【第4面】 (1)
「UoU」
宙に浮いていたRTが変な声を出して飛びすさったのが見えて、
私は現実世界に還ったと判った。
暗い部屋にはヒジリは居なかった。ここはどこなのか?
ゲームオーバーになったのは確実だった。
【ゲームオーバーです】というカウンターの声を聞いた。
しかし私は還った。死んでいなかった。
私は、コンティニューできたのか?
わからない。「コンティニューです」と言われたわけではない。でも、もしかすると、と思う。通常のプレイでは起こらないことが起きたらしい。それはRTのリアクションで推測できた。
「Hyaaa。吃驚だな。よみがえったのか。この『隔離室』に運ばれて復活したプレイヤーは……」
居ない、と言おうとしたのだろう。だが、RTは癪にさわったか、口をつぐんだ。私の復活は、RTにとっては、予想外の出来事のようだった。
私はRTに訊いた。
「コンティニューの機能って、『ゲーム』にあるかしら?」
「Mmm? そんな機能は無いぞ。『SC』には、リセットもコンティニューも無い。ゲームオーバー・即・ジ・エンドさ。それが、どうかしたかい? まさかお前、『コンティニューしてきた』とか、イカレたことを言うんじゃないだろうな。そいつはありえんよ、ありえんとも」
いや違う。コンティニューなのかバグなのか明らかではないが、『ゲーム』には確かに予想外の挙動がある。
RTは『ゲーム』側の監視役なのにそれを知らない。もしかしたら監視役は『ゲーム』の重要な役員ではないのかもしれない。
RTは苦々しげに黙した。うろたえているのが伝わった。このぬいぐるみが黙ること自体、珍しかった。
私はカラダに付いている意味不明な呼吸器やチューブや針を全て抜いた。なんでこんなものが刺さっているのか。殺風景なエメラルド色の患者衣を着せられ、ベッドに寝せられていた。わけがわからない。
私は立ち上がった。
全身が疲れていた。軟体動物が、無理矢理、立っているようだ。カラダという袋の中がゼリーで満ちているような感じだ。異常な復帰をした余波だろうか。
だが、何だろう。
この、エネルギーは。
ジブンの内側から、冷たく、熱いエネルギーが、ひたひたと湧いていた。ジブンでも空恐ろしくなるような、異様な量のエネルギーだった。今にも暴発しそうなのに、抑えがきいていた。感情と理性とを無限循環し、相互の極からエネルギーを引き出し合うような、スケールのちがうエネルギーを感じた。
こんなパワーは今まで感じたことがなかった。
でも、近い感じなら何度かある。セカイ丸ごとがジブンのものと錯覚していた遠い子供の頃。あるいは、数年に一度の、奇妙にドライブした夢の中とかだ。
最も近い感覚は、『ゲーム』の中だった。パワーが溢れてきて、フィールドを制圧できる手応えを感じたことが、『ゲーム』では何度かある。今は、それよりも上等な感覚だった。
そう、まるで、『ゲーム』そのままの感覚。このセカイが『ゲーム』のフィールドである感じ。
私は今、「何か」に目覚めかけていた。「何か」の正体さえ、「何か」が明らかにしてくれそうに思った……。
「ヒジリは、どこ?」
「A、Aa、近辺に出ている。『ゲーム』関連でな。素質がありそうな奴がエリア内に出現すると、カウンターを持ってチェックに行く義務があるからな。お前を看取りたがっていたが、仕事は仕事だ。Hun、だがもう、看取る必要は無くなったか!」
いまいましげにRTは言った。
ヒジリは仕事中か。精勤だな。
ヒジリに会いたかった。
外に出ようと思った。病院に居る理由が分からない。私は歩き出したが、すぐにふらついて、床に倒れてしまった。この疲弊感は『ゲーム』でのダメージではない。ジブンの中で立ち上がろうとしている、新しいジブン。ジブンジシンが、それに慣れてないだけだ。なんならいますぐ1000km歩いてみてもよかった。
それよりまず、『ゲーム』を試したい。本当にジブンは「何か」が変わったのか。それとも、ただの興奮や錯覚か。次のログインで真価が分かる。
「O、O、Oiおまえ、歩いていいのか? 怪我してたんじゃないのか?」
「怪我なんて……皆無よ。見る?」
私は患者衣をはだけてRTに見せた。つるりとした、すべすべの肌だ。しかしなにかアクリルふうの糸が十本ぐらい肉から出ていたので、私はそれを抜いた。糸は、つるんと抜けた。すっごく長い糸が十本ぐらい抜けた。これで異物が全部取れた気がした。部屋のドアを開ける。暗い廊下に沿って、同じような部屋の扉が並んでいた。
