第八十五話 敗戦
2時間ほど進んだところで、遠くに船影が認められた。 数はざっと50艘ほど。その全てが構造船だ。 大きさは精々10メートルあるかないか。
20メートル、30メートル級の船を1隻ずつ有する俺たちの艦隊と比べたら、まるで大人と子供だ。
しかも隊列も整えずに、ただ固まっているという印象だ。 これなら問題なく撃退できる。
俺は大型船と中型船を横に並べ、その後ろから構造船を三段横並びにして進ませた。
敵の顔がはっきりわかる距離に入った。
このままぶつかれば、沈むのはあちらの船だ。
道を開けるように俺たちを避ける。
そしてすれ違いざま。
「放て」
短く命じ、弦側から矢と投げ槍を撃ち込む。
相手も応戦するが、陸戦でいえば高台を取られたような状態になっている。
上に向かって射る矢は勢いに乏しい。
敵の攻撃が有効打になることはなかった。
今のやり取りで5艘は沈めた。
あとは後続の小型船隊が、残りの敵を相手にする。
大型船と中型船はその間に反転。
再び突っ込めばこの戦いは終わりだ。
そう思い後ろを向いた時、俺は言葉を失った。
バラバラだった敵の船隊は、更に散開した。
ただ散ったのではない。
広がりながら、こちらへまとわりついている。
その動きは、まるで海の生き物の触手のようだった。
そして次の瞬間。
敵船が、俺たちの構造船へ二艘一組で同時に襲いかかった。
左右から、挟み込むように。
味方の兵たちが必死に矛を突き出し、弓を引く。
だが一隻分の幅しかない船の上で、
左右からの攻撃に対応するのは不可能に近い。
こちらの兵は、どの国よりも調練された精兵だ。
不利な状態でよく持ちこたえている。
だが、船は徐々に破られ、兵は確実に削られていく。
援護しようと別の船が回り込む。
だが敵は、それを見越していたかのように、すぐさままとわりつく相手を変え、ふっと離れていく。
そして、また別の味方船を左右から挟み込む。
援護が追いつかない。
追いつく前に、敵は宙を舞う木の葉のように、ひらひらとこちらの手をすり抜けていく。
さっきから、この繰り返しだ。
「くそっ……なんで追えない」
俺は大型船の舷側から、必死に戦況を読み取る。
敵の動きが速すぎる。
味方の隊列はすでに崩れ、三段横列は跡形もなくぐちゃぐちゃになっていた。
「なんでだ……」
自分の喉から漏れた声は、驚くほど弱々しかった。
「船の性能は構造船も負けてない。
それなのに、なんで向こうの動きについていけないんだ……」
混乱に陥りそうになりながらも、腹に力を込めて何とか踏みとどまる。
落ち着け。
冷静になれ。
よく見るんだ。
俺は目を凝らし、観測者補正を使用する。
敵と味方の動き、海の流れさえも、ゆるやかになる。
「……なんだ?」
敵の表情に違和感がある。
こちらの兵は必死に櫂を動かしているのに、敵の漕ぎ手たちにはゆとりが感じられる。
明らかに、本気で漕いでいない。
なのに、動きは向こうが速い。
「まさか――」
ようやく俺は悟る。
やはりこれは兵の練度の差でも、船そのものの差でもなかったんだ。
海そのものへの理解の差だ。
敵はこの海を熟知している。
「くそっ……」
弦側に拳を叩きつけた衝撃が、骨にまで響く。
それでも悔しさが収まらない。
頭の奥で、公瑾の声がよみがえる。
──地形は兵の助けなり。此れを知らずして戦いを用う者は、必らず敗る。
海は“地形”だ。
地上の山や谷と同じように、潮も風も、戦場そのものだ。
それを理解しない者が、勝てるはずがない。
俺は海という“地”を、まったく理解していなかった。
いつの間にか、驕っていたのだ。
倭国には存在しない、会稽の最新鋭大型帆船。
船を利用し、奴国に勝利したという実績。
北部九州では唯一の戦闘船を持つという優越感。
──船の戦いなら、自分たちは最強だ。
そんな思い上がりが、知らぬ間に根を張っていた。
そして今、その甘さが容赦なく牙を剥いている。
海上で味方が沈む音がする。
構造船がきしむ悲鳴を上げ、兵の叫びが風に散る。
「……これは、俺の落ち度だ」
指揮官である俺が、この劣勢を招いたのだ。
「馬鹿野郎……」
落ち込んでる場合か。
ここは戦場だ。
「鉦を打ち鳴らせ。小型船隊を合流させろ。敵とまともにやり合わなくていい」
俺の声に、副官が迷いなく鉦を叩く。
澄んだ金属音が海上に響き、小型船部隊が散り散りの状態から一斉にこちらへ撤退してくる。
大型船と中型船はようやく回頭を終え、舵を合わせていた。
構造船を次々と隊列内に飲み込みながら、敵船団の中央へ突入する。
敵は追撃をやめ、蜘蛛の子を散らすように散開。
こちらの突破をやり過ごした。
「このまま進んで距離を取る。小型船も続け。回頭のタイミングはこちらに合わせろ、絶対に先行するな」
敵船の姿が霞むほど離れたところで、俺は回頭を命じた。
