09 青と赤の物語・後編(ティス)
Scene Character:ミオソティス(ティス)
Scene Player:貴様 二太郎 様
「カエルラ! 見つけたんだ。僕の半身を……!」
「ル、ルーフス? それって……」
「彼女の名前は……って言うんだ! 守護石は……」
ルーフスの言葉はそれ以上、カエルラの頭に入って来なかった。
彼が嬉しそうに告げる彼の「半身」。それが誰であるのか、ミオソティスには判らなかった。彼女の記憶が強く拒んだのか、混濁の度合いが強くなり、不快な雑音にしか聞こえない。
「初めての経験だが、分かるんだよ!」
(何? 何を言ってるの、ルーフス……)
「これが運命という奴なんだね! 素晴らしい!」
(昨日まで、ボクとあんなに愛し合っていたのに……)
「ああ、半身……彼女を手に入れる為なら、他の何を犠牲にしたって惜しくはないよ!」
(嘘だと言って。ボク以外の女の事を、幸せそうに語らないで!)
裏切られた。手の平を返された。昨日までの幸せが、どん底の絶望に塗り潰された。
惑わしてやりたい。自分だけを見て欲しい。だがそれも最早叶わない。ルーフスに燐灰石の力は通じない。
「半身」の引力は絶対で、他の何者もそれを引き剥がす事はできない。彼らは一度結ばれたら、生も死も何もかも、運命すらも共有してしまう。
カエルラは悲しみに泣き崩れた。石人であればこそ、多くの男たちを手玉に取ってきたからこそ――半身の運命に抗えない事はよく知っている。
しかしそれでも彼女は諦めきれなかった。考えに考え抜いた末、選んだ手段は――
「グリソゴノ様。言ってたよね? 運命を支配できる魔法使いの話を……!
お願い、どうか『彼女』に会わせて!」
(ええっ……グリソゴノさん……!?)
見間違えようもない。幾分は若く見えるが、彼女の瞳に映った魔術師は確かに、あの黒衣の老人であった。
**********
場面は切り替わる。カエルラはグリソゴノの伝手で、魔法使いと会っていた。
「お初にお目にかかります。わたくしの名はトリス。トリス・メギストス。
人はわたくしの事を『絡繰りの魔法使い』と呼ぶわ」
女性の魔法使いトリス――彼女の屋敷の中は、奇妙な音と不気味な歯車で構成された機械だらけだ。
カエルラはトリスに導かれ、奥の間に通される。部屋の中央に浮かぶのは巨大な球体。周囲を幾筋もの円環で囲まれており、目を凝らすと無数の歯車が中で軋み、蠢いていた。
「グリソゴノから話は聞いてるわよ。あなた――随分と大それた事を考えるのね。
半身でもない想い人から半身を取り上げ、自分のモノにしようだなんて。ウフフ」
「……単刀直入に聞くよ。できるの? できないの?」
からかうような笑みを浮かべる魔女に対し、カエルラは苛立った声を上げた。
「せっかちさんね……でも、いいでしょう。答えてあげます。
結論から言えば『可能』。わたくしの可愛い天体観測機ちゃんもそう言ってるわ」
トリスは機械仕掛けの球体を見上げ、夢見るような口調で言った。
「できるんだね! だったらお願い――」
「でも、代償が必要よ。星を捻じ曲げ、本来ある運命を変えるんですもの。
それはそれは、凄まじい代償を支払わなければならない」
トリスの顔から笑みが消えた。射抜かれるような眼差し。
しかしカエルラは怯まなかった。ごくり、と唾を飲み込み――尋ねる。
「……代償は何?」
「あなたの幸福な運命――詳しくは話せないけれど。
半身として結ばれるハズの運命を引き裂くのよ? 例えその――ルーフスと一緒にいられるようになったとしても。
あなたに幸福は訪れない。あなたと将来出会うハズだったかもしれない、運命の半身とも巡り合う事はない。
それでも――あなたは望むの? 彼を手に入れる事を」
ゾッとするほど冷たい視線と、霜が降りたような凍てつく言葉。
カエルラは心の底から震え上がったが、やがて意を決し……大きく頷いた。
「合意は遵守すべし。
