101 ルクスの暴挙
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クラカライン屋敷の朝食の席に、いつも最初に現われるのはいつもセルジュとミラーカである。
居候同然とはいえ決して肩身の狭い思いをしているわけでもないが、従兄弟とはいえ屋敷の主人であるセイジェルに対してセルジュなりに敬意を払っての行動である。
ミラーカがクラカライン屋敷にやってくる前からの習慣だが、ミラーカがクラカライン屋敷にやってきてからもしばらくのあいだはセルジュ一人で一番早く朝食の席に着いていた。
だがそれはミラーカがノエルの世話をしていたからである。
そもそもミラーカはノエルの相手をするためにクラカライン屋敷に呼ばれたのである。
だから今もノエルの世話は続けているが、まだ一人しかいないとはいえ側仕えにノエルの朝の支度を任せられるようになってからは、朝食の席にはセルジュがミラーカの部屋に迎えに行き、二人で一緒に来るようになった。
セイジェルとはあまり仲がいいとはいえないミラーカだが、セルジュとセイジェルはそれなりに仲のいい従兄弟でもあり三人とも大人である。
だからミラーカもセルジュの考えを理解し、彼の婚約者として振る舞いを弁えているのである。
だが女性の支度は時間がかかるもの。
時に衣装の着付けに時間が掛かったり髪が上手くまとまらなかったりして遅くなるが、セルジュもそれは仕方がないと考え特に急かすこともしない。
婚約者として、ミラーカの居室でおとなしく支度が出来るのを待っている。
そしてセイジェルも、時に二人が遅くなることがあっても理由を尋ねることもしない。
それこそマディンに様子を見てくるように言い付けるなんて野暮なこともしない。
ただ静かに全員が揃うのを待っているだけである。
そしてだいたい一番最後にやってくるのはノエルである。
それこそミラーカのように朝から化粧をして衣装を着付けて髪を結って……などといった手間の掛かる支度はない。
しかも目を覚す時間は誰よりも早い。
それでも一番最後に朝食の席に着くのだが、これについてもセイジェルがなにかを言うことはない。
元々セルジュはノエルに関心がないし、屋敷の主人であるセイジェルがなにも言わないのだから言える筋でもないということだろう。
セイジェルもそこまでノエルに関心がないと言ってしまえば身も蓋もないが、世話をする側仕えが未だ一人しかいないというのは後見人であるセイジェルの不手際でもある。
それに一番最後とはいえ遅くなるわけではないので、咎める必要はないということなのだろう。
ルクスがクラカライン屋敷にやってきた翌日も、朝食の席に最初に現われたのはセルジュとミラーカである。
続いてセイジェルが、この日はヴィッターとヘルツェンを連れて朝食の席に現われると、まもなくノエルがニーナと一緒に現われる。
今日のお伴はあおちゃんである。
「セイジェルさま、きょうはあおちゃん」
「そうか」
眼前に突き出された青色のドラゴンが下ろされると、伸びてくるノエルの小さな手に促されるように背を屈めるセイジェル。
そして顔に顔を近づけると、片腕にあおちゃんを抱いたノエルはもう一方の手でセイジェルの顔を捕まえて自分の頬を押し当てむにむにと挨拶をする。
これがノエルの最近のお気に入りである。
