98 神官長の呼び出し
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弧を描くように並べられた机に、年齢十歳前後の子どもたちが静かにすわっていた。
人数は十から十五人ほどで、明るい髪色をした男女の子どもたちが灰色を基調としたお揃いのローブを着ている。
そこにただ一人の大人である青年は、開いた書物を片手に子どもたちに話す。
とても落ち着いた声でゆっくりと、一人一人に語りかけるように。
「かつて、このマルクト国は四つの領地で争っていました。
【四聖の和合】 が結ばれて戦争が終わると、誓約によって四つの領地が接する中央に大きな宮殿が建てられることになりました。
これが中央宮です。
この中央宮には四つの領地それぞれの宮があり、四人の聖女が 【四聖の和合】 の永劫と国の平穏を願い、日々祈りを捧げています。
通称円環の四聖女と呼ばれる四人の聖女にはそれぞれ称号があるのですが、その称号を……フラン」
青年から見て前列一番右の席にすわっている少年が、元気よく 「はい」 と答える。
彼がフランなのだろう。
だがすわったままの少年は、返事をした時の元気さはすぐになりを潜める。
「えっと……」
「四人全員は難しいかもしれませんね」
灰色を基調とした子どもたちのローブとは違い、白を基調としたローブを着た青年はフランの戸惑った様子を見ると、柔らかなほほえみを浮かべながら穏やかな声で助け船を出す。
「それでは、白はわかりますか?」
「白の聖女様はクアルソです!」
「そうです。
では緑はわかりますか?」
「緑は……」
「わからなければわからないと言ってもいいのですよ」
一度は元気を取り戻したフランだったが、再び元気さがなりを潜める。
すると青年は麗しい笑みを浮かべながら助け船を出す。
しばらく黙ったままうつむいていたフランは、上目遣いに青年を見るて気まずそうに答える。
「……わかりません」
「では、わかる人はいますか?」
神殿に所属する神官たちが着る白を基調としたローブを着ているから、この青年も神官なのだろう。
決してフランを叱ることなく、ただ穏やかに他の子どもたちに問い掛ける。
するとフランとは反対側の端にすわる少女が 「はい!」 と、元気よく声と手を上げる。
「ではラビィ」
「エスメラルダです!」
「そうです。
よくわかりましたね」
ラビィと呼ばれた少女はフランよりも元気に答えると、チラリとフランを見て得意気な表情を浮かべ、さらに言う。
「先生、わたし、赤と青もわかります!」
「それは凄いですね。
では答えてもらいましょう」
「赤はルビ、青はサフィーロです!」
「よく出来ました」
青年に褒められたラビィは、今度はフランだけでなく、机を並べて一緒に学ぶ他の子どもたちにも得意気な表情を浮かべてみせる。
すると白の聖女の称号しかわからなかったフランが口を尖らせて呟く。
「俺たち白の神官になるんだから、別に他の聖女なんて覚えなくたっていいじゃん。
意味ないし……」
おそらくフランはラビィに文句をつけたかったわけではないのだろう。
答えられなかったことが恥ずかしかった。
あるいはラビィがちゃんと答えられたので悔しかったのかもしれない。
決して大きな声で喚いたりしたわけではないけれど、室内が静かだったため、そのぼやきはみんなに聞かれてしまい、次の瞬間には友人たちの非難の視線に晒されることになってしまう。
だが誰かがなにかを言う前に青年が口を開く。
「フラン、それは違いますよ。
【四聖の和合】 はもちろん、聖女たちの祈りには加護の安定を保つ目的もあります。
ですからわたしたち神官は、色にかかわらず四聖女の称号を正しく覚え敬意を払わなければなりません。
将来神官となってこの白の領地を支えるあなたたちも。
わかりましたか?」
静かにフランの前に立った青年がそう言うと、フランはばつが悪そうに 「はい」 と答える。
その素直さをこれ以上責めたくなかったのか、青年はすぐに元に位置に戻ると 「では」 と話を改めようとする。
だが直後、片側だけ開け放たれたままの扉がノックされる。
青年だけでなく子どもたちまでが視線を向けると、白を基調としたローブを着た初老くらいの男が立っていた。
青年が着ているものとは少し色やデザインが違うローブである。
「どうかなさいましたか?」
青年が穏やかに声を掛けると、男は組んだ両腕に顔を埋めるように頭を下げる。
「講義中に申し訳ございません。
神官長がお召しでございます」
「わかりました、すぐに伺います」
青年が答えると男は顔を上げて 「では失礼いたします」 と言って行ってしまい、子どもたちは視線を青年に向ける。
青年もまた、視線を子どもたちに戻す。
「丁度時間も頃合いです。
今日の講義はここまでとします」
そう言って手に持っていた書物を閉じた青年は、ふと思い立ったように付け足す。
「せっかくですので一つ、宿題を出しましょう。
白の聖女、緑の聖女、赤の聖女、青の聖女、それぞれ綴りを調べて書き取りをしてくるように。
それではわたしはこれで」
「ありがとうございました!」
子どもたちの挨拶を聞いて部屋を出た青年は、閉じた厚い書物を小脇に抱えたまま、広い大神殿の廊下を進む。
もちろん向かうのは神官長の部屋である。
白の大神殿は本殿の他に神官たちの宿泊施設や全寮制の学校、養護院など併設する施設を含めた建物群は隣接するウィルライト城の次に多く、その敷地も広大である。
その建物群の中、長い廊下を、どこまでも続く回廊を、子どもから大人まですれ違う様々な人と穏やかに挨拶を交わしながら青年は進んでいく。
