14 人ならざる者
暗いはずのエントランスは天井から吊るされたシャンデリアによって煌々と照らされている。
館の主は耳を澄ませ、余計な音を立てぬようにつま先立ちでゆっくりと進んでいく。外門と繋がれた通信機は、家族がバラバラに暮らす今は全部で四台存在する。一台はエントランス、玄関横。一台は一階食堂。一台は浴場。そして一台は主の寝室だ。
(一台ずつ確認しよう)
少年の話や態度から、何者かがこれらの内の一台を用いて外と会話した事になる。つまり、奴は先の四部屋のどこかに潜伏しているかもしれぬのだ。
玄関傍の通信機を横目に見て、次はそこから最も近い魔界の同志と食事した部屋へと足を進める。
“キィ……”
いつもは何ともない扉の音が、今日は不気味に聞こえる。
ゆっくりと視界を確保できる程度に扉を開け、エントランスの光でぼんやりと照らされたチーズの香る部屋を覗き込む。
だが、視界には怪しいものは無い。俺は息を飲んだ後、勢いよく扉を全開にし、食堂全体を光で照らした。
「…………異常なし」
テーブルに残された空の皿。皆で出て言った時そのままだ。
俺はそのまま扉を閉め、まだ終わらぬ不安と妙な安堵の混在した不思議な気分で次の通信機の元へと潜み足で進み始めた。
次は同じ階にある浴場だ。我が家の浴場は食堂のちょうど裏にあり、調理室を超えた所に位置する。
そして、目的地に至る廊下に足を踏み出した時、俺の全身を冷気の稲妻が駆け巡った。
「点いてる…… 灯りが……」
廊下を挿む様に設置された照明。それが俺を出迎えるかのように灯りを点けていたのだ。
「い、行こうっ」
そこで立ち止っていても仕方がない。それに正体不明の何かに屋敷を占領されたらたまったものでは無い。
勇気を振り絞り、足を前へと動かしながら俺はあの部屋の事を考えていた。そう、夕食時に披露したオカルト話だ。無論アレは場を盛り上げるための作り話ではない。だが、件の部屋は屋敷の端に位置し、普通に暮らす上では別段問題なかった。
「はぁ……」
しかし、部屋の霊なり宇宙人なりが外に出て好き勝手するのであれば、俺も何らかの手を打たねばならないだろう。屋敷の鍵が閉められていた事を鑑みるに、何者かがいるとすれば客人ではなく、やる時は手荒な手段に出るかもしれない。
風呂場に通ずる脱衣所はこの先の突き当りを右。左には二階へと上がる階段が伸びている。その様子も不自然な灯りによってはっきりと確認できた。
マレードは廊下に飾られた甲冑の剣を拝借し、鋭い目つきで辺りを観察しながら、ゾンビが出てきそうな我が家を探索する。
「ひっ!!」
そして、脱衣場と階段に分かれる廊下の突き当り、そこに鎮座するアンティーク照明が照らすモノにマレードは声をあげ、剣を落とした。
“お分かりいただけただろうか”
等というテロップも、リプレイも必要なく、誰にもわかる形で生々しく脱衣場から階段へと小さな足跡が続いていたのだ。
足跡は水気によってつけられたもので、何者かが風呂場を利用したのは明らかであった。そして、この大きさ。マレードの妹であるマリナや、我が物顔でこの館を利用するフィオ姫より一回り小さく、少年の推測の通り10代初めぐらいの者の足跡と思われる。
言うまでも無く、ガランドファミリーにこのシンデレラの足跡に合致する人間は無く、侵入者としても異常だ。
「やはり幽霊……」
そう言いながらも、一つ大きな疑問が浮かぶ。至極単純で簡単な疑問だ。即ち、“霊とやらが風呂上がりの愛跡を残すか?”という疑問である。
霊というのは肉体や、憑依するのに適当な物の無い精神体。そうであるなら、肉体が移動した痕跡である足跡を残すのは不思議と言わざるを得ない。まぁ、「飛べよ」という話である。加えて、風呂上がりの足跡というのも気になる。霊なら血でできた足跡を残せというのだ。ホラーとしても三流過ぎる。
