99 父の裏切り ーラクロワ卿オーヴァン
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ウィルライト城と白の大神殿は隣接しているとはいえ、どちらも広大な敷地に多くの施設を持つため往来は容易ではない。
もちろん神官たちだけに使用が許された直接行き来の出来る門もあるが、そもそもその門までが遠いのである。
通行出来る時間も限られており不便きわまりないのだが、父ラクロワ卿オーヴァンに呼ばれたルクスが憂鬱だったのは他にも理由があった。
呼ばれた理由に心当たりがあったからである。
白の大神殿に仕える神官たちを束ねる神官長アスウェル卿ノイエに呼ばれ、彼の執務室で宰相を務める父が城で呼んでいると聞いた時にはすぐ思い出せなかったのだが、移動用の馬車まで用意された周到な状況に陥ってようやく思い出したのである。
そして待っていた馬車に押し込まれるように乗り込まされたルクス・ラクロワは、決して広くはない車内で一人、車外に漏れない程度の声で悪態を吐く。
その姿は幼い子どもたちを前に教鞭を執っていた時とはうってかわり、酷く苛立っていた。
「父上の呼び出しだと?
どうしてこんなに急に?
収穫祭にはまだ早いはずだが……まさか……セイジェルの奴が父上にちくったのか?
そういうことか。
あの野郎……領主だかなんだか知らんが、ふざけた真似をしやがって。
だが父上の呼び出しを無視するわけには……くそぉ、セイジェルめ、絶対に許さんぞ」
若き白の領地の領主セイジェル・クラカラインを名前で呼べる者は少ない。
確かにルクスはその数少ない一人だが、立場を笠に着た過分な振る舞いは他の貴族たちの反感を買うもの。
それは時として足下をすくわれ、身を滅ぼす。
セイジェルやその側仕えたちには 「出来損ない」 と呼ばれるルクスだが、その程度のことは理解しているのか、吐いた悪態は轍や蹄の音に上手く隠している。
その馬車は神官たちだけに使用が許された大神殿と城を直接行き来の出来る門を抜け、公邸と呼ばれる開放された建物群の中、父オーヴァンの執務室がある建物の出入り口近くで止まる。
ルクスは馬車を降りた時も、車内で見せていた憎々しげな表情はなりを潜め、子どもたちに見せていたのと同じ柔和な表情を浮かべていた。
「ご苦労様」
オーヴァンが寄越した迎えの馬車は城の物で、当然御者も城で働く者である。
正体を知られていない相手に、ルクスは優しく思慮深い神官を演じて御者台の男にそう声を掛けると、建物の入り口で待っている父の侍従の許に向かう。
「お待ちしておりました、公子。
どうぞ、こちらへ」
声を掛けつつルクスの足を促そうとする侍従だが、足を止めたルクスは侍従の顔を見ていた。
神官であるルクスが父の執務室を訪れることは滅多にないが、ある可能性を考え、用心したのである。
だがその様子に気づいた侍従が 「公子、どうかされましたか?」 と、行きかけた足を止めて振り返る。
「いえ、なんでもありません。
案内をお願いいたします」
ルクスは穏やかに応えながらも、侍従が間違いなく父の執務室に案内しているかを用心しながらあとに続く。
そのため少しばかり落ち着かない様子を見せてしまったが、問題なく何度か訪れたことのある宰相の執務室に案内される。
ルクスが用心したのは、父の執務室がセイジェルの執務室とそう遠くないから。
騙されてセイジェルの執務室に案内されるのではないかと用心していたのだが、本当はこの時の彼が気をつけるべきだったのはもっと別のことだったのである。
「閣下、公子がお着きです」
扉を入ってすぐにあるのは広い控えの間で、執務室にある重要な書類から人目を避けるため、あるいは訪問者の数が多い時などの来客対応に使われることもある部屋でもある。
そしてこの控えの間の隣にオーヴァンの執務室がある。
二つの部屋を隔てる重そうな扉は閉じられており、ルクスを案内してきた侍従はノックをすると少しばかり開き、室内に向かってそう告げる。
いつもなら執務室にいてオーヴァンの仕事を手伝っている補佐官や侍従たちだが、この時はなぜか案内をしてきた侍従以外は全員が控えの間にいたがルクスは気にしなかった。
ルクスと二人きりで話すため、オーヴァンが人払いをしたのだろうくらいにしか思わなかったのである。
「入れ」
室内から聞こえてくるのは、間違いなくルクスの父ラクロワ卿オーヴァンの声である。
侍従は扉を大きく開くと自身は脇に控え、ルクスの足を室内へと促す。
「ありがとう」
ここでも思慮深く優しい神官を演じるルクスは、案内をしてくれた侍従にそう声を掛けてから室内に踏み入る。
領主セイジェル・クラカラインが絶大な信頼を寄せる宰相の執務室にしては少し狭く感じられるが、それはおそらく重厚な書棚が並んでいるためだろう。
入り口を正面に見据える位置に、やはり重厚な執務机が置かれ、その向こう側にすわったオーヴァンの顔を確かめてルクスは挨拶をする。
「お待たせいたしました、父上。
叔父上からお呼びと伺ったのですが……」
「お前に用があるのはわたしではない」
「それはどういう……」
思いもよらない父親の返事に戸惑うルクスだが、その声を遮るように不意に室内のどこかで指が鳴らされる。
その乾いた音にルクスがハッとすると、執務机とルクスのあいだにあった応接用のソファに一人の青年が姿を現わす。
音がする瞬間までそこには誰もいなかったのだが、ずっとそこにいましたと言わんばかりに悠然と足を組んですわる青年の顔を見て、ルクスは反射的に怒声を上げる。
「セイジェル、貴様!」
そう、領主セイジェル・クラカラインがそこにすわっていたのである。
呼ばれて応えるようにゆっくりとルクスを見たセイジェルは、よく響く低い声でゆったりと言葉を返す。
「ルクス、久しぶりだな」
「なにが久しぶりだ、この……」
怒りのあまり言葉が続かないルクスは、その矛先を父親に変えて言葉を継ぐ。
「父上、これはいったいどういうことですかっ?
