07 真に為すべき事(ジェレミー、香梅)
Scene Character:ジェレミア・リスタール(ジェレミー)、香梅
Scene Player:天界音楽 様、石川 翠 様
聖堂騎士ジェレミアは霧の中で、巨漢の騎士との戦いに全力で興じていた。
礼儀正しく、流麗かつ模範的な剣術。その太刀筋は、どことなく親友のフレデリックを連想させる。
激しい攻撃をいなし、ジェレミアは一瞬の隙を見て床に転がる石を蹴り上げた。
遍歴の聖堂騎士らしく、ジェレミアの技は実践主義だ。公の場の御前試合では非難されるであろう卑怯な手段も、必要とあらば躊躇なく使う。ジェレミアの相手は山賊・夜盗の類であったり、荒ぶる魔物であった。彼らに騎士の一騎打ちの作法は通じない。勝たねば、あるいは逃げて生き延びなければ、次はない。となれば――手段を選んでいる余裕などなかった。
しかし相手の騎士はジェレミアの奇襲に動揺する素振りもなく、巨体に似合わぬ跳躍で砂礫を躱す。
騎士が着地すると、凄まじい衝撃と砂煙が巻き上がり、ジェレミアの視界を奪った。
「!?」
煙が晴れる寸前、騎士は猛然と突きかかって来る。先刻までの流れるような剣術から打って変わって、海賊がやるような不意打ちの技だ。
剣戟は寸での位置でやり過ごせたものの、続けざまの膝蹴りが体勢を崩したジェレミアの脇腹を捉えた。
「がはッ」
恐るべき膂力と脚力。ジェレミアは思わず息が詰まり、薙ぎ倒されて石壁に激突した。
脇腹の激痛と、口にこみ上げてくる不快な金臭さが若き聖堂騎士を襲う。ジェレミアは冷や汗をかき、血を流しつつも――笑みを崩さなかった。
(完成された剣術の使い手でありながら、僕と同様、奇襲や搦め手にも長じている……!
素晴らしい。こんな清濁併せ飲む強さを持つ騎士と、存分に戦ってみたかった……!)
ジェレミアは距離を取り、己の身体に複数の治療術を試みた。
アウストラル大陸でも屈指のエリートである聖堂騎士たちは、白術・黒術の両方に通じている。故に治療や回復の術も扱える。
とはいえ本来、負傷の治癒や体力回復の術は、激しい戦闘中にのんびりと使える代物ではない。
今彼が行っているのは詠唱を必要とせず、大きな隙を作る事もない――言うなれば応急処置。【鎮静】にて痛みを和らげ、傷口には【固定】と【止血】を施すものだ。
ジェレミアの施術が終わったと同時に、巨漢の騎士は突き進んできた!
(僕が体勢を整えるのを待っていてくれたのか?
妙な所で律儀だな。それとも余裕ぶっているのか……!)
騎士の振るう片手半剣と、ジェレミアの掲げる両刃剣が――再び激しく打ち合い続ける。
恐ろしいまでの速さと重さ同士がぶつかり合い――激戦の音は永劫に続くかの如く、高らかに響き渡るのだった。
**********
ジェレミアが死闘を繰り広げる碧玉の封玉廟へ続く道。
そこに近づきつつある人影があった。類稀なる艶やかな美貌を持つ元妓女・香梅である。
「アナタ! 何してくれちゃってるのよォ!」
彼女の背後から、揺らめくオレンジ色の小さな姿が宙を舞いつつ追いすがってくる。火の精霊ヴェスタだ。
「ウィリディスに言われたでしょ! ここから先は危ないわよォ!?」
「確かに危険でしょうね……でも、嫌な予感がするのよッ」
香梅もやや苛立ちを含んだ声色で怒鳴った。
「上手く説明できないけれど、胸騒ぎがする! ジェレミアに死の危険が迫っている予感がするの」
だからこそ、香梅はミオソティスをグリソゴノに任せ、単身通路をひた走る事にした。
この道を進めば、ヴェスタの言うように彼女とて危険に晒されるだろう。
それに対処できるのも、今は香梅のみ。正確には、彼女の宿している月長石の力。
香梅の焦燥を証明するかのように、漂う霧の中から赤い奔流が幾筋も彼女に迫ってきた。
(視界に捉えさえすれば……あたしの持つ『拒絶』の力でッ)
何の事はない。火の粉を払うように。泥を撥ね退けるように。
「血に飢えた霧」を拒絶すれば良い。その為の力が香梅にはある。
果たして月長石の首飾りが共鳴し――赤い尖爪は全て、彼女に届く事なく弾き返された。
しかし――凄まじく鋭く、そして重い突撃だった。直に触れていないにも関わらず、香梅の心に疲労と消耗が重くのしかかる。
(余りにも強い殺意は――拒絶するにも、それなりに代償が必要ってわけね)
青ざめつつも香梅は、今ジェレミアが置かれている状況が予想以上に悪い事を思い知った。
「赤い霧」はジェレミアと全力で戦っている。故に香梅に向けられた攻撃は、霧の力のほんの一部である筈なのだ。それでこれだけの威力とは……!
