とある悪役令嬢のこれからについて
ムラムラして書いた。天ぷらおいしい。
「なんてこと……!」
目を覚ましたわたくしの最初の言葉は、それだった。つい今しがた、夢に見たことが本当だとすれば……。
「冗談では済まなくてよ」
起き上がり、ぜいぜいと息を吐きながら、呆然と口元に手を当てる。それに何より、あれがすべて本当ならこうのんびりとしている暇もない。
いえ、わたくしの感覚が、あれは本当のことだと訴えている。
「おまけにこんなことって……百年の恋すら覚めるというものではないの」
キリ、と唇を噛み締めて、わたくしはパンパンと手を鳴らした。
* * *
光満ちるエタニティ王国の王都エバーラスティング。
その一角に広大な敷地を構える聖マルティアス学園は、国の将来を背負って立つ貴族の子女を教育するための場である。
「まあ、ジョルジーヌ様! もうお加減はよろしくて?」
「ええ。皆様にもご心配お掛けしてしまいましたわね。わたくしはこのとおり、もうすっかり回復いたしましたわ」
ほっと安堵する令嬢たちをぐるりと見回して、ジョルジーヌ・リゼット・ド・ラヴェシエールはにっこりと微笑む。
ラヴェシエール家は、古くには王女が降嫁したこともある伝統ある侯爵家だ。父は国の要職を務め、兄もその後継となるべく父についてさまざまなことを学んでいる。ジョルジーヌ自身も同年である国の第二王子と婚約を結び、学園の卒業を待って婚姻の儀を行うことになっていた。
しかし……。
「あの……ジョルジーヌ様、それで、わたくし、不穏なお噂を耳にして……とても心配で……」
おずおずと言葉を紡ぐ令嬢は、たしか伝統ある伯爵家の次女だったか。何もこの場でと思いつつも、ジョルジーヌは「まあ」と首を傾げた。
「も、申し訳ありません。ご快癒なされたばかりだというのに、こんなことを申し上げてしまって」
「いいのよ」
ジョルジーヌは安心させるように微笑んだ。
この令嬢の聞いた噂とは、ジョルジーヌが倒れる原因となった夜会のことだろう。何しろ、あの場には非公式で姿を変えていたとはいえ、ジョルジーヌの婚約者たる第二王子オーレリアンが、よりにもよってエルヴォー男爵令嬢アドリエンヌを伴い現れたのだから。
しかし、いつもならキリキリとハンカチを噛み締めるはずが、今日のジョルジーヌはわずかに眉を動かしただけに終わった。
「伏せっている間に……あの、男爵家の養女のことを考えていたのだけれど、少し思い出したことがありましたのよ」
「まあ、ジョルジーヌ様、いったいどんなことがですの?」
「ふふ、それはまだ何も。まだ“もしかしたら”というものでしかありませんわ。ですが、わたくしの懸念が真実であれば、国にとっても王家にとっても喜ばしいことであることに間違いありません。
わたくしも、忠実なる王の臣下として笑顔でこの身を引いて……婚約を辞退申し上げて、殿下とあの娘を祝福できるでしょう」
「――え? ジョルジーヌ様?」
「どういうことですの?」
驚きに大きく目を見開く令嬢たちを前に、ジョルジーヌはにっこりと微笑むばかり。その笑みはまさに貴族令嬢にふさわしく穏やかで艶やかなもので、けれど令嬢たちには戸惑いしか与えない。
これまでのジョルジーヌは、第二王子殿下に近づく、庶民あがりの貴族もどきでしかないあの娘を、常に目の敵にしていたのだから。
「そうね、しばらく伏せって冷静になれたのがよかったのかしら。わたくし、本当にじっくりと考えることができましたのよ。
ですから皆様、ここは、殿下とあの娘を温かく見守ることにいたしましょう。作法ですとかはいたしかたありません。わたくしから先生方にお話し申し上げて、せめてもう少し殿下にふさわしく見苦しくない振る舞いができるよう、注意していただくことにしますわ」
「――ジョルジーヌ様がそう仰るのでしたら」
どうにも納得しかねるという表情で、すぐそばにいた令嬢が目を伏せる。他の令嬢たちも、ジョルジーヌの対応をやや不満に感じているようだ。
ジョルジーヌはもう一度にっこりと心からの笑みを浮かべ、この場にいる全員をゆっくりと見回した。
「皆様、本当に心配なさらないで。それに、ここだけの話……アドリエンヌ様はとても高貴な血筋のご令嬢である可能性が高いんですのよ。
