路地裏の決闘2
――いいか、マークス。武芸者が武技を授けるということは……
いつでもその言葉は鮮やかに想い起こすことが出来る。まだ幼かった自分の頭にゴツゴツとした手を置き、いつもよりかは穏やかな表情でそう語りかけた師の言葉を。あの時はただ無性に照れ臭く感じたが、振り返るとそれまで何もなかったマークスの人生の中でかつてない感動と感激を覚えていたのだと今でははっきりわかる。あれが自分の人生における立脚点であり、自身がつよく武芸者たらんとしたきっかけなのだ。
マークスはクリスに戦い方を教えていくうちに、自分もこの少年にとって、かつての自分の師と似たような存在になるのではと頭の片隅でうっすらと考えていた。成長し、一角の漢として再会する夢想をしたこともある。クリスにはそれを為せるだけの心意気と根性があった。その未来は目の前の男にあっさりと摘み取られてしまったが。
「貴様は何故こんなことをする」
マークスも逆に問う。かつて会った時見る限り、目の前の男は身なりもよく良い家柄に育っているのがわかった。本気で自分と戦い、打ち合えるだけの才能もある。真っ当に生きていける条件を兼ね備えているにも関わらず、何故幼い子どもたちを意味なく襲い殺すような真似をするのか。
しかし、相手は答えない。剣を構えたまま、腰を落としこちらの出方を窺っている。マークスには相手の意図がはっきりと読み取れた。先程よりも狭い路地裏で、自分の槍の軌道を封じ込め地の利を得たつもりでいるのだろう。夜の闇の中、相手の顔こそ見えぬがマークスにはあの男が軽薄な顔に薄ら笑いを浮かべている様がありありとわかった。
「ふん。行くぞ」
相手から攻める意思がないとわかると、マークスは普通に歩きだすかのような気安さで前へと歩を進める。その瞬間、ユリアンの構えた剣先が揺らいた。同時に剣の先より炎が渦巻き、マークスへ目掛け真っ直ぐに放たれる。
小細工を。そう思いながら、マークスは抉り込むかのように火球に刺突を放つ。回転を加えた一撃は空中で火球を一瞬にして霧散ささる。火の粉に照らされた裏路地の中、ユリアンが先ほど同様に身を低くしながら距離を詰めようとしてくるのが見えた。だが、先程とは違い、今の一撃はあくまで火球を払うための軽い刺突。ユリアンが懐に入る前に引き戻し、近距離より一撃を加えられる見立ての下、マークスは腕に力を込める。
「マークス……」
再び、自分を呼ぶ声が聞こえた。マークスはそれが相手の魔法であることがわかった。二度目はないと肝にも銘じていた。だが、聞こえたのは、クリスやセティの声ではなかった。それは自分の人生において唯一無二の……
「いいか、マークス。武芸者が……」
ギリッ、と歯ぎしりが聞こえた。それは自分のものだ。敵を捕らえた視線のその背後に、懐かしい姿を認めてのものだった。中背中肉の痩身の老人が、自分と全く同じ槍を背中に背負いこちらをジッと見ている。暗闇の中で何故かその姿はとても鮮明に映り、発している言葉も明瞭に耳朶を打つ。
「ハアッ‼」
裂帛の気合と共にユリアンが加速しながら急速に迫り、体をぶつけるようにして斬りかかる。
「チィ⁉」
柄で受けながら、マークスは無造作に相手に接近を許してしまった自分の迂闊さに舌打ちする。何があっても動じぬつもりであったが、かつての師の言葉を想い出した直後のためか、自然と懐かしさから体の動きが止まってしまった。
「まだだっ‼」
刃を滑らせ、ユリアンは柄を握るマークスの手を削ごうとする。それを弾きながら、マークスは相手を払いのけ、咄嗟に距離を取ろうとする。遠心力を伴い、槍を払おうとしたその最中、その一撃は穂先にかかった抵抗により失速してしまう。狭い路地裏の壁に通常よりも遥かに長い槍のその先が引っ掛かったのだ。
