01 黒玉の少女と紅花の女王(ティス&香梅)
Scene Character:ミオソティス(ティス)、香梅
Scene Player:貴様 二太郎 様、石川 翠 様
石人の少女ミオソティスの目の前には、鬱蒼と茂る緑色の木々が広がっていた。
最初は戸惑っていた。今まで「迷いの森」を散策して、生命の色を帯びた植物を見た事など一度もなかったのだ。
(どういう事……? 確か森の外側には、硝子化していない樹木があるらしいけれど)
毎日のように散策しているミオソティスにとって、森を抜けるのにかかる時間は足で把握している。
今まで通りの散歩量のはずだ。決して森の外側にあるような、瑞々しい緑葉に出くわす事などない――はずだった。
空を見れば、違和感に気づく。地上の霧こそ薄くなっているが、樹木の頂点近くは逆に霧が濃くなっている。
見上げれば見えるはずの、極夜国のスミレ色の空は霧に覆われ、ほぼ見通せない。様子が明らかに今までと違うのだ。
しかし孤独と鬱屈に苛まれていた石人の少女は――恐れるどころか心が弾んでいた。
(物語でしか知らない、生命の緑。瑞々しくも弾力のある触り心地――素敵。
色も素っ気もない、硝子の森とは違う。ここは夢の世界? 外の世界? どちらでもいいわ。
きっと神様が、願いを叶えてくれたのね。極夜の闇に一人ぼっちで、寂しく閉じ込められていた私のために)
緑豊かな薄明の世界。初めて見る生命の競演に、ミオソティスは身体を躍らせていた。
木々の感触を楽しみ、ところどころに咲く花の香りに感動すら覚える。極夜国の世界では決して見る事のできなかった奇跡。神の御業。
何もかもが新鮮で、幸せで。ミオソティスはうっとりしながら森を歩き続けた。
(夢なのね、分かっているわ。でもありがとう神様。どうかもう少しだけ、この素晴らしい夢から醒めさせないで)
**********
森の中に佇んでいる。そう気づいた時、香梅は渋面をにじませた。
(ちょっと、ここどこなの? 何で、こんなところにいるわけ?
はあ、おおかたあの枕ね。不思議な力を使う連中の考えることは、さっぱり理解できないわ)
しわがれ声の占い師は「邯鄲の夢枕」、と言っていたか。
悩み事を抱えているのだろう、解決したくはないか――その言葉に誘われるまま、うっかり枕を敷き眠ってしまっていた。
だが冷静に考えてみれば、悩みを抱えていない人間などこの世には存在しない。
どんなに幸せそうに見える人でも、何かしら思い通りにならない事に心を痛めている筈である。
逆にどんな不幸のどん底にいる人でも、時が経てばそれを当たり前の事として受け入れるようになるものなのだ。
今の香梅の姿は妓女の色艶やかな、胸元を強調した東国衣装。その中でも特にお気に入りの一着だ。
それだけに腹が立った。遊郭では己の美貌を引き立たせる素晴らしい武器になる。だが今は森の中。この格好で歩いていれば、たちまち衣服は泥に塗れてしまうだろう。
(やだ、裾が汚れてるじゃない。これだから外に出るのは嫌いなのよ)
懸念した傍からこれだ。案の定、少し歩いただけで衣服の裾は枝に引っかかり、枯葉を踏んだ足に土がまとわりつく。
人里から離れて旅した経験などほとんどない香梅にとって、不快極まる状況であった。
「もうっ!」
思わず声を荒げ、服についた泥汚れを払おうとした途端。
たちどころに消えていた。一瞬目を疑ったが、先刻まで薄汚れていたのが嘘のように、綺麗な状態に戻っていた。
(えっ……はあ。もうどういうことなの)
全く理解が追いつかない。やがて思い至る。これが夢枕の見せる、夢の中の世界だという事を。
心が苛立った時、香梅はいつも煙管を吸う。嗅ぎ慣れた煙の臭いが心を落ち着かせるのだ。もし誰かに咎められたら、猛然と食ってかかるかもしれない。
(とはいえ、いくら夢の中だからといって――ここに煙管がある訳ないわよ、ね……?)
香梅は目を丸くした。
持っていた。いつの間にか手にしていた。あの馴染み深い形の煙管。
どういう事なのかと疑念を抱く前に、条件反射的に煙草をくゆらせる。フウと色っぽく息を吐き、モヤモヤしていた心が幾分か鎮まるのを感じた。
(ホント、どういう事――?)
