【第3面】 (7)
着きましたと言われ、HSに促されて下車したら、さびれた地下のホームだった。
古いビルの半地下らしい。階段を上がると、どこかの古い町だった。
夜になっていた。スモッグが霧のように漂い、信号の赤と緑が血のように滲んでいた。
車が行き交い、人が雑然と歩いている――ように見えた。だが、しばらく歩くと、それは誤りだと分かった。通行人はロボットだった。ロボット? もっと単純なものだ。工作と言うようなものだった。すれちがったコート姿の男性を何となく見たら、表皮が布だった。張り子の人形がドスドスと靴音を立てて歩いていた。ほかの通行人も同じだった。
よく見ると、車もガラクタ的というか、模型のようだった。いかにも馬力が無い、いびつなブリキ細工のようなのが、ゴトゴト揺れて走っていた。
一見して、ありふれた現実の町だと思ったが、それは誤解だった。ここは、現実を壮大に仮装した町だった。
現実っぽい町があるし、町の機能は稼動していた。だが、無人であった。HSは一貫したニコリ笑いを貼り付け、町の表通りからは見えない場所に向かう。いつのまにか、HSは私の腰を抱え、強い力で誘導して行く。細い路地を入っていったアパートメント。階段をのぼり何枚目かのドアをHSが開けた。錆びた鉄がギィーと鳴った。
「コンニチハ。。ワタシユイヨ。。アハハハhーー。。#$%&*+*+?。。」
不可解な言語を発する人形が、中には居た。
荒れた和室に椅子が置かれ、そこに人形は座っていた。被覆した布の裂け目から、中身が見えていた。ブリキと真鍮と木片を釘で打って継ぎ合わせた人形。
扁平で大きいボタン製のの目。茶色と黒のセロハンを千切りにし、取り付けた髪。布製の皮膚。その上から黒い魔術師風のマントをかぶせている。
「この方が、ユイさんになります」
HSは紹介する。私は彼女を見た。ニコリ笑いは崩れない。本気でこれがユイだと言っているのだろうか!? 動く案山子だ。RTと同程度のキャラだ。
「#$%&}*+??。。***++*><><>>。。!。。!。。##############。・。・。」
カクカク、「ユイ」が歩いて来た。奇声を発し、私に抱きついた。何を喋っている? やかましい。黙ってくれ。魔王の術で人形に変えられてしまったのか? ユイはこの案山子の中で必死に喋っているとでもいうのか? これが、まさか、うそだ、ユイのはずがない。人形にすぎない体は高温に発熱していた。素材の継ぎ目から、蒸気とも煙ともつかない気体が噴き出ている。
「よかったですね。感動の再会に私の心も震えます。どうぞ、水入らず、ここでお暮らしなさい。それでは余計者はこれで」
HSは典雅にお辞儀すると、クルリと反転、部屋を出て行く。
その時、私を一瞥した、笑みの消えた顔。私はゾクッとした。機械的な無表情。監視カメラの二個のレンズが見ているような目だった。
瞬間、私は、『箱庭』に来てからの芒洋としたまどろみから醒めた。これは、まやかしなのだ。緻密に、怜悧に、管理されている幻想構築システム。それが『箱庭』の正体だと感じた。HSの完璧なエスコートから漏れる一瞬の「素」が、真実だ。そして、この、まがいもののクズ人形のユイ。私はとうとう、目が醒めたようだ……。
「待って、HS。これはちがう。ユイじゃない」
「……おかしいことをいうんですね。どこからみても、あなたがもとめていたユイさんではありませんか」
HSは振り向いた。
素顔を隠していなかった。
「ユイさんにあうことが、あなたののぞみでしょう? わたしは、あわせた。なぜ不平を言います? あなたは自分がお望みになった幸福に従う義務があるのです。ここで永遠に二人で暮らすのです」
「横暴を言わないで! これがユイのわけないでしょ! あなたがユイの何を知っているって言うのよ?」
「あなたこそ、ユイさんの本当の姿を知らないのですか? これこそが、本当のユイさんだったではないですか。あなたの目は曇っている。いや、きっと色々観光してお疲れなのでしょう。一晩眠れば世迷い言も言わなくなりましょう」
私は薄ら寒い気分になった。話が通じない。理解の根本がズレている。いや、もしかして、本当にこのユイが本物なのか? この人形は、私に見捨てられ、悲しんでいるというのか?
じゃあ、私が見てきたユイは何なの?
ダメだ。なにが本当なんだろう。混乱が極みに達する。
HSは私の腕輪を指差した。
「ここで『幸福に』お暮らしになるあなたには、それは必要ありませんね。私が持ち帰り、管制センターに届けましょうか。ゲームを放棄なさいますか?」
「放棄ですって?」
「自主的に腕輪を返納し、ゲームオーバーとなるのです。『箱庭』での末永い暮らしには、腕輪は必要ありません。今までのプレイデータは『箱庭』に自動吸収されます。あなたの『断片』は『箱庭』の一部となるのです。そして、あなたもです」
「馬鹿も休み休み言いなさいよ。私はまだ『ゲーム』を続けてるの。こんなところに、だらだらと滞在するつもりなんか、ないったらないのよ。ふっざけないでよ!」
「活きがいいですね。しかし、最初だけです。『箱庭』の魅力からは誰も逃がれられないのです。やがて腕輪とデータを差し出すことになりましょう」
腕輪を取り上げ、ゲームオーバーにさせること。これがHSの狙いなのか?
