04 碧玉(ジャスパー)のルーフス(ジェレミー)
Scene Character:ジェレミア・リスタール(ジェレミー)
Scene Player:天界音楽 様
ジェレミアはふと違和感を覚えた。
霧が一際濃くなった、と感じた時にはすでに遅かった。
背後にいたはずのトーマスの気配がない。
「む……? ラ・セルダ殿、どこにいらっしゃるか? ラ・セルダ殿ー!」
大声で呼びかけてみるものの、辺りに漂うのは濃霧と静寂のみ。
「はぐれてしまったか……ま、あの方なら大丈夫だろう」
ジェレミアは至極あっさりと、トーマスの捜索を諦めた。
彼と一緒にいた「もう一人の人物」の気配も一緒に消えている。トーマスに付き従う「護衛」……と呼ぶには、余りにも禍々しい何かではあったが。
何にせよ、聖堂騎士は気持ちを切り替える事にした。周囲に漂う――赤く凶暴な「意志」に気づいたからだ。
霧の中に、血煙のような色が混じっている。
それらは段々と濃くなり、ジェレミアの周囲を取り囲むように蠢いていた。
「……『血に飢えた霧』、か」
石人グリソゴノを傷つけたという、森に宿る凶悪な意志。
しかしジェレミアは恐れるどころか、むしろ高揚感すら抱いて戦いの構えを取った。
(アダマス殿は『荒ぶる霧を鎮めよ』と言われた。
あくまで僕たちの目的は戦いではない。聖堂騎士として、それを忘れてはならない)
ジェレミアは戦闘が嫌いではない。むしろ強敵との出会いに心が躍る性格だ。
だがそれ以上に、彼は多くの騎士たちの規範となる「聖堂騎士」。しかもその中でもトップクラスのエリートなのだ。
聖典に曰く「言葉を尽くせ」。戦いは対話を試み、交渉の余地が無くなった上でやむなく行う「最後の手段」たるべきである。
「貴殿が過去に封印されし『石人』か? 僕はジェレミア。遍歴の聖堂騎士だ。
この地の災厄を鎮めるため、魔術師アダマス殿の依頼を受けて馳せ参じた者!
貴殿に話し合う気があるならば、僕はこの剣を収めよう」
凛とした大音声が通路に響く。
しばしの沈黙の後――ジェレミアの呼びかけに対する返答があった。
風鳴りの音。迫り来る赤い霧。そして肌で感じる危険で狂暴な「意志」。
「彼」に対話の意思はない。それはハッキリと伝わった。
「――そうか。実に残念だ」
と、言葉では口にしつつも――ジェレミアの顔には少年のような喜々とした笑みが浮かんでいた。
幾筋もの槍と化した赤い霧が次々と迫る。赤毛の騎士の肉体を刺し貫かんと欲して。
今までにない常軌を逸した速度だ。空中に漂う霧の動きではない。
鋭い音がして、石畳に所狭しと亀裂が穿たれる!
床を覆っていた硝子の木々もまた砕け、剣呑なきらめきを残して飛散する!
しかしその場にジェレミアはいなかった。
彼は跳躍し――石壁の天井を蹴った。鎖帷子や胸当てを着込んだ者の動きとは思えない。そもそも跳躍力からして尋常ではない。
ジェレミアはアウストラル大陸でも屈指の才覚と実力を持つ聖堂騎士である。故に身体能力を高める「白術」にも長けていた。
白術とは「陽」の気を力の源とする、運動を加速させる術式全般を指す。ジェレミアは白術を用いる事で、「血に飢えた霧」の凄まじいスピードに対抗したのだ。
騎士を仕留め損なった赤い霧は、耳障りな音を立てて螺旋状に蠢き、間断なくジェレミアに殺到する。
「――『きみ』の廟に向かったのが僕で良かったよ。
フォシル嬢や香梅殿が対峙していたら、と思うと……ゾッとする話だ」
正面からだけではない。背後からも錐状の赤い奔流が迫る。逃げ場はない。
ジェレミアは瞳を閉じた。白術を展開させ、肌で感じる「殺意」に対し鋭敏な知覚を研ぎ澄ませる。
四方八方から来る攻撃に対して、目で追うのは逆に危険だ。死角となる背後への対処がどうしても疎かになってしまう。
全方位から来る赤い「尖槍」が、ジェレミアを針ねずみにしようと覆い尽くし――
次の瞬間、気合いの雄叫びと共にジェレミアは旋回していた。右手側は両刃剣に魔力の熱を与え、切り払う。
対する左手側には――不可視の「障壁」術を発動させ、さながら丸楯を扱うが如く、攻撃を弾き返した。
とはいえさすがに、全ての攻撃をいなすまでには至らなかった。
致命となる突撃は剣と楯で防ぎ切ったものの、軽傷でやり過ごせそうな「針」の幾つかはジェレミアの体術を潜り抜け、鎧を裂き、浅い傷を幾つか形作った。
「……なかなか、やるじゃあないか」
ジェレミアは久しく見なかった難敵の出現に、冷や汗をかきながらも楽しげだった。
しかし――霧の中から奇妙な金属音と共に、人影が姿を現したのを見て――聖堂騎士は怪訝な顔をしつつも身構えた。
赤い霧が晴れた先には――物々しい鎧兜を纏った、巨漢の騎士が立っていた。
その騎士はジェレミアまで十歩の距離に近づくと――剣を構え、礼儀正しく一騎打ちの姿勢を取った。
ジェレミアもそれに倣い、同じく剣の敬礼のポーズを取る。
「我が名はジェレミア。よもやこのような地にて、高名なる騎士と手合わせできるとはね」
夢心地のような心境。騎士からは強者の気迫がびりびりと伝わってくる。
ジェレミアは全力を尽くすべく、あらん限りの力で一騎打ちに臨んだ。
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赤い霧の正体は、碧玉を守護石に持つ石人ルーフスが生み出したもの。
彼は狂っていたが、本能的に守護石の力を使い、対峙する者が望んだ幻覚を作り出す事ができる。
碧玉の加護とは「永遠の夢」。歴戦の猛者たる騎士との決闘は、ジェレミアにとって長年の夢だったのだ。
(つづく)