「…………」
だが、何かいるのは確かであり、もしかしたら宇宙人や地底人、深き者かもしれない。それらはある意味霊より厄介だ。
「この先は……」
階段を登りきると、そこは東西を繋ぐ二階廊下。足跡はエントランス方面に通ずる東ではなく、今話使われていない使用人用の寝室や倉庫がある西へと延びていた。その先にあるのは、例のあの部屋であり、思わず息を飲んだ。
そして、久方ぶりに不自然な灯りの元、埃の目立つ廊下を進み始めた。
この館の造りは単純で、どこかの館のように「特殊な鍵が必要」や「メダルをはめ込んで仕掛けを動かせ」みたいなものは無い。この廊下を進めばいかなる障害も無くあの部屋に辿り着く。
「ここだ」
二つ並んだ使用人用の寝室。そのうちの右の方に足跡は続いていた。その部屋こそ、例のあの部屋で間違いなかった。
「やはりか…… どうする? 引き返すか?」
扉を前にしてマレードの表情が歪み、汗が額と背を伝う。
霊のしわざかは置いておくとして、ここで起きた怪現象は実際起きたものである。無暗にこの部屋に手を出せば、俺もトキオならまだしも、誰も知らぬ無人島に飛ばされるかもしれない。その恐怖がわが身を凍結させているのだ。
「あーさっぱりしたのじゃ。
それで、こっちは…… 連結は完全に完了。ここしか同期できぬのはなんとも不便よ」
扉の奥からひそひそと少女の声が聞こえる。
噂はやはり真実であった。その事を俺は身をもって知ることになった。
「まったく、今回は調子がいいのう。折角じゃし、食料もいただくかの。なにせわしは……」
その台詞と共に扉が少しずつ開かれる。マレードの心臓はその予期せぬ出来事に急速に動きを速め、それに乗じてマレードの前に広がる世界は時間が引き延ばされたかのようにスローモーションとなる。
「か☆み。じゃから」
「ぎゃああああああああ!!!!!」
「あぎゃあああああああああああああ!!!!」
この館に住まう未確認生物がその姿を現した時、マレードは身体よりも先に悲鳴を上げた。そして、その異様な形相と声に驚き、未確認少女も身体を硬直させて絶叫する。
「ななななな!! 何者じゃ!!!」
「おおおおおお前こそ何だ!!! ここをどこだと心得る!? 悪霊退散悪霊退散!!」
混乱の所為か、靄がかかったように視界が霞み、マレードは腕を振って霊媒師の真似事を始める。
「だだ誰が怨霊物の怪じゃ!!! わしは…… ん? お主、マレードか?」
悪霊呼ばわりされた事に未確認少女は反応し、すぐさまそれを否定しようとマレードを睨みつける。その瞬間。少女は正気に戻り語勢を落として優しく彼の名を呼んだ。
「悪霊めぇ!! 誰がマレードだ!! 俺はっ!! ……はい。マレードです」
自分の名を呼ばれた事に振り回す腕の速度を緩め、マレードは薄目で目の前に立つ未確認少女の姿をまじまじと見つめる。
「ちょっ!! このぷりちーな姿を忘れたとな!? さんざん愚弄したのにお主という奴はっ!」
「あーーー…… はっ!! のじゃロリ。のじゃロリなのか!!」
言い訳をさせてもらうが、無論俺の無限ともいえる脳内メモリには彼女の存在があった。だが、彼女は迷家の住人みたいなもので、我が家でこの様に再会を果たすなど予想もしなかったのだ。
「そうそう。神グレイセス・マレーシャである。もっと喜ぶがよいぞ! ふははははは!」
「は、はぁ…… わーい? うれしいなぁ。
っと、それより何故こんなところにいるのです?」
霊の正体が分かり恐怖は消え去ったが、謎は山盛りだ。
「あー、それなー。
