15 おくりもの
「はぁ……」
全く気分の悪い朝だ。
いや、別に夜のオフィスに裸足で飛ばされ、恥ずかしい思いをした事に苛立っているわけではない。
「いったいどういう事なのだ……」
香ばしいトーストの焼ける匂いの籠った食堂に入ると、マレードは先日、神と名乗るロリが言った事を思い返す。
「あの時、俺は確かにヌンティウス・デイと会い、言葉を交わした。アレは決して、幻想や超魔術なんかじゃない」
きつね色のトーストに齧りつくと、溶けたバターの油が舌を刺激し、脳を活性化させる。
「俺はまだボケていない。この天才が……」
マレードは「自分が幻聴を見ていたのではないか」という言いし得ぬ不安を覚えていた。疲れ、ストレス、将来への不安……等々、そうなる原因はいくつか提示し得るが、認めたくはなかった。だが、不安というのが気分の悪さになって心を圧しつけているのは事実だ。
「どうじゃ? 御主人様よう。美味しいかの?」
「ああ、美味しい」
「これも作ったから飲んでくれ」
目の前には健康そうな緑のジュース。俺はそれを少し舌にしみこませる。
(美味い。もう一杯)
この心の声は世辞ではない。ほうれん草の緑の中に仄かに柑橘類の酸っぱさ、苺の甘みが隠されており、うま味となって全身を駆け巡った。
俺はそれを一気に口に含むと、どん底のギャンブラーがビールを飲んだ時と同様の声を漏らして空になったコップをテーブルに置いた。
「おおっ。いい飲みっぷりじゃな御主人様。お替りもあるぞ」
「おう、ありがたい」
コップに再度とろみのついた緑の液体が充填される。今度は味わう様に、俺はそれを適量口に含み、味蕾から脳に送られる幸福の信号をできるだけ長く楽しめるようにする。
「ああ、美味しい」
「そうじゃろう。そうじゃろう」
緑のジュースによって先の気分の悪さと、朝特有のぼんやりした気持ちが消えていくと、ここに来てやっとこの朝がいつもと違う事に俺は気付いた。
つまり、ここには家政婦や料理人などいないため、いつもなら自分で朝食をこしらえるのだが、何故か朝食のトーストが用意され、ジュースまでついている。で、一人住まいの俺はさっきから誰と話しているのだ?
「いやー。そこまで美味しそうに飲んでもらうと嬉しいのう。式神に飲ませても表情一つ変えないからな」
視点を横にずらし、明瞭となった視界に止まったのはメイド服を纏ったのじゃロリ神だった。
「……えっとぉ―― 神サマ? 一体ここで何をされていらっしゃるのですか?」
「部屋一つをもらい受けたのでな。神として何か返さなくてはと思い、この服を見つけて…… それでお主の給仕でもしてやろうかと思ったのじゃ。それにどうじゃ御主人様。この姿可愛いじゃろ?」
神マレーシャは腰に手を当ててそう語ると、一周くるりと回転し、自分のかわいらしさをアピールした。
彼女の着ているメイド服はマレードの母マレーナが趣味で購入したコスプレ用のメイド服だ。所謂ミニスカメイドなる実用性皆無の代物であったが、体の小さいマレーシャの体には何かの巡り会わせであるかのようにフィットしていた。
「うんかわいい。
…………じゃなくて!! もう、やめて下さいよ。そんな事しなくていいですから!!」
俺は神にこの様な事をさせるのが畏れ多いと思い、彼女にやめるように言ったわけではない。年端も行かない少女にこの様な事をさせるのが問題だと思って言ったのだ。
我が国では満18歳に満たない者の就業はいくつかの例外を除いて法律で禁止されている。無論、家政婦はその例外に含まれておらず、見方によっては、俺は絶賛犯罪者だという事になる。
「えー。いいじゃろ。可愛いんじゃから」