「Oi、待て、狂った友よ。そっちに行っても無駄だ。ヒジリの付き添いが無いと、地上には出られないんだ。カードキーと暗証番号が……」
RTが飛びながら追ってきた。
ガチャン。重い物が落ちる音。
廊下の向こうに人影が立っていた。ヒジリだった。私はヒジリのことは影だけで分かる。下に落ちた黒い物体は、Gカウンターの影。裁定者だけが持つ機器。
ヒジリは歩いて来て、私を確認するように、手前で立ち止まった。
「君……。無事だったんだ」
感情に乏しい顔と、抑揚の無い声だったが、ヒジリが悪い気持ちではないことは推測できた。
「怪我が治ったんだ。『反映』か何かなの? ここまで綺麗に治るなんてね」
ヒジリは目に裁定者としての興味を浮かべ、私をじろじろと見回した。
「ほんとうに、珍しいわ。ひどい怪我をしてログアウトしたプレイヤーは、Gカウンターで修復できる措置もあるんだけど、適用するには手続が面倒だし。そうよねRT?」
「Aa、そうだな。修復措置は『ゲーム』の自主的な継続が困難なときなどの特段の場合に限られる。致命傷程度の怪我では適用は難しいな」
「というわけ。治ってラッキーだった」
ヒジリは軽く言った。
なんだろう。声にいつもの艶を感じない。上の空だ。ヒジリも動転することがあるのだろうか。動転したわけは、私がゲームオーバーになりそうだったから? 廊下が暗いせいか、顔色は悪いように見えた。ヒジリほど表情が本心から隔絶されている人間は居ないが、生死の境をさまよった私に心労を覚えたに違いない。
「会いたかった、ヒジリ」
私は一言だけ言った。ほんとうに、本心だった。ヒジリにまた会えて、良かった。ヒジリが死んでいないこと、それは、私が死んでいないことでもある。こうやって、ヒジリの顔を落ち着いて眺める時間は、たちまち流れてしまう。短い時間だが、私にはとても貴重で、変な話だけど、長くすら感じられた。
「あたしは、まだ死ぬわけにはいかないようよ、RT」
「Ah、儂は正直、復帰は無いと思ってた。Oh、悪運狂気の娘、闇の眷属の呪いを受けし、半獣半人の売女……!」
ヒジリが皮肉げにRTに呟くと、人形はわけのわからない言葉を私に投げつけた。
そのとき、警報音が鳴った。廊下が赤く照らされた。
赤い光を発しているのは、ヒジリが落としたGカウンターだった。いち早くRTが飛んで行った。
「何事だ……? Oi! 『SC』からのPIの通信のようだ。こいつはとびっきり、レアだな!」
「そのようね。ショウブ、あなたが寝ていた部屋に行く。急いで」
ヒジリは点滅しているカウンターを手に、部屋に入って行く。
「壁をスクリーン代わりに使う。ショウブは、あたしの隣に」
「儂は何処だ?」
「あなたはどこでもいい」
ヒジリはカウンターを部屋の隅に置き、ディスプレイ側を反対の壁へと向けた。
ディスプレイを光源とするホワイトスクリーンが暗室の壁に投影された。角度のせいで、即席のスクリーンの形は歪だ。照度も悪い。なんとか読み取れる文字がスクリーンに現れた。
【PI:これはSCの全参加者に送信中のライブ映像です】
字幕が消え、次の字幕が現れる。
【1位のプレイヤーが、DMと闘う権利を得ました。バトルが行われます】
自分の顔が張り詰めたのが分かった。
挑戦者名と、HPとMPのステータスが表示され、挑戦者の姿が映った。知らされるまでもなく、アスカだった。魔王まで辿り着いたわけだ。
「K、K、K、先を越されたな娘よ。こうして1位とDMの戦闘は現実とゲームの両界に中継される。プレイヤーの士気を高める意図なのさ」
私は釘付けになっていた。
アスカが居る場所は、黒い溶岩台地のような荒れた場所だ。ユイは映っていないようだ――ここには居ないのか。画質も荒れているから、まるで百年前の映画のようだ。
アスカが何かを喋った。音声は入らない。サイレントか。視点は旋回し、黒い棺のような雄大な壇の上空から、中央の玉座に腰掛けた魔王を映し込んだ。怪物の髑髏が漆黒のヴェールを着た姿。ユイをさらっていった、あの魔王だった。私は、息を飲んだ。
「キャアアアアアアアッッッ・・・・・・・!!!」
何事かと思った。耳をつんざく悲鳴。ヒジリが叫び、床に倒れた。耳を塞いでいる……? 変だ。映像からは、音は出ていない。頭を抱えている。転がるようにうずくまり、動けないでいる。私は近寄り、そっと肩に触れる。痙攣のように震えている。