わしの式神が言っていたであろう? “わしが住まう城と地上を結ぶスポットがある”と」
「シキガミ? ああ、サトラップさんのことですか。ああ、確かにそんな事を言っていましたね」
妹の晴れ舞台を共に観たあの日。サトラップさんは自分が城に戻る手段としてそれを述べていた。だけど……
「なんでここなのですか? もしかして、この部屋を使ってずっと俺達を監視していたんじゃ……」
そう考えると、彼女が俺の事を良く知っていた事にも合点がいく。まぁ、それだけでは分かるはずもない事も言っていた気がするけど、この際どうでもいい。
「ん? ぷぷぷっ。そんな事せんでも城から全て丸っとお見通しじゃ。その言い様だと、ここはお主の住処の近所か?」
「近所どころか我が家なんだよなぁ……」
俺はこの神様から賃貸料を取るべきか。いや、可哀想か。
「ほぉ、それは数奇よなぁ。
という訳で、ここはわしが頂戴する。謹んで供じるがよい」
やっぱり、賃貸料取りたいわ。色々上乗せして徴収したいわ。
「それなら取るものは取りましょうかね。ここ俺の家ですし」
「なっ! お主神から金をとるのか!? 何と不敬な…… 人心もここまで穢れてしもうたか!!」
その様な事を言われると思っていなかったマレーシャは一瞬驚きの顔を見せた後、眉を下げて困惑の表情でマレードを見つめる。
「これが地上のルールですから。お嫌でしたらここ以外のスポットに行ってください。どうせ他にもあるのでしょう?」
マレードはムキになっていた。彼女に聞きたい事が沢山あったにも関わらず、上から目線で部屋を奪い取ろうとする少女に意地悪したいという気持ちが優先していた。
「お、お主。こんな幼気な少女から金をとろうというのか? なんと酷い大人か。こんな大人にはなりとうないな。
それにここは他とは違う特別な場所なんじゃ……」
「うっ……」
そのアプローチは紳士であるマレードの心を震えさせた。上目遣いに瞳を潤ませた少女の言葉を無視できる大人がいるだろうか?
「……お話を聞かせて頂きます。そして、どうするか判断します」
「おう、そうか。ふむふむ詳らかに話してやろう。しっかり拝聴するがよい」
瞳を覆っていたはずの涙は吸い込まれる様に消え去り、偉そうに頷くと、自分の部屋に案内するかのように、マレーシャは館の主をいわくつきの部屋に招いた。
部屋の中は怪しげな魔法陣や霊が張り付いたようなシミのようなものは無く、ベッドとテーブルが整然と置かれているだけ。ごく普通の寝室だ。
「ふーん……」
恋人の部屋に始めて来た男の様に、マレードはキョロキョロと視線を動かし落ち着きがない。
「さぁ、くつろぐがよい」
部屋の主気取りの神はベッドの中心に座ると、隣を叩いてマレードを誘う。「自分の横に座れ」そう言っているのだ。
俺は彼女の言葉に甘え、白いシーツの上に尻を落ち着けた。
「そうじゃな、先ずはこれを見てもらおうかのう」
自分の隣にマレードが座った事を確認すると、マレーシャはどこからか濁った輝きを放つ悪趣味な箱を取り出して彼に見せた。
「これは?」
箱の形は歪で、ミスったじゃん☆こうたサインのような不思議な文様や、レリーフが刻まれている。
「お主は魔界の秘儀である『仮想空間の創出』の技術は知っておるか?」
「『仮想空間の創出』? ああ、それは知っています」
『仮想空間の創出』というモノに俺は覚えがあった。『魔界のネットワーク』と名付けられた超便利技術だ。
「なら話は早い。この箱の中にはそれを実現せしめる為の道具が入っておるのじゃ」
「え? でもあれは魔界の技術なのですよね?」