よりによって息子を騙すなんて!!」
「騙すなんて人聞きの悪いことを言うな」
渋面のオーヴァンに代わってセイジェルが言い返すと、ルクスはすぐさま 「お前は黙ってろ!」 と声を張り上げる。
だが怒鳴られたセイジェルは、怯むどころか悠然と足を組んだまま、ルクスを見る顔にうっすらと笑みすら浮かべている。
「父上、いったいどういうことですかっ?
ご説明を!」
声を張り上げて回答を迫る息子に、オーヴァンは深くゆっくりと息を吐く。
それから少しうんざりした表情で答える。
「……今更説明など必要か?
聞けばそなた、少し前から領主に召喚されていたそうではないか」
「それは……」
義弟に当たるアスウェル卿ノイエより10歳ほど歳上のラクロワ卿オーヴァンは、神官の白を基調としたローブとは違い、黒っぽい略装をしている。
神官のように決まった衣装がないためだが、慣例として城に勤める文官は黒っぽい衣装を着ているのである。
だが略装とはいってもオーヴァンの場合、補佐官や侍従たちに比べれば高価な生地を使った立派な仕立てで一目で高官とわかる。
名門ラクロワ卿家当主としての体面以外に、宰相が宰相らしくしていることで余計なトラブルを避けているのである。
そんな強面顔の父親に追及され、息子のルクスは言い淀む。
つまり彼も自分のやっていることをわかっているのである。
「アスウェル卿にも聞いたが、何度もそなたを呼んで召喚に応じるよう説得したと。
お忙しい神官長に余計な手間を掛けさせおって」
「ですが父上……」
「立場に甘えるのもいい加減にしなさい。
領主に嫌がらせをしていい気になっているつもりか?
そんなことをしてもエセルスが白の領地に戻ってくることはないぞ」
オーヴァンがエセルス・ラクロワの名前を出したとたんルクスの表情が変わる。
「なにを仰っているのですか?
兄上はラクロワ卿家の跡取りではございませんか。
父上の後継者ですよ!
あんな危ない場所にいつまでもいていい御方ではありません。
それこそすぐにでも呼び戻すべきなのにお前が……」
不意に顔を向けたルクスに、忌々しげに 「お前」 と呼ばれたセイジェルは澄ました顔で返す。
「エセルスの帰還はそなたの中央宮赴任が条件だ。
何度も言わせるな」
数時間前、ルクスが子どもたちにしていた四聖女の話。
その四聖女が祈りを捧げる場所が四つの領地の中央にある中央宮である。
ルクスの兄エセルス・ラクロワはその中央宮に、白の宮の宮官長として赴任している。
帰還には領主の許しが必要だが、領主の出す条件は兄の代わりに弟が赴任することである。
「誰がお前のいいなりになぞ……」
「今のそなたでは到底務まるとは思えぬが」
「黙れ、お前に何がわかる!」
牙を剥かんばかりに言い返したルクスは険しい目でオーヴァンを見る。
そして宣言するように言う。
「御用はお済みだと思いますのでこれで失礼いたします!」
言い切ると勢いよく踵を返すが、歩き出そうとした上体が不自然に後ろに反る。
だが倒れなかったのは両脇を二人の青年が抱えていたからである。
正確にはこの二人のせいでルクスの上体は不自然に反り、足を止めざるを得なかったのである。
「う……」
すぐにはなにが起こったのかわからなかったルクスは、喉が詰まったような音を喉から漏らす。
直後、両脇を抱える二人の青年を横目に見て自分の身に起こったことを悟ると、顔色が変わる。
「お、お前ら……」
「お久しぶりでございます、ラクロワ公子」
「領主様の御前でございます。
お許しなく退室することはできません」
セイジェルに仕える五人の側仕え。
その筆頭を務めるアルフォンソと、今日の相棒として選ばれたウルリヒの二人である。
外出用のマントを羽織った二人だがいつものようにフードで顔を隠すことはせず、ルクスの左右から顔に顔を近づけ、その耳元で囁くように話し掛ける。
なぜ彼らがいることにルクスは気づかなかったのか?
