第26話 書面どおりにやったそうですが、少しだけ詰まったみたいです
朝、庭に出ると老庭師のフェルドが花壇の前にいた。
先週とは違う道具を持っている。刈り込み用の鋏だった。
白と紫の花は半分ほど頭を垂れていた。
咲き続けていた分が、一斉に疲れを出したような見た目になっている。
フェルドは終わった花から順に、一本ずつ確かめて切り落としていく。
「始まりましたね」
「はい。放っておくと株が疲れます。早めに切っておいた方が、次の季節が楽です」
フェルドが鋏を動かしながら答えた。
切られた花が地面に落ちる。足元に少しずつ積もっていく。
「きれいだったのに、惜しいですね」
「咲き終えたものを切るのも仕事です。残しておくと根に負担がかかります」
フェルドの手は止まらない。
花一本ずつに触れて、確かめて、切る。
丁寧だが、迷う様子はなかった。
「切った後は、また植えるんですか」
「夏向けのものに替えます。今の状態で整えておかないと、植え替えができません」
それだけ言って、フェルドは次の茎に鋏を向けた。
リシェルも部屋に戻った。
◇
昼前に老執事が来た。
「フェルマン様がいらしています。少しよろしいかとのことです」
「通してください」
王城会計部門の上席文官フェルマンは前回と同じように、用件から入った。
「書面、使わせていただきました。窓口を一本にして受付担当を決めたところ、かなり混乱が減りました。客人からも、案内が分かりやすくなったという声がありました」
「それは良かったです」
「ただ、1点だけ詰まりまして」
フェルマンが少し間を置いた。
「先日、急な予定変更がありまして。本来の担当者が別の対応に出ていて、席を外していたんです。受付の者が客人を案内した後に変更が出たんですが、その場で誰が客人へ伝えるかで止まってしまいました。書面には最初の受付手順は書いてありましたが、途中で変更が出た場合のことは書いていなかったので」
「なるほど」
「担当者が戻るまで何も言わないのが正しいのか、受付の者が一言伝えていいのか。現場で判断がつかなかったようです。結果として、客人をしばらくそのままにしてしまいました」
前世で言うなら、運用を始めた初日に出る質問はだいたい想定内だった。
大きな組織ほど、誰が伝えるかが抜けやすい。
決まったことの中身より、待っている相手に何を言うかの方が、現場では事故になる。
「もう1点あります」とフェルマンが続けた。
「対応に時間がかかるとき、客人へ何をどこまで伝えるかも止まりました。書面には『案内の後は担当者が対応する』と書いてありましたが、判断待ちの保留時間に何を言えばいいかが書かれていなくて」
「両方とも、書面の範囲で補足できます」
フェルマンが一度頷いた。
リシェルは部屋の入口に立っていたルナに声をかけた。
「ルナ。急な変更があったとき、待っている側は何を言われると一番安心しますか」
ルナがすぐに答えた。
「変更があったとひと言あれば、理由は後でも大丈夫です。何も言われないまま待つのが一番落ち着かないです」
次に老執事の方を向いた。
「そういう場合、誰が一言伝えると混乱しないと思いますか」
老執事が答えた。
「最初に受けた担当者が伝えるのが一番でしょう。判断は待っていても、変更があったという事実だけなら受付でも伝えられます。むしろ上の立場の方が直接来ると、客人が身構えてしまうことがあります」
離宮では、こういうことは言葉にしなくてもできていた。
小さい場所では暗黙が通る。
人数が増えると、暗黙だったことを言葉にしなければならない。
前回もそうだった。今回もそうだった。
リシェルは机の引き出しから紙を出した。
「では2点、書き加えます」
1行目:予定に変更が生じた場合は、受付担当が変更の事実のみを客人へ伝え、詳細は担当者より改めて説明する。
2行目:対応に時間がかかる場合は、受付担当がおおよその見込みをひと言伝える。確定でなくてよい。
「この2行を手順の末尾に足してください」
フェルマンが手帳に書き写した。
「これで動けます。ありがとうございます」
「書面の範囲のことなので。これ以上大きな変更が必要なら、本宮の規模に合わせて向こうで直してください」
「承知しました」
立ち上がりかけてからフェルマンが少し止まった。
「フィリアン様も、随分と役に立ったと言っておられました」
「たたき台ですので」
フェルマンが頭を下げて部屋を出た。
老執事がそれを見送り、扉を閉めた。
◇
しばらくして、ルナが茶を持ってきた。
卓の端に道具を並べ、湯を注いで、茶杯を置く
「また本宮から来てましたね」
「確認が2点あっただけです」
「書面を送ったら終わりって言ってましたけど、また来るんですね」
「書面の範囲の質問なら答えられます。今回はそこで済みました」
「向こうまで行く話じゃなくてよかったです」
「そのつもりはないです」
「でも、また来ますかね」
「来たとき、また考えます」
ルナが少し何か言いかけて、止めた。
代わりに茶杯の位置を直した。
「今日のお茶は少し濃いですよ。刈り込みが始まった日は、そういう日かなと思って」
一口飲んだ。確かに濃かった。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」とルナが言い、空になったトレイを持って出ていった。
◇
夕方、庭に出た。
花壇は朝と比べてすっきりしていた。
頭を垂れていた花が全部切り落とされ、茎だけが整然と並んでいる。
フェルドの姿はもうなかった。
切り落とされた後の方が、土の面がよく見えた。
次に何を植えるのかは知らない。
ただ、この状態で整えておかないと次が始まらないのだろうと思った。
今日は補足を2行書いた。
渡した書面の範囲で終えた。
それが向こうで使われるかどうかは向こうの話だった。
離宮の日常は、今日もまだ変わっていない。
ただ外との距離は、少しずつ縮まっているような気もした。
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