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『異聞 ―怪異伝―』  作者: ニカオ


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第五話 噂の怪異

――こんな噂、知ってる?


噂話。それは、あり得ないものを「あり得た話」、起こり得ないはずだったものを「起こり得た話」にするもの。


話される度に盛られ、削られ、詳細が変わる。


まるで変身するかの様に。



見たんだ


少年は言った。


いつも通りの帰り道。その日は用事があったから急いでた。


だから、通っちゃったんだ。


学校のすぐ近く、何故か人通りの少ないあの道を


高い塀に囲まれ、逃げ場のないあの道を


夕方だった。もう縋り付ける太陽も傾いている。


暗くなってきた


気づけば少し足早になっていた。いつも通りの道では遅くなる。


曲がった。いつもなら曲がらない道を。


見えた


ありえないんだ。普段人通りは殆どない。


高かった


俺の身長は170cm。でも高かったんだ。


長い黒髪、赤いワンピース


でも俺の目に入ったのは違う


白い、真っ白なマスク


風邪でもひいてるのかな? なんか不気味だな。


顔はよく見えない


後数歩ですれ違うな。少し道を空けよう。そんな事を思いながら歩いた。


隣に立った。隣に。


走っていれば良かったかも知れない。この道を選んでなければ。後悔しても、もう遅い。


聞こえたんだ


「私、綺麗?」って


「きゃー!」


教室に悲鳴が響いた。


昼休み。紫部伊織はいつもの様に噂話をしていた。


俺は噂話が好きだ。


誰かに聞いてもらうのが好きで、これまでも色々な話をしてきた。


トイレの花子さん。


十四階段。


かまいたち。


良くある怪談。


でも俺はそれらに詳細な姿を与えてしまう。


花子さんなら3階の女子トイレ、2番目の個室。


黒いおかっぱ。身長は120cmくらい。白い顔。


白いブラウスに赤いスカート。靴は茶色のローファー。


不思議だよな? そこまで語ると普通は怖くなくなる。人間は理解出来ないモノに恐怖するのに。


だから削る。


何をされるか分からない。出会うと最後。


後は想像させる。これがコツだ。


で、ここからが最近の悩みなんだけど


俺が話してしばらくすると、その話を本当に見たとか、本当に会ったとか、そういう噂が流れてくる。


なんでなんだろ、だって作り話だぜ?


       *


伊織君、なんか悩んでるのかな?


ごめんなさい、急に。私、彼の噂話が大好きなの。


私はいつも聞き耳を立てて聞いてしまう。ファンってやつかな?


さっきも面白くて、つい叫んじゃった。気づかれなかったかな?


あー、直接お話ししたいなー。


あー、会いたいなー。


でも無理なんだよね。


「ん? 今なんか言った?」


「なに? 伊織、新しい噂の導入?」


友人は机越しに喋りかけた。


「ちげーよ。なんか声が聞こえた気がしてさ」


「正に怪談の導入じゃん!」と友人は言う。


「確かにな」


笑いながら伊織は答えた。


帰りのホームルームが終わっても、伊織は席を立てずにいた。さっきの声が、まだ気になっていた。


誰の声だったんだろう。聞き間違いかもしれない。でも、確かに聞こえたんだ。


空耳では無いと何故か自信を持てた。


校門からしばらく歩くと道が分かれる。いつもの帰り道と、今日怪談で話した学校裏の道。


普段なら迷わない。けれど、伊織は分かれ道で足を止めた。


俺は自分の噂を実際に見た事は無いんだよな。


気づけば足は裏道を選んでいた。


本当に、俺が話した女がいたら?


