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終電は異世界への片道切符①

教育業界の末端で、数字と理想の板挟みになっている男の話です。

「子供のため」という甘い言葉が、どれだけ現場を蝕むカーテンになっているか。

荒川という男の愚痴を聞いてやってください。

……まあ、彼がこれから経験することに比べれば、今の職場の悩みなんて可愛いものかもしれませんが。

企業は利益が大事だ。理念なんてものは、利益追求の姿勢を隠すためのカーテンに過ぎない。俺は本気でそう思っている。


その証拠が、今度の講習会だ。

 生徒に本当に必要な授業回数で提案したところ、予算達成が厳しいという数字が出た。だからそのまま報告した。事実を伝えただけだ。


それなのに、返ってきた言葉はこれだ。

「そこを何とかするのが、荒川君の手腕だろう?」


便利な言葉だ、“手腕”。

 責任を丸ごと投げ飛ばすときに、ちょうどいいサイズの単語だ。


なにが子供の成長のためだ。成績向上にコミットしろだ。

 最後に言うのはいつだって「利益」「達成」「未達成教室のフォロー」。

 全部まとめて現場に丸投げだ。


マネージャーという人種になると、会社の犬になるらしい。だから俺は、絶対にマネージャーにはならない。

 その代わり、年収は増えない。周りからは扱いにくい人間として扱われる。


「荒川さんだからできる」


そう言うなら、同じだけ働いてから言え。

 ――最近の若い奴は。

 口に出しかけて、やめた。夜の駅で独り言は危ない。


今日も終電だ。

 いや、終電「のはず」だった。


0時過ぎの疾走

生徒の質問が止まらなかった。理解するまで帰らないタイプ。

 ああいうのは嫌いじゃない。むしろ嫌いになれないのが、この仕事の一番面倒なところだ。


改札へ向かって走る途中、駅前の居酒屋を通り過ぎた。

 スーツ姿の男たちが大声で笑っている。ネクタイを緩め、顔を真っ赤にした、二次会のテンション。


「お前らは二次会、俺は晩飯も食わずに帰宅か」


息を切らしながら、苦笑が漏れる。

 いつも思う。夜の楽しみなんてない仕事だ。

 いや、違う。楽しむ余裕を自分で削っているだけか。

 そんなことを考える暇もなく、再び走り出した。


ホームに滑り込んだ瞬間、発車ベルが鳴る。

 閉まりかけのドアに体をねじ込んだ。肺が焼けるように痛い。


間に合った。

 そう思って、ようやく息を吐いた。


違和感

異変に気づいたのは、その数秒後だった。


座席の配置が違う。

 ロングシートではない。向かい合わせのボックス席。

 灰色のモケットは少し毛羽立ち、ところどころ色が薄くなっている。

 床はくすんだ茶色で、金属の継ぎ目がやけに目立つ。

 蛍光灯は白というより黄ばんでいて、車内全体が薄暗い。


古い。とにかく、古い。


乗り間違えたのか。

 慌ててドアに向かう。開閉ボタンはない。非常コックの赤い取っ手が、妙に存在感を放っている。

 次の駅で降りればいい。そう思った瞬間、車体が揺れて加速した。


間に合わなかった。


最後尾まで歩く。誰もいない。

 終電のはずなのに、なぜだ。


足音だけが響く。

 吊り革が、規則正しく揺れている。

 誰も触れていないのに。


先頭車両へ向かう。

 嫌な予感が、腹の底に沈んでいく。

 運転席を覗き込んで、息が止まった。


無人だった。


冗談だろ。自動運転か?

 いや、この古さで?


ポケットからスマホを取り出す。圏外。

 電源を入れ直す。やはり圏外。


心臓の音だけが、耳障りなほど大きい。

 何が起きている。どこに向かっている。


窓の外は、ただ真っ暗だった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

荒川の独り言にお付き合いいただき感謝します。


彼にとって、塾の仕事は「面倒な呪縛」でありながら、同時に「捨てきれない矜持」でもあったのだと思います。だからこそ、理不尽な状況に放り込まれたとき、彼の手腕(という名の意地)がどう発揮されるのか、私自身も楽しみに書き進めていこうと思っています。


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