1羽 「おまえ、誰だ?」
本日3話投稿です
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それ以降は月水金の7:00に1話投稿
早朝の風が、遠賀川の冷たさを孕んでまとわりついてくる季節だった。親父の形見である白いワゴンで職場に乗りつけた僕は、いつも通り逆性石けんで手指を洗って消毒した。それから事務所で本日の孵化予定羽数を確認する。担当するのは、だいたい1日に5万羽程度。ロッカーで防疫服に着替えて、目元以外真っ白な姿になる。
「おはようございまーす」
「おはよう、今日もよろしくー」
もうここに勤めて3年だから、お互い顔が見えなくてもだれだかわかる。耳には聞き慣れた、ぴよぴよという愛らしい大合唱。目には一面の鮮やかな黄色。自分の持ち場に入って、深呼吸する。
計算上では1分間に約100羽程度触れている。手に持って、ひっくり返して、肛門の形で見分ける。そしてすぐさま左右の異なる容れ物へ。その間数秒。完全なる流れ作業。
僕は、それを天職と考えている。
初生雛鑑別師――俗に言う、ひよこ鑑定士だ。
その雌雄鑑別をほぼ100%の精度にするため、絶えず気を張って集中していなければならない。目も頭も疲れ、気疲れもする。朝5時半から仕事を始めて、一時間おきに15分の小休止が入るのはそうした状況からだ。
そして、何事もなければ昼過ぎに終業。自分の『古賀陽太』という名前が書かれたタイムカードを押して、退勤。
変わり映えしない、けれど僕にとっては充実した生活だ。
着替えて、事務所のコーヒーメーカーがじりじりと保温しているコーヒーを飲む。ときどき妹から大学まで迎えに来いと指令が入っているから、スマホをスワイプしてそれがないことを確認してから、僕は駐車場へ向かった。
「おつかれー、また明日ー」
「おつかれーっす」
出入り口で行き合った同僚とあいさつを交わして、車のキーをジャケットのポケットから取り出した。遠隔でロック解除し、そのまま車の方へ歩いて行こうとして、キーを取り落とす。勢いで蹴飛ばしてしまい、思わず「あー」と声が出た。
駐車場の真ん中あたりまで転がって行ってしまったキーに向かって歩いて、手を伸ばしたときだった。
耳鳴りがして、手を引っ込める。立ち眩みみたいな浮遊感。とっさにしゃがみ込もうとしたけれど間に合わなかったようで、目の前の景色が回転する。
……風が逆流したように感じる。駐車場の砂利が宙に舞い、空気がひっくり返るような感触。
そして。
「……おまえ、だれだ? どうしてここに居る? どこから入って来た?」
何秒かの空白の後にはっと気づいた。
肌に触れる空気の質感が変わっている。かけられた声に、記憶が浮上するような感触を覚える。
目を上げたら、そこには初対面の背の高い赤髪イケメンがいて、僕をじっと見ていた。
「えっと、だれって……そこの孵化場の古賀です」
そう言って自分の後ろを振り返ったけれど。
「は? なに? どこ、ここ?」
さっき歩いていた駐車場どころか、そもそも外じゃない。木造の広くて奥行きがある屋根の高い建物で、飼料の香りがすることにも気づいた。でかすぎるけれど、なにかの家畜小屋のようだ。
(――僕の職場の近くに、こんな建物、建設していたか?)
まったく記憶にない。首を傾げながらイケメンに向き直ると、目の前にいて――腕をひねり上げられた。
「いったたた、なんですか、一体!」
「ハルシーピ舎へ不法侵入する人間を、野放しにするわけがないだろうが。警らに突き出してやる、来い」
「不法侵入⁉ あー、すみません、そんなつもりなくて!」
必死に言い訳をしたけれど、ぜんぜん取り合ってもらえずに外へ連れ出される。途端、とんでもなく冷たい突風が吹きつけてくる。赤髪イケメンに捕まっていたからなんでもなかったけれど、自分ひとりだったら不意を突かれて転んでいたかもしれない。とっさに目を閉じて、開けたら……やっぱり、そこは見知らぬ場所だった。
「……なにこの絶景」
思わずつぶやく。
今、かなり高い山の上にいるらしい。眼下に広がっていたのは、一幅の絵画のような緑の丘が連なる風景だった。写真で見たことのある北海道や海外の観光地みたいだなって思った。僕の住んでいる福岡県飯塚市もわりかし緑が多い都市だけれど、山上からの眺めはコンクリートの町並みだ。こんな、視力が良くなりそうなほど自然のままじゃない。
絵じゃなくて実際にそこにある景色だと見た瞬間にわかったのは、点在している家の煙突から、いくつも白い煙が立ち上っているから。なんで自分はこんなところにいるのか、なんて疑問を抱く前に、その美しさに見惚れてしまった。
イケメンが僕を捕まえたまま、ひとつ口笛を吹いた。すると、今度は真上から風圧が来る。うつむいてそれを逃してから顔を上げると、目の前に茶色いもふもふの壁がある。……羽毛?