彼女の姿は愛おしく可愛らしい。ロリコンではない俺が言うのだからそれは確かであろう。艶のある流れる黒髪と、メイド服の主色である黒白が見事に噛みあい、赤いリボンは完成された作品に花を添えているかのようだ。ぶっちゃけ、どこかの自称人形少女よりはるかに人形っぽさを感じる。
「可愛いからといって許されるわけではありませーん。
っていうか、城はどうするのですか? 貴方がいなければシキガミも帰還できないのでしょう?」
「大丈夫じゃ。アレらが帰還する時にわしがいればいいのじゃから。
それよりホレ。このプリチーなレースを見るのじゃ」
神は誘う様にスカートの裾をひらひらさせて自分のかわいらしさをアピールする。だが、俺は動じない。繰り返しになるが、俺はロリコンでは無いのだ。別に強がって否定している訳じゃない。何ならアンナ君の魂を賭けてもいい。
「なんじゃ…… つれないのう」
小学生にしか見えない神サマは衣服を揺らす事を止めると、マレードの元に近寄り上目遣いで彼の顔を見ながら、肌を摺り寄せた。
(ふわぁ~ ロリコンになるぅ~ なっちゃう~)
そのあまりに甘美な光景、癒される感触にマレードの新しい性癖アビリティが解放されつつあった。
(よくよく考えればこの子神様だし。きっと年齢もヤバイ事になっているよね。という事は、厳密にはロリコンじゃないんじゃないか? 犯罪じゃないよね。むしろ熟女っしょ)
思考も彼女の提案を認める方向に働き始めたマレードが、言葉でそれを表に出そうと息を吸った瞬間、彼女は突然一歩後ろに下がり、彼から距離を取った。
「おお、そうじゃそうじゃ。忘れとった」
離れたマレーシャはそう言うと、エプロンのポケットから一枚の書状を取り出した。
「お主が去った後、城でこれを見つけてな」
そこにはレンゲツツジの印が押されており、先日マレードが受け取った第二皇女からの果たし状で間違いなかった。
「ああ!! これはかたじけない。なんとお礼を言ったらいいか……」
愚かにも姫君の書状を落とした自分を恥じながら、マレードは恩人の少女に何度も頭を下げた。
「そう言うな。あそこに連れて行ったのはわしじゃし。
して、それはなんじゃ?」
書状を渡した後、神サマは不思議そうに俺の手元にあるそれを見ながら詰め寄ってきた。「勝手に人の書状を見ない」という倫理観は持ち合わせているようだ。
「これは、我が国の姫様からの果たしじょ……お手紙です。
えっと、中身は……」
マレーシャの倫理観に敬意を表し、手紙の内容の一部を聞かせてやるつもりで書状を開いた。すると、中から一枚の細長い紙が飛び出してきた。そして、ひらひらと宙を舞った後、それは地面に乗り、二人の視界に晒された。
「“わんぱくわんにゃんランド特別優待券 一枚でお二人様まで”」
厚紙に書かれた言葉をマレードは思わず口に出した。
それは紛れもなく、ハデスゲートに存在する遊園地のチケットだ。これ一枚で中のアトラクションも乗り放題という奴だ。
「なんでこんなものが……
えっと、何々……
『お慕いいたします何でもできる君様。
貴方様の生誕の日取に、私は貴方と顔を合わせる事が出来ません。合わせる顔が無いのです。
ですから、私からの贈り物をわんぱくわんにゃんランドに用意いたしました。本当は私が一緒に行くはずだったのですが、いつか、いつか、それが叶う日まで。
エントランス入場後、すぐに左に贈り物がございます』
なるほど、どうやらニャムを病院送りにしてしまったのがかなりショックだったようだ」
書状は果たし状ではなかった。
だが、第二皇女殿下の心に従い、俺は自分で作った遊園地に客として赴く必要があるであろう。そして、幸運にもこれとは別にテルカ村へと行く用事があった。
「のうのう?」
「ん? なんですか?」
