02 黒曜石(オブシディアン)のアーテル(ティス、香梅)
Scene Character:ミオソティス(ティス)、香梅
Scene Player:貴様 二太郎 様、石川 翠 様
ミオソティスと香梅は、仲の良い姉妹のように寄り添い、地下へと降りていった。
黒衣の老人グリソゴノの話では、地下は地上よりも濃く霧が漂っており、その先に守護石を祀った封玉廟が存在するという。
「荒ぶる霧を鎮める……というのは、祀られた守護石を鎮める、という事でもあるのよね」
香梅はグリソゴノより教わった内容を反芻していた。
事前に彼より託された、黒色金剛石の護符。加護を打ち消す力があるというが――どういう訳か、頼りにしていては危険な予感がした。
(参ったわね。月長石で直感が鋭くなったせいか……
ほんと、嫌な方向にばかり予感が的中するようになっちゃったわ)
細かい理屈や理由は判らない。ただ「正しい」という事だけは分かる。それだけに厄介だ。説得の言葉が浮かびづらい。
「……ティス。いざとなったら自分の持つ守護石の力が頼りになるわ。
だから決して、気を抜いたらダメ」
「分かっているわ。大丈夫よ、姐姐」
治療の力を持つ香梅の月長石。
忘却の力を持つミオソティスの黒玉。
加えて香梅には、念じたモノを創造し、好まざるものを撥ね退ける力まで備わっている。
(大丈夫。いざとなったら――あたしがティスを守る)
漂う霧はさらに濃くなり、視界が目に見えて悪くなるが――今のところはグリソゴノの護符が力を発揮し、彼女たちに道を譲るように割れていった。
やがて――薄暗い石畳だったはずの通路に、奇妙な変化が表れ始めた。
「…………水晶? ……いえ、硝子の森……?」
辺りに見えるのは樹木の幹。廃墟にありがちな光景だが、唯一異なるのは、びっしりと壁を覆う木々が、全て色を失っているという事。
自然と足元にも硝子の木々は増え始める。恐る恐る踏むと、乾いた感触がした。余り体重をかけるとひび割れてしまうかもしれない。
「……綺麗、だけど……落ち着かないわね。ティス、平気かしら?」
「ええ。森で見慣れた光景だから」
ミオソティスは事もなげに答えた。
彼女にとって、硝子化した森の散策は気晴らしなのだ。心なしか香梅よりも堂々としているように見える。
硝子の森を抜け、辿り着いたのは――石造りの厳めしい造りをした祭壇であった。
これが「封玉廟」。祀られし守護石は黒曜石――その加護は「摩訶不思議」である。
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廟の扉は開け放たれており、とめどなく霧が噴出している。
「やっぱり霧は……ここからみたいね」香梅は思わず口を押さえて唸った。
「……でも、ここだけが全てじゃあないわ」ミオソティスは確信を込めて言った。
「それに……霧の持つ『感情』が伝わるの。とても穏やかで……少なくとも、私たちに害意を持ってはいないわ」
先刻、屋敷に入る前に霧を掃った経験が、ミオソティスの感覚を研ぎ澄まさせているのだろうか。
香梅ですら気づけなかった霧の感情を、石人の少女は即座に看破してみせた。
彼女の言葉を肯定するかのように、祭壇から霧が晴れていく。
そこに安置されしは、瞳ほどの大きさを持つ黒曜石の原石。
目を凝らすと――人影のようなものが浮き上がるのが見えた。
「!」
気のせいではなかった。
人影はたちまち、ミオソティスと同程度の大きさの女性の姿を取り――灰色の礼服を纏った、気品ある貴婦人の姿となった。
化粧っ気こそないが、知的な雰囲気と美しい黒髪、そして右目に黒曜石の眼球。鏡移しのミオソティスのようであったが……瞳に宿る知性の賜物なのか、彼女よりもずっと大人びて見える。
(……本物の肉体じゃない。霧が透けて見える――)
「はじめまして、我が同胞。そして『外来者』。
あたくしの名はアーテル。黒曜石の加護を持つ石人よ」
ニコリと微笑む貴婦人。物腰と表情からは、確かに敵意は感じられない。
ミオソティスと香梅も、その場の友好的な雰囲気を尊重し、礼儀正しく自己紹介を行った。
「単刀直入で申し訳ないけれど、あたし達の目的はこの森の霧を鎮め、元の世界へ帰る事よ。
貴女に敵意が無いというのなら、是非とも協力をお願いしたいのだけれど」
香梅の言葉に、アーテルは微笑みながらもかぶりを振った。
「そう……あなた達、グリソゴノの差し金なのね」
「……彼を知っているの?」
「ええ、勿論……何しろあたくし達四人の石人が『人柱』となり、森を霧に閉ざしたのは……ほんの二十年ほど前なんですもの」
二十年。人間からすれば相当な年月だが、数百年を生きる石人からすればごく短い時間なのだろう。
「という事は、貴女が亡くなったのもつい最近……?」
「いいえ。あたくしが肉の身体を失ったのは、五百年ほど昔のこと。
あたくしの守護石は、遠い未来に魔力触媒として使用されるため、ずっと保管されていたの」
アーテルの言葉の意味するところはつまり、人柱になった時期は同じでも、互いに面識があるとは限らないという事である。
「でも貴女……霧が生まれてからの時間を、正確に把握しているのね?」
「ええ。守護石に魂は宿り、時の概念も保持しているわ……数えるのは、得意ですもの」
香梅は言葉の端々から、黒曜石の石人のスタンスを理解した。
彼女は「中立」なのだ。表立って敵対する意思はないが、こちらに協力する気もない。
しかしながら――久方ぶりの会話を、楽しんでいるようですらある。一見すると掴みどころのない、煙に巻くような話し方だが……これは……
「……もうひとつ教えて。霧を暴走させている石人に心当たりは?」
「香梅さん。貴女は『血に飢えた霧』を見たかしら?」
アーテルの返答は、質問に質問で返す奇妙なものだった。彼女の守護石の力「摩訶不思議」を象徴するかのように。
だが香梅は、すでに黒曜石の貴婦人の真意を見抜いていた。
「ええ。見たわ」
「赤い……霧だったでしょう?」
アーテルの問いかけに、香梅もふわりとした笑みを返し――踵を返した。
「えっ……姐姐?」
「行きましょう、ティス……もうここに用はないわ」
呆気に取られつつも、香梅の後を追いていくミオソティス。
そんな二人を、黒曜石を持つ石人は笑顔で見送るだけだった。
「もう、アーテルさんとお話しなくて大丈夫なの?」
「彼女は教えてくれたわ。霧を暴走させている張本人は、別にいるって」
香梅は気づいていた。
石造りの通路が暗いため、すぐには判らなかったが――周囲の漂う霧は黒ずんでいる。つまりこれらは、アーテルが守護石から生み出した霧なのだろう。
(守護石によって生み出される霧は、その石の輝きと色を宿すみたいね……
つまり『血に飢えた霧』を操っていたのは、赤い守護石を持った石人って事。
アーテルさんは、それを言いたかったんだわ)
四つの守護石の中で、赤い輝きを宿す石はひとつしかない。
すなわち碧玉。石人の名はルーフス。その守護石の力は「永遠の夢」である。
(つづく)




