王子と魔女
――――ある湖畔の屋敷
紅魔の森を去ったハインス達は魔女の屋敷の食堂に転移して来た。昼食の時に転移魔法を魔女に見せた際の硬貨を、ハインスが転移先として選んだからだろう。ちょうど召使いの老婆が掃除をしているところだったので、突然の二人の帰宅に彼女は驚いたが、何を尋ねるでもなくすぐに紅茶の用意を始めた。
老婆が給仕する姿を見ながら、魔女は自分の身に起こったことを思い返すと、不思議そうにハインスに尋ねた。
「どうして私を助けたの?」
「言ったでしょう、僕は借りは返す主義なんですよ。……まぁ、貴女なら僕が何もしなくてもどうにかしたんでしょうけど」
「そうね、あのままローゼルクまで連れて行かれて何かするのもいいかなと思っていたのに」
「やっぱり貴女は悪い女性だ」
呆れたようにハインスは眉をひそめる。
実際、彼女があのまま素直に捕まるような女にはハインスには思えなかった。それ故にさらなる混沌を回避する意味で、ハインスはあの場で魔女と共に逃げることにしたのであった。
しかし、理由はそれだけではなかった。
「というのは建前で……僕も友達が欲しかったのかもしれません」
王子は魔女から顔をそらすと照れくさそうに小さく呟いた。
「貴女ともっと色んなものを見て回りたい。僕も自分の見たいものを見てみたい。そう思ったんですよ」
ハインスの言葉を聞いてしばらくの間、魔女はじっと彼を見つめていたがやがて嬉しそうに微笑んだ。
その微笑みにはいつもの何を考えているかわからない不気味さはなく、ハインスには極普通の女性の温かな笑顔に感じられた。
ハインスは老婆が恭しく淹れた紅茶に目を移した。
紅茶から立ち上る温かな湯気には、今日という日に見たあらゆる色が次々に浮かんでは消えていく。どれもが新しい彩りとして自分の中に確かに刻まれている。
「……お礼を言わせて下さい。貴女と見た世界が僕を鳥カゴの世界から解放してくれた。ありがとうございます」
「お礼なんていらないわ。私は劇の観客が欲しかっただけだもの」
「貴女ならそう言うと思っていましたよ」
小さく笑うハインスに魔女は小首をかしげて問いかける。
「ねぇ、貴方は獄炎の赤と白雷の白どっちがお好みだった? メイヘンはあの稲妻の美しさに心を打たれて自らの感性を、生き方を塗り替えられた。貴方はどうかしら?」
ハインスは瞳を閉じた。それだけで暴力的な赤と神々しい白とが鮮烈に脳裏に浮かんでくる。
やがて静かに目を開けるとゆっくりと答えた。
「多分、貴女と同じじゃないですかね」
「……そう。やっぱり趣味が合うわね、王子様」
「もう僕は元王子、ですよ」
ハインスの返答を聞いて満足そうな顔で紅茶を飲む魔女は、窓から差し込む夕日に照らされて、えも言われぬほど美しく見えた。狂気の魔女と言うより悪戯好きの女神のようだとハインスは思う。
「そう言えばまだ名前を聞いていませんでしたね」
思えば出会ってから一度も彼女の名を聞いたことがない。
ハインスが名を尋ねると、魔女は少し迷いながら自身の名を告げた。
「名前なんて随分昔に捨てたわ……でも、そうね、ずっと昔は『ルナ』と呼ばれていたわ」
「ルナ…………ルナ・カトレア・ベインハン……?」
ハインスは断片的な記憶の糸をたぐり寄せる。彼女の名乗ったルナと言う名は、黄昏の魔女が最初に誘拐したと言われるベインハン王国の第一王女の名だ。それが彼女の名だというならば……。
「く、くく、ふふふっ。あはははははは!」
魔女の正体に行き着いたハインスは笑い出していた。こみ上げる笑いを抑えることができずに肩を大きく上下させる。普段作り笑いしかしない彼にとって、腹の底から笑ったのはいつぶりだろうか。
「どうやら僕達は本当に似たもの同士だったみたいですね」
一頻り笑い終えると目に涙を浮かべてそっと魔女へと右手を差し出す。
「だから言ったでしょう? 貴方と私はよく似ているって」
魔女もそれに応えて細く冷たい指で彼の手を握る。
「改めてよろしくお願いします、ルナ嬢」
「こちらこそよろしくね、ハインス」
軽い挨拶を終えると魔女はハインスへ向かって一歩踏み出す。
上目遣いで彼の瞳を覗き込み、耳がとろけそうな色っぽい声で語りかける。
「……ねぇ、次はどんな美しいものを見に行こうかしら?」