そんな起こり得ない事を考えたまま、歩き続けた。


「なんだ、何も起きないじゃん」


声に出していた。


期待外れ。いや、期待通りか。


結果が分かっていたからこの道を選べたんだ。


でも、現実は期待を外れた。


いる


目の前、50m程先。


ありえない


いや、想像はした。でも現実にいるはずがない。


さっきまで隣にいた好奇心は尻尾を巻いて逃げ出した。


想像した通りの姿。いや、創造した通りの。


赤い。とても赤い、血の様なワンピース。


白い。真っ白なマスク。


創造通りだ。


心臓が跳ねる。間違いない。自分の話を聞いた友達に、今すぐ助けを求めたかった。


女は動かない。伊織も動けずにいた。いつの間にか、空は闇に包まれていた。


どれだけ時間が経ったのか。


いや、実際には30秒も経ってない。


白いマスクの上にある目が、こちらを向いた。


ああ、逃げなきゃ。


選択とは裏腹に足は頼りなく震えていた。


伊織が動くより先に女が動いた。


50mなんて数秒で詰められる。


兎に角動け、体。


金縛りから解放されたかの様に、バランスを崩しながらも伊織は駆け出した。


後から見たら酷く滑稽な様だったろう。


でも今はそんな事どうでもいい。


だけど、そんな伊織の抵抗は無意味だった。


目の前、1m。いや、5cm。恐怖で感覚が壊れる。


だけど確かに目の前にいる。


やめて。


そんな心の叫びとは裏腹に女は言った。


「私、綺麗?」


来なければよかった。引き返せばよかった。作り話だった。俺が言葉を重ねて、みんなが怖がって、それで終わるはずだった。どうして自分から、その続きを見に来たんだ。


ああ、もう終わり。終わりだ。


伊織は自分が作った話の続きを想像した。だけど


「伏せろ!」


現実は想像とは違った。


知らない声がした。伊織は反射的に身を縮める。


目の前を何かが走った。風が顔を打つ。


恐る恐る目を上げると、女の前に男が立っていた。手には日本刀?