言っている事が捻じれている。『仮想空間の創出』が地上には無い魔界の秘術だと言っておきながら、それを可能にするものが彼女の手にある。それは神であるが故に手に出来ているのか。
「そうじゃ。魔界の技術じゃ。
じゃが、技術というのは“空間を固定し、常にその場所を利用できる”というもので、空間を生み出すものでは無い。太古の昔に神との契約で彼らはこの道具の力の一部を使っているのに過ぎず、彼らが作り出したのはその運用術なのじゃ」
つまり「魔界にはこの道具がもたらす効果をライセンス契約しているだけ」という事らしい。
「それで結局その箱は何なんですか? ってかこの部屋を不法占拠しているのと何の関係があるんです?」
マレードは好奇の目を箱に向けながら隣に座る神に詰め寄った。
「知りたいか?」
蠱惑敵な表情でツインテの神はマレードの膝上に小さな手を乗せながら詰め寄り返した。だからNOという選択肢はなく、彼女の問いに「勿論」と返して説明を求めた。
「呪道具輝く黒結晶」
「輝く黒結晶……」
黒結晶という事は箱が主ではなく、中にあると思われる黒色の鉱石が呪道具なのだろう。
「輝く黒結晶はこの世とは違う宇宙。邪神の世界へと誘う狂気の秘宝。じゃがその宇宙は秘匿された空間へと通じる通路にもなるのじゃ」
「秘匿された空間?」
「お主を呼んだ白亜の天空城。魔力素によって隔絶されたあの場所の事じゃ」
思えばあの城は不思議の塊だ。雲ほどの高度を浮遊するあの城が地上から見えぬはずがなく、大陸の上空は数多の飛行艇が飛び回っている。にもかかわらず、城が飛んでいるというニュースや噂は聞いたことがない。
「簡単に言えば、高濃度の魔力素の層の内にあり、外部からの視認や物理的干渉を受けないということじゃ」
怪訝な顔で空を見るマレードの疑問を察して、マレーシャは地に着いていない足を振りながら説明を加えた。
「なるほどね。不落の城か」
透明な城なんてチートもいい所だ。インビジブル(透明)とインビンシブル(最強)と言葉も似ている事から見てもそれは明らかだ。ラ○ュタで言う所の竜の巣が、この城を守る魔力素の層なのである。
「神であるわしに与えられた聖なる領域じゃ。
じゃが、もちろんこれにも問題があってのう。
天空城から地上へと移動する場合。魔力素の層にいくつか存在する天然の魔法陣を利用する事になる。先にあがったスポットとはこれの事なのじゃが、これが中々厄介でな」
「厄介?」
引きこもり大喜びの牙城にどこでもドアが付いているなんて最高じゃないか。もし俺がこの城の主ならきっと怠惰の沼に沈んでいた事であろう。
「考えてもみよ。行きは確定された“地上”に移動できるが、帰りは城の周りの“空中”に転送されてしまう。お主や式神が城まで辿り着けたのはわしが城から引き上げていたからなのじゃ」
確かに当然の結果としてそうなる。魔力素は空気中に漂う酸素の様なものであり、当然に触ったりそれに乗ったりする事は出来ない。また、高高度を飛行する魔術体系も存在せず、常人ならそのまま真っ逆さまだ。
「そこでじゃ。わしは城内部に人工的にスポットを作る事にしたのじゃ。
じゃが、お主も知っての通り、転送魔法陣はそれを定着させるために恐ろしいほどの時間を要する。わしはせっかちでな。早くスポットを作りたかったのじゃ。そこで」
「輝く黒結晶ですか。その箱の中にあるモノを使って一つ空間を跨いで地上と城を繋げたという事ですね」
「その通りじゃ。
じゃが、これも中々大変でな。どこでもいいという訳ではなく、城の中でトライ&エラーを繰り返していたのじゃ。あーほんとつっかれた……」
マレーシャはここまでの苦労を思い出すと、深いため息をついた。そして箱を手にして立ち上がると、それをマレードに見せるように彼の前に立ちはだかった。