壁を切り裂きながら敵へと迫る一撃は、しかしあっさりとユリアンに躱されてしまう。半身にするだけで悠々とそれを躱したユリアンは、踊るようにステップを踏みがら空きになったマークスの胴に側面から迫る。
「くっ」
慌てて槍を引き戻し、ユリアンの斬撃をかろうじて防ぎきる。しかし、完全には威力を抑えきれずマークスはたまらず一歩後ずさりをしてしまった。眼前には自身の優位に笑みを浮かべたユリアンの顔。だが、それを不快に思うより先にマークスの視線は、先ほど師がいた場所へと素早く向けられる。だが、そこには既にその姿はなかった。
「誰か大切な人でもいたのかい?」
嘲るようなユリアンの声。だが、今度はマークスが答えなかった。自分の中にある様々な感情に向かいあうのに必死だったからだ。
先程見せた失態による不甲斐なさへの悔い、師の姿を利用された憤り、勝っていると思った敵に優位を許した動揺――
再び無言のまま、マークスとユリアンは数合撃ち合う。鈍くなったマークスの槍に、鋭さを増したユリアンの剣は容赦なく迫る。時折、混ぜ込む小さな幻影を含むフェイントに、マークスは防戦一方へと追い込まれた。その腕や顔には、小さな傷がいくつか刻まれる。先ほどまでの威圧感がすっかり消えてしまったマークスを追い込むように、ユリアンは再び口撃を放つ。
「君達棄民に素晴らしい未来なんてないよ。過去なんて惨たらしいもんだろ。でも、細やかな幸せがあったって言うなら、僕が一緒にあの世に送ってあげるよ。アストリアの王国民は優しいんだ」
止めとばかりにユリアンは、マークスが受け止めた槍の柄に刃を強く押し込む。一度は沈み込み押し込めるかに見えたが、それはピタリと止まり、微動だにしなくなる。
「なっ⁉」
不安定な姿勢のまま悠然とユリアンの力を受け止める膂力。そして同時に眼前で、自分を真っ直ぐに見据えるマークスの表情にユリアンは驚いた。そこには気圧される様子など微塵もない。そればかりか、まるで遊びを楽しむ少年のように笑っていた。
「お前は油断しいだな。まあ、人のことは言えないが」
談笑するかのようにそう言い放つと、マークスは両の手で槍の柄をぐいと押し上げる。抵抗する間もなくあっと言う間にユリアンは押しのけられ、ふらふらとたたらを踏む様に数歩あっという間に後退してしまった。
「なッ⁉」
ただゆっくりと押し上げられただけに感じたが、体が自然と動かされてしまった。相手は油断といったが、今の攻防に不思議な力の流れをユリアンは感じた。自身では及ばぬ技量の高みに、ユリアンは純粋な戦士として自分が劣っているのではないかという疑心を覚える。
「体の使い方がまだまだ甘いな。俺とお前では武芸者としての練度が違う。それは互いの差というより師の差だろう。お前の戯言のお陰で身に染みてわかった。いいか、人には戻らぬ過去もまだ来ない未来もないに等しい。ただ現在が、今だけがある。生と死に臨む武芸者なら猶更な。……これは師の受け売りだが」
ゆったりと槍を構えると、いつもの呼吸法にて息と心を整える。これも師より授かった技法の一つだ。今のマークスを構成する全てにおいて師の関わっていないものなど存在し得ない。故に先ほど師の姿に動揺してしまったのも仕方のないことであった。まだ自分は未熟で弱い。それも糧にして、これからも己を鍛えていけばいい。
「最早お前の動機などどうでもいい。だが、今この場所で……。受けてもらうぞ、報いを」
かつて武技を授けた大切な存在となっていた少年とその妹の仇討。今、マークスが為すべきことはただそれだけだった。