私は、ユイに羽交い絞めにされ、なめくじ程度の動きしかできない。力で向かって来られたら抵抗できない。
だが、HSは、力で取り上げようとはしなかった。
「ここで『幸福な』生活をお送りなさい。そう永遠にです。私は折節に見回りに参りましょう。気が向いたら腕輪をご返納ください。あなたの『幸福』に、祝福を」
そう言い置いて、部屋から出て行ってしまった。鉄のドアがガチャンと閉じた。
「ちょっ、待って、待ちなさい!!」
私は追い掛けたが、ロボットユイに組み付かれていたから、倒れた。
ズリズリと、何もないアパートの、毛羽立ったタタミの上を、必死に這って行った。ここに閉じ込められていたら、本当に、即身仏にでもなり果てそうな気がした。理解不能な言語を発するロボットユイ。このロボットは子泣きじじいか? 重すぎる。私はすでに錯乱している。とにかく本能的にHSを追うしかなかった。必死の体でドアに取り付き、錆び付いた取っ手を回した。私とロボットユイ、二人の体重が乗ったドアは、苦悶のような響きを発し、開いた。
「……!」
私にとって、驚くべき世界が、外にあった。
ドアの外は、サークルビルの925号室だったのだ。
この縦長の部屋には、ヒジリが座っていた。だが、その部屋の向こうに、さらに広い世界が開けていた。ヒジリは無言で微笑み、部屋の向こうを示した。
向こうには、私の『断片』だけでできた世界があった。
そう確信したのは、自分の『断片』だからだ。誤るわけがない。まるで全部がお祭りの会場であるような世界。こうこう、こうこうと、強烈すぎる光が立てるような音が、鳴り渡っていた。
私は、まばゆい世界の中の、おぼろげに見える細部に、目を凝らしていった。小さい頃、ロウの食品模型が欲しくて居座ったレストラン。小学生の頃好きだった女の子が居る教室。高校の頃、私が一度だけ好きになった男子。当時、私は、彼に告白したんだった。とてもうまくいって、遊園地にデートに行く事になっていた。だが私は、前日になって、行かないことに決めた。結局行かなかった。彼とはそれで終了した。なぜ急に行かないことにしたのか、今でも分からない。でも『断片』になっているということは、未練があるのは確かのようだ。
ほかにもいっぱい、『断片』があった。いっぱいすぎて、数え切れなかった。その数え切れない全部を、味わい尽くしたいと思った。私の風化して硬まっていた心を、強烈な願望の牙が噛んだ。
私は、ふらふら~と、『断片』の遊園地に足を踏み入れていった。
「さあ、行きなさい」
ヒジリの声が超音波のように聞こえた――気がした。『断片』のセカイの中心に私は降りた。『断片』そのものの出来事を、骨の髄から、私は味わっていた。それは幸福すぎて、何かを思う暇もなかった。思う力もなかった。甘い蜜が骨に侵入してきた。私はセカイじゅうに拡散してしまった気分だった。すばらしすぎるセカイで、ジブンを硬く保っている必要があるだろうか? あ~~~~あ~~~~、あ~~~~あ~~~~、そういう惚けた声を発しているジブンが居るようにも感じた。しかし、ジブンの感覚は、おぼろげにしか無くなった。私は、『断片』の遊園地の中に、溶けて広がっていた。ああ~~~、わかったよぅ~~~。【ノハラヨウコ】の気分が分かったよぅ~~~。『断片』に囲まれるのは~~~、こういう~~~、キモチなんだぁ~~~~。わたしは、はじめて、【ノハラヨウコ】に共感できた。
――ね、この場所は、とてもいいでしょう?
うん。いいよ。なんていうか、最高だよ。
――さあおいで。こっちへおいでなさい。
声ならぬ声のような響きが、雨のように、こだましていた。私は、声のするほうへ、ふらふらと漂って行った。心地良かった。現実のジブンとは違う、幽霊のように軽い存在になった気がした。
――あなたの居場所は、ここ。ここに、お座りなさい。
黄金色に輝く、ふかふかの玉座があった。真っ白いプラスチックのような壇上に、燦然と鎮座していた。
ここは『断片』の遊園地の中心部にちがいないと、なんとなく思った。
私はヒジリにエスコートされていた。ヒジリは玉座への階段を昇らせ、私を椅子につかせた。座り心地は天国だ。ずぶっと沈み込んだ。なんかもう、ソファになってしまいそうだ。
玉座からの景色も最高だ。入れ替わり立ち替わり、『断片』がピカピカと点滅し、周囲をメリーゴーランドのように廻っている……。
さっと、目の前に紅茶のカップが差し出された。あたしが飲みたいと、ちょっとだけ思ったからだ。飲むのがめんどうだから飲ませてと言おうとした瞬間、飲ませてくれた。いいなあ。ここはいいなあ。
――一生居てもいいのよ。
カップを持ったヒジリが、笑い掛ける。
いいの?