「輝く黒結晶が誘う世界はわしらとは異なる理の宇宙。お主も覗いてみるか?」
そう言うとマレーシャは歪な箱の蓋を器用に持ち上げ、その中身をマレードの目の前に晒す。
中に入っていたのは黒い水晶玉の様な球体。そこにはいくつもの傷の様な赤い線が刻まれており、吸い込まれてしまいそうな雰囲気を醸し出している。いや、俺は吸い込まれていた。辺りは闇に溶け、俺とのじゃロリは闇のネットワークと酷似した宵闇の空間へと放たれた。
「こ、ここは!?」
まるで夜空に浮いているようだ。光を吸収する漆黒は自分達が地面に立っているという感覚すら麻痺させる。
そして、波音の様なものだけが流れる空間の中で、俺は確かに感じていた。ここに存在する名上しがたい何かを。
「わしから離れるなよ」
小さい神が俺の手を握って歩みだす。この時はその小さい身体が何より頼もしく見えた。
―一歩
――二歩
――――三歩
北へ向かっているのか南に向かっているのか。俺にはどこに向かっているのか分からない。ただ少女の導くままに迷いの空間を歩んでいく。
そして――
「うっ……」
突然の光が俺の瞳を貫いた。先まで暗黒の中にいたためにその光のシャワーはより強いものに感じられた。
「ついたぞ」
瞳孔が眩しい世界に適応し、徐々に情景が見えてくる。微塵の穢れの無い白亜の柱。その間から見える満点の星空。その場所はかつて俺が訪れた神の城であった。
「はぁ~……」
得体の知れない世界を抜け、まだ現実味のある場所に来た事で思わず俺の口から安堵の溜息がこぼれる。
「このルートだけが、あの者達に知覚されない唯一の道だったのじゃ」
神であっても異なる宇宙の邪神は恐ろしいらしく、彼女の表情にも安堵の笑顔があった。
「だけど、何故君はあのような危険な場所を通ってまで地上に行きたいの?」
目の前にいる小柄な少女には紛れもなく世界を見渡す神の権能がある。その様な者が何故わざわざ自分から地上に行きたがるのか。俺には少し疑問であった。
「ん? お主……」
地雷に触れたのか、マレーシャはマレードを鋭く睨んだ。
「まあいい。この世界を生きるものとして地上の楽を味わいたいのは当然じゃろう? それだけの事じゃ」
まぁ、確かにここには何も無いのかもしれない。始めて来た者にとっては神秘的で興味深いが、その内「白」という色すら嫌にもなるだろう。それに、地上を俯瞰できるという環境もいずれ飽きる。彼女が持っているのは当たり前の欲求だ。
「そうですね。見方を変えればここはモノクロの檻みたいなものだ。
ああ、それと。数年前に館の使用人の男があの部屋を利用して」
マレードは彼女の心情を汲み取り、話題を変える為に“トキオ異邦人事件”の主役である消えた男の話を繰り出した。
「ああ、覚えているぞ。城内のスポットの当たりを探している時にあの男はこの城に迷い込んでしまった。そのお陰でこのスポットが安全だと分かったわけなのじゃが……」
「じゃが?」
「原因を作ったわしが言うのもなんだが、あの男は運が良かったのじゃ。もしもここに至る事なくあの宇宙で放浪したら、恐らく廃人になっていたじゃろう」
そして、俺がここから脱出した時の様に、この男も城の外にあるスポットでトキオに至ったわけであったのだ。
「じゃあ、あの部屋から聞こえる不気味な声はその宇宙の……」
「それもあるじゃろうが、わしの声もあったじゃろうな」
彼女との会話であの部屋での怪奇現象の全てが明らかになった。全ての原因は神と名乗る少女が地上へと降りる為に作った「仕掛け」であり、俺も屋敷も悪くない。全く、迷惑料くらいとっても罰は当たらないだろう。
「まぁ、死者が出たわけでもないし」