当然のように、ノエルに関心のないセルジュがこれを見てもなにか言うことはない。
セイジェルも子どものすることだからと気にならないらしい。
おとなしくやりたいようにやらせておくだけで、ノエルが一日を機嫌良く過ごすのならかまわないとも思っているのだろう。
だがミラーカだけは一人、心穏やかではなかった。
理由は、いつもいつも五人の側仕えたちが余計なことを言うからである。
「姫様、今日は大丈夫でございましたか?」
なにが大丈夫なのかと言えば、もちろんノエルが嫌いな 「じょり」 である。
側仕えとして、毎朝のセイジェルの身支度は彼らが調えている。
つまり剃り残しがあれば彼らの不手際となるわけだが、問い掛けられたノエルが満面の笑みを浮かべて 「だいじょうぶ」 と答えると、いつも勝ち誇ったような笑みをミラーカに向けるのである。
だがこの朝は違った。
ヴィッターやヘルツェンがノエルに問い掛ける前に、食事室にやってきたルクスが邪魔をしたからである。
「なにをしてるんだ、お前はっ?」
昨日と同じくアルフォンソとウルリヒに付き添われてきたのか、あるいはルクスが二人を引き連れてきたのかわからないが、昨日とは違う衣装に着替えたルクスが食事室にやってきたのである。
まだラクロワ卿家から使用人たちが到着しておらず今朝の衣装もセイジェルの借り物で、やはり微妙に合わない肩幅や丈のことなどで二人の側仕えには色々言われたらしい。
だがルクスも、ただうしろで一つに束ねるだけの髪型が気にいらないと言って、何度もやり直しをさせて応酬。
結果として一番最後に食事室に現われることになったのだが、それだって二人の側仕えにせっつかれてのことである。
「旦那様よりあとで席に着かれるなんて」
「図々しいと申しますか、図太いと申しますか」
食事室に着いてからも二人はそんなことを言っていたがルクスは聞く耳を持たず。
目の前にいる従兄弟の奇行に驚きの声をあげたのである。
「気持ち悪いな」
本人たちを前に随分なことまではっきりというルクスだが、セイジェルが取り合うことはない。
もちろんテーブルを挟んで向こう側にすわっているセルジュもだが、その隣にすわっているミラーカだけが落ち着きなく、だが口を挟まず見守っている。
「子どものすることだ」
「そうじゃない!
お前だ、お前!
お前が気持ち悪いんだ!」
「酷い言われようだな」
セイジェルのすぐそばに立つノエルは初めて会うルクスの剣幕に怯え、両腕に抱えたあおちゃんを強く抱きしめる。
ルクスを見る顔も酷く強ばっており、テーブルを挟んで見ているミラーカは落ち着かないが、この場では一番弱い立場である。
頼みのセルジュが静観の構えなのも困ったものである。
さらにはルクスがノエルに目を付けたから気が気ではない。
「なにが酷いだ!
だいたいそれはなんだ、それは」
「もう忘れたのか?
昨夜話したはずだが」
「覚えてる!
だがお前、9歳の子どもだと言っただろう」
「言ったな」
虚勢を張るように終始大声を上げ続けるルクスだが、答えるセイジェルはいつものように淡々と。
しかもルクスには目もくれず、ノエルの様子を観察するように見ている。
「どう見てもそれはもっと小さいだろう。
5つか? いや、4つくらいか?」
「残念。
9歳だ」
「嘘を吐くな!」
「わたしがそなたに嘘を吐く理由は?