いいわ、契約は成立。絡繰りの魔法使いトリス・メギストスの名に於いて。
汝カエルラと、ルーフスの運命を繋ぎ合わせましょう――」
魔女の言葉が終わると同時に、カエルラの左眼――守護石たる燐灰石に凄まじい力が宿った。
「…………ぎィッ!?」
視神経が焼き切れんばかりに熱のこもった魔力がうねっている。カエルラは思わず悲鳴を上げた。
「不安がる事はないわ。あなたは運命を代償に、力を手に入れた。
今のあなたであれば、想い人も周囲の人間も、容易く『惑わせる』事でしょう」
**********
かくして、カエルラの運命は変化し――何もかもが魔女の預言通りになった。
次にルーフスに出会った時、彼は幻でも見ていたかのように、運命の「半身」の存在を忘却してしまったのだ。
そしてカエルラは手に入れた。ルーフスと共にいられるという「運命」を。
しかし、魔女に預言されたように……その末路は彼女にとっても、ルーフスにとっても幸福とは程遠かった。
わずか数年後に、二人は死期が迫っている事を悟った。
「――ごく僅かの時間だったけれど、幸せだったよ。カエルラ」
「ボクもさ……ルーフス」
二人は互いを抱き締め合い、息も絶え絶えになって約束を交わした。
「もし死んだら――瞳を保管してもらう事にしよう。
ボクたち魔術師の守護石なら、将来きっと強い魔力を宿す瞳として役立てるハズ……」
「ああ、そうだね。カエルラ――」
二人の石人は、グリソゴノに瞳の保管を願い出た後、自ら命を絶った。
トリスとの契約によって強化された燐灰石の力は凄まじく……熟達した魔術師のグリソゴノですら、二人の矛盾と欺瞞に気づかずに石を封印した。
やがて霧降る森を作り、外界と極夜国を遮断するという話が持ち上がった時。
彼らの石は霧を生み出す媒体として使用され、廟に祀られた。そして三年の月日が流れ――
きっかけは不明だが、燐灰石の力が弱まり……「惑わされ」、覆い隠されていた真実が明らかになった。
混濁した泡沫が、重苦しく悪臭を放つ泥土に変わり、ミオソティスは思わず顔をしかめた。
そして彼女の心を直撃する――激しい憎悪。落胆。衝撃。
騙され、裏切られたと知ったルーフスの恐ろしいまでに膨れ上がった負の感情であった。
「あの女……! 僕から半身を奪い、騙して僕を殺しやがった……!
許さない、許せない! 僕の半身を、運命を返せェッ……!!」
霧は瞬く間に魔術師たちの制御を離れ、際限なく森の中に溢れ、そして覆い尽くした。
森の木々から魔素を吸い尽くし、生命をも奪い、次々と硝子に変えていく。
死せるルーフスの瞳に非業の感情が宿り、禍々しき「呪いの瞳」と化した。
こうなれば自我など用を為さない。無差別に、無意識に。森に漂う「意志」全てに、負の感情が伝染病の如く潜り込み、爆発的に増殖していく――!
汚濁に塗れた奔流に飲み込まれ、ミオソティスは激しい嘔気と不快感に晒された。
(……そんなッ……これがあの暴走事件の、真相……!?
こんな酷い事が……20年前、本当に起こったというの……!?)
森を彷徨う感情全てが怨嗟の声を上げる中、独り狂乱し喜びに打ち震えていたのは、カエルラの意志だった。
「あはァはははァァ……! 綺麗……なんて美しい光景なんだァッ……!
やっと分かった……! これこそがボクの求めていた『半身』だったんだ……!
ボクが欲しかったのは、馬鹿正直だったルーフスなんかじゃない。
壊れて狂った、今のルーフスは……とても素敵だよ! 幸福なんか要らない!
荒ぶるアンタの意志をボクは尊重し、信奉する!
さあ、ボクを憎んで! ボクを踏みにじって! ボクを引き裂いてェ!
気の済むまで、何度でも! 幾星霜……未来永劫、ボクを壊し続けて欲しい……
その狂気も憎悪も、何もかも愛おしい! 愛してるよォ、ルーフス!!」
ルーフスの狂気と、カエルラの狂喜。強烈な負の感情が、ミオソティスの心をも染め上げつつあった……
(つづく)