13 ミオソティス、霧を掃う(ティス)
Scene Character:ミオソティス(ティス)
Scene Player:貴様 二太郎 様
黒衣の老人・石人のグリソゴノに案内され、四人――正確には『五人』だが――は、迷いの森の中心部へと進んだ。
森の中を彷徨わせ続ける「霧」の力は、グリソゴノの持つ黒色金剛石の守護石の加護「消滅」によって無力化される。
彼と行動を共にする限り、惑わされ道を誤る心配はないのだった。
「――間もなく辿り着く。森の中心部の屋敷に」グリソゴノが言った。
「さっき聞いた話だと」香梅は口を開いた。「ティスの持つ忘却の力が必要だって言ってたわよね? どういう事?」
「うむ。儂が単独で森の中心に赴かなかった理由がまさに、それなのだ」
森の木々を掻き分け、一行は大きな空間に到着した。
そこにあるのは伝統的な建築様式の、美しさすら感じる古風な建物。だが――
「『霧』が……濃い、ですね……」ジェレミアは屋敷の様子を見て、息を飲み呟いた。
森の中を慢性的に漂う霧よりも遥かに濃密ではあるが、先刻見た「血に飢えた霧」ほど赤い訳でもない。
しかし高密度の「霧」は、消滅の加護を持つグリソゴノですら容易に近づけぬほどの拒絶の意思を持つのだという。
「霧に意思が――宿っているのですか? グリソゴノ様」
ミオソティスがおずおずと尋ねると、石人の老人は深く頷いた。
「そうだ。先ほど貴女を襲った『血の霧』にも意思があった。
そしてこの屋敷を取り巻く霧も。我々を近づければ、極夜国を霧に閉ざす企みが潰えると思ったのだろう」
「でも、ティスの力をどうやって使うというの?」と香梅。
「霧の意思を探り――彼らを駆り立てている感情の正体を探り、忘却させて欲しい。ミオソティス殿の黒玉の力で」
ミオソティスは促され、左眼に宿る黒玉に力を集中させようとした。
だが……ある事に気づいたようで、悲しげに首を横に振った。
「ごめんなさい。霧の感情の正体が……私には分かりません。
さっきのグリソゴノ様のように、傷を負った時の感情は分かりやすかったから、忘却の力を扱えたのだけど――」
皆の期待の眼差しを一身に受けた矢先に、それらを裏切ってしまう形となり、ミオソティスの心はたちまち沈んだ。
(なんて事……せっかく、皆の役に立てそうだったのに。
私の疎んでいた忘却の力が、今は必要なんだって、少し誇らしく思えたばかりだというのに――)
そんなミオソティスの手を、握りしめたのは隣にいた香梅だった。
彼女の手の中には丸くて硬い感触がある。胸を飾っていた月長石のネックレスを外し手に持ったまま、ティスの左手と重ねたのだ。
「……心配する事はないわ、ティス。
ここにいるのはあなた一人だけじゃない。
私の持つ月長石の加護もあげる。だから――」
香梅の月長石は、治療の力だけではなかった。
この森に来てからというもの、彼女の五感や知覚は冴え渡り、いつにも増して理知的な思考を身に宿している事に気づいた。
(まるで本当に、雨仔の知恵があたしを後押ししてくれてるかのよう。
実際あの人は、色恋沙汰とあたしに関する話以外は、嫉妬したくなるぐらい優秀だものね)
もっともその知覚が鋭すぎるが故に、見たくないもの(ゲツエイ)まで見えてしまったりした訳だが。
ともあれ、月長石に触れたミオソティスの瞳に――それまでぼんやりとしていた霧の意思が、徐々に形を持ち伝わってきた。
(これは……悲しみ……無念……嫉妬……羨望……)
それらの感情が示す結論に、石人の少女は思い至った。
「ここに集う『霧』たちは、皆……『半身』を見つけられなかった、もしくは伴侶とした者たちに半身が見つかり捨てられてしまった石人たち……」
「……半身、とは……?」疑問を口にするトーマス。
「我々『石人』の業ともいうべきもの。我らは己の半身を見出し、一つとなることを――生まれたその時から望むのだ」グリソゴノが解説した。
「つまり……人間の世界でいう、伴侶や夫婦の事ですか?」とジェレミア。
「近い存在だ。だがそれらよりもずっと絆は深く、抗いがたき物だ」
石人たちにとって「半身」は、一度手に入れたら「それ」なしには生きられぬ程だ。ある魔法使いは「呪い」と評した。半身の存在の大きさは恐らく、石人にしか理解できない。
故にグリソゴノは最低限の言及に留め、敢えて共感を求めようとはしなかった。
ミオソティスは理解した。屋敷を覆う霧たちの感情の正体を。それで十分なのだ。
(その辛さ、悲しさ……すごく分かる。私もずっと、思っていたもの。
これからの長い時間、黒玉の忘却のせいで、半身どころか普通に寄り添うだけの相手をも見つけられず……死ぬまで独りぼっちだったら、って考えたら……
とても怖い。目の前が今よりずっと、夜の闇よりも暗くなって……絶望してしまうもの、ね)
何と皮肉な事だろう。
ミオソティスを孤独の恐怖に捕えていた、忌むべき忘却の加護が。
今目の前の「霧」たちの悲しみを忘れさせる、救いの手段となり得るのだ。
ミオソティスの左眼から、守護石の力が解き放たれる。
「それ」は霧に到達し、拡散し、屋敷全体を瞬く間に覆い尽くした。
記憶とは。過去とは。覚えていたいような素晴らしいモノばかりではない。
忘れたくとも忘れられない。そんな苦い、悲しみも、心の傷も存在する。
この「霧」たちの意思は、今までずっと晴れる事なく、森を覆い続けていたのだろう。
しかしそんな無念も。怨讐も。ミオソティスの黒玉の加護によって――薄れ、散り、やがては見えなくなった。
「…………凄い」香梅は思わず感嘆の声を漏らした。
無理もない。ティスの力によって霧が晴れた途端、それまで周囲にのしかかっていた重苦しい空気も嘘のように消え去ったのだ。
心なしか身体も軽く、動かしやすくなったような気すらする。
霧が晴れた先に映る屋敷は、見知ったミオソティスの家だった。
(私の屋敷が……帰る場所が。……なんでここに……?)
極夜国の外れ。森の外にある筈の自分の家が、森の中心部にある。
彼女にとって奇妙極まりない光景だったが、すぐに思い直した。
(ここは夢の中なんだから、そういう事も起きるのかしら……)
現実の記憶にある場所とは違えど……外観も雰囲気も、全てがよく知っている、懐かしくも安堵する、見慣れたものだ。
中に入れば一息つける。それならば、この状況を歓迎しない理由がない。
「……皆さん、お待たせしました。これでもう大丈夫です」
ミオソティスは皆の方を振り返り、輝く笑顔を見せて言った。
「ご案内いたしますわ。ようこそ――我がフォシル家の屋敷へ」
(つづく)