第八十七話 絶望の悟り
邪馬壹国本隊200が、投馬国300と激突した。
瞬間。
金属がぶつかる、乾いた音が鳴り響く。
最初は敵か味方か、どちらが鉄を打ち鳴らしているのかわからなかった。
邪馬壹国軍の鎧はもっと簡素なはずだ。
弁韓からの鉄が増えたとはいえ、兵全員を重装にする余裕なんてなかった。
なのに。
「おい、都萬彦。あれはまさか……」
敵に押されかけた最前列の邪馬壹国兵が、一斉に“外套”のような薄布を脱ぎ捨てた。
その下から現れたのは、鉄板を何重にも組み合わせた胸甲、篭手、脛当て。
光沢を抑えるため、灰土を塗って鈍くくすませてある。
「兵の装備を、偽装していた……」
「ああ、貴様も気づかなかったようだな」
都萬彦は自慢気にもせず、ただ淡々と、当然のことのように言った。
「重装だと最初から分かれば、南の連中は慎重になる。あいつらは油断しているからこそ、こちらに近づいて来てくれたのだ」
そうだ。
重装兵であることがバレていれば、
投馬国はあんな雑な押し返し方はしない。
鉄の装備に身を包んだ本隊が、圧倒的な力で敵を蹂躙していく。
奴国の兵の中にも、鉄製装備をしている者がいないこともない。
だが、邪馬壹国は朝鮮半島との交易、更には船の民がもたらした鋳造技術がある。
量も、質も、圧倒的な差があった。
敵の木盾が砕け、草鎧が弾け飛ぶ。
投馬国兵の叫びが次々に上がる。
たまらず敵兵は雲散霧消した。
都萬彦の小細工は気に入らないが、これで敵本隊に向かった連合軍を援護できる。
だが、都萬彦はそうしなかった。
「散った敵を追え、一人残らず殺し尽くせ」
味方の援護よりも、敗走兵の掃討を優先させた。
「何をしている都萬彦。もう奴らは戦力にならない。早く援護に向かうべきだ」
「持衰。いい加減に黙れ。王の戦に口を出すな」
連合軍は敵兵に散々にやられている。
このままでは先ほどの二の舞だ。
けれど、邪馬壹国軍は命令通り、逃げ惑う敵の背中を追っている。
そうだ。都萬彦は最初から連合軍を助けるつもりなどない。寧ろ、全滅してほしいとさえ思っている。
これが穂北彦が兄の命令を拒んだ理由。
邪馬壹国軍を温存するため、他国の兵達を盾代わりに使う。
味方も敵も殺し尽くす、完全なる消耗戦。
こんな戦いを、穂北彦が承諾するわけがない。
絶対に止めなければならなかった。
なのに、間に合わなかった。
邪馬壹国兵が、壊滅させた敵軍を、完全に一掃した。
ようやくその後方にいた投馬国本隊に向かう。
だが、もう遅い。
連合軍はほぼ全員が死に絶えている。
もしかしたら、その時が訪れるまで、わざと敵の掃討を遅らせたのかもしれない。
血の味を覚えた鉄の爪牙が、敵に喰らいつき、引き裂いていった。
これは戦ではなく、単なる虐殺だ。
俺はもう、正視することができなかった。
獣のような咆哮、断末魔の叫び声。それらが止んだ時には、戦場に邪馬壹国軍以外の兵は残っていなかった。
まただ。また思い通りにいかない。
もう失敗しないと誓ったのに。
俺はどうしたら良かった。
もっと早くここへたどり着いていたら。
都萬彦のもとになど向かわず、真っ直ぐに戦に介入していたら。
取り押さえた兵を斬り殺してでも、兵を動かしていれば。
いや、そんなことをしても、全て徒労に終わっていただろう。
じゃあ、そもそも……
「どうだ。持衰。見事なものだろう」
兵から解放された俺は、地に膝をつき、俯いたまま動けなかった。
「都萬彦……。こんなことをしてただで済むと思っているのか。
生き残りの兵は僅かだが、今頃彼らは自国に走っている。
この話は、必ず諸国に伝わるぞ……」
「伝わって何が悪い?」
都萬彦は、血に染まった戦場を見渡しながら言う。
「我々は全力で戦った。たまたま、兵の練度で劣る他国の兵に被害が多かった。それだけの話だろう」
その声音には後悔も、罪悪も、迷いもなかった。
「そんな理屈が通るかよ……。
下手したら北部連合は手を取り合い、邪馬壹国に反旗を翻すぞ……」
「願ってもない」
都萬彦は笑った。
戦場を血に染めたままの顔で、心底愉快そうに。
「かねてより、俺は“連合軍を整える”という名目で、諸国から兵を徴兵していた。だが実態は──すべて邪馬壹国軍の命令系統に組み込んである。諸国の兵力は減り、我が軍は数が増す」
それは諸国も、薄々感づいていたはずだ。
だが、都萬彦の婚姻政策で結ばれた縁と、
邪馬壹国から与えられる鉄・技術・交易路の恩恵に縛られ、彼らは“気づかないふり”を続けてくれていた。
「その上での此度の戦だ」
都萬彦は戦場に散乱する死体の山を、眺めるように言い放つ。
「北と南の戦いで、諸国の兵が消し飛んだ。
対して我々はどうだ?――殆ど無傷だ」
都萬彦は自らの軍を顎で示した。
「ついでに東国と投馬国にも打撃を与えられた。上手く同士討ちをさせられたと思うだろう?」
「同士討ちだと……?連合国は仲間だろ」
都萬彦を見上げながら睨む。
「仲間?漢にいたくせに随分おめでたい考え方だな。いいか持衰。北部連合などまやかしだ。たまたま今だけ利害が一致して、手を取り合ってるに過ぎぬ」
都萬彦がしゃがみ込んだ。
俺の髪を引っ掴み、顔を持ち上げる。
「所詮は奴らも敵なんだよ。連合なんて生温い。向こうから歯向かってくれるなら、これほど都合のいいことはない。今度こそ完全に征服し、邪馬壹国がこの地の唯一の国になる。そうして初めて、真の泰平が訪れるんだよ」
都萬彦が俺の目を覗き込んでくる。
「日御子、日御子と煩い諸国が、お前だって目障りだったんだろう?約束しよう、持衰。俺が筑紫島を統一した暁には、必ず日御子を自由にすると。もう誰にも、あいつを縛り付けさせはしない」
耳元で囁く。
じめじめとした、臓器の中で這いずり回っているような、不快な声。
「それが、お前の望みなんだろう?」
思えばこいつは、はじめからこうだった。
日御子を敵としか思わず、
俺に出会ってからは、船の民を縛り付けるための“楔”としてしか見ていなかった。
日御子だけじゃない。
俺。
御子様。
タケル。
宮崇。
於登。
他国の王も兵も、
連合も、交易も、海も、血の絆でさえも──。
ありとあらゆるものを、自身の野心のための道具としてしか見ていなかった。
けれど。
それは、俺も同じだ。
日御子に自由でいてほしいという、ただのエゴのために、
俺は都萬彦を利用しようとした。
日御子を思わない男に、日御子を託してしまった。
そうだ。
そうなんだ。
じゃあ、そもそも……
こんな奴を王にするべきではなかったんだ。
何がこれ以上失敗しないだ。何がもう誰も犠牲にしないだ。
ようやくわかった。俺は全てを間違えたんだ。
最初から。