「その“わんぱくなんとか”にわしも行きたいのじゃ。そこに二名様までと書いてあるしいいじゃろ」
涙は女の武器とはよく言うが、女性の瞳そのものが武器だ。男は必至に神サマの迫撃を堪えるしかない。
「なぁなぁ」
連れて行ってあげたいが、彼女を連れて行くという行為はリスクだ。想像して欲しい。もし、遊園地内で俺の変装が見破られ、少女と二人でデートしている宰相が衆目に晒されたらどうなるかを。色々とヤバい事になるのは想像に難くない。
「ムムム…… お主さっき言っておったな! “なんとお礼を言ったらいいか”と。今が礼をするチャンスじゃろ」
「……分かりました。
ですが、勝手な事はなさらない様にお願いしますね」
リスクがあるにもかかわらず、俺が彼女の要求を飲んだのは、ロリコンだからではなく、俺が義に厚く、言った事に責任を持つ男だからだ。
それと、やっぱり一人で遊園地に行くのは少し切ないっていうのもあった。
「おおっ。そうかそうか。わぁー 楽しみじゃのう」
満面の笑みで喜びの踊りをする神サマの姿は、年相応の子供の様だ。ロリコンではない俺だが、思わずその姿にはほっこりする。
「とりあえず、神サマには友人の娘という事で俺に同行してもらいます」
「はーい!! よろしくなのじゃ」
元気のいい返事だが、それが逆に心配になる。この神サマにとって地上は写真や映像でしか見た事のない初めて訪れる場所であり、しっかりと見守っていなくてはならないのだ。
――
――――
―――――――――
「のう? マレードよぅ…… わしらは“遊園地”とやらに来たんじゃろう? 何なんじゃここは……」
もうすぐ26歳になる青年と、見た目小学生女児の神様の親子の様な二人組は、遊園地のあるテルカ村の北部開発地帯に姿を見せていた。因みに、遊園地はここと真逆の南部である。
「本当にここなのか? 思っていたのと違うぞ」
殺風景――というより、中途半端に自然と人工がミクシングされている光景に、どこから持ってきたのか分からないが、おしゃれなワンピースに身を包んだ神サマが不満そうに声を漏らす。
「先に俺の用事を済ませますので、待っていてください」
「っ!! そういう事は早く言え!! うっきうき気分でここまで来てしまったではないか!?」
「まぁまぁ。後で存分に遊ばせますので」
別に宰相本人がここに来る必要のある用事ではなかった。だが、王都では間近に迫った宰相生誕祭準備で大忙しであり、正直自分の誕生日を祝う式典の準備より、こちらの方が気分的に楽だったのだ。加えて、姫様からの直々の要請が来たものだからここに来るほかないだろう。
「なんでもで……失礼、宰相閣下。お待ちしていました。どうぞこちらへ」
二人の元に現れたのは黄土色の作業着を着た男性。彼はここの開発区の責任者として、テルカと王都を結ぶ大型交通開発事業を任されていた。
「“彼”はどうですか?」
「ああ、“彼”ですか。熱心にやってくれていますよ」
「そうですか」
“彼”というのは俺の一声で死刑を免れ、ここで強制労働に励んでいるペシェの事である。「俺のお陰で死刑にならなかったのだから感謝しろ」とは思わないが、真っ当に働いていて欲しいものだ。
「おーい。みんな休憩だ。早いが昼食でも取っていてくれ」
責任者の男の声に引き寄せられるように、技術者や傭兵、そして兵士たちがマレードたちの前に姿を現し始める。ここは魔法封じの障壁外のワイルドエリアであり、常に魔物の出現に警戒しなくてはならなく、武装した彼らは欠かせない存在だった。
「あ? マレード君久しぶり。元気していたかーい?」
マレードに対し深々と頭を下げて、休憩所に向かうスタッフの中に軽々しく宰相の名を呼ぶ空気の読めない男が混じっていた。男は首に巻いたタオルで汗を拭きとると、無礼にもそのままの格好でマレードの元に駆け寄ってくる。