部屋を巡る一件は恐怖や迷惑は振り撒いたものの、実害は少なく、のじゃロリ神も迷惑をかける意図があったわけではないので気を立てても仕方がない。それよりも俺は彼女に出会えたこの機会を十分に利用すべきだ。
「それで神サマ?」
「ん? なんじゃ? 気持ち悪いのう……」
ゴマをすりながら寄ってくるいい大人にマレーシャは不快感を示し、一歩後ろにたじろいだ。
「いやいや、折角なので色々聞きたい事があってね。
なんか、世界各国から呪道具が失われるというか、盗まれていると聞いたんですけど、それは……」
別にジレットさんを信頼していない訳ではない。だが、国の中で宰相である自分が動く場合、どうしてもその情報が確かなものか知る必要があった。それにそれが事実なら憲兵隊や軍、警察を動かす事も可能になるかもしれない。
「呪道具? ああ、各国に忍び込ませている式神からそのような報告を受けたのう。確か15件ほど報告されいたかの。まぁ、わしにとってはどうでもいい事じゃが」
この神の言葉を信じるならば、ジレットさんは真実を言っていた事になる。当該国の数字まで同じというのは偶然ではないだろう。
「そしてそれに関してなのですが、ヌンティウス・デイという女をご存知ですか?」
「ヌンティウス? うーむ…… しばし待つのじゃ」
マレーシャは少し考えた後、指先を空気に這わせる。すると指が触れた空間がキラキラと輝き始め、薄いタブレットが出現した。
「『ぬ』『ぬ』『ぬ』『ぬ』、『ぬ』ーっと…… 『ヌンタ』『ヌンテ』『ヌント』『ヌンティウス』…… ふーむ……」
タブレットを這う指の動きが止まり、マレーシャはマレードの顔に目線を移すと、手を振りタブレットを消し去った。
「結論から言うが…… この世界にヌンティウス・デイなる人物は存在せん」
「存在しない……?」
「然り。魔界を含めた48ヵ国の何処にも存在せん」
もし、その名を冠した人物がいないのであれば、答えは一つ。奴は偽名を使っているという事だ。確かにあいつが本名を名乗らなくてはいけない理由など存在しないし、やっている事を考えると偽名を使うのは当たり前だ。
「ふーむ…… 困ったなぁ…… それじゃあ、前回ここに来た時に話題になった穴掘りの――」
名前がキーにならないのであれば、ヌンティウスがしでかした行いから彼女の事を聞くまでだ。俺は目の前の少女にノワール・ペシェの裏に彼に行動を起させ、幇助した者がいる事を話して、その者にあたりがいないかを問うた。
「うーんそうじゃなー…… “はっきりいってわからん”じゃ」
「前に“何でも知っている”と言っていましたよね?」
「ああ、言うには言ったが、正確には“何でも知っている”というより“何でも知る事が出来る”じゃな。そんなどうでもいいペシェなる男の行動の動機なぞわしは微塵の興味も無いのじゃ」
つまり、この少女は“マレードの事は”何でも知っていたという事なのだそうだ。それはそれで気持ちが悪い。
「俺周辺の事は知っていたという事はつまり…… それってストーカー……」
「ちっがーう!! わしはトキオ海溝より深い重要な理由があってお主を見ていたのじゃ!!!」
「重要な理由?」
「…………乙女の秘密じゃ。ひゅーひゅー」
彼女が口にした「重要な理由」というのは気になるが、口笛で誤魔化す彼女に何を言っても答えてくれないだろう。まぁ、その内『部屋の利用権』あたりを餌に聞きだすさ。
「詮索なぞするなよ。ってか、もう要件は無いじゃろ? 帰れ帰れ!!」
自分からこの地に引き込んだのにこの態度。やはり何かあるようだ。
「それじゃあ。最後に一つだけ」
「分かったからはよ申せ!」
城の入口に向かって背中を押す見かけによらず力強い少女に指を一本立てて、俺は注文した。