通路の奥から凄まじいまでの金属音が、休みなく聞こえてくる。
視界は悪いが、それでも分かる。視えてしまう。このまま死闘を続けていれば、ジェレミアは夢に囚われたまま、体力と魔力を使い果たしてしまうだろう!
(そんな事はさせないッ……!)
香梅は懸命に拒絶の力を使い、敵の攻撃を振り払いながら――大声で叫んだ。
ジェレミアの耳に、魂に届くように。彼を――「永遠の夢」から醒めさせるべく。
「ジェレミア! いい加減になさいッ!
あたし達が為すべき事が何なのか! 忘れた訳じゃあないでしょうねッ!?」
**********
夢中で戦っていたジェレミアの脳裏に、か細いながらも女性の声が聞こえた――気がした。
先刻までよく耳にしていた、鈴の音のように心地良くも、勝ち気で自信に満ち溢れた――香梅の声だ。
そして気づいた。巨漢の騎士の動きに、ほんの僅か遅れが生じている事を。
ジェレミアは察した。香梅が近くに来ているのだ。そして「赤い霧」は彼女も攻撃目標に据えた。
彼の――石人ルーフスの、全力を拝めない事を後悔している暇はない。
そもそもがして、そんな事が目的ではなかったハズだ。ジェレミアはようやく、夢心地の気分がハッキリと現実に引き戻されたのを実感した。
(僕が……いや『僕ら』が、真に望んでいるのは、こんな事じゃあない)
巨漢の騎士は全身を固い鎧で覆っている。ジェレミアに白術の加護があるとはいえ、これを両刃剣で貫くのは至難の業だ。
ならば――!
騎士の片手半剣が、ジェレミアの持つ剣を弾き飛ばした。
あわや得物を失ったかに見えた聖堂騎士だったが――その表情は「してやったり」と言いたげな、満面の笑顔だ。
「ありがとう――これで『持ち替えやすく』なった」
ジェレミアは弾かれた両刃剣に追いすがった。白術によって引き上げられた、尋常ではない体術の賜物だ。
そして回転する剣の『刃の部分』を掴み取ると、石壁を蹴り上げてさらに高く跳んだ!
さしもの巨漢の騎士も、想定外の動きだったのだろう。全く対応できずに頭上のジェレミアを瞠目するばかり。
次の瞬間、騎士の脳天に両刃剣の柄頭が勢いよく叩きつけられた。鈍く重い衝撃に、鉄製の兜は痛々しくへこみ、巨体もぐらつく。
「そう――僕の目的は、一騎打ちに勝つ事なんかじゃない。
あなたの荒ぶる感情を鎮め――正気を取り戻させる事だ」
体勢の崩れた巨漢の騎士に、ジェレミアはすかさず左手を触れ、単音節の詠唱と共に術を発動させた!
聖堂騎士の扱う黒術のひとつ【静心】。相手に左手で接触しなければならない、という制約こそあるものの――狂気に陥った者ですら、その精神を平らかに落ち着かせる事が可能であるという。
やがて騎士の動きは完全に止まり――そのまま地面に倒れ伏したのだった。
(つづく)