第2部15話 恋愛ポンコツに婚姻問題が持ち込まれる
「良いかよく聞け、荒川」
そう言って、アリスはどこか誇らしげに、得意げに語りだした。腕を組み、胸を張るその姿からは、主への溢れんばかりの忠誠心と親愛が透けて見える。
(なんか、エレン姫の行動を自分事のように嬉しそうに話すな…こいつ…)
俺はそのアリスの様子に少々げんなりしながら、カウンターの中で手を動かしつつ話を聞いていた。最初は適当に相槌を打って聞き流すつもりだったのだが、アリスの熱弁は一向に衰える気配がない。
…
……
………
(長い…どれだけ延々と話すんだ…)
熱を帯びたアリスの語りは止まることを知らず、気づけばもう店の昼休憩の貴重な時間も終わりを告げようとしていた。こいつの話のせいで、楽しみにしていた自分の昼めしすら完全に食いそびれた。胃が微かに軽い悲鳴を上げている。しかも、だいたいの話は姫の称賛に終始しており、主観が混じりすぎていて何が言いたいのか今ひとつ要領を得ない。
ただ、そんな要領を得ない長い話の中でも、姫が俺に対して嫌悪感を持っていないということだけは、嫌というほどはっきりと分かる。
時計の針を気にしながら、そろそろ、終わりにならないか…と思って俺が言葉を挟み、話を中断させようとしたその時だった。アリスが一段と声を張り上げてカウンターを軽く叩いた。
「だからな!荒川!」
「はいはい…」
生返事でいなそうとする俺を真っ直ぐに見据え、アリスは姫の言葉をそのままなぞるように厳かに告げた。
「姫は言っておられたのだ。『先生の視野は才能じゃない。きっとたくさんの努力の果て身に着けたものに違いないの!だから私は今は先生の背中を追いかけているだけだけど、いつかその背中を乗り越えて、先生より遠くを見られるようになりたい。だから、今回の件だって『そういう話の仕方・その確認が必要』っていう勉強になって、知らないことを知れる感動の方が大きいの!』とな」
「…………」
俺は……アリスから伝えられたエレン姫の言葉に、一瞬、言葉を失うほど純粋な戸惑いを覚えた。
元の世界では、誰もかれもが『荒川さんだからできる』と一言で片付け、その裏にある準備や泥臭い過程を見ようともしなかった。だからこそ周囲の同僚や部下とのかかわりすら億劫でしかなくなっていたのだ。だが、出会って間もないあの異世界の姫が、そんな風に俺の積み重ねてきた「努力」の跡に気づいて、正当に評価してくれていたことに、驚きを禁じ得なかったのだ。胸の奥が、僅かにシンと静まり返る。
「どうだ!荒川。姫は素晴らしいだろ!」
俺の沈黙をどう受け取ったのか、アリスはこれでもかと嬉しそうに、得意げに胸を張る。
その真っ直ぐな視線から逃れるように、俺はわざとらしく息を吐き出した。
「まぁ、確かにすごいと思うぞ、だが、それをお前が自分事のように自慢しても意味ないだろ…」
俺はそう、ぶっきらぼうに答えて、視線を完全に横へと向けた。
姫の言葉が事実なら、それはそれで確かに、不意を突かれるほど嬉しいものだ。だが、その素直な表情をこの目の前の女剣士に一瞬でも悟られると、後々からかわれたりして面倒なことになりそうだと思った。
「な…貴様というやつは…」
アリスは俺の冷めた態度に憤慨してそう言って反論しようとしたが、俺が頑なに横を向いて顔を合わせようとしないのに気づいて、ハッと表情を変えた。その唇が意地悪くニヤリと吊り上がる。
「なんだ、荒川照れているのか?意外なところがあるんだな」
完全にこちらの内心を見透かしたアリスは、さっきまでの硬さを無くし、からかうようにニヤニヤと楽しそうに笑っている。
観念した俺は、小さく頭を振って正面を向き直した。
「うるさい…それに、姫がそう言って俺を高く評価してくれるのはうれしいが、今の姫は『新卒の頃の俺よりずっと誰かのためにまっすぐ』だ。そう言った面でいえば姫は俺を既に超えているよ」
