第六十五話 対話
「日御子ちゃんて、ホントいい子だよね~」
翌朝。
丘の上に、やわらかな朝日が差し込んでいた。
ナビが空中で伸びをしながら、のんびりと声を出す。
「というかね、考えてみたら、わたし、発生してからキミ以外と話したことないんだよね」
そう言われてみれば、確かにそうだ。
ナビが誕生――いや、発生してから、もう五十年近くになる。
その間、俺以外の人間と会話なんて一度もできなかった。
おそらく、これからも。
ナビは生物ではない。
それでも俺たち人間と同じように、感情がある。
きっと、寂しいとか、孤独とか、そんな思いを抱いたこともあっただろう。
「キミ以外の人と話すのって、なんか新鮮だよね。二人目の友達ができたみたい」
友達か。
ナビの喜びようといったらなかった。
当然だ。こんなイレギュラーはもう二度と起きないだろう。
俺以外で、最初で最後の友達になるかもしれないのだから。
「けど、日御子ちゃんたらさ、わたしのこと“誘いの神、那美”だなんてね。しかも日御子ちゃんは太陽の御子でしょ?これじゃ、友達っていうより――あ。」
ナビの表情から血の気が引いた。
笑顔を貼りつけたまま、ピタリと固まる。
「おい、どうした急に」
「いや、なんか、悪い予感がして……。いやいや、でもまさかそんな……でも、あるいは……」
何をゴニョゴニョ言ってるんだ、コイツは。
「大丈夫か? 気分でも悪いのか?」
「ダイジョブ、ダイジョブ。うん、平気。
だってわたし、まだここにいるし……」
何を言っているのか、さっぱり分からない。
俺はただ、首を傾げるしかなかった。
「わたしのことより、キミの方は大丈夫なの? 今日なんでしょ」
「ああ。うん、大丈夫……な、はず。ただ、あいつと話すのは気が重いんだよな……」
――あいつ、都萬彦。
俺は今日、都萬彦と会う約束を取り付けている。
だが、ここ最近はほとんど口もきいていない。
都萬彦が俺を疎んで、遠ざけているためだ。
それも当然だと、自分でも思う。
元々、俺は“船の民”の代表として技術と知識をもたらした。
その影響で、邪馬壹国の内政に対しても、意図せずして大きな発言力を持つようになってしまった。
都萬彦からすれば、それだけで十分警戒の対象となるだろう。
まして今の俺は、御子の従者であり、そして今やこの国の求心力となりつつある、日御子の寵愛を受けている、と思われている人間だ。
政と祭祀――
邪馬壹国を支える二柱の中心に、王族でもない俺が立っている。
都萬彦が面白いはずがない。
いや、むしろ、よく我慢してくれている方だ。国に実利があることも認めているからだろう。
だが、臣下に力を握らせすぎると、国は必ず歪む。
それは、この時代以前の歴史を紐解いてさえ明らかだ。
海の向こうの歴史など、知る由もない都萬彦が、それを理解している。
称賛こそすれ、責める気には毛頭なれなかった。
「だからこそ、あまり強く出られないんだよな……」
それでも、避けては通れない。
日御子の自由を守るためには。
政庁には都萬彦だけだった。
護衛もいない。
人払いは済ませてくれているようだった。
「で、要件とはなんだ」
開口一番これだ。
長々と話す気はないということだ。
「まず、今の邪馬壹国の領土についてなんだけど」
「そのことか。余計なことをしてくれたものだ」
「ぐぐ……、それはごめん」
俺は素直に詫びを入れる。
邪馬壹国の領土は、俺の時代での宮崎県の大部分を占めている。
領土拡大は国の繁栄を意味する。
普通に考えれば、日御子のお陰で、一切の血を流さずここまで大きくなれたのだ。喜ばしいことであるはずだ。
だが、事はそれほど単純ではない。
「邪馬壹国の政治体制下に、まだ完全に組み込めていないようだな」
「はい……」
そう。急速に増えていく領土に、行政も統治も追いついていない。
この国は日御子というカリスマによって、何とか繋ぎ止められているにすぎない。まだ、本当の意味で一つになれてはいないんだ。
「他国を取り込むペースが早過ぎたな」
「それは、最初からわかってたさ。けど、日御子の神聖はその公平さにあるんだ。貴賓を問わず、手の届く人間全てに救いの手を差し伸べる。国の大小を問わず、心から庇護を求めるものは拒まない。だから、“もうこれ以上は定員オーバーです”なんて理由で断ることはできなかったんだ」
俺の言葉に都萬彦が鼻を鳴らす。
「だからこそ、そもそも日御子を前に出すべきではなかった。あいつは民衆に近づきすぎる。以前のように、我らの技術力と、御子の神託だけで、徐々に勢力を増していくべきだったのだ」
そうすれば、今度は御子様の命が危ないんだよ。
とは、言えなかった。
御子とはいえ、一人の命と、国の命運を天秤にかけただなんて。
神嫌いの都萬彦には尚のこと通じないだろう。
黙り込んだ俺を、都萬彦は冷めた目で見つめる。
「だが、今それよりも問題なのは……」
「ああ、それも分かってるさ。国境だろ」
邪馬壹国は、北は俺の時代で言うところの日向市、西は古日向湾から伸びる一ツ瀬川沿いの西米良村。
さらに南は、日南市の油津あたりまで勢力を広げている。
西はいいとしても、問題なのは南北だ。