そう、気づいていなかった……いや、正確にはルクスだけが知らなかっただけで、彼らの主人であるセイジェルはもちろんのことだが、この部屋の主であるオーヴァンも彼らが 【隠形うの魔術】 を使って身を隠しながら部屋にいることを知っていたのである。
隠密行動に使われることの多い 【隠形の魔術】 だが、諜報活動などに使われる場合は調査対象に気づかれると術者は死に直結する。
だが今回の場合、ルクスの身柄確保が目的である。
オーヴァンの執務室に入った時、ルクスがセイジェルに気づかなかったのももちろん 【隠形の魔術】 を使っていたからで、彼が指を鳴らすことで術が解けてその姿が現われた。
そしてルクスに接触することで二人の側仕えの術が解けたわけだが、最初からセイジェルがいることがわかればルクスは部屋に入ってこない。
おそらく入り口で踵を返していただろう。
これは二人の側仕えにも言えることで、【隠形の魔術】 の使用は、確実にルクスの身柄を確保するためのセイジェルの戦略である。
もちろんオーヴァンはこれを知っていたはずである。
そもそも 【隠形の魔術】 をこういった使い方をする場合、関係者にはあらかじめ明かしておくのがマナーである。
だからセイジェルも、自分の片腕であり叔父でもあるオーヴァンにはあらかじめ明かしていたはず。
そう考えれば、オーヴァンの補佐官や侍従が部屋を出ていたのもただの人払いではなかったとわかる。
普通に考えればわかることだが、わからないのがルクスであり、だから 「落ちこぼれ」 などと呼ばれるのである。
「ど、どどどどどしてき貴様らがここここに」
「相変わらず小心でいらっしゃる」
「スペアとはいえラクロワ卿家の公子。
もっとどっしりと構えていただきたいものです」
「本当に、嬲り甲斐のない」
「お前たち」
うっかりいつもの調子で口を滑らせてしまうウルリヒを、セイジェルが低く窘める。
「これはいけない。
ついうっかり口が滑ってしまいました」
主人に言い訳をしたウルリヒは、オーヴァンに向かって恭しく頭を下げる。
「大変申し訳ございません、ラクロワ卿」
「謝るべき相手は僕だろう!
どうして父上に謝るんだ、お前たちは!」
「おや?
そうでございましたか?」
激しく抗議するルクスだが、ウルリヒはアルフォンソとともにすっとぼけてみせるだけ。
彼らがわざとやっていることをわかっているセイジェルはなにも言わず、オーヴァンは息子の愚鈍さに呆れるばかり。
「お前という奴は……。
魔術師殿も、あまり愚息をからかわないでいただきたい」
オーヴァン自身も名門貴族に相応しい強大な魔力を持つ白の魔術師である。
だが敬意を表して、使用人である彼らを 「魔術師殿」 と呼ぶ。
「ご不快にさせてしまい、申し訳ございません」
「だからお前が謝る相手は僕だ!」
「そんな大きな声を出さなくても聞こえております」
聞こえてはいるがわざと謝らないのである。
そんなウルリヒにルクスはまだまだ文句を言いたかったが、腰を上げるセイジェルに気がついたオーヴァンに阻まれる。
「領主、お戻りになられますか?」
「目的は達したのでお暇いたします、叔父上。
しばらくルクスをお借りしますこと、叔母上にもよろしくお伝えください」
「愚息でお役に立てることがございましたらよろしいのですが」
「そこはご心配なく。
では」
颯爽と歩き出す主人を見て、二人の側仕えもウキウキした様子でルクスの足を促す。
「さぁ公子、参りましょうか」
「もちろん抵抗なさってもかまいませんよ」
「そのほうがわたくしたちも楽しめますから」
「是非わたくしたちを楽しませてくださいませ」
【ラクロワ卿夫人エルデリアの呟き】
「まぁ、それでルクスをセイジェルに引き渡しましたの?
ルクスの自業自得とはいえ、あなたも随分なことをなさいますのね。
それにしてもセイジェルは何を考えているのかしら?
あの者たちまで引き連れてきたなんて。
そこまでしてルクスになにをやらせるつもりなのか。
いずれにしても、あの子が役に立つなんて思えないのですけれど……」