第十七話 孫堅
「俺は、会稽郡司馬、孫堅文台と言うものだ。」
その男ーー少年か。はそう言ってまた笑顔を見せた。邪気のない純粋な笑みだった。
目の前の男は、まだ若いはずなのに、ただ者じゃない迫力を纏っていた。
黒髪を高く結い上げていて、風に揺れる髪がまるで戦場を駆け抜ける旗印みたいに見える。
鋭い眼差しは真っ直ぐで、こちらを射抜いてくるようなのに、妙に澄んでいた。
頬や顎の線にはまだ少年らしさが残っている。けれど、その鎧姿は堂々としていて、一瞬で「武人」としての重みを感じさせる。
肩にかかる獣毛の襟、しっかり締められた帯、そして腰に備えられた剣。どれを見ても隙がない。
ていうか、孫堅って?
もしかしてあの孫堅か?
ナビが隣に現れる。
「そうだね。数十年後に訪れる三国鼎立の時代。その一角を担う呉王朝の礎を築いた人物。孫堅文台に間違いないみたい!」
「ほ、本当にあの孫堅かよ。すげえ!生で見られるなんて!!」
俺はこの時代に飛ばされて初めて出会うビッグネームに興奮を抑えきれなかった。
ヤバい。サイン欲しい。
「ん?あんた俺のことを知ってるのか?」
まずい。声に出てた。
「え?あ〜、えっと、新しい会稽郡の……、」
「し・ば!」
ナビが助け舟を出してくれる。
「そう、しば。司馬になった人がいるって、街で聞いたような無いような……。」
「そうか、まあ句章県も会稽郡に属しているからな。そういう話も入ってくるか。それにしても早耳だな、あんた。」
よ、良かった納得してくれたようだ。
「でも、あんた達も有名だぜ?」
「俺達が?」
「自覚ないのか?」
孫堅が可笑しそうに笑う。
笑うとやはり、ぱっと見の印象よりも幼く思える。
この人今いくつなんだ?
「17歳」
一瞬、耳を疑った。……17歳? 俺より年下じゃねえか。
え、なに?高校生がこんな鎧着て戦場で首飛ばしてんの?
「二年前に突如海を渡って来た倭の集団ってだけでも、耳目を集めるのに十分なのに、そのまま住み着いちまうんだもんな。そりゃみんな注目するよ。しかも、他の地域や、新たに海を渡ってきた倭人も吸収して、どんどん大きくなってるときたもんだ。」
た、確かに。最近少しずつ、でも着実に俺達の数は増えてきている。街外れに住んでるから誰も気にして無いと思ってた。許昌に狙われるのも当然と言えば当然か。
「会稽郡太守の曹胤殿は特にあんたらを気にしててな。最近派手になってきている許昌と盟するんじゃないのか?ってね。許昌達とあんたらの動向に気を配るように頼まれてたんだよ。」
「では、今日ここに現れたのは」
「まあ、偶然ではないかな。あんたらが許昌と接触した気配があることは察知してた。ただ、手を組むのか否か。その見極めまではできなかった。」
「私達のことを監視していたということか。ならば、許昌の配下に攻められていることはすぐに分かったと思われるが……?」
首長が低い声で口を開いた。
「おっと、何でもっと早く助けに来なかったのか?って言いたいんだな?」
孫堅は肩をすくめ、どこか茶化すように笑う。
「俺だってそうしたかったさ。だが許昌がいつまた接触してくるか分からなかったから、配下を一人だけ監視に回してたんだ。流石に一人で突っ込ませるわけにもいかない。報せを受けて、すぐ駆けつけた。これでも速い方なんだぜ?」
「……確かにな。そもそも会稽郡司馬とは言え、僅か十騎で危険を冒して助力して下さったのだ。感謝こそすれ、文句を言う筋合いはありませぬな。」
首長がうなずく。
「正確に言えば十一騎だ。」
孫堅は軽く指を立て、にやりと笑った。
「それに、それだけいれば十分。最悪、許昌達とあんたら倭人を同時に相手取るつもりだったからな。」
次の瞬間、彼の眼光が鋭く光った。
笑顔は変わらないのに、目の奥がまったく笑っていない。
空気が一気に冷え込み、喉が乾く。
……もし、俺達が許昌と手を組んでいたら。
その時はこの男と、真正面から戦わねばならなかった。
ぞくりと背筋に悪寒が走り、俺は無意識に拳を握りしめた。
「ま、そうならなくて良かったよ。これで俺もあんたらと話ができる。とは言え、先ずは怪我人達の治療が先決だな。」
「心遣い痛みいる。」
「二日後でいいか?」
「承知致した。」
そういうとまた孫堅は笑いかけ、繋いでいた自身の馬へと歩み寄った。
「重ね重ねお礼申し上げる。司馬殿。奇跡的に死人もおらぬようだ。」
「いや、俺よりもあの男の力ではないか?」
そう言うと俺に一瞥をくれる。その視線に俺は何故か緊張してしまう。
あんな高校生相手に……。
「なあ、あんた何であの時……、」
「な、何だよ?ですか?」
「いや、あんたともゆっくり語り合いたいな。持衰殿、だっけか?」
言うやいなや、答えを待たずに颯爽と走り去っていく。
いつの間に俺の呼び名を。
高校生に少し気圧され気味で悔しかった筈なのに、俺もまたあの男と話したいと思ってしまっていた。