北は奴国。南は投馬国と、中小ながら好戦的な国々と、すでに国境を接してしまっている。
「小競り合いはもう始まっている。当然だな。今まで中立の立場を取ってきた筑紫島中部の国々が、いきなり一つの国にまとまり始めたんだ。喧嘩を売られていると思われても仕方がない。数年前にようやく小康状態にまで落ち着いた大乱が、邪馬壹国によって再び再燃しつつある」
都萬彦の声は冷静だが、僅かに呆れと侮蔑の感情が読み取れた。
「あ、筑紫島って言うのは、キミの言う九州のことだからね。念の為」
……ナビ、今シリアスな場面だから。
ていうか、この時代もいい加減長いんだから、そんなことわかってるよ。
「それについても責任は感じている。だから、尻拭いも自分でするつもりだ」
「どうするつもりだ」
「南北に国境警備隊を置く。その指揮権を俺に与えてくれ」
「ふざけるなよ、持衰」
都萬彦が色めき立つ。
「お前、どこまでこの国の中枢に踏み込むつもりだ。政に口を出し、祭を動かし、今度は軍をも握る気か」
想定内の反応だが、やはりこうなるよな。
「お前の警戒も尤もだ。だけど、今は中よりも、外に対するべき時だろう」
「どの口が言う。お前がこの状況を作り出したのだろう。まさか、それ自体もお前の計算の内か」
「馬鹿なこと言うな」
都萬彦は、今にも腰の剣に手をかけそうな勢いだ。
ここが踏ん張り所だ。
「俺は、お前を王にするつもりだ」
「……何だと?」
都萬彦の眉がぴくりと動いた。
「俺は邪馬壹国の神権政治体制には懐疑的だ。お前と同じでな」
「その場凌ぎにしても、もう少しマシな言い訳はなかったのか。神に仕える持衰であり、御子に傅くお前が、神意による政を否定するだと?」
「俺が御子様の元にいるのは、権力を求めてるからじゃない。……ただ単に、あの人が好きだからだ」
都萬彦の表情が固まる。
「好き……? 何を言っているんだお前は。今そんなことを口にする場面か?」
都萬彦にしてみれば、この瞬間は国の覇権を賭けた政治交渉だ。
その場で個人的な感情を持ち出す俺は、
どう見ても正気の沙汰ではないだろう。
「聞け、都萬彦。俺は至って真面目だ。神託の儀は、御子の命を蝕む禁術だ。俺はあの人を救いたい。そのためには、何でもかんでも神にお伺いを立てるこの政治システムを、ぶっ壊さなきゃならない。その点に関しては、お前も同じはずだろう」
都萬彦は、初めて出会ったときからこの国の体制を、事あるごとに神に決断を委ねるそのやり方に、はっきりと嫌悪を示していた。
その一点においてだけは、俺は都萬彦の唯一の理解者たり得るはずだ。
「だが、日御子はどうするつもりだ。俺が王位に就き、御子の権威を奪えば、あいつはこの先、何の力も持つことができなくなるぞ」
「……それが、俺の最大の望みだ」
「何をふざけたことを。お前は日御子の側の人間だろう」
「そうだ。俺は日御子の友達だ。だからこそ、俺はアイツの“幸せ”を何よりも優先する」
「日御子の……幸せ?」
「日御子は俺にはっきりと言った。御子にはなりたくないと。一人の人間として、この世界を見て回るのが、アイツの望みなんだ。俺は、その願いを叶えてやりたいんだ」
言葉を吐き出すたびに、胸が熱くなっていく。
俺は都萬彦を真正面から見据えた。
「俺には理解出来ない価値観だが……」
都萬彦の力みが緩む。
「あの異母妹なら、さもありなんか」
「都萬彦……」
「いいだろう。国境警備の差配はお前に任せる。だが、二つ条件を呑んでもらう」
「2つ……?」
都萬彦が頷く。
「一つ目は――」
都萬彦の声が低く響く。
「お前にある程度の軍事権を渡す代わりに、政と祭祀の場からは完全に退け。新たに邪馬壹国に加わった国や村への技術継承は、最早お前の指示がなくとも勝手に回る。公式の場で御子と日御子に接点を持つことも禁じる。お前だけでなく、船の民たちもな。他国の受け入れも、今後は俺と王の判断で行っていく」
「……わかった」
俺は静かに頷いた。
タケルは日御子と会えなくなればきっと悲しむだろうが、仕方がない。
都萬彦の信頼を得られれば、いずれ私的な再会の機会くらいは認めてもらえるだろう。
「そして、」
都萬彦の声が鋭くなる。
「神意だの神託だのと言って、お前を手放さないようなら黙らせろ。それができないなら、この話自体が無しだ」
「大丈夫だ。俺たちが望まない限り、御子様はもう神託を下さない」
都萬彦は無言で俺を見つめる。
その視線の奥に、探るような光が一瞬だけ揺れた。
やがて、ほんのわずかに頷く。
「……二つ目だ。軍事権を与えると言っても、お前に許可するのは、兵の調練と、作戦の立案、戦場での指揮のみだ。軍の編成と配置、いつどの国と戦うのかは、全て俺と王が決断する。お前は意見を求められない限り、口を噤んでいろ」
「それでいい」
「良かろう。ならば船の民を中心とした軍を組織する。半数は国境警備、もう半数は都の近辺での調練を行わせろ」
これでいい。都萬彦がこのまま実権を握り、世俗主義の政治体制に移行していけば、御子の負担は減るだろう。
日御子擁立の動きもしばらくは抑えられるはずだ。
そのために、俺はこの男と道を共にする。