「こら!! ペシェ君。宰相閣下の御前だぞ」
「へ? ペシェ?」
責任者が口にした男の名前にマレードは一時脳がフリーズした。
目の前にいる男は確かに無礼であるが、それ以外の部分では笑顔の眩しい好青年。ペシェはそんなキラキラした笑顔なんて見せなかったぞ。
「ういーっす。ノワール・ペシェっす。
ん? なんすか?この可愛い子!! わー、お名前は? お兄さんと握手しよ」
やっぱりペシェで間違いなさそうだ。この女性を前にした時の顔は紛れなく俺の知っている“彼”だった。ていうか、さっき久しぶりとか言っていたけど、前に会った時からそんなに時間たっていないだろ。
「グレイセス・マレーシャである。謹んでわしの手に触れるがよい」
「よろよろ~ なんか中二病って感じでいいっすね」
神の許可を貰い、気安くその右手を握ると、ペシェはブンブンとそれを上下した。
「なっ? 中二病じゃと? 中二病とは世に聞く妄想を現実に反映させるアレか!?」
機嫌を損ねるワードが耳に入ったマレーシャは結ばれた手を引っこ抜くと、生意気な表情でペシェを見つめ、腰に手を当てた。
「何を隠そう。わしはこの世界を俯瞰する神。グレイセス・マレーシャなるぞ!! 頭が高い!!」
少女神は自分の偉大さをアピールしたが、表見がそれについてこず、しばしの沈黙の後、ペシェだけではなく責任者にも笑いの種にされてしまった。
「くっ…… 嘆かわしい。地上はこんなにも穢れてしまったか……」
「まぁ、諦めて下さい。みんな神様を信じる程子供じゃないのです。それに……」
「それに?」
「貴方が神だと分からない方が好都合なんですよ」
マレードの言っている意味が分からず、マレーシャは怪訝の表情で彼を見上げる。そして、それに答えるようにマレードは膝を折ると、マレーシャの耳元に口を当てた。
「貴方が本当の神だと知れたら、パニックになってしまうでしょう? それに面倒臭い人に絡まれるかも」
周りに聞こえないマレードの小さな呟きで、マレーシャは彼の危惧を理解した。
「お主の言う通りじゃ。それは確かに困るのう。じゃが、中二病は嫌じゃ」
「別に嫌がる事はないでしょう。きっと恐らく、大なり小なり皆が歩んだ道ですよ」
ヒーローやヒロイン。憧れの存在に扮して妄想する事は別におかしなことではない。俺だってそうだった。
「そうかのう…… まぁ、いいじゃろう」
この神様、意外と拘らない者のようだ。
「お? ノワっちじゃん。ここで何やってんの?」
「って、この方、何でもできる君様じゃん!! ちょーヤバいんですけど。握手してもらってもいいっすか?」
「マジマ!? ってマジマジのマジじゃん!! アタシも握手して欲しいっす」
突然ペシェの後ろから現れたのは屈強な女戦士が二人。その一人がマレードの存在に気付くと、目を光らせて握手をせがみ、もう一人も釣られる様に手を差し伸べて来た。
「ええ勿論」
そう言って交わした二つの手は固く、第二皇女殿下の足元にも及ばないものの力強かった。
「やったぜ。田舎の兄妹に自慢できるな」
「ねー。ほら、ノワっち行くよ」
目的を終えた女戦士は明るく笑うと、ペシェの肩を叩き、連行するかのように休憩所に向かって行った。その光景は正に両手に花。男にとっては羨ましい光景だろう。
「信じられないかもしれませんが、あの三人は元々問題アリな人たちだったんですよ。
女戦士マーヤとスーヤは戦闘面では優秀でしたが、少々暴力的で周りから反感を買われていました。
ノワールの事は宰相閣下の方がご存知かもしれませんが、人の話を聞かず、隙を見つけてはタレントを駆使して逃げ出そうとするので、我々も手を焼きましたよ。
