第十六話 戦場の記憶
さらに進むと、街道から南へと細い道が分かれていた。
そこが倭人どもの村へ続く唯一の道である。
三日前と同じように馬を進めるが、道は狭く、十騎も並んで通ることはできない。
やむなく一列になり、李魁はその中ほどに位置した。
木々に囲まれた狭道を抜けると、視界が開ける。
そこに広がっていたのは、三日前とはまるで違う光景だった。
村の入口に、粗削りながらも太い丸太を組み合わせた柵が築かれている。
その背後には見張り櫓が新たに建ち、上には倭人の男が立っていた。
弓を手に、こちらを鋭く睨み下ろす。
「止まれ」
声が森に反響する。
「ここは我らの村だ。これ以上断り無く進むのはご遠慮願おう」
三日前まで無防備に近かった小さな集落が、短い日数で牙を剥いていた。
李魁は鼻で笑い、馬上からその光景を見据えた。
「我は先日訪れた、陽明皇帝配下の将軍、李魁である。約束通り許昌様に盟するかの返答を伺いに参ったが……、どうやら返答は聞く必要もないようだな」
李魁はそこでニヤリと笑う。
期待通りだ。
手を頭上に掲げ前に振る。突撃の合図だ。
騎馬九騎が一斉に柵へと突進する。
地を蹴る蹄の響きが轟き、土煙が上がった。その瞬間。
先頭を走る三騎のうち二騎が、前のめりに転倒した。
馬の脚が斜めに突き出た逆茂木に絡まり、勢いのまま横倒しになる。
騎手は地面に叩きつけられ、呻き声を上げた。
残りの兵も目を見開き、柵の前で慌てて手綱を引く。
「な、何だこれは」
その刹那、柵の上から矢が一斉に射かけられた。
鋭い風切り音と共に矢が雨のように降り注ぎ、馬上の兵が次々とよろめく。
一人は肩に矢を受けて落馬し、土の上を転げ回った。
「下がれ」
李魁の怒号に、残る騎馬は矢の届かぬ位置まで退く。
戻ろうとした兵の一人が胸を射抜かれ、泥に崩れ落ちた。
李魁は鼻を鳴らし、口端を歪めた。
「……逆茂木か。蛮族の分際で、なかなか知恵が回るじゃないか」
苛立ちよりもむしろ愉悦が勝っていた。
こうでなくては意味がない。血を流させてこそ、戦は愉しいのだ。
李魁は部下に角笛で合図を送らせる。
これで今ここにいる兵以外にも、この状況が伝わるだろう。
見張りの報告では李魁は10騎でやってきたそうだ。
仲間が牽制した途端に突撃してきたようだったが、逆茂木と矢が効果を発揮して、止めることができたようだ。
このまま諦めてくれればいいんだけどな……。
そう思った矢先に角笛の音が辺り一面に鳴り響く。
「援軍への合図であろうな」
俺の隣にいた首長が呟く。
その言葉通り、長い静寂のあと再び柵の外が慌ただしくなる。
「射かけろ」
「ありったけ撃ち込め」
仲間の怒号も響いてくる。
そして、門が激しく揺れる。
「柵にとりつかれたか」
俺の剣を握る手に力がこもる。
そして、
大きな音を立てて門が破られ、兵が殺到してくる。
20人以上はいるか?
いや、その奥にも兵が見える。
数は同数か?
李魁は?
後ろで指揮を。
瞬間の思考の後、駆け、敵に肉迫する。
目の前の兵が剣を振る。
見える。
横に避け、敵の剣を思い切り弾く。
火花が散って相手の剣が宙に浮く。
右脚で蹴り込み吹き飛ばす。
次。
今度はこちらから攻めかかる。
近くの別の敵兵の頭を剣の側面で殴打する。ある程度加減したから死んではいないはずだ。
他の仲間も、李魁の兵達と斬り結ぶ。
全体に瞬時に目を走らせ、押されている味方の援護に素早く回る。
いける。観測者補正が働いて、戦場全体がスローに見える。2年ぶりの戦だが、あの時より遥かに冷静に動けてる。
これなら1人も死なせずに、この場を乗り切れる。
そこに馬蹄の響き。
何だ?