だが中には何人か、挨拶はおろか一瞥もくれずまるでいないもののようにやり過ごした相手もいたが、やがて本殿近くにある建物に辿り着く。
そして一室の扉をノックする。
ほどなく内側から扉が開かれ招き入れられると、促されまま部屋を奥へと進む。
普通の部屋より狭い控えの間の奥、扉で隔てられることなく続くのは広い部屋で、室内は大きな窓から入る日差しで明るい。
部屋のあちらこちらに置かれた書棚に重厚な本が並ぶ中ほどに執務机があり、そこには青年よりずっと歳上の男がペンを手に書き物をしていたが、お付きの神官の声で顔を上げる。
「神官長、ラクロワ卿家の公子がみえました」
「ああ」
年齢は四十から五十くらい。
青年よりさらに立派なローブを纏い、柔らかそうな明るい色の髪をうしろで一つに束ねている。
柔和な表情を浮かべた顔を上げると、入り口から真っ直ぐに進んでくる青年を見る。
「ルクス・ラクロワ、お呼びと伺い参上いたしました」
組んだ両腕に顔を隠すように頭を下げるルクス・ラクロワに、神官長を務めるアスウェル卿ノイエはゆっくりと話し掛ける。
「忙しいところを呼び立てて申し訳なかったな」
「丁度講義が終わったところでしたので、どうぞお気遣いなく」
ノイエに負けないくらい柔和な笑みを浮かべて返すルクスは、二十歳を少し過ぎたくらい。
白の領地の成人男性の平均身長より少し高いくらいだが、取り立てて痩せてもいないが太ってもおらず、少しくすんだ薄い色の髪をうしろで一つに束ねている。
「それならばよいが……」
ルクスの返事にそう相槌を打ったノイエは、少しばかり口調を改めて続ける。
「子どもたちとは上手くやれているか?」
「ご心配には及びません。
皆、とても可愛らしいですよ」
「それならばよいが」
同じ言葉を繰り返したノイエは、やはりまた、少しばかり口調を改めて続ける。
「だが、いつまでも領主の召喚から逃げ回るのはいただけない」
「そちらもご心配には及びません。
何度も申し上げておりますが、伺わないとは申しておりません。
ただわたくしにも都合というものがございまして」
「そう言ってもう何日経った?
いつまで領主の寛大さに甘えるつもりだ」
「お言葉ですが、あれは少しも寛大ではございません」
領主を 「あれ」 呼ばわりするのはさすがに見逃せないと思ったのか、ノイエは小さく息を吐く。
「ルクス、いい加減にしなさい。
従兄弟という立場をいいことに、領主を侮るような発言は慎みなさい」
「それは今更というものではございませんか、叔父上」
白の領地の名門貴族、アスウェル卿家とラクロワ卿家。
そのアスウェル卿家の現当主のノイエを叔父と呼ぶラクロワ卿家の第二公子ルクスだが、二人のあいだに直接の血のつながりはない。
だがノイエの妻マリエラがルクスの母ラクロワ卿夫人エルデリアの妹に当たる。
つまり二人は、血のつながりはないが叔父と甥の関係に当たるのである。
ルクスが従兄弟である領主を、ノイエの前で 「あれ」 呼ばわりしたのもその親しさがあってのことだろう。
しかもこの場にはノイエの側近しかいないということもあったに違いない。
ルクスがクラカライン四兄弟に数えられることももちろんである。
だが看過出来ない発言である。
「何度も申し上げますが、わたしは行かぬとは一度も言っておりませぬ。
ただあの顔を見る気分ではないというか、なんと言いますか、その……」
「そなたが領主と仲違いしているのは知っているが、ラクロワ卿のお立場も考えなさい」
ルクスは領主とだけでなくノイエの息子セルジュとも不仲なのだが、話がややこしくなるとわかっているから、二人ともあえてセルジュには触れず話を続ける。
「もちろんわかっております。
ですがセイジェルがせっかちなのです。
何度も申し上げておりますが、わたしは行かぬとは申しておりません。
気が向けば行くと言っているのに、こう何度も何度も……」
「いい加減にしなさい、ルクス。
気が向けばなんてそんな我が儘……」
「御用がそれだけでしたら下がってもよろしいでしょうか?」
何度も同じ説教をされていい加減うんざりしているルクスは、早々に退散しようとしてやや早口になるが、ノイエは柔和な表情を崩して呆れたように返す。
「なにを言っている?
まだ本題はなにも話していないが?」
「ですから城にはそのうちに行きます」
さらに早口に、かつぞんざいに返すルクスだが、ノイエは少しだけ語気を強めて言う。
「そうではない。
本題は別にある、そう言ったはずだが?」
ようやくノイエがなにを言っているのか理解出来たのか、ルクスは整った顔立ちに間の抜けた表情を浮かべる。
だがその表情が戻るのを待たずにノイエは 「本題」 を切り出す。
「ラクロワ卿がお呼びだ。
すぐ城の執務室に来て欲しいそうだ」
「……父上?
なぜ父上が?」
「父親が息子に用があってなにがおかしい?」
「あ、いえ、それはその、そうですが……」
至極普通のことだと言い返されたルクスは平静を取り戻せず口ごもる。
「でも、いつもは直接わたしのところに遣いがくるので……」
「つまりそういうことなのだろう」
「そういうこと?」
やはりノイエの言わんとすることが理解出来ないルクスだが 「さっさと行かぬか、ラクロワ卿がお待ちだぞ」 と急かされノイエの執務室を追い出された。
【側仕えアルフォンソの呟き】
「旦那様のお召しでございますか。
わたしたちを公邸に呼ばれるとはいったい…………おやおや、また面白いことを企まれる。
これは疾く参らねばなりますまい。
その前に、此度の相棒を決めねばなりますまい。
筆頭の特権とはいえ、一人しか選べぬとは実に悩ましい」