これの年齢を偽る理由は?」
それこそそんな理由があるのなら言ってみろと言わんばかりのセイジェルは、ようやくのことでノエルに声を掛ける。
「ノワール、少々うるさいが怖がる必要はない。
それは弱い奴ほどよく吠えるの典型だ」
「おおきなこえ、こわい。
おこられるの、いや」
もちろんそんなことを言われても怖いものは怖い。
ノエルは怯えたままぽそり、ぽそりと呟く。
だがセイジェルは気にすることなく話を続ける。
「そうか。
それが先日話した家庭教師だ。
覚えているか?」
「ノエル、べんきょうする」
怯えていてもセイジェルの話はちゃんと覚えている。
ノエルは表情を強ばらせたまま小さく頷く。
「そなたのために勉強部屋も用意した。
体調に問題がなければ早速今日から習いなさい」
セイジェルの言葉は決して強くなかったけれど、ノエルは拒否出来ないことを知っている。
そんなことをすればこの屋敷を追い出されてしまうかもしれない。
すでに生まれ育った赤の領地には帰れないノエルは、この屋敷を追い出されたら、ふわふわの寝台も暖かな毛布もなくなり、食事も食べられなくなるだろう。
温かい湯にも浸かれなくなるし、着るものもなくなる。
セイジェルともアーガンとも、ミラーカともニーナとも会えなくなる。
だから怖くても拒否することは出来なかった。
怖いと思いながらも小さく頷くノエルを見てセイジェルは続ける。
「ルクス・ラクロワだ。
詳しい紹介はいずれするが、今は名前だけ覚えておけばいい。
あと、これも言ったはずだが、なにかあればわたしに言いなさい。
そなたの代わりにそれを叱ってやろう」
すぐさまルクスが 「歳下の分際で!」 と声を荒らげたが、気配もなくルクスの背後に忍び立ったアルフォンソとウルリヒが、ルクスの耳元に唇を寄せて言い合う。
「どうぞ、ご着席を」
「今後、こちらが公子のお席となります」
「さぁさ、食事が冷めてしまいますよ」
「いい子ですからおすわりなさいまし」
「お、お前たち!」
どちらか一方だけでもルクスが勝てる相手ではないのだが、それを二人がかりで着席を促されては立っていられるはずもなく。
喚き散らしながらも楽しそうな二人組に無理矢理席にすわらせられる。
だが当然おとなしくすわっているはずもないのがルクスである。
「ノワール、そなたも席に着きなさい。
食事にしよう」
そうセイジェルに促されたノエルも、あおちゃんをニーナに預けると、おとなしくヴィッターに抱えられて自分の席にすわる。
その隣でニーナがあおちゃんをすわらせているのを見たルクスが騒ぎ出したのである。
「どうして僕がこいつより下座なんだ!
しかもぬいぐるみまで僕より上座だと!」
椅子から腰を浮かしてぬいぐるみに腕を伸ばそうとするルクスを見てノエルは慌てるが、ルクスの手はぬいぐるみには届かなかった。
アルフォンソとウルリヒに、それぞれ肩を押さえ付けられたからである。
そして二人はまた、ルクスの耳に唇を寄せて言い合う。
「食事が冷めてしまいますよ、公子」
「子どもを相手に、大人げない真似はおよしなさい」
「旦那様を歳下歳下と仰いますけれど」
「どう見ても公子は旦那様より歳上には見えませんけどね」
「うるさい!」
三人のやり取りを静かに見ていたセイジェルは、やがてテーブルの上で両手を組む。
そしていつものように静かに唱える。
「日々の糧を恵み給う光と風に感謝を……」
「だから!
神官の僕がいるのにお前が仕切るな!」
「この屋敷の主人はわたしだ」
二人の従兄弟のあいだで昨夜と同じやり取りが繰り返される。
それを初めて見るノエルはいつもとは違う流れに戸惑うが、視線で助けを求められたニーナも初めてのことである。
食べるように促してもいいものかと戸惑っていると、小さく皿が鳴らされる。
ハッとして顔を上げたニーナは、テーブルを挟んだ向かい側にすわるミラーカが大きく頷くのを見て、一呼吸ほど置いて頷き返す。
そしてノエルの向かいでセルジュが食べ始めるのを見て、少しぎこちなくなりながらもノエルに話し掛ける。
「大丈夫ですわ、姫様もいただきましょう」
「たべられる」
「ええ、温かいうちにいただきましょう」
「わかった、たべる」
ニーナには食べていいと言われたし、テーブルを挟んだ向かいでセルジュも食べ始めた。