俺の方に向かってくる。
反応が遅れる。すんでで避ける。
李魁。
もう一度突っ込んでる。
どうやら俺に狙いを定めたようだ。
「持衰」
仲間の叫び声がする。
すれ違いざま、馬の腹を薙ぐ。
嘶きが耳をつんざく。
李魁は馬が倒れるより先に飛び降りる。
「てめぇが一番強そうだな」
後方に待機していたのは指揮をするためと、最も自分が当たるべき敵を見定めていたためか。
振る舞いは粗暴だが、指揮官としての適性は持っているようだ。
俺の頬に冷や汗が流れる。
他の兵とは威圧感が全く違う。
ただ、こちらとしても好都合だ。
俺がコイツをさっさと倒せば、この戦いはそれで終わりだ。誰も死なせずに済む。
「ちょ、ちょっとあんまり過信しないでよ。前も言ったけど観測者補正は万能じゃないんだからね」
ナビの言葉に構わず、俺は裂帛の気合を込めて挑みかかる。
右上から袈裟斬りに振るが、難なくかわされる。
李魁は胴薙ぎに俺の身体に剣を走らせる。
速い。
スウェー気味に上体を反らして剣の軌道から外れる。
観測者補正が働いてるはずなのに、李魁の剣速は並の兵と変わらない速度だ。
尚も李魁は剣を振り回してくる。
確かに速いが、なんとか目で追える速度だ。それに動体視力だけでなく、反射速度も俺は強化されている。相手の動きを見極めてから動いても、十分間に合う。
李魁が剣を振り上げる。
真っ向斬り。俺は剣を横に倒して受け止める。
重い衝撃。腕が痺れる。
しまった。相手との体格差を考慮していなかった。
俺の剣を意に介さず、李魁の剣が頭上に迫ってくる。
咄嗟に後ろに飛ぶ。李魁の剣先が地面に突き刺さる。
あのまま、受けようとしてたら真っ二つだったな……
「持衰」
他の敵に当たっていた首長がこちらに駆けてくる。
どうやら自分の敵は片付けたようだ。
首長が李魁に襲いかかる。
2対1なら。
李魁が思い切り剣を振り抜く。首長が剣で弾くが、軽々と吹き飛ばされる。
でもチャンスだ。
俺は剣を握っている李魁の太い右腕に取りつく。
このまま腕を捻り上げ、剣を奪い取る。
「……は?」
びくともしない。こっちは両腕と身体中を使って李魁の片腕をとってる筈なのに、全く極まらない。
チャンスは一瞬だったのだ。李魁がもう片方の腕で俺の首を絞め上げる。
息ができない。これでは観測者補正が何の役にも立たない。
「舐めた真似しやがって」
凶悪な笑みを浮かべながら、李魁の腕に力が入る。息ができない。このままでは首の骨をへし折られる。
首長が李魁の首を狙って剣を振る。
避け様に俺はぶん投げられる。何とか受け身を取るが、酸素が足りずに目眩がする。
押されている仲間が目立ってきている。
しまった、コイツに時間を取られ過ぎてる。早く決着をつけなければ。
突然村の南側から鼓の音が鳴る。
女達に何かあった時に鳴らすようにと首長が渡した鼓の音だ。
「敵襲」
「舟だ。川からやってくるぞ」
東西に配していた10人の兵が、口々に叫んでいる。女子供を護衛するため、そちらに駆けていくのが見える。
嘘だろ。まさかそんな用意まで。
でも川からだと急斜面の下側になる。どこにこの村があるかなんて川辺からは分からない。
仮に正確な位置が分かっても、とてもじゃないが登れないはずだ。
俺達の動揺を誘う策だろうが、実際に到着するまでかなり猶予がある。
突如、李魁の哄笑が戦場を震わせる。
「あ?何嗤ってやがる?」
「三日間、お前らだけが準備していたと思ったか? 俺たちだって考える。舟で関所を抜けたんだろ? なら川筋に通じる道があるに決まってる」
確かに、川までスムーズに辿り着くための抜け道は用意してある。でも、まさかそれを……。