事実、俺は取り繕うことなく、心からそう言った。ビジネスとしての立ち回りには、今はまだ積み上げてきた「経験の差」というのが大きく影響する。だが、損得抜きで誰かのために動こうとする姫のあのまっすぐな想いは、間違いなく本物だと思っている。だから、あのひたむきさがあれば、割と早い段階で今の俺よりもずっと良い異種族関係を結んで、本当にこの交差界の在り方を変えてしまうかもしれない……本気でそう思っているのだ。
俺の言葉のトーンに本気度を感じ取ったのか、アリスはニヤニヤとした笑みを収め、満足そうに一つ頷いた。
「ふん、まあいい。だがな、荒川。覚えておけ。姫はきっと交差界を変えていく方になる」
「そうだな、そのポテンシャルがあるとは俺も思う」
互いに小さく頷き合い、店内に少しだけしみじみとした静かな空気が流れた。
気づけば1時間以上経っていた
…姫のやつ遅いな…そんなことを思い始めた…ちょうどそのタイミングだった。
「ただいまー!アポじゃなくてお話しできたから遅くなっちやった!」
バタン、と勢いよく、お世辞にも上品とは言えない音が店内に響き渡る。
見れば、小さなパンを不作法に口にくわえ、何やら多種多様な本や分厚い資料を両手に溢れんばかりに抱えた姫が、器用に足でドアを蹴り開けて店に帰ってきたところだった。
(…やっぱりただのじゃじゃ馬なのかもしれん…)
(…姫。自らあれほどの資料をお持ちながら足でドアを開ける器用さ…なんと尊い)
俺が内心でそのガサツさに頭を抱える一方で、アリスの目は感動に潤んでおり、心の中のツッコミは見事なまでに対照的のようで、俺は小さく首を振る。
「…?二人ともどうしたの?」
両手を塞がれたまま、口のパンをモグモグと動かしながら、エレン姫はきょとんとした顔でこちらを尋ねてくる。
俺は盛大なため息を一つ深く突きながら、カウンターから出てその資料を半分受け取ってやった。
「年頃の女の子が足でドアを開けるな…それで、何かいい営業先は見つかったのか?」
「もちろん!一つ紹介してもらったわ!」
資料を机にドサリと置き、口のパンを飲み込んだ姫が誇らしげに胸を張る。
「ハリードが言うにはエルフに関わるお話なの!だからみんなで相談できるよう、エルフにかかわる資料も図書館で借りてきたわ!」
「エルフか…」
その響きに、俺は少し遠い目をする。竜人にドワーフ、そして今度はエルフ。
「そのうち、魚人や獅子頭の獣人、魔族なんてのもこの交差界で出会えそうな気がしてきた…」
俺はそんな現実逃避混じりの呟きを一つ漏らしたのだが、
「「どの種族もいるよ?」」
目の前の二人が、声を揃えて全く同じ、当たり前だと言わんばかりの反応を返してきた。
俺は思わず店の手狭な天井を見上げ、天を仰いだ……マジか……。どこまで多様性に満ち溢れているんだこの街は。とはいえ、今は頭を抱えている場合ではない。姫が必死に抱えて持ってきた、このエルフの資料の山が先だ。
俺は意識を切り替え、真面目な顔で尋ねた。
「ところで姫、エルフが抱える問題とは?」
姫はキリッと表情を引き締め、今回の最重要案件を告げた。
「それはずばり!婚姻問題よ!」
「…………」
……終わった……。
脳裏が真っ白に染まる。
婚姻関係……すなわち、男女の生々しい恋愛事情、および感情の縺れ。
生徒の学力管理や保護者対応はプロとしての自覚を持って取り組んできたが、色恋沙汰の相談などまともに乗ったことすらない。
…というか、生徒もアルバイトも保護者も…俺がそういったことに縁がある人間だとは思っていない‥だから、誰からも相談されたことがない…
―絶対俺は力になれない……。
俺はこれまでにない強烈な胃の痛みを予感していた。




