不夜城の怪人 第三二話 ディヒューマナイザー 4
エリア51。
ネヴァダ州アメリカ空軍グルーム・レイク基地の俗称である。
エリア51には二十世紀より様々な噂が存在する。公式にはアメリカ空軍はそれらを否定しているが、例えばそれは、宇宙人のグレイを匿っている、のような現実味に欠ける噂から、最新鋭航空機としてUFOを開発研究しているという突飛な噂まであり、玉石混交とは言えずいずれも信憑性に欠けるものだった。しかしのちに後者は、世界初の実用ステルス機F-117ナイトホークの開発をしていた、ということが明らかとなり、一部事実であると判明する。
小さな嘘を明らかにすることで大きな嘘を隠す。
エリア51で実際に行われているのは非道の研究だった。
人体実験。
魔本『堕天使の懺悔』によって産み出された能力者を素材に、“人造能力者”を製造する研究が戦闘機開発と並行して行われていた。二十世紀前半から始まったその研究は、能力者という乏しいサンプルを得るのにながらく難航していたが、十年前、「彼」の出現とともに一挙に進展した。
突如その姿を世に現した「彼」は能力者を大量に産み出しラスベガスへと放流した。これにより能力者のサンプル不足問題は解決し、研究は前進し、限定的ながら“人造能力者”を生み出すことに成功する。
しかしながらこれらの研究成果は厳重に秘匿され、同じ基地内にいる者でさえも全容は知り得ない。全てを知る者は基地司令官エヴァンズ少将と、コーネル技術主任大佐以下の研究員、そして出資者であり次期大統領候補筆頭のダニエル・F・アッシュビーのみである。
我らが出資者、次期大統領たるダニエル・アッシュビー氏の首席秘書、ジャン・セルヴェがラスベガスのテオ・ランベルティに会いに行くのを見送ったあと、コーネル大佐以下、エリア51の将兵たちは会議を開いていた。
「この“塗装屋パレット”からもたらされた情報は重要である」
コーネルはタンが喉にからんだような声を張り上げた。
「我々はこれまで、魔本『堕天使の懺悔』は世界にひとつ、「彼」が持つものだけだと考えていた。しかし、現実にはもう一冊あるのだ。それもこのラスベガスに!」
隠し撮りされたと思しき写真が五枚、A4用紙ほどの大きさに拡大されホワイトボードに並んでいる。右から漆間、綾崎、ミナト、そして「彼」の写真だ。
コーネルはミナトの写真を指示棒で親の仇のように叩いた。
「これが、もう一冊の魔本を持つ男、興梠ミナトだ」
写真に写るミナトはオドオドとして、いかにも情けない男だった。博物館にうだつの上がらない男、という項目があればこの写真が載っているに違いないというほどのものだ。
「諸君はこう思っただろう。ひ弱そうなガキだ、と。小学生と喧嘩をして負けそうなやつだ、と」
せせら笑いが巻き起こる。コーネル大佐のミナトに対する論評は全員に共通の意識だった。小柄な彼はいかにも情けない。
「騙されるな!」
ほぼ全員が背すじをピンと伸ばした。コーネル大佐が猫背の外見に似合わない怒号を発したのだ。
「これは擬態だ! 軍は、この興梠ミナトという男から魔本を奪うために三個小隊の戦力を投入した。しかし結果は諸君らの知っての通りである。ヘルマン少尉以下一四名は未だこの基地に帰ってきてはいない。全員がラスベガスの廃ビルにて焼死体で見つかったからだ」
どよめきが会議室中を満たした。あまりにも凄惨な死。写真に写る少女のような情けない男と、一四名の焼死体の情報がどうしても結びつかない。すんなりと受け入れるにはショックが大きすぎた。
「興梠ミナトは危険だ。他にもこの小僧はストリートギャング“Bloodz”の根城だった建設中のビルを焼き、つい数日前には一流ホテル、ホテルマーカスサーカスのサーカスアクトを全焼させている」
どの事件もこの数日の間に大々的に報道された。いずれも不審火で火元がわからないとされていることから、事故という意見が大勢を占める中、連続放火事件とする向きも全く否定はできない、というのが世間の見方だった。