だけど、あの彼らが出会って、最初は喧嘩していたみたいでしたが、最終的にお互いの力を認めて今の様な良好な関係になりました。それと同時にマーヤとスーヤは剥き出しにしていた暴力性を潜ませ、ノワールは熱心に仕事をするようになりました」
凸凹凸のでこぼこトリオの後姿を見ながら、責任者の男は喜びに満ちた表情でそう語った。
マーヤとスーヤは個人主義者の集団の中で自分たちの力が認められない事に苛立ち、ペシェは自分が置かれている境遇に不満があった。その両者が会う事で奇妙な化学反応が起きたのである。
マーヤとスーヤという魅力的な女性にモテる為に、ペシェは自分のタレントを如何なく発揮して見せ、マーヤとスーヤは目を輝かせながら自分たちの武勇伝を聞いてくれる可愛い弟分を手に入れた。世の中何が起こるか分からないのだ。
「思っていたのとは違ったが、これはこれで良し」
強制労働の刑として、この地にペシェを送り込んだものの、あの危険人物がちゃんと働くのかマレードは心配であった。だが、ここで見た彼らの姿にそれが杞憂だと分かると、安心して笑みがこぼれた。
「それでは、我々も休憩所まで行きましょうか。お食事を用意いたしますので」
「いや。申し訳ないが、我々はここで失礼させて頂きます」
責任者の提案をマレードは拒否した。彼がここに来た目的は果たされ、自分たちがあの場に入る事は邪魔でしかないと判断したのだ。そして……
「俺達にはこの後に行かなくてはならない場所がありますので。
それで、その、すみませんが、車を手配して頂けませんか?」
ちゃんと大人しくしていた神サマの為に遊園地を満喫する時間を用意するのが大人の礼儀であろう。
「ええ。勿論です閣下」
こうして俺の心配事の一つが解消された。後は王室の要請の下、俺も童心に帰って遊園地を楽しむだけだ。
ジーマ帝国に唯一つ存在する国営の夢の国。
そこでは大人も魔法がかかったように子供に帰り、十二時の鐘が鳴るまで楽しみつくす。
夢の国の名は“わんぱくわんにゃんランド”
ここは美しき姫のおひざ元。貴きあのお方が見守る中、人々は笑顔の一日を送る。
とのキャッチフレーズだが、人ごみ、長蛇の列といったリアルの苦痛には夢の魔法とやらは通用しないらしい。
俺と神サマの二人組は、第二皇女殿下の指示の通り、エントランス入ってすぐ左にあるアトラクションの列に身体を並べていた。
「なんだこれ? 設計ではこんな施設なかったぞ」
この遊園地の事ならある程度の事は知っている。だが、俺達が並ぶ先にあるアトラクションは開園当時存在しなかったもので、俺でさえ何に並ばされているのか分からない。
そして一つ不安な事がある。それは「このアトラクションが第二皇女殿下の贈り物」という点であり、言いしえぬ恐れを感じざるを得ないのだ。
「まだかのう? まだかのう?」
心寒い思いの俺とは対照的に、隣の神サマは入場ゲートで貰った風船を片手にウキウキだ。その様子を見ると“嫌な予感”を理由に列を外れるわけにはいかない。
「ところで神サマ?」
「神様はよすのじゃ。わしが神だと知られるのを避けた方が良いと言ったのはお主じゃろ。マレードよ」
「しっ!! どこで誰が反応するか分からないので、俺の名は呼ばないで下さい」
特に暇を潰すものも持ち合わせていないので、マレードはマレーシャを話し相手に暇を埋めようと試みた。
「わしの事はマレーシャと呼ぶがよい。お主の事は…… そうじゃのう…… マレイ…… マレイと呼ばせてもらおうかのう」
「マレイ……」
話を交わす事の前提として付けられた“マレイ”という名に、俺は不思議な親近感とフィット感を覚えた。
「マレイかぁ…… いいじゃないですか」
