1羽 「おまえ、誰だ?」
本日3話投稿です
10:00
12:00
14:00
それ以降は月水金の7:00に1話投稿
――ノストラダムスが来ると予言した恐怖の大王を、1981年1月生まれの日本の子どもが倒す。そう耳にしたのはわたしが22歳のときだった――と母から子守唄のように何度も聞いて育った。
決戦の1999年7の月に18歳と半年で世界を救うことになるであろう、まだ見ぬ若き勇者へと加勢するため、合気道の体験レッスンへ行った帰りに新宿でナンパされたのが父との出会いだ、と母のその話は続く。
なんだかんだ、すぐに僕ができてしまって、結婚。そして厳正なるあみだくじの結果『陽太』と名付けた。このままでは守りが薄いと乳飲み子を見て危機感を持った父は、大王を迎え撃つために二十五年ローンでマンションを購入した。よりによって僕はなんと、大王が来る予定の年の1月に生まれたのだ。だから父は決して負けられなかったのだ。
完璧な守備に恐れをなした大王は、予定の時に来なかった。母はそこだけ少し残念そうな語り口になる。準備万端で待っていたのにと常々言うから、きっとキッチンの収納には組み立て式のバルカン砲が入っているのだろう。
毎度まわりくどいノロケにいいタイミングであいづちを打つのが僕の得意技になったのは、大王が来日を見合わせて四年が過ぎたころだ。
僕にとってノストラダムスのおじさんは、外国に住んでいる会ったことのないビッグ・ダディみたいな存在だった。そして、勝手に赤ら顔の少し頭頂がさみしい大柄のおじさんだと思いこんで、ノストラさんと呼んでいた。サンタクロースの存在は眉唾と感じ、正体は母だと5歳のときに見破ったが、なにせノストラさんは海外住みなのだ。フランス。なんかすごい。ノストラさんが言うんだから、たとえ遅れてもきっと大王は来るんだろうとおぼろげながら僕は思っていた。
Xデーのことはわりと楽しみにしていて、ピクニックがあちらからやってくるような感覚だった。それに、両親がいればどうにかなるとも思っていた。なにせ父が地元へ戻って買った飯塚市のマンションに住んでいる。
恐怖の大王が予定通り来られなかったのだって、きっと日本語がわからなくて路線バスに乗れないからだと僕は気づいた。来ると予告したノストラさんも、そのことをうっかり忘れていたのだ。子どもの僕は大人に着いていけばよかったが、名前に大とあるし、きっと恐怖の大王は自分ひとりで行動しなければならないのだろう。
カタカナはすぐに覚えられたが、ひらがなが苦手だった僕は、少しだけ大王がかわいそうだな、と思っていた。きっと一生懸命書き取り練習に励んでいるのだろうし、いよいよ日本語をマスターしてやって来たときには、いっしょにピクニカ共和国へ行って動物たちに囲まれて写真を撮ろうと思っていた。
ピクニカ共和国は僕の情操教育に大きな影響を及ぼした動物とのふれあいの場で、あんなに可愛い生き物たちを見たら、大王はきっと世界を滅ぼそうなんて気は起きなくなるに違いないと幼心に僕は確信していた。
ひよこなんか、手のひらに乗ってしまうくらいなのだ。大王だって、あの愛らしさとぴよぴよという鳴き声にはイチコロだろう。とてもいい案だ。僕は大王の手のひらにひよこを乗せる大役を全うしようと決意した。
地球防衛最前線の飯塚基地で育った僕は、人類と大王双方の立場を慮り、そんな平和的解決を望んでいたのだ。――ひよこは、いいぞ。
そして、僕が6歳のとき。可愛すぎる妹が生まれた。ひよこみたいに、まじで小さくて可愛くてふにゃふにゃしていた。その年の夏休みにじーちゃんの墓へ行ったとき、もうちょい大王の漢字練習帳を難しくして(五年生くらい)引き止めておいてくれとお願いした。
大王に妹がいるとは聞いたことがないから、見てしまったらきっと羨ましくて連れて帰ってしまうだろう。そんなことがあってはいけない。大王との決別。悲しみつつも僕は合気道の体験に行かなければならないと思った。妹を守ってやれるのは僕だ。僕はお兄ちゃんだ。
そんな平和な中で、我が家にも「これが終わりか」なんて錯覚するような事件が、なかったわけではない。具体的に言うと僕が23のときに、愛すべき地球防衛軍ファーストソルジャーの親父が、死んだ。享年51歳。
仕事上の事故によるものだが、防げたじゃないかと誰もが思う内容で、悼ましげに死因を問われたときには「現場猫案件」と僕は答えている。
恐怖の大王は蹴散らせたが、ヒューマンエラーは除けなかった。なんとも人間らしい死に方だ、ああ、どちくしょう。もうすぐ完済のはずだったマンションのローンは、団体信用生命保険とかいうのでチャラになって、そこに僕たちが残された。
空席となった飯塚基地古賀家分隊最強前衛の穴を埋めるため、僕が親父の叙勲レベルにりっぱな生き様に倣うとすれば、27歳で救世の乙女と運命の出会いをしなければならない。
そして翌年には、終末すら空気を読んで延期されるほど、熱々の家庭を築いているのだ。むり。
大王が来なくて代わりに就職氷河期と戦うことになった、かつての選ばれし若き勇者様たちは、今ごろいいおっさんになっている。そしてきっと老後にもらえる見込みのない年金についてぼやいているだろう。