それでもやはり気になったノエルがチラリとセイジェルを見ると、綺麗な紫水晶の瞳もノエルを見ていた。
「温かいうちにいただこう」
セイジェルが静かにそう言って食べ始めるのを見て、ようやくノエルも食べ始めることが出来た。
食事のあとは、セイジェルとセルジュはいつものように自分の部屋に引き取り、身支度を調えてそれぞれに公邸へ向かう。
だからこのあとのクラカライン屋敷でのことは知らなかったのだが、執務室に届いたミラーカからの手紙で、セルジュはセイジェルより一足先になにかあったことを知ることに。
そのセルジュからの報せで、セイジェルもいつもより早く屋敷に戻ることになる。
屋敷に戻った二人は、まずは自分の部屋に引き取って着替えを済ませる。
それからセルジュとミラーカが食事前によく使っている談話室に向かうと、先に一人で待っていたミラーカは今にも倒れるのではないかと思うほど顔を真っ赤にしていた。
「ありえませんわ!」
声高に切り出したミラーカの話によると、朝食のあと一度部屋に引き取ったノエルとミラーカ、それにルクスは、改めてセイジェルが用意したというノエルの勉強部屋にそれぞれ集まった。
そこは決して広い部屋ではなかったけれど、こども用の読み書き机と教師役のルクス用の椅子。
それに同席したいというミラーカのための椅子も別に用意されていた。
机には、練習用ということであまり質のよくない紙が用意されていた。
ペンもインクも決して高いものではない。
それらを見てルクスが笑いだしたのである。
「クラカライン屋敷にこんな安物があるとはな。
お前にためにわざわざセイジェルが用意したんだろうよ、こんな安物を。
お前には安物で十分だってことだな。
僕より上座に座っていたくせに」
どうしてもルクスは、ノエルが自分より上に扱われていることが気に入らないらしい。
そのあとも散々ノエルを馬鹿にすると、ラクロワ卿家から荷物が届いたことを報せに来たマディンと一緒に、ノエルを放置して部屋を出て行ってしまったという。
しかもただ出ていっただけでなく、偶然手が当たってしまった風を装ってインク壺を払い、よりによってノエルが連れていたしろちゃんの頭からインクを浴びせたのである。
驚きのあまり、泣くことも話すことも出来ないノエルから無理矢理にしろちゃんを奪い取ったニーナが、あとをミラーカと彼女の側仕えに任せて洗濯室ランドリーに駆け込んだ。
すぐさま事情を話そうとしたが、真っ黒に染まったぬいぐるみを見て洗濯室ランドリーの使用人たちは全てを察したらしい。
そこからの仕事は早かった。
彼女たちは持てる技術を駆使してしろちゃんを純白に戻したのである。
泣くことも話すことも出来なくなったノエルはミラーカが話し掛けても返事すらせず。
仕方なくセイジェルの側仕えに部屋まで運んでもらったが、やはり泣きもしなければ話もしないまま。
本当はまだ濡れていたが、やむなく一度白くなったしろちゃんを見せて安心させることになった。
ミラーカたちの思惑どおり我に返ってくれたけれど、今度は大泣きである。
「しろちゃん、ごめんね、ごめんね」
ノエルが汚したわけではなけれど、ずっとしろちゃんを抱きしめて謝りながら泣き続けたのである。
結局昼食も摂らずに泣き続け、泣き疲れて眠ってしまった。
「ラクロワ卿家の公子に、立場を弁えないことを承知で言わせていただきますけれど、あまりにも酷いではございませんか!
セルジュや閣下と不仲なのは聞き及んでおりますが、姫様には関係のないことでございます!
それなのに……それなのに……」
怒りのあまりついに泣き出してしまうミラーカを、セルジュがその背をさすって宥める。
宥めながら呆れたように呟く。
「あの馬鹿は本当の馬鹿だな」
「まったくだ。
まさかあんな子どもが相手でも変わらぬとは……」
セルジュと同じく、一緒にミラーカの話を聞いていたセイジェルも呆れたように呟く。
そしてミラーカに告げる。
「あれとの約束もある。
早速今夜、あの馬鹿を締めるとしよう」
【ラクロワ卿家公子ルクスの呟き】
「なんだ、このぬいぐるみは。
この目は本物の宝石ではないか?
僕の見間違い……ではない、本物だ。
しかもごくわずかだが魔力を感じる。
まさか魔宝石?
こ……こんな玩具に?
小さな屑石とはいえ……あの馬鹿はなにを考えてるんだっ?!」