「そうじゃろうそうじゃろう。して、何かわしに聞きたい事でもあるのか?」
正直聞きたい事は城であらかた聞いたので特には無い。だから俺は間を埋めるための、どうでも良い話題を彼女に振る事にする。
「か……マレーシャはあの場所で長い間大陸を見ていたのですよね?」
「ああ、そうじゃ」
「それって何年…… っていうか、貴方何歳なの?」
変装のお供であるサングラス越しに、周囲を見渡した後、マレードは少し声を小さくしてレディーに年齢を聞いた。
「全くお主は……デリカシーというか、なんというか…… まぁ、いいじゃろう。数を数えるのも辛いくらい昔から、わしは人々を見ておった。
じゃから、わしが何年生きて来たかなんて覚えておらんわ」
「へー。大変だったんですね」
彼女の苦悩は果てしなく、常世を生きる人間風情には理解しがたいものだ。
マレードは無限の空を見上げながら、ただ、そう呟くしか出来なかった。
「全くじゃ。あの時――あれは確か700年くらい前だったかのう。一度地上の者どもがわしの城を落とそうとしたことがあった。
あいつら、ご丁寧に魔力素を分散させる機能を持った飛行する機械まで作って…… あの時は流石に肝が冷えたのじゃ」
「それって魔法封じの結界みたいですね」
「ん? 原理としては同様の物じゃ。というか、あれが今様々な都市で使われている魔法封じ装置の雛型に当たる。
あの機械、確かイカロスとか言ったのう。ほれ、ついこの間破壊された奴じゃ」
「え? イカロスってそんな前からあったの?」
予想外のワードがマレーシャの口から出て来た事に、マレードは驚きを隠せなかった。
先の対魔界戦で使われた空の魔物は、今でも恐怖の対象であり、それが数百年も前に作られたという事がにわかに信じられなかったのだ。
「ああ、そうじゃ。
世間でよく言われる“対魔界兵器として大国が開発した”というのは誤りで、もともとは戦闘力を持たず、わしの城を守る魔力素の層を破壊する為のものじゃった。あの無粋な大砲は後に取り付けられたものじゃよ」
「…………」
マレーシャの言葉にマレードは言葉も出ない。
「よく考えてみよ。もし、あれが魔界攻略のために開発された兵器だとしたら、不思議な点があろう。
魔界は大陸の地下深くに存在し、地上へは複数の“門”を通じて繋がっておる。つまり、地上最強のイカロスでも深淵に存在する魔界に打撃を与えられるわけではなく、たった二機では地上のゲートを制圧する事もかなわん。
魔界を制するのなら、ゲートを封じるのが最も有効であり、実際、対魔界の戦局を決定的にさせたのは先代勇者によるゲート封鎖じゃったろう?
あれは過去の遺物を兵器転用しただけの代物じゃよ」
「人工の翼で空を飛び、そして落とされるか…… まさに“イカロス”ですね」
マレードは兵器の名の元になった人物とそれを並べて評した。
「……そうじゃな」
マレードの言葉にしばし時間を置いた後、マレーシャはただそれだけ答えた。そして、気が付くと二人は列の先頭へとたどり着いていた。
アトラクションは所謂ライドというやつで、コースター状の乗り物に搭乗し周囲の景色や、道中の劇を楽しむというものであった。
“足元にご注意ください”
園内スタッフの指示に従い、俺達は洒落た馬車の様な形状の乗り物へと乗り込んだ。一台の乗り物に六人。俺とマレーシャはその一番後ろの席に尻を置き、アトラクションが動き出すのを待った。
“姫と大臣の禁断の恋!! 恋するプリンセスTHEライド。出発でーす”
「ん? 今なんて? うわっ」
今更聞いたこのアトラクションの名にマレードは思わず振り向こうとしたが、安全用のバーが下がった事で阻止され、彼は第二皇女の贈り物という魔境へと、オーブンに入れられる肉の様に身を投じた。




