第十五話 李魁
李魁達が去ってから、村人全員で集まった。
集会小屋はさすがに入りきらないので、村の中央付近にある広場で、焚き火を囲む。
「我等は許昌には屈さぬ」
開口一番、首長が放った言葉がそれだった。そこには有無を云わせぬ決意が込められていた。
「我等は、いや、私は故郷において、仲間達を守るために常に力ある者に傅き、それに振り回されてきた。確かにそれで生き永らえてきた。だが、戦いもせずにそんなことを繰り返しいれば、どちらにせよ我々はいずれ滅びるだろう。」
倭国での、伊都国から受けた屈辱が思い起こされる。
皆、誰も反論をしない。
「句章の県令に従ったのは、我等にも利があったからだ。この先へ繋がる確信があったからだ。今、許昌に従えばひと先ずは命は助かるだろう。しかしそれは問題の先送りにしかならぬ。」
首長は言葉を切って、一人一人の顔を見渡す。
「許昌は長くない。」
その言葉に皆はハッとする。
「腐敗しているとは言え、漢が強大であることには変わりない。こんな片田舎の一介の賊徒がこの国を直接転覆させることなど不可能だ。いずれ鎮圧される。その時我々が許昌に与していればどうなる?同じ賊軍として我々倭人も処断されるだろう」
その言葉は正しいのだろう。
戦うしかない。
だが、勝てるのか?
相手の正確な規模は分からない。だが今日やってきた李魁たちの装備、馬。あれだけでも十分、村の寄せ集めとは格が違う。
こんな小さな村で太刀打ちできるのか……。
その沈黙を破ったのは首長だった。
「安心せよ。我らには、持衰がいる。」
……は?
いやいやいや、ちょっと待て。俺がいるから何だって?
首長は声を張り上げた。
「二年前の航海を思い出せ! 嵐を鎮め、海神すら屈服させた持衰の姿を! あの奇跡を見た我らが、何を恐れることがあろうか! たかが人の軍ごときに、持衰が敗れる道理はない!」
一瞬の静寂。
次の瞬間、広場は大歓声に包まれた。
「そうだ、持衰殿だ!」
「海神を退けた持衰がついてるんだ、負けるはずがねぇ!」
「楽勝だ! 楽勝に決まってる!」
いやいやいやいや!ちょっと待て!
俺ただ座ってただけだよ!? 海を鎮めたとか、勝手に神格化すんな!
村人たちが拳を突き上げ、歓声を上げる中――
首長だけは真剣な眼差しで俺を見ていた。
その視線が何より重い。
……この流れはズルい。
「持衰よ。あの時のように、また我らを導いてくれ。頼めるな?」
俺も首長のようにはっきりと断れる勇気が欲しい
「おう、余裕だぜ!」
だがそんな物は持ちあせていなかった。
ナビが横目で俺を睨みつけてくる。
最近やっとほとぼりが冷めてきたのに。
これはまた怒られるな……。
翌日から、俺たちは許昌の連中に対抗すべく、防備を整え始めた。
村人たちは畑仕事そっちのけで木を伐り出し、柵を組み上げる。
入口には見張り台を立て、女や子どもまでも縄を綯い、石を積み上げる。
本当は心底不安なのだろうが「持衰がいるから大丈夫だ!」という言葉が彼らを突き動かしていた。
希望を持つのは結構だが、……何ともいたたまれない。
しかし、俺たちが漢の地に渡って、すでに二年。
この国のやり方も、それなりに身についてきた。
防御施設の造り方も、武器の質も、倭国にいた頃より格段に向上している。
相手もまた漢人だが、本気を出せばまるっきり勝負にならないなんてことはないはずだ。
だからこそ、死に物狂いで準備した。
昼夜を分かたず、三日三晩。
木を伐って柵を組み、逆茂木を仕掛け、石を積み上げる。
女や子どもまでも縄を綯い、矢羽を削り続ける。
誰も寝ようとしない。目の下に隈を作りながら、それでも手は止まらない。
俺は首長と幾度も顔を突き合わせ、作戦を練った。
昼夜を分かたず、俺たちは強行軍のように作業を続け、村の防備を整えた。
まず北側。
村の外れには街道が走っており、許昌の仲間どもが攻めてくるなら、きっとそこからだろう。
街道から村までは距離があり、その間は雑木林と茂みが続いている。俺たちが作った細い整備道が一本通じているが、大軍の騎兵がそのまま突入できるような道ではない。
村の入口には丸太を組んで柵を築き、その外の茂みには逆茂木を潜ませた。
これなら、もし大量の騎馬で押し寄せられても、少なくともその機動力を奪えるはずだ。
東と西は深い森に囲まれ、南側は傾斜地になっており、その奥には川が流れている。
念のため、川辺には舟を繋ぎとめて退避路とした。女子どもは南側の家屋や倉庫に避難させ、いざとなれば舟で逃がせる。
東西にはそれぞれ五人ずつ警備兵を置き、万一敵が回り込んだ場合は、角笛を吹いて知らせる手筈にしてある。
残りの男衆、50人あまりを北の柵に集めた。
思えば二年前、俺たちは女子どもを合わせても50人に満たぬ小さな一団だった。
だが今では違う。近隣の倭人の子孫や、生口として使役されていたが逃げ出してきた者たちを受け入れ、気が付けば百人を超える大所帯に膨れ上がっていた。
街道を騎馬で駆ける。三日前は五騎であったが、今日は十騎になっている。後続に歩兵30人ほども向かわせている。
倭人達が素直に降伏すれば、30人の歩兵に村を掌握させる。
しかし李魁は期待していた。倭人が歯向かってくることを。
許昌には一人でも多くの兵が欲しいと言われている。しかも、あの倭人共はいつの間にか現れ、徐々に人数が増してきている。
そのまま味方につければ、許昌は中国に散らばる倭人達に対しても求心力を持つことができる。
だが、李魁はそれではつまらないと考えている。
日に日にその勢力を増す許昌の名は、句章だけでなくその近辺にも響き渡っている。
脅せばどの村の住人も特に抵抗なく従い、恭順を良しとしない者達も、簡単に皆殺しに出来てしまう。
李魁は戦いを望んでいた。
最近になってようやく揚州刺史の臧旻が、新たな会稽郡司馬を立て、その者を許昌鎮圧に当てたそうだ。
だが、聞く所によると富春の一役人の息子で、まだ二十にもなっていないような小童だという。そんな人間に頼らなければならないほど、今の漢王朝は弱いのだ。
その会稽郡司馬殿にも期待はできない。
そこでやってきた倭人達への交渉の任務だ。交渉と言っても実際はただの脅しだ。許昌もそのつもりで李魁にこの役を任せたのだ。
村を見て思った。期待が持てると。
倭人の首長は気骨がありそうだったし、村の設備も整っていた。
この者達なら黙って従うようなつまらないことはせず、いい遊び相手になってくれるかもしれない。
それに倭人達があっさり降伏すれば、その村は許昌の物になってしまう。そうなれば金品の略奪も、女を犯すことも出来なくなってしまう。どうせ若い女は許昌が後宮と呼んでいる自分の邸に入れてしまうのだ。
散々遊び尽くしたお下がりを貰っても興が乗らない。
倭の生娘がどんな抱き心地なのかを想像して、李魁は舌なめずりをした。




