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6、Aちゃん

 待ち合わせ場所として指定されたのは、京都府にある介護医療院近くの喫茶店だった。喫茶店で待ち合わせをしたのは、栢野からの配慮であろうと思っていた。と、思っていたが、それは喫茶店に到着してすぐに間違いであると思い知った。栢野は、喫茶店に先についており、食事をとっていたのだ。

 朝食としては重く、昼食としては不相応な分厚いパンケーキを切り分けて、食べる栢野の姿を見て、私は緊張の糸が緩む。

 私が来たことに気が付いた栢野は、手にしていたナイフをひょいと掲げて、随分な挨拶をしてくれた。


栢野「どうも、これを食べたら行きましょうか」

著者「お腹が減ってるんですか?」

栢野「私みたいな人間は、食べれるときに食べないと、すっかりと忘れてしまうんです」


 そうなのだろうか。と、いう疑問が浮かんだが、そう言いながら、切り分けられたパンケーキをひょいぱくと食べていく栢野を見て私はその疑問を、そうかもしれない、と思い込むことにした。そんな様子を見ていたら、私も何か食べたくなったが、ブレンドコーヒーを一つ頼む程度にしておいた。

 私がブレンドコーヒーを飲み干したくらいには、栢野もパンケーキを平らげた後であり、出ましょうか、という事になった。

 件の介護医療院はすぐそこで、そう急ぐ必要もなかった。


栢野「面会に来ました」


 と、いけしゃあしゃあと受付に述べた栢野は面会簿に名前を書く。

 介護医療院と聞いていたが、いざ、実際に来てみると病院とあまり雰囲気としては変わりのないような気がする。ただ、病院と違うのは施設として静かなのだ。ただ、それには明確な理由があって、外来診療を病院はしているのに対して、介護医療院はそれをしていない。なので、外部からの出入りがなく、施設として静かなのであろう。

 だからか、私があまり好きではない病院の匂い、消毒液の匂いなどの独特のあの匂いがなかった。それはとてもいいことに感じられる。

 私と栢野は、エレベータに乗って、5階へと向かった。


著者「ところで、誰に会うのですか?」

栢野「私の祖母ですよ。とはいっても、正確には、件のベッドの犯人、ですが」


 エレベータが停まって、5階フロアに出た。フロアに出たとき、私はうっという風に顔を顰めた。病院特有の匂いがあったからだ。消毒臭いというか、それ以外にも、明らかな糞尿の匂いとでもいう、独特の嫌な臭気がフロアに満ちていた。それがすぐに分かって、私は顔を顰めるしかない。

 栢野はそういうのはまるで気にしない、というようにフロアの中を歩き、すれ違うスタッフ、看護師や介護職員に対して挨拶をしながら、進んでいった。なるほど、すでに何度か来ているらしい。祖母が入所していると言っていたし、一度、見学に来ているのだから、顔見知りとなっているかもしれなかった。

 廊下を歩き、そこのある部屋の前で足を止める。部屋の前には、入所者、利用者の名前が病院のように張り出されている。個人情報の時代においても、やはり、こうやって入所利用者の名前は外に出すらしい。

 

栢野「お邪魔します」


 そう言って、栢野は部屋に入っていった。

 そこは確かに、朝倉看護師が描いたような形の部屋だった。ベッドが部屋の四隅に並ぶ、まるで、病室のような形。そして、栢野が追記したように、パーティションが、ベッドとベッドの間に置かれて、プライバシーを守るようになっている。

 最も、全てのベッドにはカーテンがひかれておらず、手前のベッドに横になっている女性が、私と栢野をじっと見てきた。

 栢野は一番奥、右手のベッドまで歩く。そこが栢野の祖母の病床なのであろう。ベッドの上では、女性が静かに目を瞑って眠っていた。その様子を、栢野は観察していたが、ささっと、そこで寝ている女性の荷物を交換した。あくまでそれが本来の目的ですよ、と言わんばかりに。が、一番丁重に扱ったのは、床頭台にある人形だった。

 熊の人形で、それを丁重に鞄に納めるとベッドサイドから離れた。


栢野「では」


 栢野はそう言うと、隣のベッド、つまり、出入口の側のベッドへと近づいた。


栢野「どうも、こんにちは、Aさん」


 Aさんと声をかけられた女性は、じっと栢野を見た。ベッドの上で寝ていた彼女はテレビをリモコンでぱちりと消して、にこりと栢野の方へと笑みを向ける。その笑みは実に親し気で、幼い頃に訪れた祖父母の事を思い出した。私が夏休みなどの長期休暇で両親と帰省すると迎えてくれた親しい笑みだ。


Aさん「こんにちは、栢野さんって言ったわね。覚えているわ。そちらの方は?」

栢野「ありがとうございます。こちらは友人で」

Aさん「ご友人ね。どうも、こんにちは、立ち話もなんだから座ったら? 外の様子を教えてくださいな」

栢野「お言葉に甘えて」


 栢野はにこりと笑みを向けると、廊下から丸椅子を引っ張ってきて、ベッドサイドに置いた。私もそうしようとしたが、栢野はベッドサイドにある車椅子を指差し、「それに座ってはどうか」と提案した。Aさんも、それを進めてきたので、私は言葉に甘えるように車椅子に腰掛けて、二人して並んで座り、簡単な挨拶や、時事ネタをいくつか栢野はAさんに話す。が、肝心の話をし始めたのは、そう時間をかけなかった。