首長が血走った目で俺を振り返る。
「持衰。お前は南だ。女子どもを守れ。ここは私が抑える」
「だ、だけど――」
言いかけた俺の声を、首長の怒号がかき消す。
「行けぇッ」
その姿は、命を賭してでも皆を守るという決意そのものだった。
だが俺には見えている。北の柵は既に押され、首長一人で李魁を止めるなど到底不可能。
南を守れば北が崩れる。北を助ければ南が壊滅する。
どちらも捨てられない。
頭の中で何度も策を巡らせるが、答えは出ない。
胸が張り裂けそうな焦燥の中で、俺はただ走るしかなかった。
村の反対側に辿り着いた。
先に向かっていた仲間に追いつく。
良かった。間に合った。
「奴らに抜け道が知られている。そこから現れるぞ」
仲間達がハッとする。俺と一緒に抜け道まで走ると、丁度敵が出てきたところだった。
数は20人ほど。
倍の数だが、俺がいれば問題ではない。
とにかく早く片付けなければ。
相手の武器を弾き、殴り、無力化していく。
だめだ。時間がかかりすぎる。倒れた敵も、他を相手にしているうちにまた起き上がってくる。
遠くで仲間達の叫びが聞こえる。
だめだ。これ以上は無理だ。
もう、殺すしか。
突然二年前の、吉備国の兵を殺した時の手の感触が蘇る。一瞬俺は戦場にいるのも忘れてしまった。
白刃が煌めく。間一髪のタイミングでかわす。
剣を握る相手の手を引き寄せ、近づいてきた鼻柱に剣の柄を叩き込む。
よろけて背中から倒れ込む。
それでも兵が俺の周りに湧いてくる。一向に減らない。
守れない。また同じだ。
半ば絶望しかけたその時、
北側から何か大きな塊が突っ込んできた。敵味方問わずその塊を避けて左右に広がる。
それが騎馬の集団だと理解するのに時間を要した。
この上更に援軍か?
騎馬集団は突如弾けると、なんと李魁達に襲いかかっていく。
僅か10騎ほどだろうか。
先頭の男の赤と金に彩られた鎧が朝日にきらめき、統率の取れた動きで賊兵をなぎ倒していく。
李魁の兵たちが混乱し、叫び声を上げる。
「よく分からないがチャンスだ」
俺も呆気に取られつつも、味方を叱咤し攻勢に転じる。敵は俺達以上に動揺しているようだ。先程までの勢いを失っている。
だが、こちらも疲労が蓄積している。手に力が入らない。また徐々に押し返され、倍近くいる敵兵に包囲されつつある。
刹那、
目の前を風が駆け抜けた。
その一瞬で、三つの首が宙を舞う。
単騎で駆けてきた男はそのまま走り去ったかと思えば、馬首を返し、再び突き抜けた。
その瞬間、今度は四つの首が弾け飛ぶ。
残った敵はわずか十人にも満たず、慌てて北側へ走った。
俺も追いすがる。
だが既に本隊も李魁が必死に防戦している最中だった。
その背後に、先程の男が馬から飛び降り、李魁へと斬りかかる。
強い。
李魁の剣速は、兵の中でも群を抜いていた。
だが、その男の剣はさらに速く、正確だった。
流れるような連撃に、李魁は致命傷を防ぐのがやっとのようだ。
その体に次々と斬撃の跡が刻まれていく。
「……撤退だ」
李魁の絶叫が戦場に響いた。
その声を合図に、兵たちは我先にと逃げ出す。
柵の外で馬に飛び乗った李魁が、最後に悔しげにこちらを睨みつけ、そのまま土煙を上げて走り去った。
「追え」
男の声に応じ、騎馬の兵が後を追っていく。
残されたのは俺たち倭人と、賊兵の死体、そして彼だけだった。
その男が俺の方を振り返る。
年の頃は俺と変わらぬように見える。
たが、澄んだ瞳は、血と土にまみれたこの場には不釣り合いなほど無垢に見えた。もしかしたらもっと若いのかもしれない。
そして、男は笑った。
底抜けに明るい、陽光のような笑みだった。




