第11話 王城の会議は、ちゃんと1時間で終わりました
会議当日の朝、私はいつもより少しだけ早く起きた。
別に緊張しているわけではない。
ただ、支度に時間がかかるのが面倒だから余裕を持っただけだ。
前世でも会議前日は早起きしていた。
資料の最終確認とか、想定問答の整理とか。
習慣というのは根深い。
「殿下、今日はどのような御召し物に……」
ルナが衣裳箪笥の前で真剣な顔をしている。
「王城に行くので、それなりのものを」
「それなりというのは……」
「変に飾りすぎず、粗末でもなく。普通でいいです」
「普通、ですか」
ルナが少し困った顔をした。
たぶん「もっとちゃんと考えてください」と言いたいのだろう。
「正式な式典ではなく、議題のある1時間の会議です。仕事着を選ぶつもりで」
「……し、仕事着」
「落ち着いた色で動きやすければ問題ありません」
前世でも「クライアントとの打ち合わせ」の服装基準はそれだった。
清潔感があって、相手を不快にさせなければいい。
最終的に、濃い緑色の落ち着いた衣装になった。
ルナが「本当にこれでよろしいのですか」と三回確認してきたが、よろしい。
離宮から王城の本宮へは、馬車でおよそ半刻ほどだった。
久しぶりに見る本宮は、やはり人が多かった。
廊下を行き交う侍女や文官、どこかに向かう貴族たち。
あちこちから話し声が聞こえる。
廊下もやたらと広くて、靴音がよく響く。
……うるさいな。
前世のオフィスビルみたいだ、と思った。
混雑したエレベーターホール、すれ違い様に聞こえる他部署の話し声、廊下で立ち話している上役たち。
あの頃は「これが普通」だと思っていた。
でも離宮に慣れた今では、本宮は少し刺激が強い。
案内の女官に連れられて通された部屋は、こぢんまりとした一室だった。
大きな会議卓ではなく、四人ほどが向かい合って座れる程度の机。
それだけで少しほっとした。
フィリアン王太子はすでに着席していた。
向かいには見慣れた顔、フェルマンもいた。
他にもう一人、初対面の年配文官が座っている。
「来たか、リシェル」
「はい。お招きありがとうございます」
「定刻だな」
「議題があって、時間が決まっている会議には遅れません」
フィリアンがかすかに口元をゆるめた。
「座れ」
私は向かいに座った。
机の上に、既に薄い書類がまとめられていた。
自分で用意した資料が向かい側に並べられている、あの感覚に少し似ている。
フィリアンが口を開いた。
「では始める。議題は離宮の運営改善の経緯と、その概要の共有だ。フェルマン、進めてくれ」
「はい」
フェルマンが書類を広げた。
「まず今年度の離宮の評価書の概要をご説明します。物資管理・帳簿精度・修繕対応・予算執行、いずれも大幅に改善されており……」
要点が整理されている。
発言者が明確で、話の流れが分かる。
……ちゃんとした会議だ。
前世の「とりあえず集まって、なんとなく話して、何も決まらないで終わる」会議とは別物だ。
感動すら覚えた。
フェルマンの説明が終わると、フィリアンが私を見た。
「経緯を聞かせてくれ。どこから手をつけた」
「帳簿からです」
「なぜ帳簿から」
「何がどこにあるか分からない状態では、何も改善できないので。まず現状を把握することが最初です」
もう一人の年配文官が手を止めた。
記録を取っているらしい。
「次に物置の分類と導線です。探し物の時間が減るだけで、現場の負担は相当変わります」
「加護なしで、その判断は」
「加護は関係ないです。見れば分かることです」
フィリアンは黙って聞いていた。
さえぎらない。
「で、それで?」と急かさない。
……話しやすい。
前世の会議では、説明の途中で口を挟んでくる上司が多かった。
「要するに何が言いたいの」「結論から言って」と。
いや、今言ってるんですが、という気持ちを飲み込みながら話し続けた記憶がある。
「修繕の優先順位は、庭師のフェルドに聞いて決めました。現場にいる人が一番よく知っているので」
年配文官がまた何かを書いた。
「予算については、帳簿の精度が上がれば正当な申請ができるとフェルマンから聞いて、実績を整えました」
「意図してやったわけではないのか」
「最初からは。ただ整えれば申請できると分かってからは、意識しました」
正直に言うとフィリアンが少し笑った。
「正直だな」
「嘘をつく必要がないので」
「それもそうだ」
フィリアンが書類を一枚めくった。
「一つ確認したい。お前が離宮で行ったことを、他の宮でも展開できると思うか」
来た。
予想していた質問だ。
これが本題だろうと思っていた。
「展開できるかどうかより、展開するかどうかの方が大事だと思います」
「どういう意味だ」
「離宮でうまくいったのは、私がそこで暮らしていて、不便を感じていたからです。私が一番困るから、自分で動いた。他の宮では、そこに暮らして困っている人が動く必要があります」
「つまり、お前が他の宮を回って改善する気はない」
「ありません」
きっぱり言うと、フェルマンが少し目を逸らした。
申し訳なさそうに。
以前、同じようなやりとりをしたからだろう。
「ただ、帳簿の書式の見本は提供できます。改善の順番の考え方も、書面でなら共有できます。実際に動くのはそれぞれの現場の方々です」
フィリアンはしばらく考えていた。
「分かった。書面での共有を頼む」
「はい。一週間ほどいただければ」
「構わない」
年配文官が何かを書き留める。
そのあとは、細かい確認が数点。
修繕費の精算の話、来年の予算申請のタイミングの話。
フェルマンが丁寧に説明してくれて、私はうなずくだけでよかった。
そしてちょうど区切りのよいところで、フィリアンが言った。
「以上にしよう。ちょうど1時間だ」
私は思わず顔を上げた。
本当にぴったり1時間だった。
「……守ってくださったんですね」
「約束したからな」
「ありがとうございます」
「珍しく素直に礼を言うな」
「会議が時間通りに終わると、心から感謝できます」
フィリアンがまた笑った。
今日は笑う回数が多い気がする。
退室する際、フェルマンがこっそり近づいてきた。
「殿下、書面でのご共有、ありがとうございます」
「整えれば使えるものになりますから」
「ご無理を言って申し訳ありませんでした」
「無理とは思っていません。できることをしただけです」
フェルマンは深く頭を下げて戻っていった。
廊下に出たところで、案内の女官が待っていた。
帰りの馬車を待つあいだ、私は本宮の庭を眺めた。
広い。
きれいに整えられている。
人手が十分にある場所は、見た目が違う。
でもなんとなく、落ち着かない。
人が多すぎる。
声が多すぎる。
何かが常に動いていて、静止している瞬間がない。
……やっぱり、離宮がいい。
馬車に乗り込んで、本宮の門が遠ざかるのを窓から見た。
用事は済んだ。
約束通り1時間で終わった。
書面の共有は来週出せばいい。
それだけだ。
それだけで十分だ。
離宮に帰ると、ルナが門のところで待っていた。
「お帰りなさいませ、殿下。いかがでしたか」
「会議が1時間で終わりました」
「それだけですか」
「十分です」
ルナが「そういうものですか」という顔をした。
料理長が夕食に果物の砂糖煮を出してくれた。
申請が通ったらしい。
甘くて、温かい。
本宮でどんな書類が作られようと、どんな報告がまとめられようと。
今ここで、砂糖煮を食べながら静かに座っていられるなら。
それで十分すぎる。
窓の外には、もう夜の庭。
フェルドが手入れした木々が、月明かりに静かに揺れている。
ここが、私の場所だ。
……うん。
やっぱり悪くない。
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