栢野「それで、Aさん。そこの私の祖母が入っているベッドですが」


 そう切り出した時、Aさんの顔がぴくりと動いた。


栢野「よく死ぬベッドだそうです」

Aさん「まぁ、そうなの」

栢野「Aさん。あなたが、殺していますね」


 随分な言い方で、私は驚き、ものすごい勢いで栢野を見た。あまりにも単刀直入であったが故か、Aさんもまた同じように目を点にしていたが、すぐに、ふっと笑いだして、まさかまさかというように手を大きく振って否定した。


Aさん「私を見てごらんなさいよ。私は、こんな寝たきりの老人よ。人を殺す体力があると思います?」

栢野「確かに人を殺すだけの体力は無さそうですね。ですが、人を衰弱させるには十分だ」

Aさん「どうやって衰弱させるの? 寝たきりの私が」

栢野「寝たきりではないでしょう。車椅子に乗れますよね」


 栢野が私を、いや、私が座っている車椅子を見た。


栢野「前にこちらに来た時、この車椅子を見ました。寝たきりの人であれば車椅子をベッドサイドに置いておく必要はない。もちろん、寝たきりであっても車椅子をベッドサイドに置いておくという人もいるでしょう。しかし、あなたの場合、それを使うことが出来るのは間違いない」

Aさん「でも、私が殺したとしたならば、証拠がその人にあるのでは?」

栢野「確かにそうですね。しかし、私は先程言いましたが、衰弱させるには十分と言いました。あなたは、別に、誰かに暴力を振るったりしたわけではない。ましてや、毒や何かを飲ませたわけでもない。では、何をしたのか。簡単な事なんですよ」

著者「もったいぶらずに教えてくれよ」


 栢野はじっとAさんを見たままに、口を開く。


栢野「眠らせない事です。精神的に追い込むことです。あなたは、そうしたんですよ」

著者「いやいや、それは無理があるだろう。眠らせないとしても、精神的に追い込むとしても、この寝たきりじゃあ」

栢野「ベッドサイドの車椅子に乗り移って、相手のベッドサイドに行くことはAさん。出来るでしょう」


 Aさんは黙ったままだ。


栢野「相手を精神的に追い込み、弱らせる事は出来る。目撃者はいないでしょう。幸いな事に、ベッドは部屋の奥まったところにあり、すぐに目が届くかというと今一つだ。もし、目撃者がいるとしても、そこのBさんくらいでしょうか」


 栢野は、ちょうど、反対側のベッドを指差して言った。そこのベッドにも、また、別の女性が寝ている。

 しかし、目はこちらをじっと見ており、言葉を発しないにしても、こちらに関心があるのは明らかだった。


栢野「しかし、そのBさんも共犯だったら。Aさん、あなたの行動を容認していたら、目撃者なんているはずもないです」


 Aさんは黙ったままだったが、肩を竦めた。


Aさん「仮にそれが真実だとしても、どうするというの?」

栢野「警察にいったとしても、どうとも出来ないでしょうね。すでに死体は焼かれているでしょうし、被害者はいない。死人に口なしだ。もっとも、うちの祖母は違いますが」

Aさん「え?」

栢野「私がわざわざ何の対策も無しに祖母を入れると思いますか? 祖母の床頭台のベッドに隠しカメラ入りのぬいぐるみを置いておくくらいの用心はしますよ。で、前回、面会に来た時も確認しました。だから、こうやって話をしているのです、確信をもって、ね」


 栢野はAさんにぐいと体を寄せる。


栢野「ただ私は知りたいのですよ。どうして、こんな事をしているのか。教えてもらってもいいですか?」


 Aさんは黙ったままだった。

 が、ついに観念したのか。深くため息を吐き出すと、天井を見上げた。

 私もつられて天井を見ると、トラバーチン模様の石膏ボードが貼ってあるだけだった。


Aさん「退屈なのよね。ここ」


 ぽつりとそう呟いて、Aさんは私を見た。


Aさん「あなたたちは外を自由に出歩けるわ。でも、私は違う。ここの部屋の、このベッドに入って、もうずいぶんと長くなるわ。身寄りもない私なんか、面会に来る人もいない。レクリエーションなんていう退屈なイベントも、本当に気晴らしでしかない。でも」


 じろりと私と栢野を見る。


Aさん「だから、ある日、思いついたの。そこのベッド、窓際のベッドに寝ている人をいたぶっても、遊んでも大して気がつかれることはないって。Bさんも私と同じような感じだったから、口裏をうまく合わせて、それで、私がそこのベッドの人をいたぶるのを黙ってもらったわ。楽しかったわよ、毎晩、耳元で死ねって囁くの。そしたら、本当に死んじゃって、もう、楽しかったわ」


 楽しそうに、まるで、お菓子を買ってもらった子供のように嬉しそうな顔でAさんは話をつづけた。

 私は嫌な風景が思い浮かんだ。寝たきりの老人の枕元、耳元で毎晩、死ねと囁き続けるAさんの姿だ。真っ暗な病室で、ひそひそと耳元で囁く姿だ。寝たきりの老人は、それに対して何も返すことは出来ない。そして、それを訴えたとしても、誰も信じようとはしてくれないだろう。


Aさん「あそこのベッドは私の最適な暇つぶしよ」


 本当に心底、楽しそうにAさんは言った。

 何とも嫌な笑顔で、私は目を背けた。

 それが良くなかった。

 もっと楽しそうに笑っているBさんが、そこにいた。

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