キュルルルルルルー。
頭上から、聴いたことのない動物の声。そちらを見上げると、僕をじっと見ている大きな金色の瞳と目が合う。
頭が、真っ白になった。
「グラ、こいつを警らにつれて行くぞ」
イケメンが声をかけたそれは、僕を見ながら首をくるくると左右に何度もひねった。そして、大きなくちばしを開いてキュオーとひと声鳴く。
……僕3人分の身長を合わせたよりもまだ大きい、猛禽類と思われる、怪鳥だった。
「うわあ!」
「なんだ、そのわざとらしい反応は」
僕はパニックになってしまって、尻餅をついた。すると、怪鳥が僕に顔を寄せてきた。イケメンが振り向いて「グラ、やめろ。怪しい奴だが、美味しくはないぞ」と言ったものだから、僕はますます恐慌に陥る。
「たっ、食べられないです! 僕は、食べられないです!」
「よくわからない餌をハルシーピにやるわけがないだろう。グラ、離しなさい」
イケメンの言葉に、グラと呼ばれた怪鳥は僕から口を離した。でも僕から離れる気はないみたいで、クルキュー、クルキュー、と、喉を鳴らすみたいに僕の顔の傍で鳴いた。怖くて泣きそう。
「……気に入ったのか。しかし、この施設の人間ではないから、出さなきゃいけないんだよ」
そしたら、なんと鳥がぐわっと翼を開いた。風圧が来て転びそうになる。伸ばした羽はめちゃくちゃでかくて、横幅の全長は6メートル以上あるかもしれなかった。僕はビビり倒した。
「グラ、だめだ。おとなしくしてろ。こいつとは遊べない。いいな?」
イケメンはなだめるように言った。怪鳥は、くちばしで自分の開いた翼に頭を突っ込む。そして羽を一枚抜き取って、クルキュー、クルキューと言いながら僕に押しつけて来た。
イケメンが「はあ⁉」と僕の背後で大声を上げる。
怪鳥の大きな金色の目が、なにかを期待するようにじっと僕を見ている。僕はおそるおそる、その羽を受け取った。すると、一拍後にイケメンがお腹を抱えて爆笑。
「……そっかー、そうなのか、グラ。おまえもそういう年頃か。よかったな、受け取ってもらえたぞ。おめでとう」
その言葉を聞いてかどうかはわからないけれど、怪鳥・グラは、立ち上がった僕の横腹に頭を擦りつけてきた。僕はまた転びそうになって、笑ったままのイケメンに支えられる。
「あの。あの、どういう状況で……?」
「グラの求愛を、おまえが受けたって状況だな。おめでとう、ハルシーピの番なんて、なれるもんじゃないぞ」
「はえっ⁉」
ツガイ。なにを言われたのか一瞬わからずにちょっと考える。求愛。……えっ、ちょっとまって。羽のプレゼントはプロポーズ? たいへん困る。
「あの、謹んでお断り申し上げます……これ、お返ししてもいいですか……?」
「それはそうだな。しかし、俺も、ハルシーピが人間に求愛するだなんて聞いたことがない。失恋したオスは食欲を失うと言うし……どうしたもんかな」
あんまり困ってなさそうにイケメンは言った。そうこうしている間にグラは僕をもう一度咥えようとする。あわててイケメンの後ろに隠れた。キュルルル、って悲しそうな声。
「あの……羽は……」
「持っていてくれ。どうするか考える。乗るぞ」
そう言って、イケメンはぴゅいと口笛を吹いた。それに合わせて怪鳥が伏せたので、イケメンは僕を引っ立てながらその背にある鞍へ乗り込んでいく。僕は拒否することもできないくらい動揺していて、されるがまま胴体にベルトを回される。イケメンも僕の背後でなにかを装着して、そして。
とん、とひとつ、イケメンが怪鳥の首元を叩く。
――飛んだ! まじか!
「……ぎゃああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
あり得ない状況に、僕は叫んで気を失った。
それはそうだよ。心の準備もなく突然だったし。
それにさ。僕、じつは高所恐怖症なんだよね。