しかし現実にはこれらの火事を結びつける確かな線として能力者、興梠ミナトが存在したのだ。
「以降、彼に近づくことを禁じる」
コーネル大佐の剣幕に、皆沈黙を持って返答とした。誰も焼き殺されたくはない。ミナトのことは一旦保留とすることに賛成しないはずはない。
しかし例外はいるものである。部屋の一番後ろでだらしなく頬杖をついていた男が手を挙げて口を開いた。
「俺が殺してやろうか? その日本人を。俺には奴の炎は通じない。どうだ? 今ならその任務、一〇〇〇ドルで受けてやるぜ」
会議室中の視線が最後方に注がれる。恐怖に震える目、尊敬に輝く目、軽蔑に軽蔑を重ねた不快感を表す目、好悪入り混じった複雑な視線だ。よくも悪くも彼は無視できない男だった。
「なあ、大佐? あんたが俺の力を一番よおく知ってんだろ? 俺なら興梠ミナトを消してやれる。魔本を取ってきてやるよ、もちろん一人でな。だから命令してくれ、な?」
彼を無視できないのはコーネル大佐も同じであった。大佐と呼ばれたコーネルは不快そうに顔を歪める。コーネルが軍人扱いされるのを嫌っているのは有名な話である。
「なるほどカウフマン少佐、君の能力ならば彼に負けることはないだろう。しかし興梠ミナトと「彼」を同時に相手するのはあまりにも無謀。二正面作戦は避けたい。よって当初からの予定通り「彼」から魔本を奪うこととする」
アンドリュー・カウフマン少佐はちぇっと舌打ちをし、椅子の背もたれに身を預け、退屈とばかりに脚を長机の上に投げ出した。
「俺は美術品じゃあないんだぜ。飾ってるだけじゃあ意味ねえだろう」
アンドリュー・カウフマンは異例の三階級特進し少佐となって以来、前線の任務から遠ざけられている。不満という名の風船がぱんぱんに膨らみ、いずれ暴発するのは誰の目にも明らかだった。
「慌てるなカウフマン。君には別の仕事を頼みたい」
「へぇ、どんな仕事だい?」
コーネル大佐は五枚目の写真を指揮棒で叩いた。写真には小太りの中年が写っている。イタリア系だ。
「君にはこの男を調査してもらう。日本からの魔本の存在はこの男から明らかとなったのだ。敵か味方か調べてきてほしい。どうだ? 適任だろう。君ならば容易にこなせる仕事だ。もし彼がこの国の敵となるならば、構わん撃て。受けてくれるねカウフマン少佐?」
緊張の糸が張り巡らされる。生唾を飲み込み、怖れるような視線が再び会議室の後ろに座るカウフマンに注がれる。写真の男を知らない者はいない。誰もが知る有名人だ。それを”狂人”カウフマン一人に預けてよいのか?
当のカウフマンは舌舐めずりをして嗜虐的な笑みを浮かべていた。
「ようし、任せろ。暇つぶしにはいい仕事だ。俺の調査次第で世界が動く」
厚手のコートに身を包み、カイロを山ほど抱え込んだミナトは座っていた。暗く冷たい密室の中、吐く息は白く、ときどき尻を蹴りあげられるような衝撃が走る。路面の状態が悪いのか、よく揺れるのだ。その揺れで高く積み上げられた凍った魚が倒れてくるのではないか、と不安になるのだが、意外に安定していて崩れない。ただ何とかして欲しいのはこの身体の芯から凍えるような寒さと、鼻がひん曲がるような生臭さだった。
「うちのグループの運送部門が週に一度、グルーム・レイク基地に向かって食品を運ぶ仕事をしている。ちょうど明日がその日だ。だからお前はその運送トラックの中に忍び込め」
出発前、小太りのホテル王、テオ・ランベルティはそう言った。グルーム・レイク基地とは漆間くんが捕らえられているエリア51の正式名称だ。
「いいか? 忍び込むんだぞ、俺の協力があるなんざ間違っても言うんじゃねえ。俺はともかく善良な社員を悪事に巻き込むことなどできねえからな」
ミナトは無関係な社員を巻き込まないことには頷きつつも、考えざるを得ない。
自分が今からやろうとしていることは悪事なのか?
漆間くんを空軍基地、エリア51から救い出そうとするのはいけないことなのだろうか?
