14 精霊への報酬・前編(香梅、ジェレミー)
Scene Character:香梅、ジェレミア・リスタール(ジェレミー)
Scene Player:石川 翠 様、天界音楽 様
ミオソティスに案内され、屋敷の中へと入る一行。
「立派な石造建築ね」石畳を歩きながら、香梅は呟いた。
「森が硝子化する極夜国では、木材は希少なのだ」とグリソゴノ。
しかし個室に通されると、高級品と思しき木製の家具が皆を出迎える。
「確かに木を沢山は使えないけれど、全く無い訳じゃあないわ」
ミオソティスは愛用の椅子を見つけ、嬉しそうに腰かけ、ゆったりとくつろいだ。
「この椅子だって、ウチと懇意にしている虎目石商会が、人間の町と取引して仕入れているのよ」
暖かい木の感触を楽しみつつ、石人の少女は思った。
森が霧に閉ざされるなんてとんでもない。人間の世界がもたらす恩恵は、自分たちが気づかぬぐらいにまで浸透している。
何より彼女は、外の世界に憧れているのだ。一生極夜国から出られないなど、牢獄の中に閉じ込められてしまうようなものだ――
「香梅殿、ジェレミア殿、トーマス殿。
それぞれに個室をあてがい、そこで休憩していただくという事でよろしいか? ミオソティス殿」
「ええ、構わないわ――多分この屋敷、私たち以外に誰もいない。
呼べば屋敷に仕える精霊くらいは姿を現すかもしれないけれど――石人が出入りしていた様子もないし。
きっと空き部屋が沢山あるはずよ。好きな場所を見繕ってね、皆さん」
ミオソティスはにっこり微笑む。トーマスは即座に一礼して部屋を探しに出ていった。
香梅は石人の少女の言葉が奇妙だったらしく、キョトンとした顔をしている。
「――どうかしましたか? 香梅」ジェレミアが尋ねた。
「いえ、その……ティス。『精霊』がいる、って言ったわよね?
あたし、極夜国の世界を知らないものだから――ちょっと面食らっただけ」
周囲の人々にとって、香梅が驚いている理由は想像しにくいだろう。
彼女の出身である世界の東国において「精霊」とは、生者あるいは死者の霊魂を意味する言葉だ。
いずれにせよ、恨みのある人間に対し憑りついたり祟ったりと……良いイメージのあるものではない。
「心配いらないわ、姐姐。石人にとって精霊とは、共に暮らす隣人なの。
私たちの身の回りの世話をしたり、色んな事をやってくれる素敵な存在。
頼みごとを聞いてもらうには『報酬』が必要だけれど――それは人間の世界だって同じハズよね?
だから大丈夫。お世話をしてくれたら感謝の気持ちと報酬を忘れずに。それを守っていれば害はないから」
ティスの説明は堂に入ったもので、不安がる香梅を逆にお姉さんのようにたしなめた。
それで幾分か安心したらしい。香梅の表情に安堵が戻るのを見て、ジェレミアが「僕たちも部屋を探しに行きましょう」と促し、二人もまた出ていった。
皆が動いたのを見届けてから、グリソゴノも歩き出した。
部屋ではなく、屋敷全体の構造を見て回るためだ。
(ここは確かにミオソティス殿の屋敷によく似ておるようだが――その形を取っているのにも理由がある。
この地には、森の中心部には……『アレ』が眠っているハズだ。
今も森の霧を生み出す力を使っている、人柱と化した石人たちが持っていた――四つの守護石が)
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グリソゴノから皆に呼び出しがあったのは、それから数時間後の事であった。
ミオソティス、香梅、ジェレミア、トーマスの四人は客間のテーブルにて一堂に会した。
グリソゴノはゴホンと咳払いをし、語り始めた。
「……集まっていただいたのは他でもない。我々は霧降る森の中を何時間と歩いてきた。
屋敷でつつながく休息・行動する為には、身にふりかかった霧を払い、身を清める必要がある」
「それはつまり、我々は入浴する必要がある……という事ですか?」
ジェレミアの問いに、グリソゴノは大きく頷いた。
「その通り。だが、問題がひとつあってな――」
黒衣の老人の声には、若干だが疲労の色がにじんでおり……
「そこから先は、ヴェスタが説明すべき案件だよねェ!」
グリソゴノの言葉を遮り、甲高い声が客間に響いた。
老人の背後から、燃え盛るオレンジ色の小さな人影が出現し、落ち着きなく飛び回っている。翼を持った裸の小人――中性的な容姿である。特徴的なのは髪の毛と羽で、常に炎のように揺らめいているのが見えた。
「ヴェスタにお願いしよーってんなら、働きに見合った『報酬』を用意してくれなきゃア!
