08 青と赤の物語・前編(ティス)
Scene Character:ミオソティス(ティス)
Scene Player:貴様 二太郎 様
ミオソティスは、碧玉の封玉廟への道を駆けていた。
辺りに漂う霧から、危険な負の感情の気配が弱まったのを感じ取った為でもある。
やがて黒玉を宿した少女は辿り着いた。
満身創痍で座り込む聖堂騎士ジェレミアの治療に当たっている、香梅の姿が映る。
「素晴らしい治癒術だね。原理は分からないが……僕の扱う回復術では到底及ばない力だ」
「褒めたって何も出やしないわよ。こんなボロボロになるまで、しかも嬉しそうに戦い続けるなんて……!
どうして男って、躊躇いもなく自己犠牲に走れるのかしら?
もしも死んでしまって……残された人がどんなに悲しむか。そういうのを考えた事ないの?」
月長石の治癒を称賛するジェレミアとは対照的に、香梅は不機嫌そうに小言を繰り延べていた。
彼女の想い人、夫となる前の雨仔が死の淵を彷徨った時と重ねて見ているのかもしれない。
「姐姐! ジェレミアさん……!
無事でよかった……!」
香梅もミオソティスに気づき、優しい微笑みを取り戻す。
彼女の前では、言葉を荒げている自分を見せるのは気が引けるらしい。
「……ハイ、傷は完全に塞いだわよ。多分。
でもあたしの力はあくまで治療だけ。戦いで失った魔力や体力までは戻せないわ。
しばらく安静にしてなさい。いいわね?」
「……ありがとう、感謝しますよ。香梅殿」
ジェレミアの負傷は問題ないだろう。
ミオソティスは新たな問題――封玉廟を見やった。
弱められたとはいえ、封じられた守護石から微かに漂う負の感情。ここに祀られている碧玉は、香梅の推測が正しければ「呪いの瞳」と化している筈なのだ。
香梅はこれから、石人の少女がやろうとしている事を察し――声をかけた。
「……気をつけて、ティス」
「……うん。でもこれは、やらなければならない事だから」
膨れ上がった霧を鎮めるには、発生源たる守護石に「忘却」の力を行使する必要がある。
そしてその為には、石がいかなる経緯で負の感情を宿すに至ったのか、知る必要があった。
グリソゴノより手渡された黒色金剛石の護符を握りしめ、ミオソティスは廟に納められし碧玉に――触れた。
一瞬の沈黙の後、視界がめぐるましく変化していく。
石に記録された過去の幻視が、少女の中にとめどなく流れ込んでくる!
**********
ルーフスとカエルラは、同期の魔術師であった。
もっとも極夜国の魔術の伝授・継承は師匠が弟子を取る徒弟制であり、横の繋がりや交流があった訳ではない。
それでもカエルラの噂は、当時の魔術師たちの間で語り草であった。
彼女の宿す守護石は燐灰石。古の言葉で「誤魔化し」「策略」を意味する。アパタイトは様々な色を持つため、他の鉱石と見間違えやすい。しかもそれらの鉱石と比べ、アパタイトは脆く、傷つきやすい。それ故違う石だと思っていた人は「騙された」と感じる事があったのかもしれない。
そんな特徴を持つアパタイトの力は「惑わす」。カエルラ自身、奔放で自己主張が強く、数多くの男たちの間を渡り歩いていた。石の性質も本人の性格も、悪評を振りまかれるのは必然であった。
それでもルーフスは彼女に出会った時、惹かれてしまった。
彼女の持つ燐灰石の加護に、文字通り惑わされたのかもしれない。
だが多くの、カエルラと関係を持った石人たちが抱いた感情と同様――ルーフスもまた彼女に夢中になった。騙されていたとしても構わない。彼女と共にいられるのならば――と。
ふとミオソティスは、石の記憶の中に混濁の泡沫を感じた。
(これ――ルーフスさんの記憶だけじゃない……混ざっている……?
同じ地に封じられた宝石同士で、記憶が絡み合って――別の人の記憶も一緒になっている)
ミオソティスは気づいた。視点が切り替わり、実直そうな赤毛の若者の顔が映ったのだ。
(これは……カエルラさんの記憶……)
カエルラとルーフスの恋仲はたちまち、周囲の魔術師や石人たちの話題に上った。
またカエルラが新しい男漁りを始めたか――と、周りは嘲笑と好奇の視線を投げかけていたが。
カエルラだけが気づいていた。ルーフスは今までの男たちと違っていた。
ルーフスは「惑わされ」ていなかった。彼女の持つ燐灰石の力が通じなかったのだ。その証拠に、今までカエルラの虜となった男たちは、彼女の望むままの行動を取っていたのに対し――ルーフスはカエルラに従わなかった。
自分の思い通りに動かないルーフスに対し、当初こそ苛立ちを募らせていたカエルラだったが……やがて気づく。ルーフスは正直で芯が強い。彼の宿す碧玉の力も相俟って、カエルラの「惑わす」力とは全く相性が悪かったのだ。
にも関わらず、ルーフスはカエルラに惹かれた。つまりルーフスは自分自身の意志でカエルラと恋人となる事を選んだのだ。
それは今までのカエルラにない体験だった。
数多くの男を虜にしたものの、結局自分の眼鏡に叶う石人は今まで現れなかった。
しかしルーフスならば……彼こそが、自分にとっての「半身」なのではないか。そんな期待が彼女の中で膨らんでいった。虜にしようとした男に、逆にカエルラが虜となり、夢中になっていた。
そんな運命を感じた、幸せの日々も束の間。
ある日ルーフスから、とんでもない話が打ち明けられた。
「聞いてくれよ、カエルラ……ついに見つけたんだ! 僕の半身を!」
そう……ルーフスが見つけた「半身」。それはカエルラではなかったのである。
(つづく)