……やがて、ヒジリは落ち着いたのか、横目で映像を見る。映像に慣らすように深呼吸し、壁に手をつきながらだが、また立つことができた。ヒジリは、こわばった顔で映像を見据えた。明らかな警戒が目には浮かんでいた。これほどストレートに感情を出したヒジリを初めて見た。
「……大丈夫?」
「ごめん。取り乱して。魔王が……すごいインパクトだったので」
ヒジリは息をつき、額の汗を拭った。魔王の容貌の異形さは大いに同意できる。実物の空気はもっと凄まじかった。
「K、K、今からビビってどうする。戦いはこれからじゃぞ?」
RTがヒジリの頭上で囁いた。
魔王が口を開け、咆哮したように見えた――「勇者」との戦いが始まった。
次々に魔法の防壁を張り、同時に攻撃呪文も連続展開するアスカ。初めて見る強大な呪文が魔王の巨躯を撃つ。魔王も応戦。バスーンのような口から吹雪や炎や光線の連発。右手からは光の壁、左手からは臭気が伝わるような黒煙。これらは補助呪文のような術か。首飾りからは粘液質の網が飛び出し、相手を捕まえようとする。アスカは攻撃をかわし、はじき、無効化し、反撃する。ラストバトルにふさわしい縦横無尽のパフォーマンス。フィールドに飛び散る砂と岩の嵐。画面が見にくくなる。魔王のゲージは表示されないので、見たところ減っているのはアスカのゲージだった。嵩にかかっているのは魔王とも見える。確実にアスカのゲージを削っている。魔王は空中に逃れ、球状の闇のバリアに包まれ、ブルブルと震え始めた。ゾンビ型の骨格が倍に膨れ上がった。背中を突き破り、湾曲した腕が四本も生えてきた。ここぞとばかりに変身、真の姿を現したのだ。いよいよ勢いづき、仕留めにかかる魔王。
だが、ふつうのゲームでいうなら、変身したというのは、ゲージが減っていることと同義なのだ。たしかに、変身後の攻撃は、より凶悪となった。しかし、それを耐えて地道に攻撃しつづければ、先は見えてくる。ただし、一度ではなく数回の変身を経る場合もあるから、慎重さが大事だ。
アスカはあまり傷ついていない。ドレスが汚れている程度だ。ゲージは減っている。しかし、アスカのゲージは「減らない」のだ。表示されているゲージは、アスカのゲージの「一部」なのだから。
アスカは魔王から距離をとり、画面を何秒か見上げた。
他のプレイヤーへの誇示か。
やはり、余裕がある。
アスカは三つ編みをほどき、長い髪をさらけだした。それが、合図だった。怒涛の連続攻撃を魔王に叩き込む。どちらが魔王なのかと思いたくなる鬼畜並みの攻撃である。魔王の反撃はすべてキャンセルされ、腕一本、指一本、動かせなくなった。魔王が苦しげに咆哮した。〆られるニワトリのような顔だった。アスカの攻撃ラッシュは続いた。魔法による爆発の激しさで、画面は白一色に染まった。
ふっ。
画面がピカリと光り、明かりが落ちた。映像はしばらく夕暮れのような明るさを保っていたが、やがて、暗転した。
「続きは……!? どうなったの?」
「Hyahyahya、派手にやったじゃないか。異常な量の電磁波で映像の配信がイカレたらしい。結末はゲームの中、じゃな。アスカとかいう挑戦者は確かに優れている……。だが、魔王は簡単には倒せんよ。Hyahya」
RTは、あっけらかんとしていた。
本当だろうか。私にはアスカの圧倒的有利に見えた。
「Huhuhu、そろそろバラしてもいいじゃろう。ヒジリ、お前も知らないことをな。じつはな、『SC』をクリアしたプレイヤーは、今まで一人も居ないのじゃ」
「なんですって?」
私は問う。ヒジリも素早くRTを見た。
「本当なの?」
「Aa、本当じゃ。じゃから儂はアスカ側の敗北を確信しておるよ」
「知らなかった……」
「Huh、お前が知らんのは当たり前じゃろ。ヒジリにも言っとらんからの。今まではPI自体が起こらなかった。魔王にまで到達するプレイヤーさえ現れなかった。じゃからアスカは大したものよ。だが、ここで終わりじゃろうがな」
私は、RTへの怒りは覚えなかった。むしろ、ホワイトアウトした画面を、冷めた目で見やっていた。
クリアした者が居ない。……それは単に、難易度の問題なのだろうか? そんな事をふと思ったのだ。冷静に見て、アスカのステータスで倒せない魔王なら、誰も倒せない。
「Hey、まあ安心するんだ、友よ。クリアした者が無いからといって、クリアできないということではない。クリアできないゲームなど詐欺じゃと儂は思う。必ずクリアできるようにできているものなのさ」
嘘でも、RTはそう言うだろう。『ゲーム』側の役員なのだから。
