衣装をあちらに届けるようにと連絡が来ましたわ。
今度はいったいなにをしてセイジェルを怒らせたのですか、あの子は!」