もしかして夢の中だから、心に思い描いたモノを意のままに出現させられるのだろうか。
そう考えた香梅は、早速念じてみた。
最初に思い描いたのは、遊郭時代からいた白猫。夫たる雨仔と結婚した後も、ひょっこり屋敷についてきた。彼女を差し置いて夫から白雪公主と呼ばれ――軽い嫉妬に駆られたのも、今では笑い話の種だ。
――白猫は現れない。次に香梅は、兄代わりにして遊郭時代の主人の顔を思い浮かべる。これまた効果なし。
最後に夫の姿を思い浮かべる。愛していない訳ではない。ちょっと最近鬱陶しかったので、優先順位が下がっただけ。深い意味はない。もっともこの事を知ったら、夫は滂沱の涙を落とすだろうが。
(生物はダメなのかしら。やっぱり夢みたいなところってことなのかしらね、ここ。
あの人、妻が睡公主になったとか言って、大騒ぎしてなきゃいいけど)
やれやれと嘆息しつつ。きっと空が落ちてきたかの如く絶望し慌てふためくであろう夫の姿を想像し、プッと吹き出すと同時にそんな姿も可愛い、と思ってしまった。
妓女時代の衣装や煙管など、無生物の持ち物は思いのままに出せたのだ。これはこれで便利だと割り切る事にした香梅。
ふと、枯葉を踏む音が近づいてきた。
どうやらこの夢の中、客人は自分一人だけではないらしい。
「――そこにいるのは誰?!」
思わず香梅は、鋭く誰何の声を上げた。近づく人影がビクリと震えるのが見えた。
**********
ミオソティスは突如鋭い声を浴びせられ、一瞬混乱しかけた。
確かにここは今まで歩いた「迷いの森」とは違う。しかしながら、今まで一度たりとも誰かと出くわしたりした事などなかったのだ。
誰かに会う事。それはミオソティスにとって心に刺さる棘。
誰とも会わずに済むはずの森の中で、彼女は石の力を封じる眼帯を身に着けていない。
自分の名を告げても、別れた翌日には忘れられてしまう。左眼の守護石「黒玉」の力とはいえ、自分が取るに足らない存在であると思い知らされるようで、たまらなく嫌だった。
(ああ、でも――ここがもし夢の中なら。そんな事を気にする必要はないかもしれない)
夢ならば醒めてしまえば、すべてはなかった事になる。
だったら忘れ去られてしまう事など、気にしても仕方がない。一夜の夢の後、もう二度と会う事もないかもしれないのだから。
立ちすくんでいたミオソティスの前に現れたのは、紅色の華を纏ったような白肌の美女であった。
石人の女性には美しい者たちも大勢いる。しかし――目の前の彼女のような、勝ち気で燃えるような生命力に溢れた女性を見るのは初めてだった。
明らかに極夜国の住人とは雰囲気が違う。ミオソティスは思った。これが物語の世界に記されていた、妖精の女王であろうか?
一方香梅もミオソティスの姿を見て驚くと同時に、警戒心を緩めていた。
美しい黒髪に、淡い勿忘草色のドレス。幻想的な雰囲気を持つ昼夜の空のような虹彩異瞳。夢の中の霧の森で出会うに相応しい、儚げな印象の美少女である。
(森の中を彷徨っているから、飢えた獣か山賊か――なんて思ってたら、守ってあげたくなるほど可愛らしいお嬢様じゃない。
迷子? 一体こんな所で何をしているのかしら……?)
当然ながら香梅は知らない。ミオソティスら石人という種族が長命であり、外見に似合わず悠久の年月を重ねている事を。
もっとも年齢百歳といえど、精神的にも成長の遅い石人である。香梅の抱いた印象はあながち的外れという訳でもなかった。
「驚かせてごめんなさい。あなたみたいな女の子が一人で、こんなところにいるなんて思わなかったの」
視線が合った事を確認した上で、香梅は微笑んで言った。
滅多に見せる事のない、とびきりの笑顔だ。遊郭時代の客はおろか、夫の雨仔にすらこんな優しげな顔をした事などほとんどない。
ミオソティスもまた、彼女に敵意がない事を悟ったのだろう。自然と顔が綻び、微笑み返した。
「こちらこそ、びっくりしてごめんなさい。あなたはこの森に住んでいる妖精ですか? 迷いの森に生き物がいるなんて聞いたことなかったから……」
「――いえ、そんな大層な者じゃあないわ。あたしも森に迷い込んでしまったの」
予想外の言葉が飛び出したので、香梅は呆気にとられ、慌てて否定した。
「そう、なんだ。とっても綺麗な人だから、てっきり女王様かと」
無邪気に告げるミオソティス。香梅もかつては西国一の妓女として名を馳せた身。「女王様」という表現は間違いではないかもしれない。
思っていた以上にすんなり受け入れ、打ち解ける事ができそうだ。香梅は遊郭時代の後輩たちを思い出す。身一つで売られ、右も左も分からぬ不安に怯える少女たち。彼女たちを教え導き、安心させること――自分たちの店が第二の故郷たりえる事を教え込むのが、香梅の使命だった。
勿論ここは色街ではないし、幼げなミオソティスは汚れも知らぬに違いない。それでも年下の子供は慈しむべきだ。かつて兄代わりの「彼」が、自分にそうしてくれたように。
(つづく)
《 選択肢 》
(ティス、香梅共通)
会話や探索を続けるにあたり、どちらを重点的に観察・調査しますか?
A 上空の霧や空の様子
B 地上の草花、土など
深く考えずとも大丈夫。「自分のキャラならこうする」という直感が大切です!