――いいのよぉ。ここはあなたの世界なの♪ あなたは女王よ。いちばんえらいのよ。ここのみんなはあなたを慕っているの。あなたの友達なのよ。好きなだけ好きなことをしていいのよぉ。好きなことしか無いのよ。
そうなんだー。あたし、しぬまでずーっと、すきなことをしていられるんだね。あたしも嬉しいよぅ。あたしもみんなが大好きなんだもの。
――そうよぉ。ここに居るだけでいいの。あなたはあなたであればいいの。何処にも行く必要はないのよ。あなたの好きだったレストランの食事だけ運んであげるし、好きな人にだけ会わせてあげるし、おしっこもビンに流させてあげるね。
――ここでずーっと、幸せにお暮らし。
子守唄のように響くヒジリの声が、あたしを布団のように包んでくれる。
ヒジリは、赤子が初めて見る母親のように、慈しみに溢れた顔だった。これ以上望むことがあろうか? ごはんの話をきいたので、あたしは、ごはんを食する気分になった。持って来てもらおうかな。ごはんを。
「はい、どうぞ」
目の前に差し出されたのは、熱々に湯気の立った五目中華ソバだった。ちょうど、これを食べたいと思っていたのだ。用意がいいわねえ。あたしは丼を傾け、右手に持っていたワリバシで、威勢よくかきこんだ。
熱!!! アッ、アツッ、熱っ!!! ――灼熱の半液体の固まりが口に入って来た。口が裂けるような大きさの固まりだ。岩のような灼熱の塊は、あたしの喉をつき破って、なお胃腸をめざした。やばい、これ、しんじゃう、あつすぎ。私は苦悶に転げ回った。玉座から落ちたみたいだ。景色が混ざって回る。
「あらあら。あなたが望んだのは、これだったでしょう? おかわりもあるからね?」
ヒジリは丼をいくつも重ねて持つ。中にはグツグツに煮えた蝋製の五目ソバが入っていた。あふい。みずう。私は焼け切れる寸前の舌で、水を要求する。
「はい、どうぞ」
ヒジリは指を鳴らした。
どばっと、電話ボックスほどのグラスが私に被せられた。こんなに飲めるわけねえだろ! 思わず叫ぶも、ごぼごぼと気泡が出るばかり。喉に詰まった模型と水責めのため、窒息が並じゃない。クスクス、水槽のようなガラスの向こうで笑ったあと、ヒジリはヒョイとグラスを持ち上げてくれた。私は魚のようにビクンビクンと悶える。反動で、詰まっていた五目ソバの模型が、びじゃびじゃと還流した。助かった――――って、違う。これは違う。こんな女は私が望んだヒジリじゃない。いやでも、すっごくブラックな面もあったし、これってヒジリの素の顔かしら。そんな迷いが、むくむくともたげる。
と、私は、ヒジリの顔に目が止まった。
瞳の色が、黒い。
「………………あなた、ほんとうに、ヒジリ?」
「何を言うの?」
ヒジリは眉間をキュっと寄せた。すぐに微笑に変わったが、もう私の違和感は増すだけだった。
「あなたは新しい世界に慣れていないのね。取り乱しているのよ。寝られない赤ん坊のようにね。お茶でも飲んで落ち着くのね」
ヒジリは顔を上げ、目で合図した。
ユイがお茶を持って来た。
ユイは、お盆を手にニコリ、首を傾げた。
生命力ある毬のような肌。きらきら輝く夢中な瞳。私は懐かしい心地だった。ひさしぶりにユイに会った気がした。――ありがとう、ユイ。いただくわお茶を。私は湯飲みを手にす――
――熱!!
私は湯飲みを落とした。陶器の割れる音。熱さのせい。もう一つ。気付いたのだ。
そういえば私にしがみ付いていたロボットのユイはどこに行った?
こぼれた緑茶が広がっていく。きたないシミが白い地面に広がる。純粋なセカイに垂れた一滴のきたなさが、セカイ全部を破壊する。あっというまだった。
ちがう……。このセカイはちがう……。
ありえないんだ、こんなセカイは。生き生きとしたユイが存在しているなんて、嘘だ。
ヒジリは私を、醒めた目で見守っていた。それは、観察者の目だった。
ヒジリはつまらなそうに短髪のウィッグを掴み、捨てた。そう、私は騙されていたのだ。
HSに。
「『箱庭』はお気に召しませんでしたか?」
冷たい管理者の目で、HSは問うた。ずっと私を見ていたのだ。ヒジリに化けて、『断片』の遊園地のエスコートをしていた。潮が引いたように、いつのまにか、HSのまわりは、すすけたアパートの一室に変じていた。ささくれた畳。かびの湧いた天井。私は椅子に、座らせられていた。HSのとなりにロボットユイが立ち、私を見詰めていた。