「だいたい五時間で着く。したら、魚のコンテナに紛れて入り込め。そこからはてめえで何とかしな」
ミナトの忍び込んだトラックの冷却便が減速しはじめる。そろそろ五時間経ったらしい。完全に止まる前に魚の山をかき分け自分の入り込むスペースを作った。今日ほど自分が小柄なことを感謝する日はない。潜入にはもってこいの身体だ。
トラックが止まった。慣性に従って、積み上げられたコンテナが大きく揺れる。ミナトも一緒に揺れる。魚の悪臭、度重なる揺れ、顔面はすでに蒼白だった。胃液が喉元まで込み上げてくる。
しかしミナトはそれを飲み込んだ。吐いている場合ではない。人間が忍び込んでいた痕跡なんて、残してはいけないのだから。
トラックの荷台の扉が約五時間ぶりに開いた。地獄に垂らされた蜘蛛の糸のような救いを感じる。ちょうど外の明かりが射し込んで、後光のような輝きに思えた。
「確認してもらえますか? この中にはサバ一五〇〇キロ、サケ一〇〇〇キロです」
ミナトの背すじが凍った。配達ドライバーらしき男が、何やら誰かと話し込んでいる。おそらく基地の食材管理の担当者かなにかだろうか。
確認と言ったのが確かに聞こえた。 確認などされては見つかってしまう。見つかる前に飛び出して基地全体に知られないように、担当者の口を封じるか?
やるのか?
ミナトは魚の山に埋もれながら、気配を殺して、息も殺して、心臓の音を止めるような気迫で右手の親指と中指を重ね合わせた。
いつでもやれる。
身体は凍えているのに汗が止まらない。額を流れる汗はやけに冷たく、肌に凍って張り付いてくる。
配達員と話している男が口を開いた。
「いやぁ、やめとくよ。魚の臭いが身体にうつると困るからね。なんで毎週毎週こんなにサバだのサケだの魚ばっかり仕入れるんだか……。この基地の司令部がみんな魚食が好きってのがもっぱらの噂だけども、それに付き合わされる一般将兵の気持ちを考えてほしいね、ったく……。――あ、おたくに言ってんじゃないよ。気を悪くしないでくれ。あー、ほら、あんたのとこの会社を信頼してるんだ。俺もスシとか言う食い物は好きさ。カリフォルニアロールとかあるだろ? 今度一緒にどうだい? なあ?」
「……いえ、遠慮します。このまま中に運び込みますので離れていただけますか? 魚の匂いが移りますので」
配達員の声は不快さを隠しきれていない。自分の仕事をバカにされたような気持ちなのだろう。
しかし好都合。
基地の軍人が離れていく。ミナトが誤魔化さねばならないのは配達員の目だけということになる。
光がまた暗くなっていく。ドアが閉められた。ぶるんとその巨体を震わし、トラックはまた走りはじめた。
ミナトはほっと胸を撫で下ろし、懐から仮面を取り出した。笑い顔の半仮面、これはピエロだったアレックスが身につけていたものだ。
アレックス、僕に勇気を貸してくれ。
半仮面のピエロマスクを顔にあて留め具をパチンととめる。覆われた顔の半分が冷たい。
漆間くんを助けなくてはならない。今度こそ本当の『仲間』になるために。
トラックが再び止まった。今度はドアが開いても光は差さない。配達員がドアに一番近いコンテナを荷下ろしている。どうやら基地の冷凍庫の中に直接トラックで搬入したらしい。どんどんと魚のコンテナは運び出され、遂にミナトの隠れるコンテナに手が掛けられた。
「なんだこれ重いな、おいちょっと手伝ってくれ!」
どうした、とフォークリフトを操作していたもう一人の配達員が駆け寄り、コンテナを一緒に押した。ゆっくりと動くコンテナの中で、大量の魚に囲まれながらミナトはジッと息を殺す。
ドスンと大きな衝撃とともにコンテナはフォークリフトに載せられた。フォークリフトは唸りをあげ、ミナトの入ったサケのコンテナを基地内の冷凍庫の片隅へと運んでいった。ウィーンという機械的な音ともにコンテナがゆっくりと下降すると、ドスンという衝撃が尾てい骨を突く。フォークリフトは鮮やかなUターンで去ってゆく。
「ありがとう配達の人。これで僕は漆間くんを助けに行ける」
サケの山をかき分け、ミナトは顔を出した。その顔の半分は半仮面のピエロマスクが覆っている。もう半分は決意に満ちた鋭い目をしていた。
すっかり魚臭くなったコートを投げ捨てると、小柄で華奢な身体が露わになる。しかしその身体は燃えていた。紫色の煙を纏って。
燃えるミナトは力強く駆けていった。たった一人の仲間を助けるために。基地全てを敵にして。
クレイジーピエロ誕生の瞬間だった。