それよりずっと後の、終りが来る前に終わっているのが僕たちの世代なんだから、ギリでバブルの最後に乗っかれた親父と比べるのがそもそも間違っているし、代わりになんてなれるわけがない。
親父、フォーエバー。僕はあなたの息子に生まれて良かった。これは、わりと本気で。
リスケが繰り返されているに違いない世界の終わりは、僕が26歳になった今も来ていない。けれどそれっぽい情勢は確実に給与の天引き額と手取りに反映されていて、日々萎える。
僕は合気道の体験に行っていないし、運命の出会いはないし、大王の書き取り練習は、きっと成果が上がっていない。
ただ、僕はわすれてはいない。
僕は大王の手のひらに、ひよこを乗せるという任務を帯びているのだ。――などとという、理由ではないが。
僕は、大学卒業後に専門学校を経て――なんと『初生雛雌雄鑑別師』になっていた。いわゆる、一般に『ひよこ鑑定士』という俗称で知られている職だ。
生まれたばかりのひよこのおしりを見て、オスかメスかを判別する。
天職だと思う。
僕、ひよこ、好きなんだよ。
この職に就いて3年になった。海外での需要も大きい技術なので、ノストラさんの故郷のフランスからスカウトの声もかかったことがある。けれど、父を亡くした後の母の背中が寂しそうで、なんとなく僕は地元に残っている。
ひよこみたいだった妹は、163センチの僕に迫るくらいに大きくなって、今や早朝の雄鶏よりもかしましい。僕がひとつ言葉を発したら、30くらいの雄叫びが返ってくる。こんなはずじゃなかった。いったいどうして。なにがあった。
僕は家の中で誰よりも早く起きて、親父が残した白い軽ワゴンに乗って出勤する。前日の夜に母がおにぎりを3つ作ってくれているので、それを持って。勤務先の孵化場に着いたら、車中でおにぎりをひとつ食べる。それから仕事へ。そんな毎日。
「おはようございまーす」
「おはよー。今日もよろしくー」
作業着に着替えて、手指の消毒。そして事務所で孵化予定羽数を確認する。僕が担当するのは、だいたい1日に5万羽。初年度は1万くらいしかさばけなかったので、ずいぶんと成長したと自分でも思う。今の僕は、計算上では1分間に約100羽程度の鑑別をしていることになる。
慣れるとそのくらいのスピードにはなれる。けれど、ほぼ100%の精度を叩き出すには、絶えず気を張って集中していなければならない。なので、目も頭も疲れる。気疲れもする。朝5時半から仕事を始めて、一時間おきに15分の小休止が入るのはそうした状況からだ。
9時半に中番の人と入れ代わりで昼休みに入る。車へ戻って残りのおにぎりふたつを食べ、仮眠を取る。だいたいいつも午後からの仕事の夢を見る。あと何トレー分のひよこを、どうさばくか、みたいな。
そして、何事もなければ14時で終業。ときどき中番や遅番もやる。そんな毎日。
変わり映えはしないけれど、僕にとっては充実した生活なんだ。
なにせ、天職だからね。
そうやって今日も職務を終えた。着替えて、事務所のコーヒーメーカーがじりじりと保温している色の薄いコーヒーを一杯飲んでから、あいさつして帰る。ときどき妹から大学まで迎えに来いと指令が入っているから、スマホをスワイプしてそれがないことを確認してから、僕は馴染みの白ワゴンへ向かった。
「おつかれー、また明日ー」
「おつかれーっす」
出入り口で行き合った同僚とあいさつを交わして、車のキーをジャケットのポケットから取り出した。遠隔でロック解除し、そのまま車の方へ歩いて行こうとして、キーを取り落とす。勢いで蹴飛ばしてしまい、思わず「あー」と声が出る。
駐車場の真ん中あたりまで転がって行ってしまったキーに向かって歩いて、手を伸ばしたときだった。
耳鳴りがして、手を引っ込める。立ち眩みみたいな浮遊感。とっさにしゃがみ込もうとしたけれど、間に合わなかったみたいで、目の前の景色が回転する。
……風が逆流したように感じる。駐車場の砂利が宙に舞い、空気がひっくり返るような感触。
そして、尻もちをついて。
「――いっっったあ……かっこわるっ」
立ち上がってパンパンと片手で尻を払う。誰にも見られてないよな? と辺りを見回して、僕はその場に固まった。
……どこだ、ここ?
そろそろと首を巡らせて、自分の周辺を見る。目をこすってからもう一度。もしかして頭を打って、ちょっとの間意識を失ってる間に、歩いてどこかに来ちゃったかなとか、そんなことを考える。
なんか、ぜんぜん見たことのない、屋根の高い木造建築物の、中。
「……ええっと。うちの会社で、こんな物件持ってたっけ……?」
つぶやいた後に、すごく近くで「キァーン」という甲高い動物の鳴き声が聞こえた。僕はびっくりしてそちらの方向を振り返る。
「……おまえ、誰だ? どうしてここに居る? どこから入って来た?」
そこには、背の高い赤髪のイケメンがいた。日本語が上手だけれど、たぶん北欧系の人。
そして、さらにその後ろ。
そのイケメンの頭上高くから……でかすぎる茶色い鳥が、僕を見下ろしていた。