「ジーマ帝国の宰相府庁舎に行ったことあります? 具体的に言うと庁舎二階にある応接室なんですけど……」
「応接室もなにも、わしが地上へと降りたのは今日が初めてなのじゃが。あの館の庭に出て汗をかいたから風呂場を探して――」
彼女が言うには、初めての地上にはしゃいで外に出たが、同時に慣れない環境に恐れを抱いて館の敷地内から出ず、庭を転げまわって地面をエンジョイしていたそうだ。まったく子供だな。
そして、少し前に氷の変態が言っていた人ならざる者の匂いの正体は彼女ではないらしい。
「ほれ扉についたぞ。ありがたく落ちるのじゃ」
彼女の話を聞いている内に俺の足は城の玄関口手前に着いていた。投身脱出したあの扉の前だ。
「ああ、ちょっと待った。最後にもう一つ質問させてください」
「お主さっきは最後に一つだけとか言っておったであろう……」
「まぁまぁ、これだけ聞かせてもらったら飛び降りますので」
子供の様に駄々をこねながらマレードは扉の前で踏ん張った。
「先ほど話題にしたヌンティウス・デイなのですが、俺はスータマにある女学校であの女と会っているのです。寮の階段で初めてその姿を見て、その後は中庭へ。貴女が俺を見ていたならその事は知っていますよね? その女の事を俺は知りたいのです」
扉の縁にしがみつきながら放ったその問いに対し、マレーシャは心配そうな顔でマレードを見つめた。
「それは、寮の部屋で一緒になっていた女学生の事か?」
女学生というのは言うまでも無く、ナナミさんに怪文書を送った少女の事であろう。勿論彼女は俺の知りたいヌンティウス・デイなる女ではないので首を横に振った。
「うーん。確かにお主はその女と別れた後、中庭へと移動しておった。
じゃが、おかしいのう。わしが見ていた限り、そこに人はお主以外おらんかったぞ」
「そんな馬鹿な!! 俺は確かにあの女と遭遇し、会話をした」
夢幻とは思えない。俺はあの日、月下の元であの女と言葉を交わした。今でも鮮明に覚えている。
「とは言われてもなぁ…… 人がいなかったと言ったらいなかったと言う他ないのじゃ…… お主疲れているのでは? その体で大丈夫か?」
心配そうな彼女の表情に嘘偽りは感じられない。彼女の見ていたあの日の情景は俺の滑稽な一人芝居だったという事なのか。
「いや、大丈夫だ問題ない」
この後酷い目に会いそうな答えを返した後、俺は雲海を望む扉へと向かう。丁度どこからか飛び立ちたい気分なのだ。
「ヌンティウス・デイの事、何かわかったら教えてください」
その言葉を最後に、別れの言葉も無く、マレードは自らの体を重力に委ねた。身体を圧し潰す様な空気の圧力に気を失いそうになりながらも、俺は離れていく城の全景をじっと見つめていた。
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雲に入り、視界が奪われたと思ったらそこはどこかの一室。照明は消えているが、窓から差し込む月明かりが辺りを照らし、並んだテーブルや椅子がぼんやりと見える。
そして、足からは冷たい地面の温度が伝わってきており、あの悍ましい宇宙では無いという小さな安心感が体中を伝っていく。
「うっ……」
すこし重く感じる身体を動かし、周囲を確認し始めようとした時、突然この部屋の照明が光を放った。
「うえーっと、いじょうなーし…… え? ん? だ誰だ!!? え? 何でもできる君さま?」
点灯と共に現れたのは黒い制服を纏った警備員だった。彼は状況が分からず、何度も目を擦って自分の目の状態を確認した。
そこには裸足の宰相が一人。暗い部屋で一人立っていたのである。