それが精霊と石人の間で取り交わされる契約の基本! タダ働きなんてごめんこうむるわ!」
「ああ、この子がティスの言っていた……精霊?」
香梅にしてみれば、想像していたものと全く違っていたのだろう。
無闇に騒がしい人影――「精霊」に対し、やんちゃ坊主でも見るような生暖かい視線になっている。
「イエース! ヴェスタこそはこのお屋敷をご主人サマから預かり、一手に取り仕切ってるラブリーチャーミングな精霊!
よーく覚えてくれてちょーだい! ちなみにヴェスタの専門は火の番よ!」
派手なポーズを取りながらクルクル回転する、自称「火の精霊」ヴェスタ。
一人だけテンションの高い様子に、一同は呆気に取られるばかりであった。
「…………ゴホン。身を清めるには浴場の湯を、このヴェスタに沸かしてもらう必要がある」
仕切り直すべく、わざとらしく咳払いをしたグリソゴノが再び口を開いた。
「皆も知っての通り、精霊を使役するためにはそれに応じた『報酬』が必要だ。
そして極夜国において、精霊に支払う報酬というのは――」
グリソゴノは言いづらそうにしていたが、意を決して報酬の内容を口にした。
人間の世界に存在する食物――とりわけ格別の甘味を持つ、いわゆる「砂糖菓子」の類である。
「とびきり甘くて美味しいお菓子! 糖分! ソレは人を幸せに導くエッセンス!
お湯を沸かすって、ヴェスタにとっても重労働! お仕事したらお腹が空くわァ!」
歌うような透き通るソプラノ声――ではあるが、語る内容は実に俗っぽい。
しかし香梅はすぐに、グリソゴノが渋面になっている理由が判った。
隣に座るミオソティスも、状況がよく分かっていない様子で首をかしげている。石人には――人間や動物が行うような「食事の習慣」がないのだ。彼らが砂糖菓子のような食物を手に入れるためには、人間の世界から輸入するしかない。
ましてやここは夢世界。菓子どころか食糧の類すら持ち合わせていないに違いない。
(……結局、極夜国って何をやるにしても、人間の世界と交流して得た品が必要不可欠なんじゃない。
木製の家具にしろ、精霊に支払う報酬にしろ――外界から隔絶されたら、石人たちの暮らしってとんでもなく悪くなるんじゃない?)
香梅の住む世界の西国では、かつて禁欲を旨とした一派が政権を握り、清く慎ましい生活を強いた国があった。
その結果どうなったか。美食や音楽、ありとあらゆる文化的な要素はその国では排斥され――人々は何の楽しみもない、陰鬱な日々を送る羽目になった。
のちにその政権は転覆し、元通り王政復古となった訳だが……一度破壊された文化を元通りにするのは、大変な時間と労力がかかった事だろう。
(ま、お菓子が報酬として必要だというなら――仕方ないわね。
あたしも暖かいお風呂は入りたいし)
香梅は周囲に気づかれぬよう――懐にそっと手を入れ、強く念じた。
この森に入ってから彼女に身に着いた「具現化」の力。馴染み深い衣装や煙管も再現された。
東国における美味な菓子を、記憶を頼りに作り出す事など造作もない――
「……報酬、というんだったら。『偶然にもたまたま』持ち合わせていた、この砂糖饅頭でもいいかしら?」
香梅が取り出した大きく丸い食べ物に、ヴェスタは最初は目を輝かせたが。
近づいてまじまじと見つめてから、ガッカリしたような顔をして言い捨てた。
「ダメダメ! そんなまがい物じゃあ、ヴェスタのお腹は膨れないワ! やり直し!」
「なッ…………!?」
形も風味も完璧に再現した筈なのに。火の精霊に拒絶され、思わず香梅は顔を引きつらせてしまった。
(つづく)