第八十三話 伊都国
於登と別れた直後、俺は急いで入り江の中型船に乗り込み、船を出させた。
早急に伊都国に向かわなければ、狗邪韓国からの荷の積み下ろしに間に合わない。
それに、こちらから弁韓諸国に輸出する交易品の種類と量も指示しなければ。
波に揺られながらも、俺は頭の中でひたすら現地に着いてからの段取りを考え続けていた。
伊都国は現在、北部九州連合における、海外交易の玄関口となっている。
この国は、古くから朝鮮半島との交易で栄えてきた。
倭国大乱期には、沿岸部の集落を次々と取り込み、気づけば奴国すら凌ぐ巨大な交易国家へと成り上がっていた。
その取り込まれた集落の中には、前世の俺の集落も含まれている。
いまは末盧国に奪われて久しいとはいえ、あの頃のことを思い出すと、どうしても伊都国には苦い感情が滲む。
だが、今や俺の属する邪馬壹国は、その伊都国の上位に立つ側だ。
仕返しをする気は毛頭ないけれど、ほんの少しだけ、胸の奥で溜飲が下がるのを抑えられなかった。
伊都国の港は、現在の糸島にある。
この時代は、海面が現代よりも高い。
そのため、糸島市北部は九州本土から細い海峡で分断され、その名の通り、独立した島として海に浮かんでいる。
その島の南。俺の時代でいう、糸島市の前原西あたりにある港町に、滑り込むように寄港した。
そこは既に、朝鮮半島からの船を迎えるため、人と荷が入り乱れ、活気に満ちていた。
急いで船から降り立ち、俺の到着を待っていた部下たちから報告を受け、すぐに差配に取りかかった。
積み下ろし品は、倭国中の王たちが喉から手が出るほど欲しがっている鉄だ。
あるいはすでに鍛えられた鉄剣や矛、農具などの武具・工具類だった。
これらの品々を得るために、北部九州の各国は、自領で採れる海産物、玉類、絹、木工品を伊都国へ運び込み、交易品として放出する。
その品目と量、そして価値を査定し、手に入れた鉄資源の配分を決めるのが、俺の役割だ。
もちろん、ただの事務作業ではない。
俺は、邪馬壹国以外の諸国へ渡す鉄の量に、密かに“色”をつけている。
奴国、末盧国、伊都国、不弥国――
都萬彦の即位で鬱積した不満を抱えた国々だ。
彼らからすれば、「神託に選ばれたとはいえ、都萬彦ひとり勝ちでは面白くない」
という空気が、火種のように燻っている。
だから俺は、彼らの輸出品の査定にほんの少し上乗せをし、鉄の配分を満足する程度に増やしておいた。
これで諸国は多少なりとも面子を保てるし、
同時に「連合に属していれば得をする」という実感を持ってくれる。
どうだ、この俺の細やかな気配り。
本来なら都萬彦が気にするべきところを、俺が勝手に尻拭いしてやってるわけだ。
あいつは、俺にもっと感謝していいと思う。
いや、アイツのことだ。もしかしたら気付いた上で黙認しているだけかもしれないが……。
「持衰様、ご客人です」
夕陽が海に沈みはじめ、潮風が涼しさを帯びてきた頃。
その日の作業にようやく区切りをつけ、部下たちへ解散を告げた瞬間だった。
「客人? 誰が来てるんだ?」
部下に尋ね返すと、彼は少しだけ困ったように笑った。
「それが……天照隊の方々でして」
「……天照隊?」
思わず聞き返す。
あの天照隊が、なんで伊都国の港に?