これが確実であれば、わたくしなどよりずっと王子殿下の妃としてふさわしいお方だということになりますわ」
「――まあ! 本当ですの?」
「ええ。ですから、皆様、アドリエンヌ様にあまり失礼をなさってはいけません。これからは未来の貴婦人へ対するにふさわしい態度を心がけなくては」
ね、と念を押されて、狐に摘ままれたような顔で令嬢たちは頷いた。ジョルジーヌが確信を持って言うのだから、きっとそれが正しいのだろう。
なら、ここはジョルジーヌの言葉に従ったほうがいい。
人の魂とはいくつもの生を巡るもの。
そう説いていたのは、七大の精霊を統べる聖なる女神の最高神官だったか。
馬鹿馬鹿しいこと……などといつも話半分に聞いていたはずなのに、今のジョルジーヌにはそれが実に確かなものであると感じられていた。
何しろ、夜会で倒れた自分が“思い出した”ことは、どう考えても自分が生まれる前……“前世”に体験したこととしか思えなかったのだから。
その記憶によれば、ここは以前の自分が好きだった、“乙女ゲーム”と呼ばれる物語に描かれた世界だったらしい。
しかも、性的な描写まである、成人女性のための物語――そこでの自分の役割は、“悪役令嬢”だ。
女主人公であるアドリエンヌの障害となる、物語を盛り上げるためアドリエンヌを引き立たせるために配置された登場人物……貴族らしからぬほどに直情的に、時には卑劣な行いに手を染めて彼女を追い詰め、そして最後に自らの行いにより断罪され、舞台を降りる者だった。
――冗談じゃない。
幸い、ここまでに自分が行ったことといえば、貴族令嬢としての忠告くらいか。それ以上のことは、未だやっていないはずだ。
もしかしたら、懇意にしている令嬢たちが些細な嫌がらせはしているかもしれない。けれど、それもまだ十分に取り返しがつくものだ。
ジョルジーヌは考える。
これから先、さまざまな“乙女ゲーム的イベント”も起こるらしい。
だがもちろん、ジョルジーヌも断罪だなんだで貶められることは望まない。
療養を名目に引きこもっている間、近い将来起こるかもしれないことをどうにか回避しようと、必死に知り得た情報を整理したのだ。
そうしてひたすらに考えた結果、アドリエンヌはどうやら“逆ハーエンド”を目指しているようだという結論に至った。
あの娘は“攻略対象”と呼ばれる殿方たちと次々関係を結ぶことを善しとするつもりであると。
貴族令嬢として、婚姻を済ませるまで純潔を保つことは最低限の義務だというのに、彼女は本当にそこを目指しているのか。
それに、アドリエンヌの取り巻きとなっている者たちも問題だ。
彼らこそ、何を考えているのかわからない。
尊い王族とひとりの女を争奪しあうなんて、本当に何を考えているのだろう。王子が彼女を望んでいることなど、側から見ていて明白ではないか。
それに、聡明で思慮深いはずのオーレリアンだ。
アドリエンヌが他の子息たちと懇意にしすぎていることに目を瞑って……いや、気づかないなんてどういうことなのか。
さらに言えば、ジョルジーヌとの婚約を、つまり王家と侯爵家の間に結ばれた契約を蔑ろにして善しとする、その態度は王子として如何なものか。
このまま記憶通りにことが進めば、ジョルジーヌは公の場で、居並ぶ貴族たちの面前で断罪されることになる。
オーレリアンはさしたる手続きも根回しもなく、アドリエンヌの言葉を額面通りに受け取って、取り巻きと共にジョルジーヌを責め立てるのだ。
王家にも近い上級貴族に対し、あまりにも迂闊すぎる。
何より、現在のオーレリアンの振る舞いを思い返してみれば、その端々に既に兆候が現れていたではないか。
なんと嘆かわしいことか。
オーレリアン王子がここまでボンクラだなんて、思ってもみなかった。
ジョルジーヌは、ならば、と決意した。
わけのわからない“乙女ゲーム”の物語がこれから起こることを教えてくれているのであれば、自分はせいぜいそれに抗ってみせよう。
手始めに、あの男爵令嬢アドリエンヌだ。
物語の終盤、ジョルジーヌの断罪の場で、あの娘が実は隣国から幼少時に拐かされ、行方不明になった姫だと明らかになる。