考えてみても仕方ない。
「私、『ゲーム』に行くわ」
行ってみよう。
そしたら分かる気がする。一度ゲームオーバーになっているからか、『ゲーム』に向かうことは、自分でもおかしいほどに、恐怖感が無かった。今度は『ゲーム』の見えていなかった部分がクリアに見えるような気がした。
ユイ、助けに行くからね。
「まって。病院から『ゲーム』に行くのは推奨しないわ。ここはどちらかと言えば『ゲーム』に敗れた者を看取る場所。外に出てはどう? ここからは学校も近い」
ヒジリが言う。それもそうか。従うことにした。RTがヒジリの頭に止まった。ヒジリはシルクハットを被り、廊下に付き添ってくれた。
廊下を歩き、なにげなく見た病室のプレートに、私は立ち止まった。
初めて見る名前……。いや、なにかが引っ掛かる。
[ 梓 唯 様 ]
アズサ、ユイ。
それは、知っている名前だった。
強烈な吐き気を覚えた。
私は、この部屋に居る、見たことがない少女の顔を知っている。
ドアは数センチほど開いていた。中の暗がりが覗いていた。
私は迷い無く、ドアを開け、中に入っていた。
ベッドに寝ている誰かが居た。
それは、包帯やガーゼに巻かれ、上からパジャマを着せられ、生命維持装置につながれた、「子供の形をした物体」だった。顔など見えないし、性別も分からない。重症患者を装った人形だと言われても、私以外は、納得するだろう。
「ユ」
私はベッドに縋り寄り、ユイの腕や肩を触った。思い切り触りたかったが、和紙を撫でるように触った。怪我に障るといけない。
ユイ。どうして。こんなになっちゃって。
冷静に考えれば、魔王に攻撃されたのだ。このくらいの重症にはなる。しかしショックの強さに、ココロが震えた。
ヒジリが私の手を引き、起こした。顔の前に「?」のマークを浮かべている。そうか、ヒジリは知らないのか。私がこの「患者」の知り合いということを。私は説明した。
すると、ヒジリは明かした。
「このプレイヤーは、前からこうなのよ。全身不随状態。ゲームに入ってすぐの頃、現実世界でトラックに撥ねられたの。それはショウブがゲームに来るよりずっと前のはずだから……」
私は戸惑い、目をしばたたく。
じゃあ、ユイのこの有様は、魔王の攻撃のせいではないのか?
しかしなぜ――
「このプレイヤーは、今も『SC』に居るの?」
ヒジリに訊かれる。私は答える。
「魔王にさらわれて、魔王城に居るらしいの。私はこの子を助けたい……」
ヒジリが推測を述べる。
「なるほど、ね。私は自然に、このプレイヤーは意識不明だから、『SC』には居ないと思っていた。けれど現在も『SC』に居続けている。考えられるとすれば、事故の衝撃で『SC』に飛ばされたままになったという事。だから事故後なのにショウブと『SC』で知り合うことができた……。何らかのバグが起きている。もしくは、プレイヤー自身の意志、なのか」
プレイヤー自身の意志。
なぜか、その言葉が、叢雲のように暗い予感を与える。
私は、『ゲーム』でいつもはしゃいでいたユイの姿が、現実のユイの反転に感じられてならなかった。
もしユイが現実の自分を知っていたとしたら……。現実に戻ることは、『ゲーム』に居続けるより、格段に無価値なことだ。いや、一度現実に戻ってしまえば、意識さえ無事かどうかわからない。植物状態ということもある。意識が無ければ『ゲーム』に行くことも二度とできない。
だったら、ずうっと『ゲーム』に居るしかないのではないか。
ログインしっぱなしの状態にしておく以外ない。
私は、ユイが実際にログアウトした様子を見たことは、一度も無い。
ユイが『ゲーム』で気を失った時、私はユイをログアウトさせてやろうとした事がある。ユイの腕輪のボタンは、しかし、効かなかった。【このログアウトは無効です】というダイアログが出た。あの意味は何なのか?
そんな思考が一気に引き出される。
私は拒絶するように首をブルブルと振る。雑念を払い落とす。行けばわかる。ユイ本人から聞けばいい話だ。とにかく行くことだ。
私はユイを見下ろした。客観的に見て、ひどい姿のユイだ。見るのが痛かった。でも私は、ちゃんと見た。私が見なくてどうする。助けに行く私が。
「……またね、ユイ」
私は、はっきり告げた。ヒジリに頷き、部屋をあとにした。ユイには私の声は届いている。私はそれを疑わなかった。私は、言ったことはちゃんと守る。
ユイ、今度は必ず、迎えに来るからね。




