第9話 離宮の秋は、静かで美味しい
季節が変わり始めた。
朝の空気がひんやりして、庭の木の葉が少しずつ色づき始めている。
秋だ。
前世の私には、秋を感じる余裕がなかった。
「あ、コートの季節になった」と気づいたときには冬になっていて、「あ、薄着でいいんだ」と思ったら春になっていた。
四季のすべてを、通勤電車の窓から見ていた。
今は違う。
庭に出れば秋の匂いがする。
葉の色が変わるのが、窓から見ていて分かる。
なんとなく嬉しい。
「殿下、今年は南側の果樹が豊作だそうです」
料理長が朝食の配膳のとき、嬉しそうに言った。
「本当ですか」
「フェルドさんが手入れしてくれたおかげで、実がよくついたって」
「フェルドの腰は大丈夫でしたか」
「ええ、修繕費で少し道具も新しくなりましたんで、無理のない範囲でやってもらっています」
「それは良かった」
料理長は頷いて、続けた。
「というわけで、今年は果物を砂糖煮にして保存する予定です。冬場のデザートにも使えますし」
「いいですね。材料は足りますか」
「砂糖を少し多めに仕入れたいんですが、予算的に……」
「台帳に使用実績があれば申請できますよ。今の帳簿なら根拠が出せます」
料理長がぱっと顔を上げた。
「そうか! 前は数字が曖昧で申請しにくかったんですが、今ならできますね」
「一緒に確認しましょうか」
「ありがとうございます、殿下!」
料理長の顔がやけに生き生きとしている。
こういう顔を見ると、こちらも気分がいい。
後で台帳を一緒に見て、砂糖の仕入れ申請の根拠をまとめた。
なんてことのない作業だが、なんてことのないことがちゃんとできるのが大事だと思う。
午後は珍しく、ルナと一緒に庭を歩いた。
「殿下、最近お顔の色が良くなりましたね」
「そうですか?」
「はい。離宮に来たばかりのころより、ずっと」
「ちゃんと眠れているのと、食事が良いせいだと思います」
「そんなことで変わるものなんですか」
「ものすごく変わります」
本当のことだ。
睡眠と栄養は最強だ。
前世では両方がぼろぼろだった。
「殿下……来たばかりのころ、本当に疲れた顔をしていました」
「そうでしたか」
「加護のない王女として、辛い思いをしてきたんだろうと思って……でも最近は、なんか楽しそうで」
ルナが少し照れたように笑う。
「楽しいですよ、今は」
「本当に?」
「本当に。静かだし、皆さんいい人だし、食事おいしいし」
「それだけですか?」
「それだけです」
ルナはまた「殿下らしい」という顔をした。
でも本当にそれだけなんです、と私は思った。
欲張らない。
今あるものを大切にする。
前世で全部を失ってから、それが一番大事だと分かった。
夕暮れ時、庭の木が夕日に照らされてきれいだった。
ルナがほんの少し声を細くして言った。
「……殿下、ずっとここにいてくれますよね」
「なぜですか」
「なんとなく、また誰かが来て、連れていかれちゃうんじゃないかと思って」
「連れていかれる気はないです」
「でも王太子殿下も来たし……」
「断りました」
「でも……」
「ルナ」
私はルナの方を向いた。
「私は自分の快適さを大事にしています。今、ここが一番快適なので、ここにいます」
「……それだけで?」
「それだけで。十分な理由じゃないですか」
ルナがしばらくして、静かに笑った。
「……そうですね。十分ですね」
木の葉が風に揺れた。
秋の匂いがした。
前世では一度も感じられなかった、ゆっくりした時間。
まだここにいられる。
それだけで、今日も幸せだ。
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