ならば、今、隣国に知らせて明らかにしてもいいではないか。
もちろん、ジョルジーヌだって多少は第二王子に惹かれてはいた。
あの夜会以前のジョルジーヌは。
だが、勉強ができる外面がいいだけの、その実ただのボンクラな第二王子など不要だ。欲しいならくれてやる。
それに、そもそも一番に問題だったのは、王家の青い血にどこの誰とも知れない庶民の血が混じることだったのだ。
アドリエンヌが庶民でないなら、これも問題ない。
――“逆ハー”を狙っているらしい、あの娘の身持ちだけはどうにかしなければならないのだが。
何しろ、成人向けである。“逆ハー”というのは、つまり、“攻略対象”である子息たち全員と性的な関係になるということだ。
ゆくゆくはオーレリアンと婚姻を結ぶにしろ、誰の種だかわからない子をこの国の王族にされるのは、臣下として困る。
幸い、王太子にはすでに妃がいて、次代の王子も誕生しているから、最悪の事態は避けられる。なら、これから証拠を押さえ、それとなく国王に進言すればきっといいように計らうはずだ。
「ああ、そういえば、“自作自演”というものもあるのでしたっけ。それに、“物語の強制力”?」
“前世の記憶”というのは便利だ。ジョルジーヌだけではきっと思いつきもしなかった、さまざまな可能性を教えてくれる。
アドリエンヌがオーレリアンたちを落とすため、ジョルジーヌを物語どおりに断罪するため、仕込みや冤罪を画策するかもしれない。それに、“運命”とでも呼ぶべき物語の、こうあれという流れに陥れられるかもしれない。
だが、それをそれとして知っていれば、何かしら対処できるだろう。
そう、だから、まずはアドリエンヌの出自を明らかにしてしまうのだ。ここは物語などではなく、ジョルジーヌの生きている現実なのだから。
「そうね……やはり確認を待たずとも、アドリエンヌの出自を陛下にお知らせして、わたくしの婚約を取り下げていただくことが先決かしら」
隣国の姫であれば、第二王子の婚約者として申し分ない。
ジョルジーヌが想い合うふたりのことを訴え出て、どうかアドリエンヌを妃にと願えばさほど揉めることもなく終わるだろう。
現在の状況と隣国との関係からすれば、この国の王もオーレリアンも、それに隣国の王だってそう望むはずだ。
アドリエンヌ自身がどうとかは関係ない。
問題は、やはりアドリエンヌ自身の身持ちか。
どう考えても、結婚までは控えてもらわねばなるまい。オーレリアンの種であると確実に言える子供さえ産んでさえくれれば何も問題はないのだから、“逆ハー”をやりたいならその後にして欲しい。
義務さえ果たした後なら、誰と恋をしようとうるさく言うものはいないのが、上級貴族なのだ。
「結婚まで“逆ハー”は控えて貰ったほうが良いのは間違いないわね。
でも、そこまで口を出すのは、わたくしの役目ではないわ。早く婚約を済ませていただいて、殿下自らに牽制させるのがよいかしら……」
ジョルジーヌは、これからすぐに取り掛からねばならないことを考えて小さく溜息を吐いた。
■ジョルジーヌ
悪役令嬢。王子のやらかした夜会ショックで前世の記憶が蘇り、「おれは しょうきに もどった」
冷静に考えたら、なんかオーレリアン王子って色ボケボンクラじゃね? という結論に達したうえ、ヒロインであるアドリエンヌに熨斗つけて差し上げてやんよ、という気持ちにまで至る。
この後、予定されてる断罪処罰イベント回避のために精力的に活動する予定。
■第二王子オーレリアン
ジョルジーヌによる色ボケボンクラ認定前は、王太子以上に次期国王に相応しいんじゃね? などと評判だった。
しかし、ジョルジーヌ覚醒の影響により将来は未知数に。
■アドリエンヌ
ヒロインちゃん。記憶持ちなのか転生なのかそこらへんは不明。ジョルジーヌのとてもとても貴族らしい根回しと策謀に対抗できるのかも不明。
■攻略対象メンズ
乙女ゲーあるあるなヒロインちゃんの「あなたのこと、ちゃんと理解しているわ」ビームに胸を射抜かれたらしいイケメンズ。
皆婚約者とかいるはずなのにいいのかとか、王子の思いびと寝取っていいのかとか、これからジョルジーヌに生温かく観察されるかもしれない。