振り下ろされたそれが女の輪郭を崩す。薄い布を引き裂くがごとく。


女は消えた。二つに分かれながら。


「おい、大丈夫か?」


声は聞こえるのに、返事の仕方が分からない。男が振り返って何か言った。もう一人、白衣を着た青年が駆け寄ってくる。


「怪我はありませんか?」


伊織は頷こうとして、喉から変な音を漏らした。


男が差し出した手をつかむ。そこで意識は途絶えた。


次に目を覚ますと自動車が通り過ぎ、どこかで信号が鳴る。


先程まで自分は異世界にいたのかと勘違いする程いつもの光景だった。


起き上がった目の前には先程見た男性2人がいた。


軽く現状の説明を受けた。名を聞かれた。


「紫部伊織、です」


何とか答えた。


「卜部六郎です。こちらは乃木夕陽さん」


「お前、よく無事だったな」


徐々に視界はクリアになり、思考出来る様になってきた。


さっきこの人達が来なかったら。そこまで考えた途端、胃の奥が縮んだ。


それでも、聞きたいことがある。


「あの……あれは何だったんですか?」


夕陽が隣の青年を見る。六郎はすぐには答えなかった。


「まだ分かりません。伊織さんは、あの女性について何かご存じですか?」


伊織は、話すか迷った。荒唐無稽だ。


自分がその話をしたところでこの二人は信じられないだろう。


だって自分が作り出しましたなんて


ありえない


だけど話していた。噂話をしたら本当になった。


怪談通りだったと。


「俺が話したせいで、あれが出てきた……なんてこと、ありますか?」


六郎は伊織を見た。


ああ、やっぱり何を言ってるんだと、そんな訳ないと否定される。


男の言葉は伊織にとって予想外だった。


「その可能性も含めて調べる必要があります。ただ、今は何も決めつけないでください」


「え? 信じてくれるんですか?」


声がもれた。


「実際居ましたからね。それに我々はああいうのに少し詳しいんです」


伊織は夕陽に視線を移した。


「さっきは倒した。そこまでは見た」


確かに斬っていた。生き物ならただじゃすまない。


「だけど、もう現れないかどうかは、別の話です」


六郎の言葉に、伊織は顔を上げた。


「私の考えが正しければ、また現れるかもしれません」


それ以上を聞く前に、伊織は自分の手を見た。掌は震えていた。


翌朝、机を引く音だけで伊織は肩を跳ねさせた。


目を閉じれば、あの女が出てくる。昨夜は電気を消すのにも時間がかかった。眠りに落ちかけては、女が自分のすぐ隣に立っているような気がした。


教室は何も変わっていない。黒板の端に日直の名前があり、友達が昨日のテレビの話をしている。


「伊織、なんか元気ねーな? どしたん?」


「……ちょっとな」


「口裂け女にでも会った?」


伊織の指が止まった。


友人は笑っている。


「怖がってると、お前の前にも現れるぜ」


「やめろよ!」


机を叩く音が教室に響いた。


笑い声が消える。


自分でも驚いた。いつもなら、そう言われて面白がっていたはずだ。実際、昨日までは本当に笑えていた。


だが今は、次に女が現れたらどうなるかを知っている。


「……悪い」


伊織は机の上に視線を落とした。


友人たちが話を戻す。いつもの教室なのに、手のひらだけがまだ熱かった。


休み時間になると、伊織は何人かにあの女についての噂を聞いた。


誰が見たのか。最初はどんな姿だったのか。どこで現れたのか。


聞くたびに、話が少しずつ違った。


「刃物を持ってるんだろ?」


「噛みつかれたんだって」


「前に見たやつは、腕折ったらしいぜ」


自分の話したことに、いつの間にか知らない尾ひれができていた。


「なあ、それさ。誰が言ったんだ?」


「知らねえよ。そう聞いたんだって」


その答えが、どこへ行っても返ってくる。


怖い。けれど、聞き漏らした話があると、どうしても気になった。


いったい何が本当になっているのか。


放課後、約束した場所で夕陽と六郎に会うと、伊織は聞いたことを伝えた。


「学校の周りでも聞いてみました」


六郎が言った。


「ただ、詳しい噂を知っている方も、実際に見たという方も、高校の生徒以外には見つからないんです」


「学校だけ……?」


「ええ。少なくとも私たちが確認した範囲では」


伊織は黙った。


伊織は教室で聞いた話を二人に伝えた。


六郎は聞き終えても、しばらく黙っていた。


三人は一緒に通りへ出た。


その帰りだった。


路地の方から叫び声がした。


伊織は足を止めた。


路地の奥で制服姿の生徒が塀際まで後ずさっていた。その前に、女がいた。


「また……!」


伊織が声を上げるより早く、夕陽が駆け出した。六郎は転びかけた生徒の腕を取り、路地から引き離す。


夕陽が刀を抜いた。


銀色の線が走る。


女の姿がほどけるように消えた。


昨日、確かに消えたはずなのに。


助けられた生徒が、肩で息をしている。


「だ、大丈夫ですか?」


伊織が声をかけると、生徒は何度も頷いた。だが、目は夕陽の刀から離れない。


「斬った……今、斬ったよな……」


「そうだ。でも……」


伊織は言葉を詰まらせた。


「でも……また出るんだろ……?」


生徒の言葉は、3人を刃で斬り裂いた。


三人は生徒が歩けるのを確かめてから通りへ出た。伊織は何度も振り返った。女の姿はもうなかった。


まだ終わりじゃない。心がそう告げていた。


六郎も夕陽も同じ考えだった。


「口裂け女、刀で斬っても死ななかったんだって」


翌日、その噂が教室に届いた。


「何回斬っても死なないらしいぞ」


「そんなの、どうやって逃げるんだよ」


伊織は黙っていた。


伊織は昨日、女が斬られて消えるのを見ていた。


それなのに、噂は「斬っても死なない」に変わっている。


「伊織、今度の噂はどうなんだよ。お前なら知ってるだろ?」


伊織の頭に、一つの光景が浮かんだ。


誰にも止められない口裂け女。


何をしても、何度斬っても倒れない。


誰かが逃げ遅れる。


その光景があまりに鮮明で、息が止まった。


もし、今考えたことまで本当になったら。


伊織は口を開いた。


けれど、何も出てこなかった。


「……今日は、やめとく」


「なんだよ、それ」


いつもなら胸ひれを足していた。続きを聞きたがる友達がいるのだから。


教室の窓から入る風で、ノートの端がめくれた。伊織はそれを押さえ、誰にも続きを聞かせないまま閉じた。


帰り道も、噂のことを考えないようにした。


考えまいとするほど、あの声が耳に蘇った。


早く家へ帰りたい。


下校する生徒が追い越していく。その姿が見えなくなるまで、伊織は歩調を緩めた。


人通りのある道を選び、信号が青になるのを待つ。あと少しだ。


いつもの角を曲がった。


いた。


伊織は止まった。


今だけは、勘弁してくれ。


後ずさる。女は近づく。伊織は道の端へ寄るが、すれ違う勇気も、背を向けて走る勇気も出ない。


「来るな……」


女は何も答えず、伊織のほうへ手を伸ばす。


もう駄目だ。


あの新しい噂が本当なら、刀でも止められない。


チリン!


鈴の音が聞こえた気がした。



「伊織!」



夕陽の声がした。


刃が走る。


いや、刃は無かった。


握られていたのは木刀だった。


女は斬られなかった。


六郎が夕陽の隣へ来た。


「な、なんで! もう刀は意味が無いよ! 口裂け女はもう倒せない!」


「ふざけんな! 襲われてるのをほって逃げられるか! それに……倒しに来たんじゃねえ!」


夕陽の声が路地に響く。


「ええ。倒す必要がないかもしれません」


六郎がちらりと伊織を見た。


「倒す必要がない?」


「あれは口裂け女ではありません。噂を現実にするモノ――噂の怪異です」


「噂の……怪異?」


伊織はその言葉を初めて聞いた。口裂け女じゃない? 目の前にいるのは、誰が見たって――。


女が手をかざした。


その瞬間、伊織の視界が歪んだ。


「なっ!?」


世界の音が遠くなる。


伊織は瞬きをした。


二人がいない。


「え? 夕陽さん! 六郎さん!」


さっきまで二人が立っていた場所には、誰もいない。


伊織は二人の名前をもう一度呼んだ。返事はない。振り向けば、来た道はある。なのに、さっきまで聞こえた車の音も、遠くの話し声も消えていた。


どこへ行ったんだ。俺が別の場所へ来たのか。あの二人だけが消されたのか。分からない。女から目を離さず、伊織は足元を探った。走るならどちらへ。塀を越えられるか。けれど背を向ければ、さっき見たあの刃物が来るかもしれない。


