【最終章】笑顔
会いたい。
その想いは募っていくのに、時間が取れずにいた。
クリスマスに向けて、レストランは忙しくなっていく。毎年のことだ。
せっかくプレゼントを買ったのに、早く渡したい。それでも、彼に会えない日が続いた。
クリスマスの朝。
その日は一段と寒く、ベッドからなかなか起きれなかった。洗面所で顔を洗い、よしっと気合いを入れる。今日は忙しくなる。
朝食を済ませ、洋服を着替えて、メイクをする。
そして、先日買った三日月のイヤリングを耳につけると、棚の上に置いてある箱を見つめた。
中には、彼へのプレゼントが入っている。同じ三日月の飾りがついたネックレス。
今日も会えないだろう。
その時、ふとカレンダーを見た。
「あ、クリスマス」
クリスマスであることは分かっていた。でも、プレゼントを渡す日だということに、今更気づいた。
クリスマスだから買った訳ではないけれど、渡すなら今日だと思い、プレゼントが入った箱を鞄の中に入れる。
私は、彼にラインする。
『遅くなるけど、今日会いたい』と打ち、仕事が終わる時間も一緒に送信した。
返信はすぐに来た。
美容院の最寄り駅の名前と『待ってる』とだけ書かれている。
いつもなら、それでラインを終えるが、今日は『ありがとう』と返信した。
仕事は、終わらなかった。
クリスマスなので、次から次へとお客様が入ってきて満席である。みんなディナーを楽しみ、ケーキを食べて帰っていく。
営業時間が過ぎても、後片付けに追われた。
何とか約束に間に合うように急ぐけれど、時間はどんどん過ぎていく。
やっと仕事が終わり、帰り支度をすると、私は店の裏口を出て走った。
空には、小さな雪が降っていた。
彼が待つ駅に行くため、電車に乗ろうとレストランの最寄り駅に着くと、人混みができて騒がしかった。
何と、事故で電車が止まっている。
すぐに運転再開になるとアナウンスされているけれど、待たなくてはいけない。
私は彼に遅れる連絡をする。
いつも、10分前行動をしているのに、こんなに日に限って……。
しばらくすると運転は再開し、私は電車に乗った。
クリスマスということも重なり、すごい満員で押し潰されそうになりながら、私は彼が待つ駅へと向かった。
彼は、喜んでくれるだろうか?
そういうプレゼントを好むようには、あまり見えない。私に会う時は、アクセサリーをつけていないし……。
それでもいい。私が贈りたいのだ。受け取って欲しい。
駅に到着し、改札口を出ると彼を探した。人が多くて、なかなか見つけられない。
彼は、改札を出て右端にある東口と書かれた看板の下で待っていた。
もちろん、彼も仕事帰りである。
だから、いつものシンプルなコーディネートではなく、美容院にいる時の派手な服を着ていた。
それを見て、「ああ、そうか」と気づく。
小走りで近づくと、彼も私に気づいた。
白のジャケット風コートに、エンジ色のニットトップス、グレーのストライプ柄の大きめのパンツを穿いている。
いつもの派手な服に変わりはない。顔も無表情だ。でも、どこかスッキリしているようにも見える。
「ごめんなさい、遅くなった」
彼に謝ると、首を横に振った。
その様子が子供みたいだなと、また思ってしまう。
彼は、小さな白い紙袋を持っていた。
表面に薄いレースが描かれていて、手書きのお洒落なロゴが印刷されている。
その紙袋を、彼は「はい」と私の前に差し出した。
「え?」
私は驚いて、彼を見つめる。
紙袋を受け取り、中を覗いた。水色の箱が入っている。
私はそれを取り出し、「開けていい?」と訊いた。彼は、こくんと頷く。
そこには丸い小瓶が入っていて、表面には水色のラベルが貼ってある。ふわっと、いい香りがした。
私は、それが香水だと分かった。
何とも言えない気持ちが全身に広がっていく。
「ありがとう」
私は笑顔を向ける。彼は優しい目をしていた。
瓶が割れないように、ゆっくり箱を紙袋に戻し、私は鞄からネックレスが入った箱を取り出した。
満員電車に乗った時に、箱の表面が少しだけ潰れてしまった。
今度は彼が驚く番だ。
私が差し出すと受け取り、箱に書いてある店名のロゴに気づいたようだった。
そして、箱を開ける。
中に入っている三日月のネックレスを見つめた。
私はドキドキしていた。喜んでくれるかな?
「同じだね」
私の三日月のイヤリングを見て、彼はそう言った。
「気づくの早いよ!」
思わず笑ってしまう。
彼は、その後もネックレスを眺めている。顔は笑っていない。でも、本当に嬉しそうだった。
何だろう……。
溢れるような気持ちが抑えられない。
「ねえ」
恐るおそる訊いた。
「抱きしめてもいい?」
突然の私の言葉に、彼は驚いたのか黙ってしまった。けれど、ゆっくりと頷く。
私は近づいて、彼をそっと抱きしめた。両手を背中にまわし、肩に頬を当てる。
彼の香水がふわっと香る。いい香りだ。
胸がドキドキする。
でも、私はすぐに離れようとした。一方的に抱きしめてしまった。
すると、彼が私の背中に両手をまわしてきた。
そして、抱きしめてくれた。
嬉しくて、優しくて、落ち着くようで……。
ずっとこうしていたいと思った。
男性に抱きしめられるのは、2回目だ。でも、高岩さんの時とは違う。
私のことを大切に想ってくれている。それが伝わってきた。
駅は事故の影響で、まだ騒がしかった。
ずいぶん時刻も遅くなり、私たちも明日は朝から仕事だ。このまま駅で別れることにした。
「じゃあ、またね」
私は、改札口へ歩いていく。
「香穂子」
心臓がドクッと鳴った。
そして、反射的に振り返った。
彼は、笑っていた。
私にずっと見せていた無表情の顔でも、美容院で見せる笑顔でもない。
きっと、どこにも誰にも見せたことがない、彼の本当の姿なのだろう。
優しくて、寂しげで、子供のような笑顔。
「ありがとう」
そう言って、彼は手を振った。
ああ、やっと見れた……。
私はずっと彼を見ていたかった。それでも、向き直り改札口へと歩いた。
涙が頬を伝う。なぜ涙が出るのだろう。
やっと彼が笑ったのに、私が泣くなんておかしい。
けれど、もう一度だけ振り返ってみる。
彼は出口に向かって、てくてくと歩いていく。
もう遅いけれど、彼はこれからカフェに行くのだろうか?
今夜も眠れずに、長い夜を耐えるのだろうか?
私は、彼が少しでも眠れますようにと願った。
そして、その笑顔はいつまでも私の心をつかんで離さなかった。
おわり
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
あなたに読んでもらえたことが嬉しくて、それだけで胸がいっぱいです。感謝の気持ちを込めて。
高橋花菜子