船体がゆっくりと反転をはじめ、構造船もその速度に合わせている。
「構造船は大型船と中型船の周りに張り付け」
指示通り、小型船が2隻の巨船を取り囲む。
こうすることで、大型、中型船が構造船の片側側面の盾代わりとなり、今のような挟撃は防ぐことができる。
同時に、懐が弱い大型船の弱点のカバーにもなる。
戦陣を整えたところで、俺は構造船の数を確認する。
全部で18艘。
12艘の船が沈められたことになる。
もうこれ以上、被害を出すわけにはいかない。
「もう一度正面からだ」
声を張る。帆を広げ、船団が突き進む。
それと同時に、俺は海に詳しい部下を呼び寄せ、ある別の指示を与えた。
再び、敵に近づいた。 こちらは正面からぶつかりたいが、機動力に勝る敵は簡単にこちらをいなした。
そしてまた、2艘ずつで1艘の味方構造船に攻めかかる。 だが、今度はそう上手くいかない。
構造船の片側には、大型船と中型船がどっしりと構えている。
間に入り込む隙間はない。
仕方なく、敵は片側のみ接舷してくるが、正面同士の斬り合いではこちらに分がある。
更には、高所からは矢が降りかかってくるのだ。
敵は接近戦を捨て、変幻自在に動き回りながら、遠巻きから矢と槍を放ってきた。
「敵に釣られるな。盾を構えて耐えろ」
機動性はでは明らかに負けている。
ならば単純な速度で勝負する。
構造船を貼り付かせたまま、俺はひたすら直進させた。
構造船のスピードに合わせているので、大型船は全速で漕げない。
それでも僅差で、こちらが距離を離していく。
「いいぞ、そのまま追ってこい」
俺は弦側から海面を凝視する。
「持衰様、今です」
部下が合図を出す。
潮目が変わる地点、外洋へ向かう潮流と、沿岸へ戻る潮流がぶつかり合い、船が一瞬だけ鈍る場所。
敵の舵取りが、僅かに重くなる。
その瞬間。
「回頭。矢衾、構えろ」
こちらにも、潮の流れを見れる者はいる。
その男に指示を出し、潮流のぶつかり合う場所を探らせた。
味方の構造船が離れていく。
急速に回頭を終え、敵に向き直る。
一瞬、敵は潮の流れに逆らった形となる。
この瞬間だけは、こちらが相手の速さを上回る。
味方構造船が敵の左右に回る。
一斉に矢を放ち始める。
回頭準備をしていなかった敵は、旋回にまごついている。
ここで一気に崩す。
中型船と大型船も反転を終え、敵の真ん中に突入する。
先ほど俺たちがやられた状態に近い。
敵は左右から矢と投槍、投石の嵐に晒され、“追撃してきた”殆どの敵船を沈めることができた。
だが同時に、こちらの考えを読み、いち早く離脱した船団がいた。
数は30艘近くはあるように見える。
「おそらく出雲国軍だろうな」
瀬戸内海沿いの吉備国は、俺たち同様、日本海側の海に明るくない。
だからこそ、俺の仕掛けた罠に嵌ってくれた。
逆に日本海を知り尽くす出雲国軍には、こちらの作戦は筒抜けだったわけだ。
「だけど、全体でいえば向こうも相当な被害だ」
俺は合図の旗を振り上げるよう部下に命じた。
潮風を切って高く掲げられた白旗が、夕陽を受けてゆらゆらと揺れる。
「頼む。乗ってくれ」
出雲国軍の船列が、遠くでその動きを確認した。
一瞬だけざわめく影が見えた。やがて、向こうにも白い旗が上がった。
どうやら応じるつもりらしい。
「助かった……」
わずかに息を吐く。
海上戦と陸戦の決定的な違い。
沈んだ船の周りには、“まだ死んでいない命”が浮かんでいる。
船を失っても、櫂や板切れにしがみついていれば、しばらくは生きられる。
逆に、交戦を続ければ続けるほど、その命は海に飲まれていく。
味方を見捨てて戦い続けるのは、今後の海上戦の士気にも関わってくる。
それは出雲の連中とて同じだろう。
ましてあちらは連合軍だ。同盟相手を見捨てるわけにはいかないはずだ。
「構造船を出せ。 漂っている味方を拾い上げる。怪我がひどい者を優先しろ」
俺の号令に、船員たちが慌ただしく動き出す。
縄を投げ、櫂で寄せ、手を伸ばして溺れかけた兵を引き上げていく。
その合間、俺は遠くの出雲船団を見る。
あちらも同じように、漂着した兵を拾い始めていた。
互いに距離を取り、武器を構えず、ただひたすらに命だけを救っている。
ほんの数刻前までは殺し合っていた相手が、
今は同じ海に落ちた兵を救うという、奇妙な光景。
戦場とは時にこういう皮肉を見せつけてくる。
「痛み分けか……」
最後は一矢報いたが出雲国軍の被害は、見たところ軽微だ。
「けど、戦いの目的は果たした」
構造船の積載量では、負傷者を船に乗せたまま、九州まで攻め込むことはできないはずだ。
相手は一旦退かざるをえない。
拾えるだけの味方を拾ったら、お互いは船を返して自国へと向かっていった。
戦いは引き分け。戦略的に見ればこちらの勝利。
でも俺の胸には、まるで敗戦したかのような苦い思いがのしかかっていた。