女は、すぐそこにいた。


逃げようとした。脚が動かない。


「私……きれ、きれ、きれ……」


「な……なんだ、変になってる……」


女の首が左へ大きく傾いた。戻るかと思うと、今度は右へ。柔らかいものがしなるように揺れる。


「ち、ち、ち、ち……」


伊織は塀に背を押しつけた。


怖い……でも、こんな動きは聞いたことがない。


六郎の言葉が頭をよぎる。


「倒す必要がないかもしれません」


倒す必要が無い……勝手に消える?


違う、もしかして……襲ってきてるんじゃ無い?


「……お前! なんで人を襲う!」


女は答えない。首がまた左右へ折れる。マスクの下で、何かを言いかけては止まっている。


「私、綺麗?」


その先の言葉が出てこない。手を伸ばすたび、ためらうように止まる。


伊織はその手を見た。刃物はない。まだ怖い。けれど、何かが違う。


「お前、何か話したいのか?」


ぴたり。


女の動きが止まった。


「止まった? ……もしかして、話があるだけ?」


返事はない。


ただ、女はそれ以上近づかなかった。


返事を待った。さっきまでなら、そんなことは考えられなかった。


「伊織! 大丈夫か!」


突然、横の景色に裂け目が走り、夕陽が飛び込んできた。六郎がそのあとに続く。


「伊織さん!」


「どうやって……?」と声が漏れた。


夕陽は伊織の顔を覗き込む。


「怪我はないな?」


「六郎が結界かもしれねえって言うからな。なら斬れるだろ」


夕陽は刀を収めた。


伊織は二人のそばへ寄った。膝の震えが、今になって強くなった。


「な、なんか……話をしたいのかって言ったら、こいつ動かなくなって」


「ああ、やはり」


六郎は女を見つめた。


「噂の怪異そのものには、もともと人を襲うほどの力はなかったのでしょう。伊織さんの話と、広まっていった噂。その内容を取り込んで、ここまで成長したと考えれば辻褄が合います」


「俺の噂話で成長した?」


「噂の怪異。あなたは伊織さんに憑いていますね?」


女は動かない。


六郎も、しばらく答えを待った。


「いや、もっと単純だって言ったろ、六郎」


夕陽が女を見た。


「夕陽さんの考えは……」


「噂の怪異。お前、伊織のこと好きなんだろ?」


「え? 好き?」


今この人なんて言った?


信じられない言葉に伊織はショートした。


だけど


ボンッ。


女の全身が真っ赤になった。


伊織は口を開けたまま固まった。六郎も同じような顔をしている。


夕陽だけが笑っていた。


「な? 単純な話だったろ?」


伊織は真っ赤な女を見た。


昨日の夜は、あの続きを思い出して眠れなかった。


だけど、こんな展開。想像以上だ!


胸が高鳴った。


自然と言葉が溢れた。


「お、おれは噂が好きだ」


「伊織さん?」


六郎が声を上げる。夕陽がにやりとした。


「皆が俺の話を聞いて、本気で想像し、楽しんでくれる」


伊織は女へ向き直った。


「お前もそうなのか? 俺の話を本気で、いや、本当にしようと?」


「わ、私……わ、私……」


「あ、喋れないんだった」


伊織は、腕を折ったという生徒と、さっきまでの自分を思い出した。


「俺は噂話が好きだ。だけど、人を襲うのは違うと思う」


「怖いのは想像だけで良いんだよ」


「だから、お前も普通に話を聞いてくれるか? もっと楽しい噂話を?」


女から怪談が抜け落ちた。


伊織は目を細めた。


そこにいた女性の口は、もう裂けていなかった。


女性は伊織を見て、微笑んだ。


「はい。いつまでも」


伊織は、その笑顔を見つめていた。


「一件落着かな?」


夕陽は木刀をなおす。


六郎は何も答えない。まだ信じられないという表情をしている。


「今日の夕飯は六郎の奢りな」


六郎は開いた口を塞がず、夕陽を見た。


気づけば2人は笑っていた。


翌日の昼休み。伊織の席に友達が集まってきた。


「伊織、何か面白い話ない?」


「あるよ」


「聞かせて!」


友達が身を乗り出す。伊織は笑った。


「じゃあ――こんな噂、知ってる?」

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