奴国との交渉のあと、日御子が先王の権限を借りて創設した護衛隊。
隊長はタケル、総勢五十名。
創設当初は名前なんてなかったのに、気付けば誰からともなく“天照隊”と呼ばれるようになり、今やすっかり正式名みたいになっている。
国でも屈指の精鋭集団だ。その彼らが、こんなところにいるなんて。
「天照隊が来てるってことはまさか……」
「それはわかりません。言伝に参られた方は、とにかくそのことだけを伝えてほしいと」
「わかった、すぐ行く。このことは、くれぐれも内密にな。王の耳に入ると面倒だ」
「承知しております。なので誰にも伝えず、持衰様のみにお知らせ致しました」
「ナイス。気が利くな」
部下の機転に感謝しつつ、俺は急いで駆け出した。
俺が天照隊がここにいることを気取られたくなかったのには、明確な理由がある。
新王即位後、俺は日御子と天照隊の扱いを巡って、都萬彦と何度も衝突していた。
天照隊は、あくまで日御子の警護を目的として結成された隊。
だが都萬彦にしてみれば、「政敵になりかねない日御子が、僅かとはいえ武力を保持するのは許しがたい」というのが彼の本音だ。
それだけじゃない。
隊長がよりによって、以前都萬彦が囲い込もうとして失敗したタケルだということも、彼の癇に触る原因になっている。
むしろ、反感の大半はそっちだろう。
都萬彦は、天照隊の解体、少なくとも大幅な縮小と、さらにタケルを本軍の指揮官として王の直下に組み込む。
そんな命令を平然と下してきた。
だが、そこには“先王の遺志”が立ちはだかった。
先王は亡くなる直前、王族や延臣を前に、
「天照隊は日御子を守るための組織として存続せよ」
と明確に言い残していた。
現王とはいえ、父王の遺言を真っ向から潰すわけにはいかない。
内心、臍を噛む思いではあっただろうが、都萬彦は天照隊の存続を認めた。
代わりに、当然のように条件をつけてきたのだが。
日御子、及び天照隊の邪馬壹国領外への移動は、王の許可なくしては一切認めない。
都萬彦が許可を出すはずがない以上、実質的な外出禁止令だ。
だから、彼らがここにいるということは、十中八九、無許可だ。
俺が天照隊の存在を気取られたくなかった理由は、まさにそこにある。
この件が都萬彦の耳に入りでもしたら、それを理由に今度こそ天照隊は解体されてしまうだろう。
日御子、何だってこんな無茶を。
俺は足早に、客人とやらが待つ自分の居館へと急いだ。
居館についた俺を待ち構えていたのは、意外な人物だった。
「宮崇」
俺の驚いた声に、彼は目だけで返す。
傍らにはタケルが座っている。
「タケル、お前何でこんな所に。日御子はどうした。アイツの命令か。他の天照隊はどこにいる。都萬彦に知れたらどうするつもりだ。そもそもどうしてここに宮崇が」
「あー、はいはい。落ち着けって」
興奮して捲し立てる俺を、タケルが宥める。
俺は舌打ちして床に座り込んだ。
「えーと、何から答えればいいんだ……?まずは、何で俺と宮崇様がここにいるのかだけど、それが日御子の命、っていうかお願い?だからだよ」
「お願い?」
「うん、説明するまでもないだろうけど、俺たちと日御子って、邪馬壹国から出ちゃ駄目だろ?けど、日御子と宮崇様の目的は……」
そこでタケルが宮崇の横顔に目を向ける。
「于吉先生の“太平清領書”の教えに則り、多くの人間を救う」
宮崇がタケルの言葉を引き取った。
「そうそう、それそれ。なのに、日御子が動けないんじゃ、于吉様との誓いを果たせないだろ?だから時々こうやって、宮崇様は日御子と手分けして、お忍びで各地を回って、薬方技術なんかを教えてるんだよ」
「護衛はお前一人なのか?」
「ああ、ぞろぞろ連れ立ってたら、それこそ都萬彦様にバレちゃうだろ?」
「だったら、何でわざわざ天照隊の名前を出したんだよ……」
「だって、そうしないと取り次いでもらえないと思ったから。ちゃんと口止めはしたぞ」
悪びれもせずにタケルが答える。
全くコイツは。
たまたま気の回る部下に当たったから良かったものの、相手が悪ければ大変だったぞ……。
俺は思わずでかでかと溜息をついた。
「ん?ちょっと待て。お前、手分けしてって言ったよな。てことはまさか」
「ああ、日御子も他の国に向かってるぞ。今は奴国じゃないかな?」
「お前、わかってるのか?宮崇ならいざ知らず、日御子が無許可で他国に入ってるなんて知られたら、今度こそ天照隊は終わりだぞ」
俺は日御子とタケルの無謀さに怒りが湧き、声を荒げる。
「そんな怒るなよ持衰。大丈夫だって」
「何が大丈夫なんだよ」
「奴国王はもうすっかり日御子に心酔しているからな。その辺の隠蔽は全力で行ってくれてる。日御子があそこにいるのは、外部には絶対に漏れないから安心しろ」
こっちの気苦労も知らずに、何でもないことのように言いやがって。
俺は額を押さえながら、再び溜息をついた。
「で、俺を尋ねてきたのは何でだ」
「おいおい、持衰。折角伊都国に来たんだ。友の元を訪れるのに、理由なんているか?」
タケルがわざとらしく、心外そうな顔をする。
「まあ、それに長旅でお疲れの宮崇様に、たまには屋根の下でお休み頂きたかったしな。それに、精の付く物も召し上がって頂かないと」
「それ、お前の願望だろ」
宮崇は漢にいた頃、于吉の太平清領書の全巻を背負って山野を歩き回っていた男だ。
野宿は日常、食事は時に最低限。
そんな生活を何年も続けた人間が、多少の風雨や粗末な寝床ごときで音を上げるものか。
でも、宮崇にまともな飯を用意してやりたいのは確かだ。
「……わかったよ。食事を用意させる」
「やりー」
タケルが子供のように喜んだ。
悔しいけど、その屈託のない笑顔を見て、俺の怒りはどこか遠くへ行ってしまった。




